この気持ちに名前をつけるなら
「フィオラ〜!もう授業終わったし、今からちょっとだけ外行こーぜ!シリウスも一緒にな!」
元気いっぱいの声に顔を上げると、教室の入り口でレオンが手を振っていた。
その隣には、いつものように静かな笑みを浮かべたシリウスが立っている。
「外、風が気持ちよさそうだよ」
柔らかな声。
窓の外では、午後の日差しが少し傾き始めていて、緩やかな風がカーテンを揺らしていた。
「うん、行こっか!」
私は机の上のノートを閉じながら、小さく息を吐いた。
(最近は、少し気を張りすぎていたかもしれない)
ノートを鞄に仕舞い、立ち上がって二人のもとへ向かう。
入口で待つレオンに「お待たせ」と声をかけると、彼はいつものように明るく笑った。
「よし、じゃあ行くか!」
廊下を三人で歩き出す。
こうして二人と並んで歩くのは、なんだか久しぶりに感じた。
何でもない放課後の風景が、少しだけ特別に思える。
中庭に出ると、柔らかな風が頬を撫で、制服の裾をふわりと揺らした。
遠くの空はすでに夕暮れに染まり始め、オレンジと青が混じり合う。
その空気には、夏の終わりを告げるような、どこか懐かしい匂いがしていた。
「うわっ、めっちゃ気持ちいいな!フィオラ、あそこのベンチに座ろーぜ!」
レオンが指さしたのは、大きな木の根元にある古いベンチ。
私たちは三人並んでそこに腰を下ろした。
風が頬をなでていく。
鳥の声と木々のざわめきが、穏やかに時間を運んでくれる。
「……こうしてると、この時間がずっと続けばいいって思えるよな」
レオンが空を見上げながら、ぽつりと呟いた。
その横顔が夕陽に照らされ、いつもより少しだけ大人びて見える。
一方のシリウスは何も言わず、隣で静かに本を開いていた。
ページをめくる音が、風の音と混じって心地いい。
「こんなにゆっくりするの、久しぶりかも。静かで、落ち着くね」
そう口にすると、レオンがふとこちらを見た。
その瞳が、いつもより真剣で。
けれど、私がその目を見返すと、彼はすぐに視線を逸らし、慌てたように立ち上がる。
「……うおっ!!いや、な、なんでもないっ!ちょっと眩しくてさ!……あの夕日が!」
その様子に、シリウスが本を閉じてちらりと視線を向ける。
「レオン、照れてるの?」
「照れてねえってば!」
あたふたするレオンと、淡々と揶揄うシリウス。
その光景に思わずクスッと笑ってしまう。
この感じは、いつもと変わってない。
だけど、どこか少しだけ違うように思えた。
(……なんだろう。今日のレオン、ちょっと様子が違う気がする)
ただの気のせいかもしれない。
けれど、私の言葉にいつもより照れたり、目を逸らしたり。
いつもの軽口の奥に、ほんの少しだけぎこちなさが混じっている気がした。
次の瞬間、風がそっと吹き抜け、レオンの髪をやさしく揺らす。
その横顔が夕焼けの光に包まれて、輪郭だけが柔らかく浮かび上がった。
(……なんだろう、この感じ)
胸の奥に、じんわりと温かい何かが広がっていく。
まるで、沈みゆく陽の光がそのまま心に差し込んでいるみたいだった。
そのとき、不意にシリウスが立ち上がる。
「ごめん。少し、職員室に用があるのを思い出した……遅くなったら先に戻ってて」
「うん、行ってらっしゃい」
私がそう返すと、シリウスは一瞬だけ優しく目を細め、それから軽く手を振って中庭を後にした。
風に翻る彼の白いシャツの裾が、夕陽に染まって金色に光る。
そして、残されたのは、私とレオンだけ。
空はすっかり茜色に染まり、葉の隙間からこぼれる光が、まるで金の粒のように降り注いでいた。
遠くで鳥の声が響く。
ゆっくりと、時間だけが穏やかに流れていく。
「……なんかさ、こういうの、いいよな」
その沈黙を先に破ったのは、レオンだった。
私は首を傾げながら尋ねる。
「こういうの……って?」
「普通の放課後。フィオラとか、シリウスと一緒にさ。変なこと起きなくて、ただのんびりできるやつ」
その言葉に、自然と笑みが溢れる。
「それ、分かるかも」
「だろ?」
レオンはベンチに深く座り直すと、背もたれに軽く体を預けて空を仰ぐ。
その横顔は、どこか柔らかい表情をしていた。
「……前はさ、俺、“普通”になりたいって思ってたんだ」
「……普通?」
「そう、普通!」
一拍おいて、レオンは照れくさそうに笑う。
けれど、その笑みの奥には、少しだけ真剣な光が宿っていた。
「……でもさ、最近ちょっと変わったんだ」
私が静かに耳を傾けると、彼は少し間を置いてから、言葉を続けた。
「俺、この前まで、自分の能力が普通じゃないのが嫌で、ずっと隠してきた。でも……こうやって誰かと笑ったり、話したりしてるうちに思ったんだ。――誰かを守るために使えるなら、“特別”ってのも悪くねえなって」
「そっか……」
胸の奥がじんわりと温かくなる。
レオンの声はどこまでもまっすぐで、優しかった。
ふと見ると、彼はちらりとこちらを見て、すぐに目を逸らした。
頬がほんのりと赤く染まっている。
その仕草に、胸の鼓動が少しだけ跳ねた気がした。
「……あー、なんだこれ。俺、もしかして変なこと言った?それなら忘れてほしい」
「忘れないよ。レオンのそういうところ、素敵だなって思うもん」
そう言った瞬間、レオンがピタリと固まった。
まるで夕焼けの時間ごと止まってしまったように、風の音さえ静まる。
少しの沈黙ののち、彼は小さく息を吐いて、そっと口を開いた。
「……なあ、フィオラ」
「うん?」
「お前といると、すごく楽しくて、嬉しくて……なんかホッとするんだよ。前からそうだったけど……今日、改めて思った」
その声は、いつになく真っ直ぐで、心の底から出た言葉のように聞こえた。
けれど同時に、どこか自分自身に問いかけているようでもあった。
「……これって、なんだろうな」
ぽつりとこぼれたその一言に、私は思わず息を呑む。
「え……?」
思わず変な声が出てしまう。
夕焼けの光が頬を照らして、余計に熱く感じた。
(今のって……まさか、遠回しの告白……?)
不意に、ゲームの中のレオンルートを思い出す。
あのときは、もっとストレートで真っ直ぐすぎるほどの「好き」だった。
鼓動が、ひとつだけ強く跳ねる。
でも、レオンはそんな私の動揺にも気づかないまま、いつものように笑ってみせた。
「そのくらい!俺にとってフィオラは特別な友達ってことだよな!」
ニカッと笑うレオンの笑顔は、どこまでも明るくて。
その瞬間、胸の奥が少しだけきゅっと締めつけられた。
(……なんだ、そういうことか)
拍子抜けしたような、でもどこか少し残念なような、不思議な気持ちが胸に残る。
そんな私の心を和ませたのは、柔らかく響く足音と、静かな声だった。
「思ったより、早く終わった」
シリウスが戻ってきて、私たちの前に立つ。
目元はいつもと変わらず穏やかだけど、その視線だけが、じっと私の顔を見つめていた。
そして、呆れたようにため息をひとつ落とす。
「……レオンって、ほんと馬鹿だよね」
「は!?おいシリウス、今のは、絶対悪口だったよな!?」
レオンが慌てて身を乗り出すと、シリウスはフッと笑って肩をすくめた。
そのやり取りがあまりにもいつも通りで、思わず笑いそうになる。
でも胸の奥が、きゅうっと痛む。
笑いながら、ほんの少しだけ息が詰まった。
(……さっき、ちょっとだけ、不思議な感じがした)
けれど、それに名前をつけるには、まだ分からないことばかりで。
だから私は、夕焼けに染まる空を見上げながら、そっと思う。
(……こんな風に笑いあえる今が、すごく愛おしい)
風が、木々をやさしく揺らした。
オレンジ色の光が三人を包み込み、影だけが長く並んで伸びていく。
(――この時間が、ずっと続けばいいのに)
不意に、そんなことを願ってしまった。
その時だった。
シリウスが、不意にレオンの耳元へ顔を寄せて、何かを小さく囁く。
「……っなっ!!」
次の瞬間、レオンの顔が真っ赤に染まった。
あまりの反応に、私は思わず首を傾げる。
「どうしたの?」
そう問いかけると、ふたりは見事に声を揃えて言った。
「内緒」
「内緒!!!」
「えっ?!なにそれ、ずるい!」
思わず笑ってしまう。
そんな私を見て、レオンもつられて笑い、シリウスも小さく肩を揺らした。
気づけば、また風が吹く。
木々の間をすり抜けて、茜色の空を紫がゆっくりと侵していく。
笑い声が、少しずつ夕暮れに溶けていった。
(……なんだろう、この感じ)
胸の奥が、やわらかく揺れる。
心のどこかに、小さな光が生まれたようなそんな感覚。
それが何なのか、まだうまく言葉にできない。
けれど、確かに“何か”が、私の中で変わり始めていた。
* * *
――風が、少し強く吹いた。
その瞬間、ふっと空気が切り替わる。
気づけば、シリウスは静かに目を細めて、隣にいるレオンを見つめていた。
(まったく……ほんとに鈍い)
笑い合うフィオラとレオンを眺めながら、シリウスは心の中で小さく息をついた。
先ほど、フィオラが見せた小さな揺らぎ。
そしてレオンの頬に残る、確かな熱の色。
(このままだと、誰かが気づかせてやらなきゃ、一生分からないままだろうね)
だから、ほんの少しの悪戯心を込めて、彼の耳元で囁いたのだ。
「ねえ、レオン。君、さっきフィオラに“好き”って言いかけたでしょ?」
「なっ……!」
顔を真っ赤にして固まるレオンを見て、シリウスは静かに微笑む。
(案の定、やっぱり自分の感情に気づいてなかったか)
しかし、その目に映るフィオラを大切に想っていることだけは、誰よりも明白だった。
風が再び吹き抜けていく。
遠く、夕焼けの光がゆっくりと沈んでいく。
緩やかに、けれど確かに。
三人の関係は、少しずつ変わっていくのかもしれない。
そう思いながら、シリウスは誰にも気づかれないように、笑みを浮かべた。




