遠くなった笑顔に、そっと触れたくて 2
それから数日後。
しばらく休養を取っていたオリバーさんが、ようやく学園に戻れるとカロンから聞かされた。
その知らせに私の胸は高鳴った。
また、いつもの優しいオリバーさんに会える――そう思ったから。
けれど現実は、期待とは違っていた。
彼は私を避けるように、そっと距離を取る。
休み時間も、廊下ですれ違った時も。
軽く頭を下げるだけで、あの穏やかな笑顔は二度と向けられなかった。
その度に、胸の奥がぎゅっと締めつけられるように痛んだ。
(……どうして……)
そんな風にわかりやすく落ち込む私を、隣でシリウスはただ静かに見守ってくれていた。
そして、ある放課後の帰り道。
夕陽が伸ばす影の中で、彼はぽつりと口を開いた。
「……オリバーさん、心の奥でずっと謝ってる。俺に伝わってくるくらい……フィオラに申し訳ないって思ってる」
「……えっ」
思わず立ち止まった。
胸の奥で重たく澱んでいたものが、一気に揺らぐ。
オリバーさんも、苦しんでいた。
あの時のことを後悔して、私にどんな顔をしていいのか分からずにいる。
(だったら……私から、伝えなきゃ!)
迷ってなんていられない。
私の方から声をかけて、笑って「大丈夫ですよ」と言いたい。
私はシリウスに勢いよくお礼を言い、制服の裾をぎゅっと握りしめる。
次の瞬間、どこを目指すと決めたわけでもなく、気持ちの赴くままに走り出していた。
* * *
私の足が自然と向かったのは、学園の中庭の隅だった。
夕陽が木々の合間から差し込み、長い影を地面に落としていた。
その木陰に、オリバーさんは一人、静かに腰を下ろしていた。
光の中に浮かぶ横顔は、どこか影を帯びていた。
まるで一人きりの世界に閉じ込められているように見えた。
「オリバーさん!」
思わず声を張り上げる。
呼びかけられた彼は、びくりと肩を揺らした。
ゆっくりと顔をこちらに向け、ぎこちない微笑みを浮かべる。
そして、まるで距離を取ろうとするかのように、立ち上がろうとした。
(……また、離れようとするの? そんなの、もう絶対にダメ)
胸の奥で強い思いが燃え上がる。
私は小さな足音を響かせ、迷いを振り切るように駆け寄った。
「どうして……どうして、私から逃げようとするんですか?」
拗ねたようでいて、必死な声。
震えが混じるその言葉は、抑えきれずに叫びのように響いた。
けれど、オリバーさんは何も言わない。
ただ悲しげに目を伏せ、沈黙を選ぶ。
その姿が、胸の奥をどうしようもなく締めつける。
「……そんなに、私のことが嫌いになってしまいましたか?」
声が掠れ、視界がじわりと滲む。
問いかけるより先に、涙が零れ落ちそうで。
その瞬間、オリバーさんの肩がびくりと震えた。
驚いたように目を見開き、そして苦しげに顔を歪める。
「……違う」
短く吐き出すように言葉が零れた。
久しぶりに聞く彼の声は微かに震え、いつもの完璧な笑顔の裏に隠された脆さを露わにしていた。
「違う……けど、俺は……フィオラちゃんを、傷つけそうになったんだ」
その言葉に、私はぎゅっと拳を握りしめた。
そして逃げずに、真っ直ぐにオリバーさんの金色の瞳を見つめる。
「……オリバーさんは、何も悪くないです。だから……自分を責めないでください。 オリバーさんが苦しいと、私も苦しくなるんです」
必死に告げる私の声に、彼はしばらく何も言わなかった。
ただ静かに私を見つめ、考え込むように視線を揺らす。
やがて、オリバーさんは一歩、そしてまた一歩と、ためらうように距離を詰めてきた。
手を伸ばせば触れられるほどの場所まで来ると、そっと私の頭に大きな手が置かれる。
ぽん、ぽん。
優しく、リズムを刻むように。
父の手とは違う、けれど同じくらいに温かくて、大きな掌。
「……フィオラちゃんは、本当に……強くて、優しいね」
掠れた声で、それでも確かな想いを込めて言葉が落とされる。
その震えが、彼の不安と葛藤を物語っていた。
私はそっと目を閉じ、その温もりを全身で受け止める。
胸の奥がじんわりと熱を帯びて、言葉が自然と零れる。
『……それは、オリバーさんですよ』
小さな声で、けれどはっきりと伝える。
その瞬間、私の頭に触れていたオリバーさんの指先が、かすかに震えた。
驚きと、戸惑いと……それでも確かに、心に届いた証のように。
「……ありがとう、フィオラちゃん」
震える声とともに、オリバーさんの唇がゆっくりと綻ぶ。
そこに浮かんだのは、作り物ではない――久しぶりに見る、本物の笑顔。
その笑みは柔らかく、あたたかく、私の胸の奥をじんわりと照らしていった。
気づけば、私の頬も自然と緩んでいた。
(……よかった)
胸の中が、安堵で満たされる。
そのぬくもりに包まれながら、私は心の奥でそっと願った。
(ずっと、この笑顔を守りたい)
その瞬間、胸の奥がくすぐったく疼く。
(もし……オリバーさんが“攻略対象”だったとしたら……)
思い浮かべただけで、顔が一気に熱くなっていく。
(……今の私は、きっと彼のルートを進んでる)
誰にも言えない、小さな秘密のように。
私は胸の奥で、その言葉をそっと抱きしめた。
オリバーさんは、そんな私の気持ちになど気づかないまま。
変わらぬ優しい手で、ただ静かに頭を撫で続けていた。
──温かな夕陽が、二人を優しく包み込んでいた。




