白の導きと囁き 1
「……」
「……」
静まり返った廊下を、アレン様と無言で並んで歩いていく。
足音が規則的に響くたびに、胸の奥がざわつき、息が浅くなる。
やがて、生徒会室の扉の前に辿り着いた。
何度も訪れている場所なのに、その扉が今日は別のもののように重く見える。
立ち止まった瞬間、足が鉛のように動かなくなり、喉もきゅっと締めつけられた。
(……今から、話さなきゃいけないんだ)
覚悟していたはずなのに。
手のひらにはじんわり汗が滲み、指先がかすかに震えているのが自分でもわかる。
アレン様は扉に軽くノックし、「戻ったぞ」と低く声を掛けてから取っ手を引いた。
軋む音と共に開かれた先――そこにいたのは、思いがけない人物だった。
「……シリウス?」
思わず名前が口を突いて出る。
てっきり教室にいると思っていた彼が、なぜか生徒会室にいた。
静まり返った部屋の中で、シリウスはゆっくりと顔を上げ、ただ静かに私を見つめる。
そして、わずかに目を細めて言った。
「無事で、よかった」
短い言葉。
けれどその一言に、私のことをずっと気にかけてくれていたのだとすぐにわかった。
(……でも、どうして……ここに?)
そう思った矢先、背後からアレン様の声が落ちてきた。
「シリウスが知らせに来たんだ。お前の様子が気になるってな」
「……え?」
「昨日の時点で、なんとなく引っかかってたらしい。で、今朝のお前を見て、何かあると確信したんだとよ」
アレン様はそう言って、軽く肩をすくめる。
「それで、お前が一人で教室を出たのに気づいて、俺たちに報告しに来たんだ。……レオンもシリウスも、お前のことはちゃんと見てるからな。俺とオリバーも、その知らせを聞いてすぐに向かったってわけだ」
「そう……だったんですね」
自分では、誰にも気づかれていないつもりだった。
けれど実際は、レオンもシリウスも、全部分かっていた。
一人で抱え込もうとしたことが恥ずかしく、そして申し訳なくなる。
私はそっとシリウスに向き直り、小さく微笑んだ。
「ありがとう、シリウス。……本当にいつも助けられちゃってるね」
「気にしないで。……無理してる時のフィオラって、なんとなく分かるから。それに、今回頑張ってくれたのはレオンだよ」
その声に、思わず肩の力が抜け、ほんの少し笑みが溢れる。
――と、その穏やかな空気を切り裂くように、生徒会室の扉が再び開いた。
軋む音が、静まり返った室内に重く響く。
「お待たせ。戻ったよ」
柔らかな声とともに現れたのは、オリバーさんだった。
軽く額の髪を整えながら入ってきた姿は、いつも通り穏やかで、空気を和ませる。
「オリバーさん……レオンは、大丈夫ですか?」
「うん。今、医務室で少し横になってる。無理に慣れない能力を使って疲れが出ただけだから、心配しなくていいよ」
その微笑みに、胸の奥を締めつけていた不安がようやく解ける。
(大丈夫そうで、よかった……)
そう実感して、思わず小さく息を吐いた。
けれど、その安堵が長く続くことはなかった。
オリバーさんの報告を聞き終えるや否や、アレン様が一歩前に出る。
真紅の瞳が鋭く光り、空気が一瞬にして張り詰めた。
「さて、じゃあ改めて。……フィオラ、もう隠し事はなしだ。全部話してもらうぞ」
低く落ちるその声は、優しさと厳しさを併せ持つもの。
私は喉の奥が詰まるように感じながらも、逃げられないと悟る。
「……はい」
静かに息を吸い込み、震える心を押さえつけるようにして、私は口を開いた。
「……実は、学園祭の初日に、教室で片付けをしている時に白い花びらが落ちていて……それに、帰る時にも廊下に落ちてたんです」
言い終えた瞬間、室内の空気が張りつめる。
三人の表情が一瞬だけ揺れたのを、私は見逃さなかった。
「……気づかなかった」
シリウスが低く呟き、視線を伏せる。
その声音には、悔しさがにじんでいた。
「私が、本当はもっと早く誰かに相談すればよかったのに……すみません」
胸の奥がじわりと痛み、思わず頭を下げる。
すると、アレン様が小さく息をついた。
「……そうだな」
厳しい一言。だがすぐに、続けて言葉が落ちてくる。
「前に言っただろ?学園祭前に倒れた女子生徒の件で、俺とオリバーが調べてる最中だと。実は、学園祭の間も巡回しながら、それとなく探ってたんだ」
「そう……だったんですね」
「ただ、残念ながら俺たちは目立った成果を得られていなかった。……だから、正直、お前のその情報は有難い」
思いがけない言葉に、張りつめていた胸がふっと緩む。
小さく笑みがこぼれた瞬間――アレン様の声色が低くなった。
「……でもな」
真紅の瞳が射抜くように私を捉える。
そこには冷静さを装いながらも、押し殺した怒りが滲んでいた。
「もう、次は絶対に抱え込むな。わかったか?」
その一言に、胸が熱くなる。
叱られているはずなのに、心配してくれている気持ちが痛いほど伝わってくる。
「……気をつけます」
震える声で、私は静かに頷いた。
その瞬間、部屋の空気が重く張りつめる。
誰も言葉を発さず、時計の音さえ響きそうな沈黙が流れた。
――その静けさを破ったのは、穏やかな笑みを浮かべたオリバーさんの声だった。
「……実はね、あの白い花。“ユスティア・フロス”っていう名前なんだ」
「……ユスティア……フロス?」
聞き慣れない響きに、思わず息を呑む。
脳裏で必死にゲームの記憶を探るけれど――そんなアイテムの名前、私は一度も目にしたことがなかった。
(……やっぱり、この世界は“ゲーム通り”じゃない……?)
胸の奥に冷たいものが走る。
「どの花びらなのか、調べてすぐにわかったんだ。あの花は王城の温室だけで育てられている特別な花で、外に出回ることはまずない。市場に並ぶこともないし、王宮の外に持ち出すには正式な許可が必要なんだ」
オリバーさんの説明は淡々としているのに、その一言一言が胸を締めつける。
「つまり――」
アレン様が言葉を継ぎ、真紅の瞳で私を見据える。
「その花を学園に持ち込めるってことは、王宮に簡単に出入りできる奴ってことだ」
低く落ちた声には、鋭い刃のような響きが混じっていた。
張りつめた空気が部屋を支配する中、沈黙を破ったのはずっと黙っていたシリウスだった。
「……一つ、聞いてもいいですか?」
アレン様もオリバーさんも、そして私も同時にシリウスに視線を向ける。
「学園祭の前に倒れていた女子生徒……彼女の能力って、何なんですか?」
思いがけない問いに、私はシリウスの真意が読めず、ただ見つめ返すしかなかった。
けれどアレン様とオリバーさんは一瞬だけ難しい顔をして、短い沈黙の後、アレン様が低く答える。
「……彼女の能力は、【天候操作】だ。風や雲を動かしたり、空気を揺らしたりする。倒れる直前に急に降った雨……あれは、彼女の精神に何かが起きた証拠かもしれない。【天候操作】は、精神状態の影響を受けやすい系統だからな」
オリバーさんも静かに頷いて言葉を継ぐ。
「感情の波が激しいと制御が乱れて、能力が暴走することもある。だからもし、あれが誰かに仕組まれたものだったとしたら……彼女が倒れたのも、無理はないね」
ごくりと喉が鳴る。
私は無意識に、あの日の光景を思い出していた。
――白い花びらが、彼女のスカートの裾に舞い落ちていた場面を。




