ルート回避の決意
馬車に乗り込み、父の正面の席に腰を下ろす。
いつもなら何とも思わない空間が、今日はやけに落ち着かなかった。
窓の外に見える教会をじっと見つめながら、胸の奥でざわめきが止まらなかった。
本来のストーリーでは――。
今と同じように、ここでカロンと別れ、五年後に“義弟”として再会する。
そして、今日芽生えた“ヒロインへの感謝”が、五年という年月をかけて“拗らせた恋”に変わっている。
(……このまま進んだら、間違いなくカロンルートに入りかける)
それだけは、どうしても避けたい。
だから私は考えた。
――なら、今のうちに“きっかけそのもの”を変えてしまえばいい。
空白の五年間で“感謝”が“恋”に育ってしまうのなら、最初からその隙間をなくしてしまえばいい。
(……ちょっと無茶かもしれないけど、やらないよりはきっとマシ)
心の中でそう自分に言い聞かせ、私はぐっと息を吸い込み、思い切って顔を上げた。
父はちょうど御者と何かを話しているところで、本来なら口を挟むべきではない。
――けれど、今を逃せば遅いかもしれない。
(……怒られるかもしれないけど……お願い、聞いて!)
「……お父様っ!」
思わず声が大きくなった。
父はすぐに振り返り、穏やかな笑みを浮かべたまま私を見つめる。
「どうしたんだい、フィオラ?」
その反応に少しだけ安心しつつも、心臓はバクバクとうるさく鳴っている。
私は意を決して、声を張り上げた。
「あの……私、とーーーっても欲しいプレゼントを思いつきました! お願い、してもいいですか?」
唐突すぎるお願いに、御者までもが思わずこちらに視線を向けてくる。
父は一瞬だけ目を細め、それからゆっくりと微笑んだ。
――それが逆に、怖い。
(え、これ……もしかして、静かに怒る前の顔じゃない……?)
すぐにでも「ごめんなさい!」と頭を下げようか――そう迷ったその瞬間。
「それは随分突然だね」
父の低く落ち着いた声が、ふわりと空気を撫でた。
「私たちの話を遮るほどということは……馬車が動き出してからでは、もう遅いお願いなのかな?」
その声音は驚くほど穏やかで、逆に私は拍子抜けしてしまう。
怒られる覚悟で口を開いたのに、まるで先を促すような響きだったから。
「……はい。それでは、遅いです」
思わず正直に頷くと、父は一瞬だけ目を丸くしてから、静かに笑った。
「そうか……ふふっ」
その表情に、ほんの少しだけ勝算が見えた気がした。
「じゃあ、言ってごらん」
促す父の声は不思議なくらい優しくて、胸がきゅっと締めつけられる。
私は大きく息を吸い込み、覚悟を決めた。
「さっきの男の子……カロンを、ノイアー家に迎えられないでしょうか?」
父の目がかすかに見開かれる。
少し驚いたような表情を浮かべたまま、彼は黙って私をじっと見つめてきた。
その視線から逃げずに、私は真っ直ぐに言葉を紡ぐ。
「カロンが……神父様のもとにいるのが、どうしても心配なんです。あの人の言葉や態度は、優しさではなく……支配するためのものに思えて……」
唇が震えそうになるのを必死に飲み込み、さらに続ける。
「私は……カロンを助けたい。弟として迎えて、ちゃんと温かい家庭で過ごさせてあげたいんです。安心できる場所で、笑ってほしいんです」
父はしばらく黙っていた。
けれどその視線は、何かを見極めるように、まっすぐ私を射抜いている。
胸の奥がざわめいて、思わずぎゅっと拳を握りしめた。
やがて、父は静かに口を開いた。
「……本気なんだね、フィオラ」
「はい」
私は迷わず大きく頷いた。
「私、カロンの能力が欲しいとか、そんな理由じゃありません。
ただ……放っておいたら、きっと彼は壊れてしまうような気がして……だから、お願いします」
ふっと父が息をつき、次の瞬間、柔らかく笑った。
「わかった。話は私が通すとしよう。カロンを、今日このまま我が家へ迎えよう」
「……本当に?」
「ああ。フィオラがそこまで真剣な顔をするなんて、滅多にないからね。それに、私もあの神父には少々思うところがあったから」
「っ!!ありがとうございます! お父様!」
嬉しさと安堵が一気にこみ上げて、気づけば私は思わず父の胸に飛び込んでいた。
父の腕が、驚いたように、けれど優しく私を受け止めてくれる。
父の胸の温もりに包まれながら、私は小さく息を吐いた。
(……ゲームとは違う。こんな展開、前世の私も知らない)
戸惑いはある。
だけどそれ以上に心の底から湧き上がる嬉しさと安堵に、胸がいっぱいになっていた。
(カロンを……これで、少なくとも“あの教会”からは救える。これからの展開がどう変わろうと、絶対に私が守る)
そう強く心に誓った瞬間、馬車の窓から差し込む光が、なぜかいつもより暖かく感じられた。




