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ようこそ、メインストーリーへ!

 



 春の風がカーテンを揺らし、柔らかな陽光が部屋に差し込む。


 ──あれから、五年。


 ついに、メインストーリーが始まる日がやってきた。

 窓の外に広がる青空を見上げながら、私は大きく息を吸い込む。


 今日は、カロンの入学式。

 彼が、ついに王立学園へ通う日が来たのだ。


 階下に降りると、すでに玄関には父とカロンの姿があった。

 丁寧に整えられた薄紫の髪に、真新しい制服。

 少し緊張した面持ちながらも、誇らしげに立つカロンの姿は、眩しいほどに輝いて見えた。


「うん……立派になったね、カロン」


 父が穏やかな笑みを浮かべながら声をかける。


「制服もよく似合っている。ノイアー家の家名に恥じぬ姿だよ」


 その言葉に、カロンはぱちりと瞬きをして――次の瞬間、そっと視線を逸らし、耳まで赤く染めた。


「……そ、そんなことないよ。似合ってるかどうかなんて、まだ……」


 小さくぼそぼそと呟くその姿に、思わず笑みがこぼれる。


「ふふっ、照れてる。可愛い」


「姉さんまでやめてよ……」


 恥ずかしそうに抗議するカロンの肩を、父が軽く叩き、背中を押した。


「大丈夫だ、カロン。胸を張って行ってきなさい。それもまた、公爵家の立派な義務のひとつだよ」


「……うん。ありがとう、父様」


 まっすぐな瞳でそう答えたカロンは、五年前に出会った泣き虫な少年とは、もうすっかり違って見えた。


 ふと時計を確認すると、気づけばもう出発の時刻を迎えていた。


「じゃあ、そろそろ行こっか。今日は特別な日だから、学園の門まで送らせてね?」


「もちろん。姉さんが一緒なら、心強いな」


 笑顔を交わし合いながら、父と使用人たちに「行ってきます」と声をかける。

 並んで馬車まで歩き出すと、春の空気がふたりの間を通り抜けていった。


 ふと横目で見れば、いつの間にか自分とカロンの背丈がほとんど同じになっていることに気づく。

 少しだけ驚いて、そして胸の奥がじんわりと温かくなった。


「頑張ってね、カロン。応援してるよ」


「……姉さんのこと、絶対ガッカリさせないから」


 その真っ直ぐな言葉に、私は何も言わず、ただ微笑み返す。


 春風に揺れる枝から、桜の花びらがはらはらと舞い落ち、ふたりの間をすり抜けていった。



 * * *


 馬車に揺られながら、私はそっと隣に座るカロンを横目に見た。

 制服に身を包んだ彼は、少し緊張した面持ちで窓の外をじっと眺めている。


「……もしかして、緊張してるの?」


 声をかけると、カロンは驚いたようにこちらを見て、小さく首を傾げた。


「……ちょっとだけね。でも、姉さんが一緒にいてくれるから、平気だよ」


 そう言って小さく笑ったカロンに、柔らかな春の光が差し込む。

 その笑顔はどこか落ち着いていて、大人びて見えた。


「姉さんがそばにいると、安心するんだ。出会った時から、ずっとそう」


 不意にそう言われて、思わず目を瞬かせる。


「な、なによそれ。急にどうしたの?」


「ふふっ……別に。ただ、本当のことを言っただけだよ」


 微笑むカロンの横顔に、心臓がひとつ跳ねた。


 (……こういう時、やっぱり乙女ゲームの攻略対象なんだなって思わされるんだよね)



 窓の外では、桜の花びらが舞っていた。


 ――カロンと教会で出会った日から、もう五年。

 あの日、怯えて震えていた小さな少年は、今では立派に制服を着こなし、誰にでも胸を張れるほどの自慢の弟になった。


 けれど、どれだけ背が伸びても、どれだけ頼もしく見えるようになっても、私にとってカロンは、今も変わらず"可愛い弟"で、守ってあげたい、大切な存在なのは少しも揺らいでいない。


(それに……今日まで、カロンルートに入らないように過ごせてるはず……)


 そんなことを胸の中で呟いたとき、馬車が静かに止まった。


「カロン、着いたよ」


「……うん」


 先に降りたカロンが、私に手を差し伸べてくれる。

 その手を取って馬車を降り、ふたり並んで重厚な学園の門を見上げた。


 圧倒されそうな門構えに、カロンは小さく拳を握りしめ、気持ちを引き締めるように息を吐く。


「じゃあ、行くね。姉さん」


「うん、頑張ってね!」


 私はそっと両手でカロンの手を包み込んだ。


「困ったことがあったら、いつでも頼ってね。カロンは、私の大切な弟なんだから」


 一瞬きょとんとしたあと、カロンは照れたように笑った。


「……ありがとう、姉さん」


 それだけ言うと、彼は一人で門を潜っていく。

 その背を見送りながら、胸の奥には誇らしさと――ほんの少しの寂しさが同時に広がっていった。


 カロンの姿が校舎に消えたあと、私は胸の奥に残る寂しさを押し隠すように深く息を吐いた。


(……さて、私も教室に向かわなきゃ)


 踵を返したそのときだった。


「フィオラーっ! おっはよー!」


 耳に飛び込んできたのは、やけに元気な声。

 オレンジ色の髪が太陽みたいに眩しく揺れ、レオンが満面の笑みで駆け寄ってきた。


「おはよう、レオン。今日も元気だね」


「うん! 入学式ってワクワクするよな! 寝不足だけどめっちゃ元気!」


「……それ、元気っていうか眠すぎてハイテンションなだけなんじゃ……」


 思わず笑って返すと、そのすぐ後ろで静かに立つ黒髪の少年と目が合った。


「シリウスもおはよう」


「……おはよう、フィオラ」


 珍しい青と琥珀のオッドアイが、じっとこちらを射抜く。

 少しだけ戸惑いながらも、私は慣れたように微笑み返した。


 二人とは去年から同じクラス。

 正反対の性格なのに、なぜかいつも一緒にいる学園でも有名なコンビ。

 そして、二人とも乙女ゲームの攻略対象。


(レオンのルートは楽しいけど油断できないんだよね……)


 彼の笑顔を見ながら、思わず苦笑する。

 天真爛漫さに救われるイベントも多かった。なにより、前世での“推し”だ。

 けれど好感度が中途半端だと、“軽薄に見える”って周囲から責められ、あっという間にバッドエンドへ直行する――それがこのルートの怖さだった。


 視線を逸らすと、静かに立つシリウスの姿が目に入る。


(シリウスのルートは……逆に心を開かせる過程が尊すぎて泣いた)


 でも同時に、もし選択を間違えたら、彼の能力(ギフト)を利用され、“誰も信じられない”孤独エンドに落ちてしまう。

 むしろ、前世の私はハッピーエンドに辿り着けず、そのエンドしか見ていない。


 すると、レオンが憎めない笑顔を浮かべて話しかけてきた。


「フィオラ、今年も同じクラスだな! ていうかさ、また勉強教えてくれる? もう初日から数学がさ……」


「もう、レオンったら。……わかったよ」


 呆れつつも頷くと、その横でシリウスがふ、と口元を緩める。


「……また騒がしくなるな、レオンがいると」


「ひどっ! シリウスだって、フィオラに色々頼ってるくせに!」


「俺は頼ってはいない。ただ、そばにいるだけだ」


 そんな、いつも通りのやり取りに、つい笑みがこぼれてしまう。

 やっぱり今年も、この学園は賑やかで楽しくなりそうだ。


 ──それに今年は、カロンもここで学び始める。


 新しい一年が、いよいよ動き出す。


(今日からが、本当の乙女ゲームのストーリーの始まり)


 今年はきっと、攻略対象たちとのイベントがたくさん発生するに違いない。


(だから私は、全力でフラグ回避に努めるんだ!!)


 心の中でぎゅっと拳を握りしめ、私はしっかりと前を向いて歩き出した。

 桜の花びらが風に舞い、乙女ゲームの物語は――静かに、けれど確かに幕を開けていた。



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