夏休みの約束、そして温室へ 2
「だから、父上――国王陛下から、ノイアー公爵本人に直接聞いてもらったんだ」
「へ……?」
父が関わっているはずない。そう否定しようと、胸の中で必死に言葉を準備していた。
けれど先に発されたアレン様の言葉が、その思考を一瞬で凍りつかせる。
そして口から漏れたのは、意味を持たない間の抜けた声だけだった。
沈黙を埋めるように、オリバーさんが穏やかに続ける。
「たまたま、数日前に国王陛下とノイアー公爵が会う予定があったらしいんだ。それで……アレンが陛下に、“直接聞いてほしい”ってお願いしていたんだよ」
説明を聞きながら、私は思わずアレン様へ視線を向けた。
彼はただ静かに頷き、オリバーさんの言葉を肯定するように受け止めている。
否定の色は一切なく、これが事実なのだと、否応なく理解させられた。
すると、不意にアレン様が思い出したようにーーいや、堪えきれないといったように笑い出した。
唐突すぎるその行動に、私もオリバーさんも思わず目を見合わせる。
「悪い、急に……。でも、そしたらノイアー―公爵はなんて答えたと思う?
笑いを収めたアレン様が、わざとらしく含みを持たせるようにこちらを見た。
心臓がドクンと跳ねる。私は父が口にしそうな言葉を頭の中で必死に並べていく。
(お父様なら……ただ否定する? それとも、あえて肯定してみせる?……いや、どちらもあり得る)
考えがまとまらないまま、私はゆっくりと唇を動かした。
「……『私は温室になど行っていません』……とか、ですか?」
私の返しに、アレン様はニヤリと唇を吊り上げる。
その表情だけで、私の予想が大きく外れていたのだと悟る。
「……やっぱり違ったみたいですね?」
恐る恐る問いかけると、アレン様は愉快そうに肩をすくめ、続けた。
「あの人はこう言ったんだ。『私まで巻き込むなんて、ノイアー家のことを本当に気にかけてくださっているんですね。十日以内に必ず尻尾を掴んでみせますよ。お会いできるのを楽しみにしていてください』……ってな」
その言葉を口にし終えたアレン様は、堪えきれずにまた小さく笑った。
一方で私は、父らしいと言えば父らしい妙な返しに、ただ目を瞬かせるしかなかった。
私はフッと小さく息を吐いた。
「……なんだか、父らしいですね」
緊張で固まっていた肩の力が、少しだけ抜けていく。
けれど、安心しかけたところで、隣から不満げな声が響いた。
「……その話、俺には共有されてないんだけど?」
オリバーさんがわずかに目を細め、アレン様を射抜くように見つめる。
穏やかな声色なのに、その奥に滲むのは確かな抗議の色。
「ああ、言ってなかったか?」
アレン様は悪びれた様子もなく、わざとらしく肩を竦めてみせる。
「どうせお前なら、俺の隣で聞いてても同じだろうと思ってな」
「……アレンって、ほんとそういうところあるよね」
呆れと苦笑を混じらせ、ため息をこぼすオリバーさん。
私は二人のやり取りを眺めているうちに、思わず口元が緩んでしまった。
「……二人って、仲良しなんですね」
軽い気持ちで笑いかけると、アレン様とオリバーさんは同時にきょとんとした顔を見せる。
その反応に私が少し慌てる間もなく、アレン様がクスッと笑い、肩を竦めた。
「まあ、俺たちは“主人と従者”ってより、“幼馴染”の方がしっくりくるからな」
「……そうだね」
オリバーさんも穏やかに相槌を打つ。
二人の笑みが交わるのを目にした瞬間、その距離感があまりにも自然で、あまりにも眩しく見えた。
胸の奥がきゅうっとなって、心の底から羨ましいと思ってしまう。
(……こういう関係って、本当に滅多にないよね)
幼馴染として積み重ねた時間と信頼があるからこそ、きっと生まれる絆。
私はただ、二人の関係がこの先も変わらず続きますようにと、勝手に願わずにはいられなかった。
* * *
「……さて。話はまだまだあるから」
ふと、オリバーさんが柔らかな笑みを浮かべて口を開いた。
「俺は飲み物を用意してくるよ。少し待ってて」
「ああ、頼む」
アレン様が短く返すと、オリバーさんは立ち上がり、軽やかな足取りで温室の奥へと姿を消す。
残されたのは、私とアレン様の二人きり。
不意に訪れた静寂。
葉擦れの音と遠い鳥の声が、やけに鮮明に耳に届く。
差し込む陽光が緑の葉を透かし、揺れる影が床に淡く模様を描いていた。
その光と影の中で、私は無意識に背筋を伸ばし、胸の鼓動を抑え込もうと小さく息を吸い込んでいた。
「……ノイアー公爵のことは、もう心配するなよ」
不意にアレン様の低く静かな声が落ちてきた。
驚いて顔を上げると、真紅の瞳がまっすぐに私を見ている。
「この件は父上も動いてくれている。それどころか、ノイアー公爵本人が自ら手がかりを探している。もちろん、俺たちも調べてる。……だから、お前が一人で抱える必要はない」
その言葉に胸の奥がじんわりと温かくなる。
張りつめていた何かが、ふっと緩んでいくのを感じて、私は小さく口を開いた。
「……ありがとうございます」
胸の奥に広がった温もりを抱えたまま、私は小さく頭を下げた。
その直後、温室の奥から軽やかな足音が近づいてくる。
「お待たせ。美味しい紅茶を淹れてきたよ」
オリバーさんがトレイを手に戻ってきた。
白い陶器のティーカップから立ちのぼる香りが、草花の匂いと混じり合い、静かな空間をやさしく包んでいく。
彼は私の前にそっとカップを置き、それからアレン様の隣に腰を下ろした。
ひとときの和らいだ空気を挟んだ後、その表情がふっと真剣さを帯びる。
「――次に、フィオラ」
名を呼ぶ声は、穏やかさを含みながらも、張りつめた響きを孕んでいた。
真紅と黄金、二つの視線が同時に私を射抜く。
「お前自身の"能力”について……話をしよう」
温室に流れる空気が、ほんのわずかに重くなった気がした。
アレン様は真紅の瞳でまっすぐに私を射抜き、低く落ち着いた声で口を開く。
「……【破壊】というお前の能力は、正直、未知数だ。ノイアー公爵に言われるまで、そんな力が存在していることさえ俺は知らなかった。けれど――もう無視するわけにはいかない」
ひとつひとつ落とされる言葉の重みが、胸の奥をぎゅっと締めつけていく。
視線は揺るがず、どこまでも真剣で。逃げ場なんてないように思えた。
すると、一拍の沈黙を挟んで、オリバーさんが静かに続ける。
「もし誰かが利用しようと思えば、国内外を問わず、これほど“都合のいい力”はないからね」
「……利用される?」
自分の口から零れたその言葉に、胸の奥がぞくりと冷たくなる。
まるで悪い夢を現実にしてしまったみたいで、指先がわずかに震えた。
アレン様はすぐに否定も、慰めもしてくれなかった。
真紅の瞳は静かに私を射抜いたまま、低い声で告げる。
「お前の能力の強さは、まだ未覚醒で判断できない。……だが、もし強力なものだとしたら――争いに使いたいと考える人間は必ず現れるだろう」
淡々と落とされたその声は、私の恐れていた現実を容赦なく突きつけてくる。
温室の柔らかな光に包まれているはずなのに、胸の奥だけが冷たく締めつけられていく気がした。
息を吸うのも苦しくて、視線を落とすことしかできない。
そんな沈黙を埋めるように、オリバーさんがカップに目を落としたまま、静かに口を開く。
「おそらくラフィンの背後には……君の能力の情報をどこからか手に入れて、それを利用しようとしている人間がいる。俺たちはそう見ている」
「っ……そんな……」
小さな声が、喉から漏れた。
頭の奥がぐらぐらと揺れるようで、テーブルの下で指先を強く握りしめる。
その時――アレン様がふっと小さく笑った。
「……まあ、そう深刻に考えるな。実はもう、ほとんど絞れてるんだけどな」
軽やかに告げられたその一言に、胸の重みが少しだけ和らぐ。
隣でオリバーさんが穏やかに微笑んだ。
「だから、フィオラちゃんは安心して、俺たちのそばにいてね」
その言葉は、まるで魔法のように一瞬で私の心を軽くした。
さっきまで冷たく重かった胸の奥が、ふわりと温かな光に包まれていくのを感じる。
「……はい」
私は小さく頷いた。
その瞬間、アレン様とオリバーさんの穏やかな笑みが胸に広がり、やさしく私を満たしていく。
――けれど。
(……これは、私のことだから。二人だけに任せるんじゃなくて。私も、一緒に向き合わなきゃ)
胸の奥に芽生えた想いは、夏の光のように静かに、けれど確かに強さを増していった。




