約束の花は、温かく揺れて 1
「……ここ数日、温室の管理記録を見ると、出入りしてる人数が異常に多かったんだ」
低く落ちたオリバーさんの声は、普段と変わらず穏やかなのに、奥底で張り詰めた色を帯びていた。
――学園祭から数日後。
“ユスティア・フロス”を持ち出した人物を突き止めるため、オリバーさんは王宮の温室の管理記録を洗い直してくれていた。
そして、その結果が告げられたのは、昼休みの生徒会室だった。
窓の外では昼の光が差しているのに、部屋の空気はどこか冷え込んでいるように感じられた。
「具体的に、誰の名前があったんですか?」
シリウスが眉を顰め、低く問いかける。
「王族関係者……それから、なぜか教師陣や理事会の関係者が数名。……そして――ノイアー公爵の名もあった」
「……えっ?」
思わず、息が詰まった。
予想もしなかった父の名に、喉から漏れたのは言葉にならない声だった。
(お父様が……どうして温室に……?)
「落ち着け、フィオラ」
困惑で頭が真っ白になりかけた私に、アレン様の声が低く、けれど迷いなく届く。
その間に、オリバーさんが口元に手を添え、思案するように瞳を伏せた。そして、静かに切り出す。
「……これはあくまで俺の予測だけど、この記録――改ざんされてる可能性がある」
「改ざん……?」
反射的に問い返した私に、オリバーさんは真剣な眼差しで頷いた。
「あの温室に教師が足を運ぶことなんて滅多にない。まして複数人なんて……不自然すぎる。……おそらく、俺がこの記録を調べるとわかってて、仕掛けられたんだと思う」
父が温室に出入りしていたというのは虚構かもしれない。
そう思った瞬間、胸の奥を重く押さえつけていたものが、ほんの少しだけ緩むのを感じた。
けれど、隣にいたカロンは違った。
彼の纏う空気は怒りを超え、殺気に似たものへと変わっていた。
その異様な気配に、シリウスも視線を揺らし、困惑を隠せずにいる。
「……誰が、こんなことを」
押し殺した声。だが、震えるほどの憤りがカロンの言葉に滲んでいた。
アレン様はその様子を鋭く見つめ、一拍置いてから、宥めるように低く告げる。
「今の段階で断定はできない。狙いは俺たちを混乱させることか……それとも、本当に持ち出した人物を隠すためのカモフラージュかもしれん」
その言葉に続いたのは、穏やかな声色をわずかに引き締めたオリバーさんだった。
「どちらにせよ、感情的になるのは相手の思う壺だ。……冷静さを欠いたら、状況は悪化するよ」
普段の柔らかさからは想像できない、厳しい響きがカロンへと向けられる。
カロンは一瞬、鋭く睨み返した。
いつもの彼なら、オリバーさんの言葉を聞けば冷静さを取り戻すはず。
けれど、今のカロンは違った。怒りに呑まれ、視線は鋭く研ぎ澄まされたままだ。
(……どうにか、カロンを落ち着かせないと)
そう思った瞬間――カロンの視線をふっと遮るように、レオンが間に割って入った。
「カロン! そんな怖い顔すんなって! フィオラが心配してるぞ?」
何気ない、いつも通りの軽口。
レオンはそう言いながらカロンの肩に手を回し、本人には気づかれないほど小さな光を滲ませた。
(……これって……能力……?)
次の瞬間、カロンの険しかった表情が、少しずつ和らいでいく。
その変化に合わせるように、近くにいたルカくんがパンッと手を叩いた。
「そうだよ、カロン! 君は怒ってる顔も綺麗だけど……やっぱり笑ってる顔のほうが、フィオラ先輩は嬉しいと思う!」
真っ直ぐすぎるその言葉に、場の空気がふっと緩む。
レオンが片目をウィンクしてにやりと笑えば、ルカくんも「えへへ」と照れたように笑い返す。
その様子を見て、胸の奥にふとした気づきが生まれた。
(……ルカくんも、カロンのことを“綺麗”だと思ってるんだ……)
そんな思いが胸をかすめた直後、カロンは大きく息を吐き、しばし黙り込んだ。
やがて、観念したようにゆっくりと口を開く。
「……すみません。姉さんだけじゃなくて、父まで巻き込まれてると思ったら……許せなくて」
吐き出すようなその声は、まだわずかに震えていた。
けれど、先ほどまでの鋭さは薄れ、カロンらしい素直な色が滲んでいた。
そんな彼に、アレン様とオリバーさんは困ったように笑みを浮かべ、言葉を重ねる。
「……お前の家族思いなところは、見習いたいが。気をつけろよ」
「そうだね。こうやって意図的に仕掛けて、動揺を誘うのが狙いかもしれない」
二人の言葉は叱責ではなく、あくまで諭すように穏やかだった。
私はそれを聞きながら、膝の上でそっと手のひらを握りしめる。
(……絶対、もうこれ以上……誰も傷つけたくない……)
そう強く願った瞬間、指先にあの感触が蘇る。
何度も手のひらに乗せた、白い花びらの冷たさ――。
それは今もなお、見えないどこかで静かに私を脅かし続けていた。
(……やっぱり、これはバッドエンドの予兆……?)
けれど、今はまだ何もわからない。
私の能力がどうして【破壊】という恐ろしいものなのか。
誰が、何のために“ユスティア・フロス”を使っているのか。
どうして倒れた生徒たちが「運命の女神様」と口にしたのか。
それは、私のことを指しているのだろうか。
そして――この物語はやっぱり、バッドエンドへ収束してしまうのか。
(……好感度上げなんてしてない。……だから、ハッピーエンドはきっと、ない)
掴もうとすればするほど、手がかりは霧のように遠ざかっていく。
残されたのは、答えの見えない不安だけだった。
* * *
「学園祭、楽しかったよな!」
「中庭で事故?があったみたいだけど、正直俺たち関係なかったしな」
放課後の学園内は、いつも通り賑やかだった。
学園祭が終わり、日常が戻ってきた校内には、廊下のあちこちから笑い声が響いている。
ーーあの日の出来事なんて、最初からなかったみたいに。
そんな空気に紛れながら歩いていた私は、不意に足を止めた。
(……この香り)
淡く、優しく、心を解す匂い。
胸のざわめきに染み込むようなその香りが、風に乗ってふわりと届く。
思わず廊下の先に視線を向けると、中庭へ続く扉の前に、見慣れた後ろ姿があった。
「……オリバーさん?」
呼びかけると、彼はゆっくりと振り返る。
柔らかな光を湛えた瞳と、いつもの穏やかな笑み。
その瞬間、胸に残っていた重さが少し和らいだ気がした。
「こんにちは、フィオラちゃん。……ちょうどよかった。少し、付き合ってもらってもいい?」
「え? いいですけど、どこに――」
「ありがとう。……ついて来て」
問い返す間もなく、オリバーさんはふわりと笑みを浮かべ、そっと私の手を取った。
驚く間もなく引かれるように一歩踏み出し、気づけば彼の背中を追いかけていた。
繋がれた手から伝わる温もりは、思っていた以上に柔らかくて。
胸の奥でざわめく不安を静かに溶かしていくようだった。
視線を落としたまま、揺れる気持ちを抱えながら歩き続ける。
そんな自分に気づいた瞬間、胸の奥がさらに熱くなっていく。
落ち着かないのに、嫌じゃない――むしろ、心地いい。
(……これって、もしかして)
もしこれが乙女ゲームなら――“恋愛イベントのフラグ”が立つ瞬間なのかもしれない。
そう思ったら、鼓動がやけに早くなるのを感じた。
(……でも、オリバーさんは攻略対象じゃない。だから、違う……よね)
その事実を思い出した瞬間、ふっと小さな笑みがこぼれた。
安心したようで、ほんの少しだけ残念な気持ち。
――彼とは何も起こらない。ましてや“恋愛イベント”なんて起こるはずがないと、わかっている。
それなのに、気づけば私は繋がれたオリバーさんの手を、ぎゅっと握り返していた。




