静かに揺れる、君との未来 2
アレン様の不調を知ったあの日から、私の心はずっと落ち着かないままだった。
あの後、何事もなかったように教室へ戻ったけれど、黒板の文字も先生の声も、何ひとつ頭に入ってこなかった。
――『あれは“能力ギフトの使いすぎ”のように見えたから、少し心配でね』
ラフィン先生の、あの静かな声。
――『フィオラちゃんに関する予知が次々に“視えてくる”状態』
オリバーさんの言葉も、何度も何度も耳の奥で反響していた。
(……やっぱり、アレン様の【未来予知】が勝手に発動してしまうのは、私のせいなのかな)
考えたくなくても、考えてしまう。
あのときの真紅の瞳――今にも崩れ落ちそうな姿。
そのすべてが、胸の奥に焼きついて離れなかった。
(もし、アレン様が“未来”を視るたびに、私が国を滅ぼす光景を見ていたとしたら……)
そこまで思い至った瞬間、心臓がきゅっと縮むように痛んだ。
胸の奥に、ひどく冷たいものが広がっていく。
まるで、自分の存在そのものが、誰かを蝕んでいるような――そんな錯覚に陥る。
それから何日が過ぎても、その感覚は消えなかった。
授業を受けていても、レオンたちと笑っていても、胸の奥にはずっと冷たい何かが居座っていた。
(……ちゃんと、確かめたい)
怖い。けれど、このまま何も知らないままではいられない。
アレン様の身に何が起きているのか――ほんの少しでも、真実を知りたかった。
そんな思いに突き動かされるように、放課後の廊下を歩いていた。
西日に染まる校舎は、人影もまばらで、長い影だけが床を静かに伸ばしている。
窓の外からは、風に揺れる木々の音が微かに響いていた。
そのとき――曲がり角の先に、見覚えのある背中が見えた。
「……オリバーさん!」
思わず声が出た。
振り返ったオリバーさんは、少し驚いたように目を瞬かせる。
制服の襟がわずかに乱れていて、今日も剣の練習をしていたのだと分かる。
「あ、フィオラちゃん。どうしたの? こんな時間に一人で」
「たまたま後ろ姿を見たので……それに、少し話を聞きたくて」
自分でも驚くほど、真っ直ぐな声が出た。
その目を見つめると、オリバーさんはすぐに何かを察したように、穏やかに微笑む。
「……アレンのこと、だよね?」
その問いに、私は小さく頷いた。
喉の奥がきゅっと詰まる。
――けれど、その胸の痛みの奥には、“覚悟”のようなものも、確かにあった。
「あの……最近、アレン様は……大丈夫なんですか?」
思ったよりも震えていた自分の声に、我ながら驚いた。
オリバーさんはその揺れを受け止めるように、一度だけ小さく息を吐いてから、困ったように目を伏せた。
「この前は、フィオラちゃんに酷い言い方をしちゃって、ごめんね」
静かな声。けれど、その奥にある苦しさは隠しきれていなかった。
「正直に言うと……今のアレンは、能力の負荷がすごくて。立っているのもやっとなんだ」
「……それって……」
喉が詰まって、続きを問うのが怖くなる。
それでも、オリバーさんは避けずに答えた。
「本来、【未来予知】っていうのは、本人が集中した時にだけ“視たい未来”が見える力なんだ。……でも今は違う。君がそばにいなくても、不意に“君の未来”が流れ込んでくる状態らしい」
「……私の、未来……」
その言葉に私の胸の奥が、ぎゅっと痛くなる。
オリバーさんは、少し苦い笑みを浮かべて続けた。
「最近は夜もあまり眠れていないみたいなんだ。……“視たくない悪い未来”ばかりが次々に見えて、心が休まらないって」
静かな言葉が、夕暮れの廊下に落ちていく。
その響きが痛いほど現実で、私は思わず胸の前で手を握りしめた。
目の奥が、じんわりと熱くなる。
込み上げてくるものを、どうにか堪えながら――ただ、俯いた。
「……あの、今は? アレン様は、どこに……」
自分は驚くほど小さな声で訪ねていた。
オリバーさんはその声を聞き逃さず、少し目を伏せて答える。
「医務室で休んでるよ。さっきもふらついてたから、念のために休ませたんだ。……少し休めば、また笑ってフィオラちゃんの前に立てるようになるって、本人は言ってたけど」
そう言って微笑む口元には、苦笑とも言えない、どこか切なさが混じっていた。
「……本当に、大変なのは、これからなのかもしれないね」
穏やかな声なのに、その響きには深い疲れが滲んでいた。
その言葉のすべてを理解できたわけではない。
けれどアレン様が、今も私のせいで苦しんでいる。
それだけは、痛いほど伝わってきた。
(……どうして、こんなことに)
心の中で、何度も同じ言葉が巡る。
私が“運命の女神様”なんて呼ばれなければ。
私が【破壊】の能力を持っていなければ――きっと、彼は苦しまなかった。
(……もし、このままアレン様が……ゲームのように壊れてしまったら)
その想像だけで、胸の奥が締めつけられるように痛んだ。
(どうすればいいの……?)
答えなんて、どこにもない。
苦しくても、怖くても、私が動かなきゃいけない。
その思いが胸の奥で熱を帯びて、痛みを少しずつ決意へと変えていった。
* * *
オリバーさんと別れた後も、胸の奥のざわつきは消えなかった。
夕暮れの風が頬を撫でても、心の中の重さは少しも軽くならない。
(……アレン様)
あの時見た、見たことのないほど疲れた彼の顔。
その光景が、何度も瞼の裏に浮かんでは消えていく。
そして、オリバーさんの言葉が、次々に頭の中を過った。
――『予知が次々に“視えてくる”状態』
――『最近はあまり眠れていないみたい』
――『医務室で休んでるよ』
彼に何が起きているのか、はっきりした理由は誰にも分からない。
けれど、その“原因”がもしも私にあるのだとしたら――。
(……どうすれば、アレン様を助けられるんだろう)
いつも私を救ってくれた人。
その人が今、私のせいで苦しんでいるかもしれない。
そう思うだけで、胸の奥が締めつけられる。
誰かに頼りたい。
でも、誰に頼ればいいのか分からない。
自分の能力で誰かを傷つけてしまうかもしれないという恐れ。
そして今度は、私のせいで――アレン様が壊れてしまうかもしれないという恐怖。
言葉にならない焦りと罪悪感が、心の奥で絡まり、重なっていく。
まるで抜け出せない迷路に迷い込んだように。
(……そういえば、【未来予知】の能力って……)
本来は“自分の意志で未来を視る”もの――オリバーさんはそう言っていた。
けれどアレン様は、まるで強制されるように、私の未来だけを“視せられている”。
その不自然さに気づいた瞬間、心の奥がざわりと波立つ。
(もしかして……アレン様の能力、“干渉されてる”の?)
その考えが脳裏をかすめた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
そして――思い出してしまう。
あの時、廊下で向き合ったラフィン先生の言葉を。
『“能力の使いすぎ”のように見えたから、少し心配でね』
あの時の微笑み。
言葉よりも、笑顔の奥にあった“何かを知っている”ような気配が、ずっと頭から離れない。
そして、あの最後の言葉。
――『私は何が起きても、君の味方だから』
穏やかで、どこまでも優しげな声音。
けれど、あのとき確かに感じた。
その優しさは、どこか冷たくて、まるで“壊れる瞬間”を楽しんでいるような――そんな気配を。
(……やっぱり、ラフィン先生が……?)
確信なんて、まだない。
けれど、疑うには十分すぎるほどの“違和感”が、すでにそこにあった。
ぎゅっと拳を握る。
答えが、知りたい。
誰かを責めたいわけじゃない。
でも、もし本当に、アレン様がラフィン先生の“干渉”を受けて苦しんでいるのだとしたら。
(今度は、私が……確かめなきゃ)
怖い。ラフィン先生の、あの優しいのに底が見えない笑みを思い出すたび、足がすくむ。
けれど、同時に思う。
(怖いからって、また誰かに頼ってばかりじゃ……何も変わらない)
そう自分に言い聞かせるように、息を吸った。
胸の奥が、じんと熱を持つ。
それは、恐怖よりも少しだけ強い――“決意”の熱。
私は振り返ることなく、まっすぐに歩き出した。
西日が差し込む廊下を抜け、教員棟の奥へと。
ラフィン先生がいる、その先へ――。




