表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/102

学園祭、ざわめく放課後 2

 



 学園祭初日の終了時刻が、残りわずかに迫っていた。


 カフェはアレン様たちが来店してからさらに注目を集め、閉店間際まで行列が絶えなかった。

 ようやく一息つけると、私はカーテンの奥――厨房スペースに戻る。

 途端に、熱気がふわりとまとわりつき、思わず額に手を当てた。


「……ふたりとも、大丈夫?」


 恐る恐る声をかけると、レオンが額にかかった前髪を乱暴にかき上げ、ニッと歯を見せる。


「ぎりっぎりセーフ! あと一時間続いてたら、さすがに倒れてたかもな」


「……それ、笑いごとじゃない」


 低く返したのは、奥の調理台で黙々と皿を拭いていたシリウスだった。

 いつも通り無表情だけれど、その声音には隠せない疲労が滲んでいた。


「……無理しないでね。あと少しだから、頑張ろ?」


 二人に歩み寄りながら、私はそっと笑った。

 ほんの少しでも、元気を届けられたらと思って。


「……フィオラがそう言うなら、もう少し頑張る」


 ぽつりと返るシリウスの声に、自然と頬が緩む。

 その言葉通り、彼の皿を拭く手が、ほんのわずかに速くなった気がした。


「なあ、シリウス。俺にもそのくらい優しくしてくれよ。じゃないと倒れるかもしれないぞ?」


「……レオンは元気そうに見えるけど」


「やっぱり俺には厳しいじゃん!」


 軽口を叩き合う二人のやりとりに、疲れた空気が少し和らいでいく。

 その瞬間――ふわり、とカーテンが揺れた。


「おやおや。ずいぶん楽しそうだね?」


 柔らかい声に振り返ると、そこにはラフィン先生が立っていた。

 にこやかな笑みを浮かべているのに、場の空気がひやりと張りつめる。


「ラフィン……先生」


「手が足りてないなら、少しくらい手伝おうと思ってね。担任として、困ってる生徒を見過ごすわけにはいかないから」


 柔らかく告げると、ラフィン先生は何気ない仕草でワイシャツの袖をまくり、迷いなく流し台へ向かっていった。

 その動作はあまりにも自然で――だからこそ、逆に引っかかる。


「先生、家事とか……するんですか?」


 思わず疑問を口にすると、先生は小さく肩をすくめ、軽い調子で答えた。


「んー、それなりにだけどね? 皿洗いは慣れてるよ。……色々と、事情があってね」


 冗談めかした口ぶり。けれど、その笑顔はどこか作り物めいていて、掴みどころがない。

 まるで何かを隠しているような気配――けれど、それを問い詰めるには根拠が足りなかった。


 沈黙を破るように、ラフィン先生がふっとレオンとシリウスに目を向ける。


「それより、人気者の二人が裏方なのは驚きだね」


 口調は担任らしい世間話。

 まるで今までの出来事など忘れてしまったかのように。

 だが、その笑みの奥に何が潜んでいるのか、私にはどうしても読み取れなかった。


 ラフィン先生に話しかけられても、シリウスは頑なに口を閉ざしたまま。

 やむなく、レオンが短く答える。


「本当は俺たちも接客予定だったんですけど……想像以上に混んだんで、裏方になったんです」


 素っ気なく吐き出されたその言葉は、普段のレオンらしくない冷たさを帯びていた。

 彼にとってラフィン先生は、自分の能力(ギフト)を干渉してきた“かもしれない存在”。

 その疑念が消えない限り、警戒心を緩めることなどできないのだろう。


(……さすがに、この場で能力(ギフト)を使うとは思えないけど)


 心の中でそう呟いた時、ラフィン先生は不意に、ふっと口元を緩めた。


「……そう。じゃあ、君たち目当ての子達は可哀想だったね」


 軽口めいた言葉。けれどその声音は妙に柔らかく、逆に胸の奥をざわつかせる。

 それだけ告げると、先生は再び洗い物に向き直った。


 かちゃり、と皿の触れ合う音。

 水音と重なるように、沈黙が私たちを縛る。


 レオンも、シリウスも、私も――言葉を失ったまま。

 ただ、張りつめた空気だけが、終わるまでずっとその場を支配し続けていた。



 * * *


 夕方、空がオレンジ色に染まり始めた頃。


 片付けもすっかり落ち着き、あれほど賑やかだったお客さんたちの声も、今は遠くで微かに響くだけになっていた。


「……ふう、やっと終わったな」


 レオンが大きく伸びをして、肩をぐるぐる回しながら息を吐く。

 テーブルを拭き終えたシリウスも、黙ったまま小さく頷いた。


 ――あの後、ラフィン先生はすべての皿を洗い終えると「この後、見回りがあるからここまでで失礼するよ」とだけ告げ、あっさりと去っていった。

 そして先生の姿が完全に見えなくなった瞬間、私たちはまるで示し合わせたように同時に「はぁっ」と息を吐いて、気づけば、三人そろって吹き出していた。


 笑うつもりなんてなかったのに、あまりにもタイミングが合いすぎて可笑しかったのだ。


(……あれは、さすがに誰でも笑っちゃうよね)


 肩の力が抜けていくのを感じながら、私は近くの椅子を一つ戻す。

 学園祭初日の光景が、ゆっくりと胸に蘇る。


(……思ったより、あっという間だったな)


 乙女ゲームのような特別な“恋愛イベント”は起きなかったけれど、確かに楽しかった。

 みんなとの会話も、視線も……ひとつひとつが思い出になって胸に残っている。


 それを思い返すと、自然と笑みがこぼれて。

 私はその余韻を噛みしめながら、最後の片づけに手を伸ばした。


 教室の隅に寄せられていた机を元の位置へ戻そうと歩み寄った時。

 ふと、床の下に光を反射する小さなものが目に入った。


「……?」


 しゃがみ込んで拾い上げたそれは、紙でも布でもない。

 指先に触れた瞬間、ひんやりとした感触が伝わる。


 ――間違いない。それは、花びらだった。


(え……まさか、これって……)


 思わず胸がざわつく。

 この教室に花は飾っていなかったはず。

 念のため周囲を見渡してみるけれど、落ちているのはその一枚だけ。


 そっと手のひらに乗せると、白い花びらは淡い光に透けて見える。

 まるで、今にも溶けて消えてしまいそうで――それでも確かに、そこに在る。


 その儚さとは裏腹に、胸の奥ではざわめきが強く根を張っていく。


「……全然、分かってなかった」


 思わず、ポツリと一人呟いた。

 花びらをポケットにしまいながら、窓の外へ視線を投げる。


 夕焼けの光に包まれた学園は、ただ穏やかで、何も起きていないように見える。


(――だからこそ、怖い)


 今日、この教室に“花”を落とした“誰か”が確かに来ていた。

 それがラフィン先生なのか、あるいは別の人物なのか。

 分からないままではいられない。

 けれど、分かってしまうことの方が、もっと怖い気がした。


「姉さん、もう終わる? 帰ろう」


 振り返ると、教室の入り口にカロンが立っていた。

 優しい声に呼ばれて、胸の奥で渦巻いていたざわめきが、ほんの少し和らいでいく。


「……うん」


 私は短く返事をして、自分の心を隠すように、カーテンを静かに閉めた。


 それからレオンとシリウスに「また明日」と別れを告げ、カロンと並んで廊下を歩く。

 夕暮れの光が差し込む廊下は静かで、ついさっきまでの学園祭の賑わいが嘘のように、人の気配がほとんどなかった。


 ――なのに。

 背後から、じっと見つめられているような感覚がした。


(……気のせい、かもしれない)


 そう思おうとしても、背中の皮膚がひやりと冷える。

 鼓動が一瞬強く跳ね、私はゆっくりと振り返った。


 けれど、そこには誰もいない。

 静まり返った廊下。小さな風すら動かず、影だけが伸びている。


 胸の奥に張りつめていたものが少し緩み、私は安堵のように小さく息を吐いた。


「……姉さん、どうしたの?」


 不意に立ち止まり振り返った私を、カロンが心配そうに覗き込む。

 その視線に申し訳なくなり、私は勢いよく首を横に振った。


「何でもないよ。気のせいだったみたい」


 再び歩き出そうとした、その瞬間。

 足元に――ひらりと白い花びらが落ちているのに気づいた。


(……え? さっきまでは、なかったはず……)


 視線の主が見えなかったことよりも。

 そこに残された一枚の花びらの方が、よほど恐ろしかった。


 背筋を冷たいものが這い上がり、私は思わず足に力を込めた。

 心臓の鼓動が、やけに速く耳に響いてくる。


(……カロンに気づかれたら、余計に心配させちゃう……)


 そう思った瞬間、私はそっとしゃがみ込み、足元の花びらを拾い上げた。

 指先に伝わるひんやりとした感触が、不気味に鮮明だった。


 そのまま、何事もなかったかのように制服のポケットへと滑り込ませる。

 胸の奥に残るざわめきを、必死に押し隠すように。


「……姉さん?」


 小さく首を傾げるカロンの声に、私は慌てて笑みを浮かべた。


「ごめんね。ちょっと、足が止まっちゃっただけ」


 そう取り繕って歩き出す。

 けれど――ポケットの中で二枚になった白い花びらは、まるでそこで脈打っているかのように存在を主張し、冷たく重く感じられた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ