これって聖地巡礼なのでは? 1
馬車の車輪が石畳をゆっくりと転がっていく。
窓の外を眺めるふりをしながら、私は隣に座る少年――カロンに意識を向けていた。
彼の帰る場所は、“家”ではない。
両親は、彼が生まれて間もなく、不慮の事故で命を落とした。
身寄りのない彼を引き取ったのは教会で、今もそこで暮らしている。――それが表向きの話。
けれど私は知っている。
前世でカロンルートを進めたときに明かされた“真実”を。
彼を手に入れるために、教会の人間が両親を殺したのだ。
(……今回、私はカロンルートに進むつもりはない)
だから彼が、この真実に辿り着くことはないはずだ。
けれど、画面越しに見たあの時のカロンの悲しい表情を思い出すと、どうしても胸が痛む。
(“自分のせいで両親が死んだ”なんて……そんなふうにカロンに思わせたくない)
私は義姉として、義弟となる彼に、そんな苦しみを背負わせたくはない。
……そう強く心に刻んだところで、ふと現実に意識を引き戻される。
馬車の中は、ぎこちない沈黙に包まれていた。
隣に座るカロンは膝の上で両手を固く握りしめ、落ち着かない様子で窓の外を眺めている。
「……その、さっきは怖かったでしょう?」
思わず口を開いた私に、カロンは小さく瞬きをしてこちらを見た。
「……はい。でも……助けてくださって……ありがとうございました」
「ふふ、助けたのはお父様よ。私はただ横にいただけ」
冗談めかして返すと、カロンは少しだけ肩の力を抜いた。
「……でも、フィオラ様も……僕に声をかけてくれて……すごく嬉しかったです」
(っ……やだ、この破壊力……!! 可愛すぎるでしょ……!)
胸の高鳴りをごまかすように、私は視線を窓の外へそらした。
この子が、五年後に“義弟”として家族になるなんて――今はまだ、信じられなかった。
しばらく馬車に揺られていると、窓の外に見慣れない小さな町が広がってきた。
栄えているとは言いがたく、家並みはどこか古びていて、行き交う人影も少ない。
商人の声もほとんど聞こえず、代わりに乾いた風が通りを吹き抜けていく。
(……ゲームでは、こんな細かい描写まではなかったな)
前世で見ていた画面の中では、ただの一文で済まされていた“教会近くの町”。
けれど実際に目にすると、想像していたよりずっと物悲しく、胸の奥に冷たいものが広がるようだった。
そしてその理由を――私は、この後すぐに思い出すことになる。
やがて馬車は森に囲まれた静かな場所で止まった。
「ここが、僕が暮らしている教会です」
カロンが少し緊張した面持ちでそう告げる。
父が先に馬車を降り、私に手を差し伸べてくれた。続いて足を下ろした瞬間、ひやりと冷たい空気に包まれる。森のざわめきが遠のき、視界に飛び込んできたのは――。
白い壁と、尖塔のシルエット。
規律正しく磨かれた石畳。
周囲の寂れた町の雰囲気とはあまりにも対照的に、その建物は整然と美しく、神聖な気配を漂わせていた。
(……これって、ゲームで何度も見た……あの教会……!)
胸の奥が熱くなる。
(……聖地、だ……!!)
文字と背景だけでしか知らなかった世界が、いま目の前にある。
もし今スマホを持っていたら、間違いなくアクスタ片手に写真を撮りまくっていたはずだ。いや、動画だって撮る。SNSにだって連投する。
「……これって、聖地巡礼じゃん……」
感極まって、つい口に出してしまった。
すると、すぐ隣にいたカロンが、小さく首をかしげてこちらを見る。
「聖地、巡礼……?」
「い、いえっ!! な、なんでもないのっ! ――きゃっ!?」
慌てて誤魔化そうとした瞬間、裾を踏んで足元を取られ、派手に転んでしまった。
ドサッ、と音を立てて石畳に倒れ込み、顔から火が出そうになる。
(わ、わわ……やっちゃった……! 余計なこと言ったうえに、イベントからも脱線してるし……!!)
視界の端に、驚いたように駆け寄ってくるカロンと、苦笑を浮かべる父の姿が映った。
私は赤くなった顔を両手で覆い、思わず頭を抱えたくなった。
「大丈夫ですか?」
カロンが小さな手を差し出してくれる。
私は必死に平静を装いながら、その手を取って立ち上がった。
「……ごめんなさい。ちょっと膝を擦りむいただけ。大丈夫」
なんとか笑顔を見せたものの、内心は焦りでいっぱいだった。
(まずい……これじゃ完全にイベントから外れてる……! 早く元のストーリーに修正しないと……)
教会内の案内を頼もうと口を開きかけた、そのとき。
カロンが私の膝を覗き込み、そっと指先を伸ばした。
「あ……少し血が出てますね。すぐに僕が治しますね」
「え?」
「大丈夫です。すぐ終わりますから」
柔らかな声音と共に、カロンの手が私の膝の上にかざされる。
じんわりと温かな光が広がり、傷口を優しく包み込んだ。
(えっ……ま、待って。この展開……ゲームにない……!)
メインストーリーが始まる前に、カロンが“能力”を使うなんて。
そんな場面、前世の記憶には存在しなかった。完全に、想定外。
「これで、治りましたよ」
カロンが小さく微笑んで言った。
「……えっ、あ、ありがとう……」
膝を見下ろすと、擦りむいた跡は跡形もなく消えている。
ゲーム内で何度も見た【原状回復】の力。
でもこうして実際に自分が癒されると、不思議で……ほんの少し、くすぐったかった。
(……これが、能力の力……)
この世界――いや、“このゲーム”の住人は皆、生まれながらにして神様から授かった特別な力を持っている。
それを、人々は“能力”と呼んでいた。
ただし、その種類も強さも人によって大きく違う。
日常生活に役立つ程度の小さな力もあれば、国を揺るがすほどの強大な力を持つ者もいる。
攻略対象となる彼らの能力は、例外なく希少で、そして強力だった。
だからこそ、プレイヤーとしての私は惹きつけられ、物語が動くのだ。
今、目の前で力を使ったカロンの【原状回復】もその一つ。
壊れた物や傷ついた体を“元通り”にする、極めて珍しい能力。
本来ならば、彼は監視されるほど国から目をつけられる存在だ。
基本的に、生まれた時にどんな能力を持っているのか判明する。
それは、この世界の人々にとって“当たり前”のこと。
――けれど、現時点では私自身どんな力を持つのかは不明。
前世での記憶でも、フィオラの能力はルートごとに変化していた。
(なんか知りたくない……かもしれない)
もしそれが、物語を進める“鍵”だったとしたら――。
そう思った瞬間、胸の奥に冷たいものが広がった。
けれど、そんな私の不安とは裏腹に。
すぐ隣で父が口を開く。
「それが君の能力かい?」
希少な力を目にしたはずなのに、父の声音は驚きも色もなく、ただ淡々としていた。
カロンは一瞬、視線を伏せてから小さく頷く。
その仕草には、どこか気まずさが滲んでいた。
おそらく、自分の能力が国に報告する義務があることを理解しているからだろう。
「それは、国が把握すべきほどの貴重な力だと知っているかな?」
父の声が少し低くなる。
「……はい」
誤魔化せないと悟ったのか、カロンはしっかりと答えた。
だが父はそれで終わらせなかった。
「でも君は、それを国に報告していない。――なぜかな?」
わざとらしいほど、探るような声音。
カロンは唇を噛み、何かを言いかける。
「それは――」
その瞬間。
教会の扉がキィ、と静かに開いた。
中から姿を現したのは、一人の神父。
穏やかな笑みを浮かべているが、その登場は空気を一変させるものだった。




