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夏の終わりと王子と騎士




 王宮の執務室には、月明かりが静かに差し込んでいた。

 広い室内を満たすのは、ペン先が紙を走る音と、時折ページをめくるわずかな気配だけ。


 夜は深く、蝋燭の火が小さく揺れている。

 書類の上を滑る文字を追いながらも、アレンの意識は半分ほど別の場所にあった。


(……さっきの【未来予知】……あれは、あまりにも鮮明すぎた)


 胸の奥に残る感覚が、まだ抜けない。

 視界の奥に焼きついたあの光景を振り払うように、無意識に強く握っていたペンを静かに置く。

 深く息を吐いても、心のざわめきは消えなかった。


 その時、扉の外から控えめなノック音が響いた。


「入れ」


 短く声をかけると、扉が音もなく開く。


「ただいま戻りました。……アレンもかなり疲れてるみたいだね」


 入ってきたのは、汗の滲む騎士服を着たオリバーだった。

 夜風を背に受けて現れたその姿には、普段の穏やかな笑みとは違う、どこか興奮を帯びた笑みが浮かんでいた。

 その表情だけで、今夜の訓練がどれほど苛烈なものだったのかが伝わってくる。


 オリバーは腰に下げた剣を外しながら、アレンの様子を一瞥する。

 そして、息をひとつ吐いて問いかけた。


「……何かあった?」


 その穏やかな声に、アレンはわずかに眉を顰める。


「よく、わかるな」


「そりゃ、幼い頃から一緒にいるからね。何もない時のアレンは、そんなふうに無理して書類と睨めっこなんてしないよ」


 軽く言うオリバーの言葉に、アレンは視線を落とし、形だけの笑みを浮かべた。

 だが、すぐに沈黙が落ちる。

 その沈黙が、逆にすべてを物語っていた。


「……もしかして、【未来予知】を使ったの?」


 オリバーの声が、低く鋭く変わる。

 その問いに、アレンは静かに首を横に振った。


「フィオラの訓練中に……見たというか、見えてしまったんだ。しかも、意図せず――勝手に」


「それは……」


「ああ。異常だ。俺自身、そのことに焦ってる。でも、それより――見た未来の内容が、あまりに鮮明で、酷かった」


 アレンはゆっくりと椅子に背を預け、天井を仰ぐ。

 その横顔には、王太子としての冷静さよりも、一人の青年としての動揺が滲んでいた。


 短い沈黙の後、彼は絞り出すように続ける。


「学園が壊れかけていた。校舎が崩れて、生徒たちが逃げ惑う中……その中心に、フィオラが一人で立っていたんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、オリバーの手が僅かに震え、下ろしかけていた剣の鞘が机の脚に「カン」と小さく当たった。

 乾いた音が、静まり返った室内に響く。


 ――まるで、重たい現実が音を立てて割れたかのように。


 オリバーは言葉を失い、ただその音とアレンの言葉の両方を、静かに受け止めていた。

 アレンは更に話を続ける。


「泣き叫んでいたように見えた。けれど、その光景の中には音がなかった。――ただ……あれが【破壊】によって起こったのは間違いないと思う」


 その言葉を聞いた瞬間、オリバーの表情がわずかに揺れた。

 まるで何かを思い出したように目を細め、少しの間、言葉を探すように沈黙する。


「……それ、前にフィオラちゃんが夢で見たと言っていた光景に、似てる気がする……」


「そう、なのか?」


 アレンの眉が、静かに動いた。

 わずかに息を吐き、視線を宙に泳がせながら続ける。


「だが、その光景だけでは“きっかけ”や“時期”まで俺には読み取れなかった。はっきりと見えたのに……確定した未来なのかも、正直、判断できない」


 その声には、未来を読む者の戸惑いと、王太子としての責任の重さが混じっていた。


 オリバーは静かに目を細める。

 その仕草は優しげでありながら、どこか痛みを含んでいた。


「……それ、彼女には言ったの?」


「言えるわけがない」


 即答だった。

 その声には、迷いよりも強い苦味が滲んでいた。


「……ただ、その後、あいつの感情が乱れて【破壊】が暴走しかけた。――きっと、あれは俺が不安にさせたせいだ」


 アレンの拳がぎゅっと握られる。

 その音が机の上で小さく響き、彼の悔しさを静かに伝える。


 オリバーは一瞬だけ視線を落とし、机の上に置かれたフィオラの訓練記録に目をやった。

 整った筆跡の中に、ひときわ乱れた文字が混ざっている。

 それは、アレンがした後悔の証のようにも見えた。


 するとオリバーは少し黙ったあと、フッと笑った。


「ほんと、アレンの“全部一人で背負おうとする癖”は、昔から変わらないよね」


 冗談めかした口調。

 けれど、その目には本気の色が宿っていた。


「……そういう性分なんでな」


 それに対して、アレンが小さく息を吐く。

 その声音には、諦めとも覚悟ともつかない重みが滲んでいる。


「でも、今回は違うでしょ。フィオラちゃんを“絶対に守る”って決めたなら、一人じゃ無理だよ」


 オリバーの声は、穏やかで、それでいて迷いがなかった。

 真っ直ぐな金色の瞳に、アレンが静かに視線を返す。


「なあ、アレン。お前が彼女を本当はどう思ってるか……そろそろ、教えてくれてもらえない?」


 その一言に、アレンの手がピタリと止まる。

 沈黙が、短く、しかし濃く流れた。


 やがて、アレンは何事もなかったようにペンを取り、淡々と書類に目を落とす。


「……その話は、今じゃないだろ」


 低く落とされた声。

 けれどその奥に、確かに“熱”があった。


 オリバーはそれを言葉にせず、ただ小さく笑う。


 ――夜は、まだ深く。

 窓の外の風が、二人の間を静かに撫でていった。




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