風に揺れる午後と気配
セシル様の登場に不安を抱えたまま迎えた昼休み。
私はいつも通り、中庭の木陰でレオンとシリウスと並んで昼食をとっていた。
「ん〜!!! やっぱ、外で食べるとなんでも三割増しで美味く感じるよな!」
レオンはパンを頬張りながら、幸せそうに笑っている。
その無邪気な笑顔に、少しだけ肩の力が抜けた。
「……今日は風も気持ちいいし、静かだしね」
シリウスは果物をひと口食べてから、さらりと言葉を添える。
その穏やかな声に、空気がゆるやかに流れていくようだった。
「そうだね。私、こういう日は外で食べるの好きだな」
目の前には、レオンがくれた焼きたてのパンと、シリウスが分けてくれた小さな果物。
きっと二人は、セシル様の件で不安を感じている私を気遣ってくれているのだろう。
そんなさりげない優しさが、今は何より心に沁みた。
――と思ったのも束の間。
「フィオラせんぱ〜いっ!!!」
中庭の向こうから、元気いっぱいの声が響く。
次の瞬間には、ストロベリーブロンドの髪を揺らしながらルカくんが勢いよく駆け寄ってきて――
「わっ、ルカくん?!」
私が声を上げるよりも早く、彼はそのまま私に抱きついてきた。
思い切りの良さと、周りの空気を一瞬で明るく変えてしまうエネルギー。
それがまさに、ルカくんらしかった。
「もうやだっ!!! 僕の話、聞いてよっ!!!」
腰にしがみついてくるルカくんを受け止めながら、私は思わず苦笑した。
その勢いに押されて少しよろけると、すぐ後ろからカロンが現れて、申し訳なさそうに頭を下げる。
「姉さん、先輩たち。こんにちは。……ごめんなさい、ルカが取り乱していて」
「取り乱してないも〜ん!ちょっと甘えたかっただけだも〜ん!」
プンスカと頬を膨らませるルカくん。
そんな姿に、レオンが吹き出しかけ、シリウスは小さくため息をついた。
「ルカくん、いったいどうしたの?」
私がそう尋ねると、ルカくんはぴたりと動きを止め、眉を寄せながらムスッとした。
「……今日から、あの“第二王子”が僕たちのクラスに編入してきたせいで、朝からず〜っと女子たちが大騒ぎなんだよ!」
「セシル様……二人と同じクラスなの?」
「そう!“セシル殿下って素敵〜”とか、“目が合った!”とか、もううるさくて!……しかも本人がまた慣れてるっていうか、さらっと『ありがとう』とか微笑み返しちゃうんだよ〜……!」
ルカくんはプンと頬を膨らませ、プイッと横を向いた。
その様子が可愛くて、でもどこか切実にも見えて、私は思わずそっと頭を撫でる。
「大変だったんだね。……頑張ったね、ルカくん」
「せんぱ〜い……」
小さな声でそう呟きながら、ルカくんが頬を寄せてくる。
いつもの甘え方なのに、今日は少し違って感じた。
どこか無理に笑っているような、そんな気がして、私はソッとその背も撫でた。
すると、その隣でカロンが小さく息を吐く。
「……騒がしさに混乱しているのは、僕も同じ。授業中もみんなセシル殿下の話ばかりで……正直、集中できないんだ」
「……お前がため息つくなんて、珍しいな」
レオンが驚いたように目を丸くしてカロンを見る。
普段は冷静で大人びたカロンが、こんなふうに疲れをこぼすなんて滅多にない。
それだけ、セシル殿下の登場が“私たちの日常”をかき乱しているのだと痛感する。
(……騒がしいだけじゃない。きっと、これから何かが少しずつ変わっていく)
そんな気配を胸の奥で感じながら、私はもう一度、拗ねているルカくんの頭を優しく撫でた。
ルカくんはレオンからもらったパンをもぐもぐと頬張りながら、ようやく少しずつ落ち着きを取り戻していく。
風が木々を揺らし、木漏れ日がちらちらとベンチを照らす。
そんな穏やかな光景の中で、シリウスが静かに顔を上げた。
「……セシル殿下の目って、少し変わってると思わない?」
その声は小さく、けれど確かに空気を震わせた。
風の音が止んだように感じるほど、静かな問い。
私たちは思わず顔を見合わせた。
中庭の穏やかな時間の中に、ほんのわずかな緊張が落ちる。
「変わってる……?」
「うん。目の前の人間を見ているようで、見ていない。それに……心の揺らぎも、ちょっと違う感じがした」
シリウスの穏やかな声の奥に、淡い警戒が混じっていた。
その表現に、私は思わず息を呑む。
「まるで、“何か”を選んでいるみたいな」
静かな一言が落ちた瞬間、風が止まったような気がした。
横で聞いていたカロンが、わずかに眉を寄せる。
「……確信はないけど、僕も同じようなことを感じました。言葉の選び方、間の取り方、視線の流し方……全部がその場に合わせて“選んでいる”みたいで、自然じゃなかった」
それは、断定でも批判でもない。
けれど、その感覚だけで、心の奥がゾクリと冷たくなる。
(選んでいる……まるで“ゲームのプレイヤー”みたい……)
喉の奥で息を呑んだ、その時だった。
「……てか、王子ってだけでそんなキャーキャー言われるもんなのか?」
不意に、レオンの呑気な声がその空気を破った。
「まあ、たしかにアレン様とは違って“王族感”あるけどさ?俺だって負けてないと思うんだよな!」
どこまでも自信満々な声。
その瞬間、私とシリウス、そしてカロンの三人が、無言で同時に目を細めた。
「ちょっ!なんだよ!その目!」
慌てて手を振るレオンの後ろで、ルカくんだけがプッと吹き出した。
その笑い声が、中庭に柔らかく響く。
さっきまでの重たい空気が、少しずつ風に溶けていくようだった。
そんな穏やかな昼のひとときが、ゆっくりと終わりに近づいていた。
太陽は高い位置から少し傾きはじめ、木漏れ日が淡く揺れる。
心地よい風が吹き抜け、芝の上を光と影がゆっくりと移ろっていく。
その時ーーふと、足元に“白い花びら”が落ちているのが目に入った。
「……これって」
しゃがみ込み、そっと手に取る。
指先に触れたそれは、“ユスティア・フロス”の花びら。
同じ色。同じ質感。
幾度となく目にしてきたその花びらを、間違えるはずがない。
胸の奥で、反射的に心臓が跳ねた。
(……でも、もう怖くない)
静かに息を吐き出す。
以前のように"これが原因で何か起こるかもしれない"と怯える気持ちは、もう湧いてこない。
むしろ、掌の上で揺れる花びらを見つめながら、穏やかに思う。
(アレン様たちのおかげで、ちゃんと前を向けてる)
やはりこの花からは、私の能力を覚醒させるような気配は感じられない。
これもきっと、誰かが私の“不安”を煽るために置いたものだろう。
風が吹き抜け、手の中の花びらがふわりと舞い上がる。
その一枚を目で追いながら、私は静かに胸の奥に残った小さなざわめきを押し込めた。
* * *
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。
私たちはカロンとルカくんに手を振り、それぞれの教室へと戻った。
廊下には、まだ昼の余韻が残るような明るい声が漂っている。
けれど、私の胸の奥には、さっき拾った“白い花びら”の記憶がまだ静かに残っていた。
教室の扉を開け、自分の席に歩み寄ったその時。
机の上に、一枚の小さな紙片が置かれているのに気づいた。
指先でそっと拾い上げる。
そこに記された筆跡を見た瞬間、胸がひとつ大きく跳ねた。
『放課後、生徒会室まで来てほしい。できるだけ早めに。』
――アレン様の字だった。
わずかなインクの滲みまで見覚えがある。
けれど、その一文だけが、なぜだかとても重く感じられた。
昼休みの穏やかな空気が、静かに遠のいていく。
教室のざわめきが次第に遠くなり、耳の奥で小さな鼓動の音だけが響いた。
(……何かが、始まる)
セシル様。
そして、再び落とされた“白い花”。
どちらも偶然とは思えなかった。
この呼び出しが、そのすべての始まりの合図のような気がした。
私は小さく息を吸い、メモを丁寧に折りたたんで制服のポケットにしまう。
その瞬間、誰かが開けた窓から風が吹き込み、カーテンが淡く揺れた。
光の粒が机の上に散り、空気が少しだけ変わる。
(――きっと、大丈夫)
そう心の中でつぶやきながら、私は窓の外の空を静かに見つめていた。
その“放課後”が、ただの日常の延長ではないことを、どこかで知っている気がしながら。




