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ふたりの視線の先は

 



「……えっと、これで教室分は全部……あとは、図書室と実技棟の分も……」


 夏休み前、最後の生徒会の仕事は――校内各所から集めた報告書をまとめる、細々とした作業だった。


 重ねた書類を胸に抱き、校舎を横切って歩く。

 外の空は、もううっすらと茜色に染まりはじめていて、ざわめいていた学園も次第に静けさを取り戻していた。すれ違う生徒の姿も、もうほとんどない。


 生徒会室の前に立ち、私はそっとノックをした。


「失礼します。提出分の書類をお持ちしました」


 返事を待ち、扉を開けると――


「お。ちょうどよかったな」


 視線の先にいたのは、アレン様だった。

 銀髪の前髪を指先でかき上げながら、窓際の席に腰掛けている。

 その隣では、オリバーさんが穏やかにこちらを見て、優しく微笑んだ。


「フィオラちゃん、ありがとう。そろそろ終わる頃かなって思ってたんだ」


「はい、残っていた分をまとめてきました」


 私は胸に抱えていた書類をそっと机の上へ置く。

 するとアレン様が立ち上がり、手際よくページをめくり始めた。


「……うん。相変わらず丁寧だな。お前、妙なところで几帳面だよな」


「“妙なところ”って……それ、褒めてますか?」


 思わず口を尖らせると、アレン様はくすっと笑い、片手で肩をすくめる。


「褒めてんだよ。ほら、そんなに照れるな」


「っ……照れてません!」


 つい声が大きくなってしまい、頬が熱くなる。

 その様子を見たオリバーさんは、目を細めて小さく笑った。


「ふふ……アレンって、本当にフィオラちゃんをからかうのが好きだよね」


「そりゃあ、からかいやすいからな」


 悪びれもなく言うアレン様に、私は小さくため息を吐いて椅子に腰を下ろす。

 重たい書類を抱えて歩き回っていたせいか、思っていた以上に足が疲れていたことに、そこでようやく気がついた。


「……少し休んでいくか。どうせ、もう帰るだけだろ?」


 アレン様の低い声が、静かな生徒会室に響く。

 私は一瞬だけ迷ったけれど、足の疲れを誤魔化せなかったこともあって、小さく頷いた。


「……じゃあ、少しだけ」


 その答えに、オリバーさんがふわりと柔らかな笑みを浮かべる。


「ちょうどよかった。俺たちも今日の仕事はこれで終わりだし……校門まで一緒に帰ろうか」


「えっ……あ、はい」


 思わず戸惑いながらも返事をすると、胸の奥がじんわり温かくなる。


(なんだか、二人と帰るのって……久しぶりかも)


 その時の私は、ただその小さな嬉しさだけを抱えていた。

 まさか、この帰り道で――二人の空気が変わることになるなんて、まだ想像すらしていなかった。



 三人で生徒会室を出ると、校舎の窓から夕日が差し込んでいた。

 茜色に染まる長い廊下を、私はアレン様とオリバーさんの間に並ぶように歩く。


「……今年も、早いな」


 ぽつりとアレン様が呟いた。

 思わず首を傾げると、彼は真っ直ぐ前を見据えたまま言葉を続ける。


「なんだかんだで、もう夏休みだ。生徒会の仕事も思ったより片付くのが早かった」


「確かにね。……フィオラちゃんが入ってから、生徒会の雰囲気が柔らかくなったおかげだと思うよ」


 楽しげにそう言ったオリバーさんに、私は思わず目を瞬かせた。


「……そう、なんですか?」


「うん。俺たちが一年の頃はもっとピリピリしてたから。上級生たちに、アレンが無自覚に圧をかけてたんだよ」


「……おい」


 低く小さく漏らすアレン様の声。

 その横顔は呆れたようでいて、どこか照れ隠しのように見えて――私は思わず口元を緩めた。


「まあ……確かにお前のおかげで、空気が和らいだかもしれないな」


「……本当ですか?」


 思わず問い返すと、アレン様は短く息を吐いてから、迷いなく続けた。


「お前と話すと、いい意味で気が抜けるんだよ。……俺も、そうだ」


 その一言のあと、彼の真紅の瞳が静かにこちらを射抜く。

 いつものような軽口や揶揄いの色はなく、ただ真っ直ぐで――不意打ちのように胸を打つ。


「……っ」


 心臓が一拍、大きく跳ねる。

 視線を受け止めきれず、思わず下を向いたけれど、頬の熱は隠せなかった。


(い、今のって……なんか……)


 戸惑いで呼吸が少しだけ浅くなる。

 何か言葉を探そうとしても、胸の奥がざわついて上手く声にできなかった。


 そんな私の横で、沈黙を和らげるように――オリバーさんがゆっくりと口を開く。


「ちなみに、俺も同じだよ」


 ふわりと笑みを浮かべながらも、その声音の奥には、かすかな冷たさが滲んでいた。


「……それにしても。アレン、君も随分変わったね」


「……どういう意味だ?」


 アレン様が眉を顰める。その問いは低く鋭く、空気を切り裂くようだった。

 一方のオリバーさんは穏やかな笑顔を崩さないまま、瞳の奥には冷えた色を浮かばせた。


「今まで“気を抜く”なんて、俺以外の前じゃ決してしなかったのに」


「なんだ。……妬いてんのか?」


 皮肉を滲ませたアレン様の返答。

 そのわずかな棘が、二人の間の緊張をさらに張り詰めさせる。


(……さっきから、二人とも……どこか距離が近い)


 ただ並んで歩いているだけなのに、まるで時間が止まったみたいに静まり返って。

 糸をぴんと張りつめたような気配が、肌をひりつかせる。


 私は息を詰め、前を見つめることしかできなかった。


 そして、不意に。

 アレン様とオリバーさんの視線が――静かに交錯したような気がした。



「お前も最近、妙に他人に優しいよな」


 オリバーさんに視線を細めながら、アレン様が低く言い放つ。

 一見淡々とした声音なのに、奥底には探るような棘が潜んでいた。


「ふふ……アレンも妬いてるんだ?」


 オリバーさんは可笑しそうに笑い、さらりと返す。

 その調子は従者というより、昔からよく知る幼馴染が揶揄うようで――余計に、二人の距離を近く感じさせた。


 その言葉のあと、また沈黙が訪れる。

 夕陽が差し込む廊下は赤く染まり、二人の影を長く並べて伸ばしていく。

 その光景は、張り詰めた緊張を際立たせるようだった。


(……なんか、空気が、変だ)


 胸の奥がざわつく。

 それはまるで攻略対象たちが、ヒロインを巡って静かに睨み合っているようだった。

 声をかければ、この沈黙を破れるのかもしれない。

 けれど、下手に口を挟めば……何かが起きてしまうような気がした。


 私はただ、二人の横顔を交互に見つめながら、ぎゅっと指先を握りしめる。

 息をするのも忘れるほど、張り詰めた空気が廊下に漂っていた。


 ――けれど、その緊張を破るように。


 不意に、どちらともなく小さな笑い声がこぼれ落ちた。


「……はは」

「ふっ……」


 次の瞬間、アレン様とオリバーさんは互いに目を合わせ、まるで昔に戻ったかのように楽しそうに笑い合っていた。

 ほんの一拍前までの棘や緊張は跡形もなく消え、そこにあるのは二人にしか分からない呼吸のようなものだった。


「……よく、わからない……」


 思わず小さく零してしまった言葉は、自分でも驚くほど素直で。

 その瞬間、二人の笑い声が余計に遠いものに感じられた。


 しばらくして、アレン様とオリバーさんは自然に笑みを収め、空気が静かに落ち着いていく。

 けれど――次の瞬間、二人の視線が同時にこちらへと向けられた。


 両側から射抜かれるような感覚に、私は思わず背筋を正してしまう。

 胸の奥にじわりと緊張が広がった。


「――そうだ。前に言っていた時間の件だが」


 アレン様の低い声が廊下に響く。

 その響きに胸の奥がひやりと冷え、私は小さく息を呑んだ。


「夏休みの間に……王宮へ来てほしい」


 真紅の瞳は一切揺らがない。

 拒む余地を与えない、強く確かな意志がそこに宿っていた。

 すると、すぐ隣でオリバーさんもゆっくりと口を開いた。


「前にも言ったけど、怖い話じゃないからね。……遊びに来るつもりで、気軽に来てくれたら嬉しいな」


 柔らかな声音と微笑みに、張りつめていた胸の奥が和らぐ。


「……わかりました。夏休みが始まったら、ぜひ」


 そう言って二人に深く頭を下げると、アレン様がフッと目を細め、真紅の瞳でこちらを見つめた。


「じゃあ、楽しみにしてるぞ」


 その言葉に自然と頷いた瞬間、隣でオリバーさんが小さく「俺もね」と囁くように笑う。

 そして――さりげなく伸ばされた手が、私の髪にそっと触れた。


「……っ」


 予想外の感触に、思わず息が詰まる。

 鼓動が、跳ねるように速まった。


 その直後。


「……おい、勝手に髪に触るなよ」


 低く鋭い声が横から飛んでくる。アレン様だった。

 オリバーさんは悪びれる様子もなく、ふわりと笑みを浮かべる。


「だって、綺麗だったから。……ごめんね」


 さらりと告げられた言葉に、胸の奥が熱を帯びていく。

 頬がほんのりと熱くなるのを隠すように、私は視線を落とした。


 そのすぐ横で――アレン様は小さく、聞こえるか聞こえないかほどの溜息を吐いた。


(……ずるい、ほんとに)


 甘さと緊張が入り混じる空気の中、私の一日は静かに終わりを告げた。




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