カモミールと重ねた誓い
オリバーさんと再び話せるようになってから、しばらくの時が過ぎた。
カロンの【原状回復】によって、オリバーさんは【精神操作】から完全に解放された。
心に残っていたわずかな靄も、身体にまとわりついていた倦怠感も――すべてがきれいに消え去ったのだ。
そんな中、今回の件を知ったレオンは、ついに決意する。
これまで頑なに隠してきた自分の能力を、私以外のみんなに打ち明けることを。
『……俺の能力は、強力な【精神操作】なんだ』
告げられた声は、ほんの少しだけ震えていた。
けれど、沈黙を破るように、仲間たちはただ静かに頷くだけだった。
責めることも、怖がることもない。
だってレオンは、誰よりも真っ直ぐで、優しい人だと、みんなが知っていたから。
(……よかったね、レオン)
胸の奥から自然とそう思えた。
秘密も、痛みも、恐れも、それぞれが抱えている。
それでもこうして、互いを支え合い、繋がっていられる。
そのことが、何よりも温かくて――私は確かに、絆の強さを実感していた。
とはいえ、最近はあまりにも色々な出来事が重なりすぎて――正直、心も体も少し疲れていた。
自分では隠していたつもりだったけれど、それに気づいたのは意外な人物だった。
「フィオラ先輩!」
昼休み。
最近はラフィン先生の情報を共有するため、みんなで集まって食堂で昼食をとるのが習慣になりつつあった。
そんなテーブルに、遅れて駆け込んできたのは、息を弾ませながらも笑顔いっぱいのルカくんだった。
「僕について来て!」
「え、えっ……?」
突拍子もない宣言に、思わず固まってしまう。
驚いたのは私だけじゃなかった。
アレン様も、オリバーさんも、カロンも、レオンも、シリウスもーーその場にいた全員が、まるで同じ合図でもあったかのように一斉に私たちへ視線を向けた。
ざわめきと視線に包まれ、私はさらに混乱してしまう。
「……どこに行く気なの、ルカ」
カロンが警戒を滲ませた低い声で問いかける。
一方のルカくんは、そんな雰囲気など気にも留めず、いつもの無邪気な笑顔をぱっと輝かせた。
「内緒! でも、絶対悪いことじゃないから安心して!」
そう言うなり、彼は躊躇いもなく私の手をぎゅっと握る。
「え、ちょ、ちょっと待って……!」
慌てる私をよそに、ルカくんは子どものような勢いでグイグイと引っ張っていく。
「行こ、フィオラ先輩!」
「フィオラ、気をつけろよ!!」
レオンが心配そうに叫ぶ声が背後から届く。
同時に、シリウスが無言で立ち上がろうとしたが、その肩を、アレン様がスッと押さえた。
「……ルカに任せて……今は少し、見守ってみよう」
静かな声が、背中越しに届いた。
* * *
校舎の裏手、小道を抜けたその先。
ルカくんが案内してくれたのは、誰もいない静かな一角だった。
ふわり、と優しい風が頬を撫で、甘やかな香りを運んでくる。
「……ここって……」
目の前に広がったのは、一面に咲き誇る白い小さな花たち。
太陽の光を受けて揺れるその姿は、まるで小さな光の粒が舞っているみたいだった。
カモミール――癒しの象徴と呼ばれる花。
無数の花が、静かな世界をやわらかく包んでいた。
「ここね、僕だけの秘密の場所なんだ」
ルカくんは、どこか照れくさそうに頬をかきながら笑う。
「でも今日は、先輩にも見せたかったんだ」
「……ルカくん……」
胸の奥が、じんわりと温かく満たされていく。
白い花の海に包まれるようにして、私の心まで少し軽くなる気がした。
「先輩、最近……ちょっとだけ、元気なかったから。僕、先輩に笑ってほしくて」
そう言いながら、ルカくんは制服のポケットから、小さなカモミールの花束を取り出した。
不器用にまとめられていて、ところどころ茎の長さも揃っていない。
それでも、一生懸命に編んだ跡が残っていて、とても愛おしい花束だった。
「……すごく、綺麗」
思わず息を呑み、そっと両手で受け取る。
白い花びらから広がる優しい香りが、心の奥にすっと沁み込んでいく。
顔を上げると、ルカくんが少し俯き、頬を赤らめながら小さな声で呟いた。
「僕はまだ頼りないかもしれないけど……先輩が疲れた時、少しくらいなら……こうして、寄りかかれるくらいには、なりたいんだ」
ぎゅっと拳を握りしめる仕草が、真剣で、でもどこか子犬のようにいじらしい。
胸がきゅっと締めつけられて、私は思わず胸元に手を当てた。
「……ありがとう、ルカくん」
心からの笑顔を浮かべてそう告げると、ルカくんの瞳がパッと輝き、顔いっぱいに喜びが広がった。
そんな温かい時間も、束の間。
「お前ら、こんなとこで何してんだ!!」
突然響いた大きな声に振り返ると、そこに立っていたのはレオンだった。
呆れたような、でも心配を隠せない顔。
その後ろから、カロン、シリウス、オリバーさん、そしてアレン様まで続々と姿を現す。
「えっ、な、なんでみんなまで……!?」
「だって、ルカが急に姉さんを連れ出すから」
真っ先に口を開いたのはカロン。
眉を顰め、心配そうにこちらを見ている。
「俺は二人だけだと、か弱いから、ちょっと心配になったんだよ!」
レオンは大げさに腕を組み、ぶつぶつ言いながらもどこか安堵の表情。
「……食堂にいた時、ルカの心が揺れてた」
シリウスは静かに、でも核心を突くような一言。
「俺はフィオラちゃんがルカに抱きつかれてないか心配だったんだ」
オリバーさんは柔らかい笑みのまま、さらりと危険を予防線のように告げる。
「……俺は、みんなを止めたんだけどな……」
最後にアレン様が肩を竦め、ため息まじりに呟いた。
ずらりと並んだみんなに囲まれ、私はただ目を瞬かせるしかない。
一方で、ルカくんは頬をぷくっと膨らませ、子供っぽく抗議した。
「みんな、邪魔しないでよ! 僕がフィオラ先輩を元気にするって決めたのに!」
必死で、それでいて可愛らしいその訴えに思わず、クスッと笑みが溢れた。
それから案の定、いつものようにルカくんとレオンの子供みたいな言い合いが始まった。
「先輩を元気にするのは僕だってば!」
「はぁ?フィオラを笑わせるなら俺の方が上手いに決まってんだろ!」
声を張り上げる二人の姿に、思わず肩が揺れる。
(……なんだかんだで、やっぱり仲良し)
二人を横目に、私はそっと視線を花畑へ移す。
一面に広がるカモミールが、風に揺れてふわりと香りを放っていた。
その柔らかな匂いと、やさしい陽射しに包まれて、自然と深呼吸がこぼれる。
(今だけは、少し気を抜いてもいいよね……)
胸に張りつめていたものが、すっと溶けていく。
そして、私は久しぶりに心の底から、笑った。
その笑顔を見届けたかのように、オリバーさんがふっと表情を和らげ、そっと口を開く。
「フィオラちゃん、花冠作ろっか?」
「えっ……花冠?」
思わず問い返すと、オリバーさんは足元に咲くカモミールを数本摘み取り、指先で優しく茎を揃えた。
それから、彼は小さく笑みを深める。
「うん。疲れてるときは、考え込むより楽しいことした方がいい。ほら、こうやって編んでいけば――きっと気持ちも軽くなるよ」
その声は柔らかくて、花と同じくらいの温かさを帯びていた。
陽射しに透けるオリーブ色の髪、指先で揺れる白い花。
オリバーさんの姿が、なんだか童話の中の王子様みたいに見えて、胸がきゅっとなる。
(……よかった。オリバーさんも、ちゃんと“いつものオリバーさん”だ)
安堵とともに、じんわりと心が温かくなる。
その気持ちを後押しするように、弾む声が響いた。
「じゃあ、俺も手伝う!」
誰よりも早く、レオンが胸を張って元気よく名乗りを上げる。
「……僕も作る」
カロンは少し照れくさそうにしながらも、静かに続いた。
「賛成」
短く、それでもしっかりとシリウスも言葉を添える。
「じゃあ、僕は一番上手に作る!」
ルカは負けじと張り切って拳を握りしめた。
それぞれの反応に、思わず頬が緩む。
そんなみんなの様子を、アレン様はソファに腰を下ろすような余裕で見守りながら、クスッと小さく笑った。
「……賑やかだな」
その一言で空気がさらに和らぎ、そこから即席の“花冠作り大会”が始まった。
わいわいと賑やかに花を編んでいく。
最初は不格好だった輪が、少しずつ、ちゃんとした“冠”の形に整っていくのが嬉しくて、自然と笑みが零れた。
「ふふっ……たまには、こういうのも楽しいね」
思わず溢れた言葉に、みんなの手が一瞬止まり、揃ってこちらを見た。
「フィオラ、やっと声出して笑ったな!」
レオンが白い歯を見せてニカッと笑う。
「……自然な笑顔が見れて、嬉しい」
シリウスが小さく呟く。けれどその耳は、ほんのり赤く染まっていた。
オリバーさんは安心したように柔らかく目を細め、カロンはほっと息をつきながら小さく頷いた。
ルカは「やった!」と声に出して喜び、アレン様は口元にわずかな笑みを浮かべた。
(……みんな、私のことを心配してくれてたんだ)
そう気づいた瞬間、胸がいっぱいになった。
申し訳なさと嬉しさが入り混じって、今度は堪えきれないくらいに笑顔が溢れそうになった。
やがて、完成した花冠をルカくんがそっと差し出してくれた。
「フィオラ先輩、これ……僕が作ったやつ」
「ありがとう、ルカくん」
両手で大切に受け取り、頭にのせる。
ふわりとカモミールの香りが広がり、優しい風が髪を撫でた。
「カモミールって……姉さんにぴったりの花だと思う」
カロンは真剣な眼差しでそう口にする。
「いや、俺からすれば……フィオラちゃんは花の妖精そのものだな」
対抗するように、オリバーさんが冗談めかして言う。
けれど、その声音の奥には、本気が混ざっている気がした。
それに対して、レオンとシリウス、アレン様は揃って苦笑を浮かべる。
「よくわかんないけど! 一番最初に先輩を褒めたのは僕だからな!」
ルカが胸を張り、フンッと鼻を鳴らす。
その無邪気な様子に、場がさらに明るくなる。
そんな中、ふっと穏やかな声が耳に届いた。
「……フィオラ」
気づけば、すぐ隣にアレン様が立っていた。
真紅の瞳がどこか安堵したように細められている。
「アレン様……」
「……俺も心配してたんだぞ? ほら、俺は勘がいいからな」
揶揄うような口ぶり。けれど、視線は真っ直ぐで真剣だった。
「……ちゃんと楽しそうで、よかった」
そう言って、アレン様はわずかに微笑む。
その優しさが胸にじんわりと広がり、私は小さく頷いた。
こんなにも、温かい居場所が私にはある。
大切だと思える人たちがいて、守りたいと心から思える。
カモミールの柔らかな香りに包まれながら、私はそっと胸に誓った。
(……もう絶対、誰も危険な目に遭わせない。それに、バッドエンドだって必ず回避してみせる)
穏やかに笑い合える時間。肩を並べて過ごせる幸せ。
この何気ない日常こそが、私にとって一番の宝物。
だから私は必ず、守りたい。




