白の導きと囁き 3
しばらくしても、中庭には重たい緊張の色が漂い続けていた。
芝の上には、今もなお意識を失ったままの生徒たち。
友人や教師が必死に名前を呼び、揺さぶっても返事はなく、その焦燥がざわめきとなって膨れ上がっていく。
場の空気は一瞬で不安と混乱に飲み込まれようとしていた――その時。
「――まずは倒れた生徒を医務室へ。場所が足りなければ、空き教室を臨時で使おう」
凛とした声が響き渡った。
その瞬間、散らばっていた視線が一斉に止まり、自然と声の主――アレン様へと集まる。
「教員の方々は周囲の安全を確認してください。……この件に関わっている者が、まだ学園内に潜んでいるかもしれません」
次々と的確に飛ぶ指示。
先ほどまで足をすくませていた教師たちでさえ、彼の言葉で今は迷いを拭うように動き出していた。
生徒たちも互いに顔を見合わせ、誰もが"頼るべき中心"を見つけた安心感に背を押されるようにして動き始めた。
混乱の渦が少しずつ整理されていくのを感じながら、私は自然と足を速める。
そして、芝に倒れている一人の女子生徒へと駆け寄った。
肩に手を添えて、何度か揺すってみる。けれど、やはり彼女の瞼が開く気配はない。
呼吸はある。胸は規則正しく上下していて、脈も穏やかに感じられる。外傷も見当たらない。
(……ただ、眠ってるだけ?)
一瞬そう思った。けれど、違う。
ただの眠りにしては、あまりに深く――まるで“意識を誰かに奪われている”ような、不自然な眠り。
胸の奥でざわりと嫌な予感が広がった、その時。
「……どうだ?」
すぐ横に膝をついたアレン様が、私と同じく彼女の呼吸を確かめる。
真紅の瞳が鋭く細められ、声は低く落とされた。
「外傷もなく、呼吸も安定してる。……だが、これは普通じゃないな」
短く告げられた言葉が、私の不安を確信へと変えていく。
そこへ遅れてカロンもやって来て、そっと女子生徒の手を取った。
指先に触れた瞬間、彼の表情がわずかに曇る。
「……冷たい。体温も、異常に下がってる……?」
オパール色の瞳が真剣に揺れ、やがて何かに気づいたようにパッと見開かれた。
「……アレン様。ここで【原状回復】を使わせてください」
切迫した声。彼の中で迷いがないのがわかる。
けれど、その提案に場の空気が一瞬ぴんと張りつめた。
「ここで使うリスクを理解してるか?」
低い声でアレン様が問いかける。
真紅の瞳は鋭く、冗談を一切許さない色を宿していた。
けれど、カロンは怯むことなく、その視線を真っ直ぐに受け止める。
そして、穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「……僕の能力が、ラフィン先生に干渉されるかもしれないってこと、ですよね?」
短い沈黙。
確かにその可能性は否定できない。もし【原状回復】が逆手に取られれば、倒れている生徒に更なる負荷を与える危険もある。
それに、レオンの能力に干渉され、オリバーさんが操られた時のような事態は、二度と起こってほしくなかった。
それでもカロンは、落ち着いた声で続けた。
「それなら……ラフィン先生には、僕たちのすぐ近くにいてもらうのはどうでしょう」
その提案に、一瞬場の空気が張りつめる。
しかし彼は微笑みを崩さず、淡々と告げた。
「もし僕の【原状回復】に“異常”が起きれば――その瞬間、先生を疑えばいい」
オパール色の瞳は冗談ひとつなく澄み切っていた。
その冷静さが逆に、場に強い緊迫感を生み出していた。
その時、少し離れた場所にいたラフィン先生が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
生徒を気遣う教師の顔ではなく、どこか飄々とした笑みを浮かべながら。
「どうやら、私はカロンくんに随分嫌われているみたいだね」
軽口のように放たれたその声は、柔らかいのに妙な圧を帯びていた。
けれどカロンは、怯むことなく穏やかな笑みで返す。
そして一歩前に出て、私を自分の背に隠すように立った。
「当然です。――あなたは、姉さんを傷つけた人だから」
カロンの声は笑みを湛えているのに、その瞳の奥は氷のように冷たく光っていた。
その一言に、場の空気がさらに張り詰める。
アレン様はそんな二人を見据えたまま、しばし沈黙を置いたのち、低く鋭い声を落とした。
「……カロン。この女子生徒に【原状回復】を使ってみろ。ただし、場所を変える。ここでは人目が多すぎて、騒ぎが広がるだけだ」
真紅の瞳が、次にまっすぐラフィン先生を射抜く。
その視線は、拒絶を許さない刃そのものだった。
「……ということで、ラフィン先生。あなたには俺たちについて来てもらう。この件、自分が無関係だと証明したければ、協力するんだな」
張り詰めた空気の中、ラフィン先生はフッと息を吐き、肩を竦めた。
観念したような仕草なのに、口元の笑みは崩さない。
「わかったよ。……一応、私はこの学園の教師だからね。関係ない生徒をこんな風にする趣味はない」
軽やかな声。
本音なのか、はぐらかしなのか――掴みどころがない。
けれど少なくとも、ラフィン先生は私たちと共に動くことを選んだのだった。
* * *
「……それじゃあ、いきます」
生徒会室。
重苦しい沈黙が支配する中、カロンが女子生徒の隣に膝をつき、両手をそっと彼女の上へ翳した。
オパール色の瞳が、月明かりを閉じ込めた宝石のように静かに輝く。
張り詰めた空気を、誰もが息を潜めて見守っていた。
アレン様は腕を組み、真紅の眼差しで一瞬も逸らさずカロンを追い、ラフィン先生は壁際で飄々と笑みを浮かべている――その笑みは、かえって緊張を深めるようだった。
私は不安に押し潰されそうで、無意識に制服の裾をぎゅっと握りしめていた。
カロンの指先が、微かに震えた。
次の瞬間、淡い光が彼の手のひらから零れ、生徒会室いっぱいに広がっていく。
柔らかで温かな波が押し寄せ、空気さえ澄んでいくようだった。
光に包まれた女子生徒の睫毛がわずかに震え、やがてゆっくりと瞼が開かれていく。
薄く潤んだ瞳が揺れながら天井を映し、焦点を取り戻していった。
「……っ! 目を……開けた!」
安堵の声が漏れる。張りつめていた空気が一気にほどけ、アレン様の険しい表情もわずかに和らいだ。
カロンは小さく息を吐き、私は胸の奥をぎゅっと掴まれていた緊張が緩むのを感じる。思わず、自然と笑みが零れそうになった。
――だが、その直後。
彼女の視線がまっすぐに私を捉えた。
眠りから覚めた直後とは思えないほど澄んだ眼差しで、瞬きもせずに見つめ続ける。
そして、ゆっくりと唇が開き、柔らかな微笑みが浮かんだ。
「お待ちしてました。……私たちの運命の女神様」
「……え?」
唐突に告げられたその言葉は、あまりにも意味が分からなかった。
その場にいた全員の呼吸が止まり、時間さえも一瞬凍りついたかのように静まり返った。




