揺らぐ世界、揺るがぬ想い 1
王宮でのガーデンパーティーから、数日が経ったある日のこと。
夕暮れの光が斜めに差し込み、深紅のカーテンと古い木の机を淡く照らす静かな生徒会室。
呼び出されたのは、私とカロン。
向かいのソファにはアレン様が座り、その後ろの壁には腕を組んで佇むオリバーさんの姿があった。
沈黙の中、ただ時計の針の音だけがやけに響いている。
私はソファに腰を下ろすよう促され、ぎこちなく座った。けれど背筋は強張り、落ち着かない。
一方のカロンは、涼やかな笑みを浮かべながら自然に私の隣へ腰を下ろし、穏やかな目を保ったままアレン様を見据えていた。
「呼び出して悪いな、カロン。……フィオラも」
アレン様がゆっくりと視線を上げる。
その瞳には、いつもの余裕も気軽な笑みもなく、ただ真剣で張り詰めた色だけが宿っていた。
部屋の空気はさらに重くなり、息をするのさえためらわれるほどだった。
「単刀直入に聞く。“あの時”、何があったのか話してほしい」
アレン様の低い声が、生徒会室に沈み込む。
──“あの時”。それがガーデンパーティーのことを指しているのは明らかだった。
胸が大きく跳ねる。心臓の音が耳にまで響いて、手のひらがじっとり汗ばんでいく。
そんな張り詰めた空気の中で、オリバーさんが片手を上げて口を開いた。
その声音はいつも通り穏やかで、ほんの少し場をほぐしてくれる。
「アレン、ちょっと待って。突然すぎる。二人とも驚いてるだろう? 怖がらせたいわけじゃないはずだ」
その言葉に、私は少しだけ肩の力を抜いた。
オリバーさんの優しい声色が、かろうじて緊張を和らげてくれる。
けれど、アレン様はわずかに首を振り、視線を鋭くする。
「……悪いが、時間が惜しい。俺が”能力”をまったく使えなかったのは、あの瞬間が初めてだった」
短く告げられた言葉は重く、冷たい石のように胸に落ちてくる。
【未来予知】すら遮断されたという、その事実の重さに、息が詰まりそうになった。
オリバーさんは静かに目を伏せ、考え込むように唇を結ぶ。
私の胸はぎゅっと締めつけられ、不安と恐怖がせめぎ合う。
「原因は──おそらくラフィン。あいつが、何かを仕掛けたとしか思えない」
アレン様の真紅の瞳が、すっと横へ流れる。
その視線の先には、隣に座るカロン。
「カロン。お前とラフィン……何度か二人で話してたんだろ?何を話してたんだ?」
空気がさらに重たくなり、息が止まりそうになる。
ずっと気になっていた。けれど、同時に聞いてしまうのが怖くて仕方がない。
心の奥が「知りたい」と「知りたくない」で引き裂かれるようだった。
そんな私の隣で、カロンはいつもの柔らかな微笑を崩さず、ゆっくりと目を細める。
そして、唇を噛みしめるようにしてから、まっすぐにアレン様を見返した。
「……姉さんを守るためにも、正直に話します」
その一言に、胸が大きくざわめく。
私の鼓動が、どんどん速くなっていく。
「最初は……姉さんがルカと“付き合っている”って噂を耳にしました。同じ頃、“アレン様の婚約者候補”だという話も広まって……頭の中が、真っ白になったんです」
カロンの声は静かだった。けれど、その響きの奥にはかすかな自嘲が滲んでいた。
「ずっと、姉さんの隣にいるのは自分だと思っていた。家族で、弟だから。
でも……気づいてしまったんです。僕ではない誰かが、姉さんの“一番”になるかもしれないって」
生徒会室に、重い沈黙が落ちる。
オリバーさんが小さく息を吐き、アレン様は続きを促すように視線だけを動かす。
「……そう思ったら、全部がどうでもよくなって、心がぐちゃぐちゃになっていました。……そんな時、ラフィン先生が僕に声をかけてきたんです」
私は思わず目を伏せ、けれど耳は彼の声を逃すまいと澄ます。
カロンは一瞬だけこちらを見やり、それから視線を戻して言葉を継いだ。
「先生は言いました。『君、お姉さんのことが大切なんだろう? でも、あの子はいつも誰かに囲まれていて、君の大切さに気付いてない』って」
「……ラフィンが、そう言ったのか」
アレン様の低い声に、カロンは静かに頷いた。
「それだけじゃありません。“姉さんや僕のことを教えてくれたら、何が起きても守ってあげる”とも。……最初は疑いました。でも……あの時は、それが救いに思えてしまったんです」
カロンの拳が、ぎゅっと握られる。声はかすかに震えていた。
「だから……僕は話してしまった。姉さんのこと、僕のこと。すべてではないけど……」
一度言葉を切り、俯いた顔を上げる。
「姉さんに知られたら、軽蔑されると分かっていました。だから黙っていました。……でももう、隠さない。姉さんをこれ以上、傷つけたくない。本当に……信じてもらえる弟になりたいんです」
その言葉の後、誰も口を開かないまま、重い時が過ぎていく。
やがてアレン様が立ち上がり、窓辺へと歩み出た。
夕陽をひと目見てから、低く静かな声で口を開く。
「……これは王家の秘密なんだが……隠したまま、フィオラに何かあったら後悔どころじゃ済まない」
アレン様の真紅の瞳が、まっすぐこちらに向けられる。
視線の強さに、胸がぎゅっと掴まれたように苦しくなる。
「だから、お前たちには知ってほしい。俺の能力は【未来予知】。断片的ではあるが、未来の光景を視ることができる」
隣に座るカロンが目を見開く。
知っていたはずの私でさえ、その言葉を聞いた瞬間、空気に呑まれて息を呑んだ。
「だが……あの日、あの瞬間だけは、まったく何も見えなかった。恐らく、ラフィンのせいで能力が封じられたんだろう。……俺は王族として生まれてから初めて、“未来”が完全に分からないと感じた」
低く吐き出された声には、苛立ちと焦燥が混じっている。
それは敵への怒りであると同時に、無力だった自分自身への怒りにも思えた。
「この先、俺の能力がまた使えなくなる可能性は高い。……だからこそ、信頼できる者同士での協力が必要なんだ」
張り詰めた空気の中、壁際に控えていたオリバーさんが静かに一歩を踏み出す。
「じゃあ、俺も言っておこうかな」
柔らかな声色に似合わぬ真剣な眼差しが、私たちを射抜いた。
「俺の能力は【時間操作】。数秒だけになるけど、自分以外の時間を止めたり、巻き戻したりできる。……アレンと陛下以外には、今まで誰にも話したことがなかった」
「……時間、を……?」
あまりに突拍子もない秘密に、思わず声が漏れた。
オリバーさんは小さく苦笑して、けれど真剣に頷いた。
「うん。でも万能じゃないし、自分への負担も大きい。だから、あまり使ってないんだ。……けど、もう手段を選んでる場合じゃないと思って」
穏やかな声色の中に、確かな決意が滲んでいる。
彼の言葉は、どこまでも真っ直ぐだった。
「フィオラちゃんは絶対守る。そのために、俺もこの能力を使う。だから……信じててほしい」
その眼差しに、冗談も軽さも一切ない。
胸の奥にじんわりと温かいものが広がっていき、知らぬ間に息が詰まる。
彼らの声に、偽りなど微塵もなかった。
「……ラフィンについては、俺とオリバーで動く」
アレン様の低い声が空気を引き締める。
「カロンが正直に話してくれたおかげで、奴の狙いが“フィオラ”であることは、ほぼ確かだ。……だからこそ、これ以上は油断できない」
静かな宣告が、鋭く胸に突き刺さった。
不安が一気に膨らむのを感じたけれど――その隣で、確かに寄り添ってくれる存在がいるのだと、心のどこかで救われてもいた。




