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王子の決意と胸に宿る焦燥

 



 その日の出来事は、女子生徒の体調不良――ただそれだけだと、あっさり結論づけられた。


 倒れていた彼女はすぐに保健室で目を覚まし、大きな異常は何ひとつ見つからなかったという。

 付き添った先生たちも、「学園祭準備の疲れが出ただけだろう」と口を揃え、クラスメイトたちもそれ以上は深く考えようとしなかった。


 けれど、私はそうは思えなかった。


(……あの白い花びら)


 私の視界に確かに映った、あの花。

 ガーデンパーティー、遠足――そして、女子生徒のスカートの裾に。

 何度も繰り返し現れるその存在は、偶然ではない。


 たった数枚の花びらなのに。

 そのひらひらと落ちる姿が、私の胸の奥に静かに、不安という火を灯していた。


 それにもう一つ、胸の奥に深く引っかかっていたものがある。

 ――あの時に見た、ラフィン先生の表情。


 普段ならどんな時でも余裕を崩さない先生が、あんなふうに動揺していた。

 それは間違いなく、作り物の表情なんかじゃなかった。


(……きっと先生も知らなかった。あれは、先生じゃなかった)


 そう思えば思うほど、逆に胸を締めつける不安が大きくなっていく。


(じゃあ、一体……“誰が”?)


 問いは何度も繰り返し浮かんでは消える。

 けれど答えは、どれだけ考えても出なかった。


 本当は誰かに相談すべきだとわかっているのに。

「学園祭の準備が忙しいから」と、自分に言い訳をして――私は結局、何もせずに不安を胸の奥へ押し込めてしまった。


 そうして迎えたのが、学園祭の前日だった。

 私は生徒会室で、他の役員やクラス代表と一緒に最終確認に追われていた。


 机の上には分厚い資料やタイムテーブルがずらりと並び、紙をめくる音やペンを走らせる音が絶え間なく響く。

 誰もが真剣な表情でやり取りを交わし、室内には張り詰めた空気が漂っていた。


 私も配布物の枚数を必死に数えながら手を動かしていたけれど――ふと気づけば、胸の奥にあの日の出来事と不安が蘇っていた。


(……学園祭、本当に無事に終わるのかな……)


 無意識に、小さなため息がこぼれる。

 その瞬間、隣から低く鋭い声が落ちてきた。


「……フィオラ。顔に出てるぞ」


 ハッとして顔を上げると、真紅の瞳が真っ直ぐに私を射抜いていた。

 いつもより近く感じる距離で、その瞳は逃げ場を許さないほど真剣で。


「何か心配ごとがあるなら、早く言え。……俺が聞いてやる」


「アレン様……」


 名前を呼んだ声が、わずかに震えているのが自分でもわかった。


「……そんな顔で帰ったんじゃ、夜中に鏡を見て自分で驚くぞ?」


 思いもよらない冗談に、私は目を見開いた。

 一瞬きょとんとしてしまう私を見て、アレン様は片眉を上げ、ニヤリと口元を緩める。


「……冗談だよ」


 わずかに肩をすくめる仕草。けれど、その真紅の瞳はどこまでも真剣だった。


「今は落ち着いて話を聞けそうにない。……だから、後で話せ。な?」


 周りのバタバタとした慌ただしい様子に視線を走らせた後、アレン様は私にだけ届くような声でそう告げた。


 その一言だけで、胸の奥に絡みついていた不安が少しほぐれていく。

 私はその優しさに甘えるように、小さく頷いた。



 * * *


 生徒会室での作業が一段落し、みんながそれぞれ帰り支度を始めた頃。

 私が机の上の資料を片付けていると、不意に名前を呼ばれる。


「……フィオラ」


 振り返ると、扉のそばに立つアレン様の姿があった。

 鋭い真紅の瞳が、まっすぐに私を射抜いている。


「少し、時間をくれるか」


 その声音に、逆らうという選択肢は浮かばなかった。

 私は静かに頷き、生徒会室を後にするアレン様の背中を追った。


 ――辿り着いたのは、人の気配がすっかり消えた渡り廊下。

 窓の外には暮れかけた茜色が夜に溶け、静けさが校舎を包んでいた。


「……ここなら邪魔は入らないな」


 足を止めたアレン様が振り返り、軽く腕を組む。

 その立ち姿に緊張して、胸がぎゅっと縮まった。


「――さて、聞かせてもらおうか。お前の胸にある“心配ごと”を」


 冗談も笑みもなく、ただ真剣に。

 その声に背中を押されるように、私は小さく唇を開いた。


 胸の奥で燻り続けていた不安が、静かな夜の空気にじわりと広がっていく。

 けれど、それを言葉にするには、まだほんの少しだけ勇気が足りなかった。


(でも、言わなきゃ……)


「……アレン様。私、この前……女子生徒が倒れた時に、見たんです」


 胸の奥で渦巻く不安を押し出すように、必死に言葉を紡ぐ。

 アレン様の真紅の瞳がわずかに細められ、促すように黙って私を待っていた。


「……白い花びら、です。あの子のスカートの裾に付いているのを、はっきりと」


 口にした瞬間、あの日の光景が鮮明に蘇る。

 小さく、白く、形の整った花びら。

 ガーデンパーティー、遠足、そして――今回。

 すべてに現れていた、あの白い花。


「しかも……いつも余裕そうなラフィン先生が、あの時だけは花びらを見て……明らかに動揺していました」


 アレン様の眉がわずかに動く。

 鋭い瞳が私を射抜き、渡り廊下に重たい沈黙が落ちた。


「……そこまで気づいていたか」


 低く、真剣な声音。

 その響きに、胸の鼓動が早鐘のように高鳴った。


 アレン様はしばし黙ったまま私を見据え、それから小さく息を吐いた。


「……あの時の白い花びらと、ラフィンの様子。実は、俺とオリバーも気づいていた」


「……!」


 思わず胸が強く鳴る。やはり、私の思い過ごしじゃなかった。


「今、オリバーが裏で動いている。……あの花が誰の仕業なのか、調べを進めているところだ」


 淡々とした声。けれど、その奥には隠しきれない緊張が滲んでいた。

 私は思わず唇を噛みしめる。


「アレン様……私も――」


 言いかけたその瞬間、彼の大きな手がすっと私の頭に置かれた。

 ぽん、と優しく撫でられる。


「……お前は余計なことを気にしなくていい。この件は俺たちに任せろ」


 真紅の瞳が、まっすぐに私を捉える。

 強く、けれどどこまでも温かく。


「フィオラは、学園祭をただ楽しめ。……それだけでいい」


 その言葉は命令のように鋭いのに、不思議と胸に沁みて、瞳の奥がじんわりと熱くなった。


(……でも……)


 俯きかけた視線を、私は必死に持ち上げる。

 アレン様の言葉に甘えたい気持ちと、胸の奥で疼く焦燥が、ぶつかり合っていた。


(本当に、ヒロインの私が“楽しむだけ”でいいの……? 今、私にできることは……本当にない?)


 答えのない問いが胸を掻き立て、迷いが渦を巻く。

 けれど、その全てを呑み込むように、アレン様の真紅の眼差しが強く射抜いてきた。

 その視線に、私は結局、言葉を失う。


 窓の外では夜が静かに深まり、校舎を包み込んでいく。

 その静けさの中で、胸に芽生えた焦燥だけが、いつまでも私を締めつけ続けていた。




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