はじめまして、隠しルートキャラ?
教室に入ると、ざわざわとした空気の中、まだ担任の教師らしい人物の姿はなかった。
私はレオンとシリウスと一緒に新しいクラスメイトへ軽く挨拶を済ませ、指定された席に腰を下ろす。
新学期の余韻を胸に、ふうっと肩の力を抜いた、ちょうどその時。
「おーい、そろそろ先生来るっぽいよー!」
クラスメイトの声が響いた直後、扉が静かに開いた。
現れたのは、見覚えのない男性教師。
二十代半ばくらい、整った顔立ちに涼しげな鋭い眼差し。
淡い銀灰の髪が光を受けて揺れるたび、ただそこに立っているだけなのに、教室の空気がじわりと引き締まっていく。
(……え、なんか"それ"っぽくない?)
乙女ゲーム脳が、ぴこんと反応する。
前世の記憶では、この時の担任は別の教師だった。
ーーつまり、目の前の教師は完全に初見。
「今日から君たちの担任を務めることになった、ラフィン・クラウスだ。よろしく頼む」
落ち着いた声が教室に響いた瞬間、生徒たちのざわつきが、一気に加速した。
「若っ……!」
「イケメンすぎじゃない……?」
「声も良すぎて意味わかんない……!」
(……この顔はただの担任教師って顔じゃない! 完全に“隠しルート追加キャラ”の顔をしてる……!!)
ざわめきの中、ラフィン先生は生徒一人一人に視線を巡らせる。
感情の読めない微笑みを口元に浮かべながら、ゆっくりと教室を見渡し――そして、不意に。
その視線が、私に止まったような気がした。
(え、ちょっ……嘘、こっちに来る……!?)
コツン、コツンと靴音とは思えないほど心地よい響きを立てながら、先生は少しずつ近づいてくる。
やがて私の目の前で立ち止まると――
「さて……まずは君。名前は?」
突然、手を取られた。あまりに自然な仕草に、私は思わず目を丸くする。
「えっ……わ、私ですか?」
「そうそう。美しい女性を見かけると、つい気になってしまってね。教師として、純粋に、ね?」
(“教師として、純粋に”って……どういう意味!?!?)
「フィオラ・ノイアーです……よろしくお願いします、先生」
「ああ、ノイアー公爵家のお嬢様か。なるほど……さすが、姿勢も所作も綺麗だね。全てにおいて美しいよ」
やたらと熱い視線が突き刺さってくる。
自然と背筋が伸び、呼吸さえぎこちなくなるのを必死に誤魔化した。
「ちなみに制服、少しアレンジしてる? 肩のラインが絶妙だね。個人的にすごく好みだよ」
(この距離の近さに、セリフ回し……待って、やっぱりこの人……)
ビジュアルの良さ、無駄に素敵な声、妙に近い距離感、そして意味深なセリフ。
乙女ゲーにおける“攻略対象”のテンプレが、あまりにも揃いすぎていた。
(でも、ちょっとクセ強すぎかも……?)
そんな疑念がよぎったその時だった。
隣にいたレオンが、じーっと先生を見つめていた。
笑顔は浮かべている。
けれど、その目はまったく笑っていない。
普段いつも明るく笑っているレオンの、そんな顔を見たことがなかった私は――逆に、ぞっとした。
「先生、それ……セクハラってやつじゃない?」
鋭いツッコミのような一言に、教室の空気が一瞬凍る。
だが先生は「ははっ、そんなつもりはないよ?」と軽く笑って受け流した。
(……軽い教師、ってだけ?)
一瞬そう思いかけた、その時だった。
「……ああいうの、苦手」
低く静かな声が、レオンとは逆側の隣からコソッと聞こえてきた。
振り返ればシリウスが、無表情のままラフィン先生をじっと見つめている。
その瞳は氷のように澄んでいて、ぴくりとも揺れていなかった。
「だ、大丈夫だよ。ちょっと距離感が変わってる先生なだけで……多分」
なぜか思わず先生をフォローしてしまった私。
すると、レオンがすっと立ち上がり、にこっと笑顔を浮かべる。
「ねえ先生、自己紹介の続きは? 他にもここには“綺麗な子”が沢山いると思うけど?」
軽快な一言に、クラスの女子たちが一斉にざわついた。
ほんの少し顔を赤らめる子までいる。
(さすが……!自然に相手を褒めて空気を和ませる天才……!)
「おっと、それは失礼。……そうだね、じゃあ次はそこの――」
ラフィン先生は話を進めていった。
けれど、その視線はチラチラと、何度も私の方へ向いている気がする。
前世の記憶を思い出してから、私はそれだけを頼りにここまで来た。
登場人物、分岐、エンディング……全部ではないけれど、色々と覚えている。
だけど――。
(ラフィン・クラウスなんて、名前も聞いたことがない)
もしかして、前世で私が死んだ後に入ったアップデートで追加されたキャラ?
それとも、やっぱり私が知らないだけの隠しルートのキャラ……?
(やめて。本当にやめて。そういう“本編崩壊系”キャラの情報を何も知らないのが一番怖いんだけど!)
心の中で頭を抱えた、その瞬間。
ふと先生と目が合った。
ぞわり、と背筋に冷たいものが走る。
(……ラフィン先生には、絶対に近づかない! 私はこのままノーマルルートを目指す!)
心の中で強くそう決めた。
何度か目が合いそうになるのを必死に回避しなが
ら、ようやくラフィン先生の自己紹介タイムは終わりを告げた。
先生が教室から出ていくのを見届けて、ほっと息を吐く。
するとすぐ横から、ひそひそと声がかかった。
「フィオラ、大丈夫だった? あの先生、お前のこと完全に狙ってただろ?」
レオンは笑顔を浮かべていたが、その眉はわずかにぴくついている。
「いやいや……ただからかわれただけだと思うよ?」
「でもさ、生徒に向かって“美しい女性”はアウトじゃない? それに初対面だぞ? ……俺ならまあ、許されるけど」
「レオンが言ったらみんなビックリしちゃうよ」
苦笑しながら返すと、レオンは肘を机につき、身を少し乗り出してきた。
「今後、また先生に何か変なこと言われたり、されたりしたら、ちゃんと言えよ?俺、そういうの……我慢できないから」
その瞳は、冗談抜きで真剣だった。
思わず胸が、ほんの少し跳ねる。
「ありがとう。……でも、大丈夫だよ」
私がそう返すと、レオンは「ならいいけどさ」と肩をすくめて離れた。
「……気をつけて」
突然、耳元に落ちてきた低い声に、体がビクッと反応した。
振り返れば、すぐそばに今度はシリウスが立っていた。
「シリウス……?」
「ラフィン先生。笑っていたけど、目が冷たかった。……ずっと、君を見てた。普通じゃない」
「……読心、したの?」
小さく問いかけると、シリウスは静かに首を横に振った。
「してない。でも……感じた。あれは“好奇心”じゃなくて、“選別”に近い」
――“選別”。
その言葉が、胸の奥に重く引っかかる。
「君が困ったら、ちゃんと言って。……力になるから」
真っすぐな視線に、また心が揺れる。
(やばい! 勢いでフラグ立ちそうになる! お願いだから誰もキュンとさせないで!!)
心の中で叫びながら、それでも私はふっと笑ってしまった。
新学期初日から波乱の予感しかしないけれど、誰かが気にかけてくれる。守ろうとしてくれる。
それは、案外、悪くないのかもしれない。
……なんて思った私は、この言葉を、後に盛大に後悔することになるのだった。




