彼が視た未来、彼が隠した真実
私たちが【破壊】の覚醒条件に気づいてから三日目――夏休みの最終日。
私はあれから毎日、覚醒のために王宮の奥へと足を運んでいた。
昨日まではカロンが一緒だったけれど、今日はルカくんの課題を手伝う約束があるらしく、私はひとりで王宮に来ていた。
夏の終わりの光はどこか柔らかく、青空の下を吹き抜ける風も少しだけ涼やかだ。
廊下に差し込む光が白く煌めいて、足音が石の床に静かに響く。
(……何回来ても、少し緊張するな)
自分の靴音が、やけに大きく聞こえる。
まるでその音が、鼓動の速さを映しているみたいだった。
部屋の前で一度深呼吸をしてから、扉の取っ手に手をかける。
開いた扉の向こうにいたのは、アレン様一人だけだった。
「……あれ?」
思わず小さく声が漏れる。
「おう、来たな。今日はオリバーが訓練でどうしても外せないらしい」
アレン様がこちらを振り返り、軽く笑みを浮かべる。
その笑顔の奥に、ほんのわずか疲れが滲んで見えた。
「ま、二人でも問題ないだろ。……始めようか」
淡々とした口調の裏に、責任と覚悟のような静かな熱を感じる。
私は小さく頷き、胸の奥で息を整えた。
「っ……あっ……!」
力を込めた瞬間、空気がわずかに震えた。
壁の端に細いヒビが走り、近くに置かれた金属の器が微かに鳴る。
最初の頃よりは、“極度の負の感情”を意識して引き出せるようになってきた。
それでも、まだ思うようにはいかない。
小物や壁に小さなヒビを入れてしまうたびに、胸の奥に申し訳なさが積もっていく。
「……ご、ごめんなさいっ」
「ん? ああ、ここか。……大丈夫だ。壊れたものは今度カロンが来た時に直してもらおう」
アレン様は笑ってそう言った。
けれど、その笑みの奥には、ほんのわずかに疲れと緊張の色が滲んで見えた。
(……アレン様、忙しいはずなのに、私のために時間を割いてくれてるんだよね)
そう思うと、胸の奥がじんわりと熱くなる。
それからも、何度も訓練を繰り返した。
集中して、息を整えて、また力を解放する。
少しずつ、ほんの少しずつ、自分の中の【破壊】に近づいている気がした。
――そして、時間が過ぎる。
「そろそろ休憩にしよう。フィオラ、お前も疲れただろ」
アレン様の声に、私は小さく頷いた。
「……はい。ありがとうございます」
差し出されたグラスを受け取り、冷たい水を口に含む。
喉を潤した瞬間、少しだけ息が整った。
その時だった。
アレン様がふと、何かを感じ取ったように視線を逸らす。
次の瞬間、眉をわずかに寄せ、息を止めた。
「……っ」
一瞬だけ、まるで“何かを見た”ように目を見開く。
その表情が強張っていて、私は驚いて息をのんだ。
「……アレン様?」
思わず問いかけると、アレン様はぴたりと動きを止めた。
けれど、ほんの一瞬の沈黙の後――いつものように、穏やかな笑みを浮かべる。
「――いや、なんでもない」
低く息を整えるように言ってから、まるで何事もなかったかのように話題を変えた。
「そういえば……今日は集中力が上がってるな」
「え?」
「負の感情を“意識する”だけじゃなく、“抑える”こともできてる。最初の頃は、感情に呑まれていたけど――今は違う。例えるなら……お前が、感情そのものを支配し始めてるように見える」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
努力を見てくれていたというだけで、少しだけ救われた気がした。
「……本当ですか?」
「ああ。本当だ」
アレン様の声は、静かで、それでいて確かな温かさを帯びていた。
けれど、その横顔はほんのわずかに影を落としている。
先ほど見せた“強張った表情”の名残が、まだそこに残っているような気がした。
(……やっぱり、何かあった?)
そう感じても、彼の穏やかな微笑みを前にすると、それ以上は何も言えなかった。
胸の奥で、小さな不安だけが、静かに渦を巻いていた。
* * *
しばらくして、私は再び訓練を始めた。
部屋には静寂が戻り、空気がぴんと張り詰める。
深く息を吸い、胸の奥で鼓動を整える。
(……大丈夫。さっきみたいに焦らなければ――)
そう思った、その瞬間だった。
胸の奥で“ざわり”と、何かが動いた。
冷たい波が、心臓の奥を撫でていく。
それはまるで、内側に潜む闇が、ゆっくりと息を吹き返したかのようだった。
「……っ!」
指先が熱を帯び、空気が震える。
目の前の光がゆらりと歪み、黒い靄のようなものが、私の手のひらに絡みついた。
ゾッとするような冷たさ。それは、ガーデンパーティーで感じた“あの恐怖”に似ていた。
(だめ、落ち着かないと……!)
焦るほどに、靄は濃く、脈打つようにうねっていく。
呼吸が浅くなり、視界の端が白く滲んだ、その時。
「……っ!!フィオラ、落ち着け!!」
怒鳴るような声とともに、アレン様の手が肩を掴んだ。
その掌の熱が、まるで鎖のように私を現実へ引き戻す。
視界がゆっくりと焦点を取り戻し、黒い靄が、音もなく消えていった。
静寂の中、胸の奥で――ドクン。
心臓が、強く跳ねた。
【破壊】の気配がスッと引いていく。
代わりに、胸の奥で、別の熱が静かに膨らんでいた。
(……アレン様の、手……)
ほんの少し触れただけなのに、全身が熱くなる。
まるで血の一滴まで、そこに引き寄せられてしまうみたいに。
能力が覚醒しているわけでもないのに、息が浅くなった。
「……落ち着け。怖くない。大丈夫だ」
低く、穏やかな声。
その響きが、荒れていた心を静かに撫でていく。
震えていた呼吸が、ゆっくりと落ち着いていくのがわかった。
けれど、その優しさが胸が痛い。
「お前の能力を、こうやって俺が止めてみせる。何度でも。だから、恐れなくていい」
手を離さないまま、アレン様はゆっくりと目を細めた。
真紅の瞳に宿るのは、恐れではなく――静かな決意。
(……どうして、そんな顔をしているの……)
胸の奥で、答えのない問いが滲む。
彼の手の温もりが、怖さを消していく代わりに、言葉にならない“痛み”だけを、静かに残していく。
どれくらい、そうしていただろう。
やがて、アレン様は小さく息をついて、手を離した。
「……もう、今日はここまでにしよう。明日からは学園も始まる。あまり無理をしても意味がない」
静かに告げるその声に、穏やかな余韻とわずかな名残惜しさが滲んでいた。
「……はい」
私は頷きながらも、まだ少しだけ、彼の手の温もりを思い出していた。
「ここまでの成果でも十分だと俺は思う。さっきのような事が起きても、焦る必要はない。お前の能力は、ちゃんと“お前自身のもの”になる。いずれ必ず」
そう言って、アレン様は穏やかに微笑んだ。
その笑顔があまりにも真っ直ぐで、見ていられないほど眩しかった。
訓練室を出る頃には、王宮の回廊にも夜の気配が忍び寄っていた。
私は胸の奥の鼓動を確かめるように、そっと深呼吸をした。
(……明日から、また学園生活が始まる)
そう思うと、どこか懐かしくて――
それなのに、胸の奥が少しだけ、不安に揺れた。




