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湖と風と、ふたりの距離 1

 



 ある晴れた朝。

 学園の正門前には、遠足に向かう生徒たちのざわめきが小鳥の囀りのように広がり、空気そのものがどこか浮き立っていた。


 私は動きやすさを最優先に、刺繍の入った白いブラウスにゆったりめのキュロット。足元には軽快なローヒールブーツを合わせている。

 首元には小さなリボンブローチを添え、鏡の前で何度もコーディネートを確認した。

 思いのほかしっくりきた装いに、自然と背筋が伸びる。


(……前世の記憶。今日の遠足も、確かルート分岐に関わる重要なイベントだった、はず)


 縁起でもないことを思い出してしまい、そっと唇を噛んだ。


 あのガーデンパーティーがバッドエンドめいた展開になったせいで、他のイベントはもう発生しないのでは……そう思っていた。

 けれど、どうやら違うようだった。


(ラフィン先生のルートに入っていると思っていたのは……ただの気のせい?)


 今はただ、目の前に迫るイベントを前に、希望と警戒が胸の中でせめぎ合っていた。

 その鼓動を打ち消すように、元気いっぱいの声が耳に飛び込んでくる。



「フィオラ!」


 元気そのもののオレンジ色の髪をなびかせ、レオンが満面の笑みで駆け寄ってきた。


「おはよ! 今日は最高の遠足日和だな!」


「おはよう、レオン。本当だね」


 はしゃぐ彼に釣られるように、自然と笑みが溢れる。

 すると、レオンはふと足を止め、じっと私を見つめたかと思うと、ぱっと表情を輝かせた。


「今日の服、めっちゃ似合ってるな! なんか……すごく可愛い!」


「……えっ」


 唐突な言葉に、思わず声が裏返りそうになる。

 けれど、レオンは気にも留めず、いつもの調子でニカッと笑った。


「フィオラって、普段から可愛いけどさ! 今日のは特に元気で、すっごくいい感じ!」


「そ、そんな……ありがとう、レオン」


 頬が一気に熱を帯びていくのを感じながら、私はぎこちなく笑った。


(す、ストレートに褒められると……やっぱり照れる……)


 無邪気なオレンジ色の髪が、風にさらわれて軽やかに揺れる。

 その眩しさに、胸の奥がほんの少し高鳴っていた。



 ――その時、不意に低い声が割り込んでくる。


「……おはよう」


 欠伸まじりの低い声が聞こえ、振り向けば黒髪のシリウスがのそのそと歩いてくる。

 よく見れば、後ろ髪に小さな寝癖がぴょこんと跳ねていた。


「シリウス、おはよう」


「おはよ! お前、遅いぞ!」


 レオンがすかさず突っ込むと、シリウスは大きな欠伸をひとつ噛み殺しながら、飄々と輪に加わった。

 その気だるげな様子が、逆にいつも通りで安心をもたらしてくれる。


「……よし、これで三人揃ったね」


 私が小さく呟くと、レオンは元気よく頷き、シリウスは「……ああ」と短く返す。

 その緩急のある温度差に、思わず頬が緩んだ。


 遠足という名のイベントは、まだ始まったばかり。


 これから訪れる自然の中で、どんな出来事が待っているのだろう。

 胸の奥で小さく高鳴る期待と、それをかき消すように広がる不安。

 その両方を抱えながら、私は大きく息を吸い込んだ。


 ――そこへ、ラフィン先生の軽やかな声が響いた。


「それでは皆さん、集まってください。出発前の注意事項を伝えますので、しっかり聞いてくださいね」


 今日は二年生だけの遠足。もちろん、そうなると私たちの担任である先生も一緒だ。

 あのガーデンパーティーの後も、特に変わった様子はない。

 ――それが、むしろ不自然で仕方なかった。


 クラスメイトたちの声が止まり、自然と視線が先生へ注がれていく。

 私は隣のレオンとシリウスを見比べ、小さく頷きを交わした。


(……うん、大丈夫。今日はきっと、楽しい一日になる)


 そう心に決め、私たちは先生の方へ歩き出した。



 * * *


 森の中を歩いていると、不意に足元の土が崩れた。


「きゃっ!?」


 体が傾いた瞬間、すかさずレオンの腕が伸びてくる。

 力強いその手に支えられ、グッと引き寄せられ、なんとか転ばずに済んだ。


「……っと、大丈夫か? さすがに転ぶには早すぎだろ」


 冗談めかして笑いながらも、レオンの腕はしっかりと私を支えている。

 その頼もしさに顔が熱くなり、思わず慌てて視線を逸らした。


「あ、ありがとう、レオン……!」


 するとすぐに、シリウスも駆け寄ってきて、私の腕にそっと触れる。


「フィオラ。気をつけて。……転んだら危ない」


 淡々とした声音の奥に、ほんのわずかに滲む優しさ。

 その一言だけで、胸の奥が小さく跳ねた。


「……ありがとう、シリウス」


 照れ隠しのように顔を横に向ける。

 けれど、その隙にレオンとシリウスの視線が一瞬交わり、言葉にできない空気が流れた。


「ま、無事でよかったな!」


 レオンが肩をすくめて笑う。

 一方のシリウスは口を開かず、ただ静かに私を見守っていた。


 ――ほんの些細な出来事なのに、イベントのせいなのか、私の胸は確かにいつもより揺れていた。



 しばらくして無事に森を抜けた私たちは、湖のほとりにある木陰の休憩スポットへと辿り着いた。

 透き通る水面が陽を反射し、きらきらと光を散らしている。涼やかな風が吹き抜け、草木の香りが心地よかった。


 真っ先にレオンが腰を下ろし、勢いよく弁当を広げる。


「さぁ、食べようぜ!」


 元気いっぱいの声に、思わず私も笑みをこぼした。


「やっぱり、レオンは元気だね」


「おう! 元気が一番だろ?」


 レオンはいつもの無邪気な笑顔を見せる。

 私もその隣に腰を下ろすと、反対側には――いつの間にかシリウスが静かに座っていた。


 自然と、私は二人に挟まれる形になる。


(これ……すごく乙女ゲームのヒロインっぽい……)


 左右からの距離感に、胸が不意に高鳴る。

 何度か似た状況はあったはずなのに、今日はなぜか違って見えた。

 いつも通りのはずなのに、どこか意識してしまって、特別な出来事のように感じてしまう。


(でも、これは“イベント”の一つ……気を抜いたら、またバッドエンドに繋がるかもしれない。冷静にならなきゃ……)


 そう自分に言い聞かせる。

 けれど、ふと気付けば、シリウスの視線がまっすぐに私へ注がれていた。


「ねえ、フィオラ」


 シリウスの低く静かな声が届く。


「うん?」


「……遠足、楽しい?」


 思わぬ問いかけに、少し目を瞬かせた。

 シリウスがこんなふうに“楽しんでるか”なんて、気を遣うような言葉をかけてくれるなんて思わなかったから。

 私は自然と笑みを浮かべて、彼に向き直る。


「うん、楽しいよ。最近はこうしてレオンとシリウスとだけ一緒にいることってあんまりなかったでしょ?二人とは気を許せてるし、一緒にいて心地良いよ』


「そう……それなら、よかった」


 シリウスはわずかに目を細め、照れ隠しのように視線を外す。

 その仕草はいつもの無表情よりも、どこか幼さを帯びて見えた。


「最近、色々あって……沢山考えてるみたいだったから。……そう思ってもらえて、嬉しい」


 不器用だけれど、真っ直ぐな声。

 胸の奥に、じんわりと温かいものが広がっていくのを感じた。


 ちょうどそのタイミングで、レオンが私の肩に自分の肩を軽くぶつけてきた。


「なんだよ二人して! 今日は全力で楽しもうな! 後で湖で遊んだり、ゲームしたりしようぜ!」


「うん! レオンも一緒なら楽しいこと間違いなしだね!」


 私も自然と笑顔を返しながら、お弁当を広げる。

 その和やかな空気の中、シリウスがゆっくりと口を開いた。


「……食べ終わったら、少し散歩に行かない?」


 不意に落とされた低い声。

 一瞬で胸が高鳴る。まるで耳元で囁かれたみたいで、妙にくすぐったい。


 別に私だけを誘ったわけじゃないのに、どうしてか胸がざわついて緊張してしまった。


「っ……! うん、行こう」


 思わず少し早口で答えてしまう。

 すると、隣のレオンがのんびり背伸びをして、大きな欠伸をひとつ。


「俺は食べたらちょっと休憩するわ。食べたら眠くなってきたし……二人で行って来いよ」


「レオンって本当にすぐ寝るよな」


 シリウスが苦笑まじりに肩をすくめ、そして私へと優しく目を向ける。


「じゃあ、食べ終わったら二人で行こう」


 その言葉に胸が高鳴りながら、私はこくりと頷いた。


 三人で並んだまま、お弁当を口に運ぶ。

 けれど、胸の奥はこの後のことでいっぱいで、味がちゃんと分からないくらいだった。




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