運命の女神様とは
女子生徒の不可解な言葉に、カロンとアレン様が同時に鋭い視線をラフィン先生へと向ける。
だがその圧を受けても、先生は薄い笑みを崩さず、肩を竦めてみせた。
「やれやれ……そんなに睨まないでくれ。私だって今の言葉には驚いている。意味なんて、さっぱり分からないよ」
その飄々とした声が、かえって不気味さを募らせる。
私の胸の奥に冷たいものが広がりかけた、その時――
生徒会室の扉が再び開き、駆け込むようにしてオリバーさんが姿を現した。
鋭く細められた金の瞳が、まっすぐラフィン先生を射抜く。以前の件もあってか、その視線には反射的な警戒の色が宿っていた。
「大丈夫だ、俺がここに連れてきた」
アレン様が短く告げ、問いを投げる。
「……それで、レオンはどうだ?」
オリバーさんは一瞬だけ視線を伏せ、言葉を探すように息を整える。
「……レオンはまだ医務室で眠ってる。特に変わった様子はなかった。無理をしたせいで、しばらくは起きそうにない」
安堵が広がりかけた、その直後――オリバーさんの表情が再び鋭さを帯びる。
「……ただ、別の報告がある。数人、倒れていた生徒が目を覚ましたんだ。だが全員が口を揃えて、こう言ったらしい」
ひと呼吸置き、金の瞳が私を射抜く。
「“お待ちしてました。運命の女神様”って……」
息を呑む音が、誰からともなく漏れた。
次の瞬間、室内には重苦しい沈黙が落ちる。
空気が張りつめていく中で、カロンがわずかに身を乗り出し、低い声を発した。
「……オリバーさん。その言葉、本当なんですか?」
柔らかな笑みを浮かべながらも、その声音は冷ややかで鋭い。
普段のカロンを知っているからこそ、胸の奥がぎゅっと強く締めつけられる。
「間違いないよ。意識を取り戻した生徒、全員が同じ言葉を口にしたと聞いた」
オリバーさんの答えに、私は小さく息を呑んだ。
(“運命の女神様”……って、なに……? どうしてそんな言葉を……? まさか……私のことを指して……?)
心臓が早鐘のように鳴り、胸の奥がじわじわと冷たくなっていく。
考えれば考えるほど、逃げ場のない不安に押し込められていくようだった。
その時――視線が自分に集まっているのを、はっきりと感じた。
アレン様も、オリバーさんも、そしてカロンも。
全員の眼差しが、私に突き刺さる。
逃げ出したくなるほどの心細さの中で、私はただ必死に呼吸を繰り返すしかなかった。
そんな張りつめた空気の中、不意に軽やかな声が落ちた。
「……それは、面白い偶然だね」
ラフィン先生が口角を上げ、愉快そうに肩を竦めてみせる。
場に漂っていた重苦しい緊張感とはまるで噛み合わない、場違いな軽さ。
「複数の生徒が一斉に同じ言葉を口にするなんて、そうそうあることじゃない。ましてや、それが“彼女”を指しているなんて――まるで、運命みたいじゃないか」
淡い瞳が、わざとらしいほどゆっくりと私を射抜く。
柔らかな笑みを浮かべているのに、その奥に潜むものは冷たく、何を考えているのかまるで読めない。
「……っ」
心臓が大きく跳ね、喉がひどく乾く。
その視線から逃げ出したいのに、足が床に縫いつけられたみたいに動かない。
オリバーさんの視線が鋭く細められ、カロンの指先が小さく震えたのを横目に見た。
けれど私の胸の奥では、恐怖と疑念だけがぐるぐると渦を巻いていく。
(やっぱり……先生は、何か知ってる……?)
制服の裾を思わず握りしめる手に、力が籠った。
「――いい加減なことを言わないでもらえるか?」
鋭く低い声が空気を裂いた。
真紅の瞳が真っ直ぐにラフィン先生を射抜き、その場の温度が一気に下がった気がした。
「生徒を惑わすような言葉は、二度と口にするな。……今は遊んでいる場合じゃない」
揺るぎない威厳を帯びた声音。
その圧に、教師であるはずのラフィン先生でさえ肩を竦め、小さく笑うしかなかった。
「やれやれ、怖いなあ。……わかったよ」
言葉だけは軽く従うように聞こえる。
けれど、口元に浮かぶ飄々とした笑みは消えないまま。
それがかえって、不安を煽る。
(……本気で反省してるようには見えない。やっぱり、先生は――)
胸の奥がざわつき、震える指先を膝の上で強く握りしめる。
息を呑む音がやけに大きく響いた気がして、私はただ黙ってそのやりとりを見守ることしかできなかった。
* * *
中庭の騒動から数時間後。
王宮から駆けつけた騎士団によって場は収束し、ラフィン先生は事情聴取のために教師陣と共に残ることになった。
そして私たちはーー特に王子であるアレン様の身を案じてか「ここからは任せるように」と促され、その場を退くことになった。
そうしてようやく、学園は落ち着きを取り戻しはじめた。
アレン様、オリバーさん、カロンと共に自分のクラスへ戻ると、そこにはもう学園祭の喧騒はなかった。
机と椅子は整然と並べられ、窓の外から聞こえるのは夕暮れを告げる鳥の声だけ。
ほんの数時間前まであった賑わいが、すべて夢だったように思えるほどの静けさだった。
その教室に、三人の姿があった。
椅子に腰を下ろしているレオンとシリウス、そして窓際に立つルカくん。
「フィオラ先輩っ!」
私を見つけた途端、ルカくんがパッと駆け寄ってくる。
潤んだ大きな瞳が心配を隠せず、まるで子犬のように顔を覗き込んできた。
「先輩、大丈夫だった? あの後、ずっと中庭が混乱してたって聞いたから……」
「うん、大丈夫。……みんなも無事でよかった」
言葉にした瞬間、胸の奥にじんわりと温かな安堵が広がる。
張りつめていたものがようやく解けて、肩から力が抜けていくのを感じた。
すると、ルカくんに続いて、レオンがゆっくりと立ち上がる。
その笑顔はいつもの軽さを装っているのに、どこか影が差していた。
「……ごめんな、フィオラ。俺のせいで余計な心配かけたよな」
そう言って後ろ手で頭を掻きながらも、目だけは真剣だった。
「……俺もだ」
シリウスが静かに続ける。
「本当は、自分も中庭に行かないほうがいいと気づいていたのに……ごめん」
二人の言葉に胸が熱くなり、私は首を横に振った。
「……謝らないで。助けてもらってばかりなのは、私のほうなんだから」
そのやりとりを黙って見守っていたアレン様が、深く息を吐いた。
真紅の瞳が鋭く細められる。
「……俺も、お前たちにはいつも助けられてる。だけどな、もう無理だけはするな。俺たちは仲間だ。倒れてまで支える必要はない」
低く響いた言葉に、レオンもシリウスも小さく頷く。
その横でオリバーさんも微笑みながら口を添えた。
「君たちが自分を犠牲にしなくても、俺たちも一緒にちゃんと支えるよ。だから……安心して、頼ってほしい。君たちの先輩でもあるんだし」
その声は穏やかで、けれど強い芯を持っていた。
胸の奥にじんわりと広がる温もりを抱えたまま、私はそっと小さく頷いた。
そのまま皆で言葉を交わしているうちに、窓の外はいつの間にか夕暮れを越え、完全な夜へと変わっていた。
アレン様の「流石に遅いから、もう帰ろう」という合図で、私も帰る準備をしようと鞄を手に取った。
――その時。
自分の鞄が、なぜか半端に開いていることに気づいた。
(あれ……? 私、ちゃんと閉めたはず……)
小さく開いた口から、そっと覗き込む。
視界に飛び込んできたのは、白い花が一輪。
ピンクのリボンで丁寧に結ばれ、まるで贈り物のように収められていた。
そして、その隣には、一枚の小さなメッセージカード。
ー お待ちしてました。私の運命の女神様 ―
癖のない、整った文字。
だからこそ、その不気味さは何倍にも膨れ上がり、私は思わず鞄を手から落としてしまった。
「…………っ!」
胸の奥が、氷のように冷たいもので締めつけられる。
呼吸が浅くなり、指先が震えた。
「フィオラちゃん?! どうしたの?」
真っ先に駆け寄ってきたのはオリバーさんだった。
その声に縋りたいのに、口から出てきたのは掠れた震え声。
「わ、私の鞄の中に……誰が……」
指さした先を見た瞬間――。
カロンがすぐに一歩前に出る。
その声音は、普段の穏やかさを捨てた鋭さを帯びていた。
「姉さん。……それに絶対、触らないで」
伸ばしかけた私の手より早く、カロンがすぐそばまで来て、鞄と私の間に立ちはだかる。
その背中は広く、私を覆い隠すようにして――絶対に触れさせない、そんな強い意志を感じさせた。
その張り詰めた空気の中、不意に軽い声が落ちる。
「ラブレターの代わりかな?……なんて、冗談だけど」
ルカくんが小さく笑ってみせる。
けれど、その軽口さえも今は響かず、かえって不安を濃くするだけだった。
「……これは、俺が預かるよ」
オリバーさんが穏やかな声でそう告げ、ポケットから手袋を取り出す。
花に触れぬよう丁寧に掴み取り、白い花を布で包み込む。
「これは間違いなく……“ユスティア・フロス”だね」
静まり返った教室に、その名だけが重く落ちた。
「さすがに、これがただの嫌がらせだとは思えないな」
アレン様の低い呟きが、冷えた空気をさらに張り詰めさせる。
窓の外では、夜風がカーテンを揺らしている。
けれどその音でさえ、不穏な囁きのように胸に沁みて――。
私たちはまたひとつ、“異変”の核心へと踏み込んでしまったのだと、誰もが静かに悟っていた。
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