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魅了だけじゃない君のこと

 



 それからもラフィン先生は、最後まで穏やかな微笑を崩さなかった。


「それでは、私はこれで失礼するよ。また学園で」


 まるで先ほどの出来事など、最初から存在しなかったかのように。

 彼は優雅な所作で一礼し、背を向けると、そのまま庭園の人々の中へと溶けていった。

 残された私たちに残ったのは、言葉にならない気味の悪さだけ。


 耳の奥にはあの囁きが残り、視界には触れた瞬間に粉々に“壊れていった”花の残像が焼き付いている。

 そして何よりあの時に見た、氷のように冷たく無慈悲なラフィン先生の瞳。


 私は今もなお、自分の手に残る“何か”の余韻を、どうしても拭いきれずにいた。


(……私の能力、“壊す力”……)


 そんなもの、前世で何度もプレイしたゲームには存在しなかった。

 だからこそ、今の自分がどのルートに入っているのか、まるで見当がつかない。

 ただ、不穏に広がるその力の響きに、バッドエンドの文字がちらついて仕方なかった。


 まだ胸の奥でざわめくその余韻は、周囲の空気にまで影を落としていた。

 誰もが不安そうに花壇を見つめ、ざわつきが広がっていく。


 そして、庭園の花が一瞬にして枯れ落ちたことをきっかけに、ガーデンパーティーは急遽お開きとなった。

 事情を知らない招待客たちは、何が起こったのかと困惑の表情を浮かべながら、ざわめきの中を次々に帰っていく。


「……やれやれ。あの先生、やっぱり厄介だな」


 その混乱を眺めながら、低く呟いたのはオリバーさんだった。

 柔らかい微笑を崩さない彼が、今は険しい横顔をしている。

 その真剣な表情は頼もしくもあったが、同時にほんの少し、怖さも滲んでいた。


 けれど、張り詰めた空気を断ち切るように、アレン様が静かに口を開いた。


「……今日はもう帰すわけにいかない。全員、王宮に泊まっていけ」


 真紅の瞳が私たち一人一人を射抜くように見回す。

 命令に近いその声音は、何よりも状況の深刻さを雄弁に物語っていた。


「明日も休みだしな。護衛も増やす。安心して休めるように、こっちで手配する」


「美味しい夕食も準備してもらうよ」


 オリバーさんがいつもの柔らかな声で補足すると、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。

 シリウスもレオンも、それぞれ小さく息をつく。


 カロンも、さっきまでの険しい表情を消し、私のそばで小さく笑みを浮かべた。


「僕、姉さんの部屋の近くにしてもらうから。何かあったら、すぐに行けるように」


 その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 ラフィン先生の不穏な影が消えたわけでも、自分の能力が理解できたわけでもない。

 けれど、こうして誰かがそばにいてくれる。それだけで、ほんの少し心が安らぐ気がした。


 もちろん、不安はまだ山ほどある。

 でも、王宮にみんなで泊まるなんて、前世のゲームにもなかった“初めて”の展開。


 その非日常に、ほんの少しだけ胸が高鳴っていた。



 * * *


 夜も更け、私たちはそれぞれ用意された部屋へと案内された。


 広々とした王宮の一角。

 天蓋付きのベッドや繊細なレースのカーテン、壁にかけられた絵画や、窓辺に飾られた花瓶の薔薇。

 漂う薔薇の香りが、緊張で乾いた喉をひりつかせる。


「フィオラ様、何か必要なものがあればお申し付けくださいませ」


 深々とお辞儀をして去っていくメイドの後ろ姿を見送りながら、私はふぅ、と息を吐いた。


(公爵家も豪華だけど……やっぱり、王宮はレベルが違う)


 足を踏み出すたび、ふかふかの絨毯に沈む感覚。

 頭上には、無数の光を散らす絢爛なシャンデリア。

 まるで夢の中にいるみたいなのに、心の奥はざわついて落ち着かない。


(……なんだか、現実味がない……)


 不安と緊張と──それでもどこか胸をくすぐるようなワクワク。

 いくつもの感情が渦を巻いて、胸の奥でひどく騒がしく響いていた。


 このままベッドに入っても眠れそうになくて、私は部屋を出て、静まり返った廊下を歩いていた。

 足音が絨毯に吸い込まれ、石造りの壁にかすかな蝋燭の光が揺れている。



 すると──


 ふと目を向けた先、窓辺にひとり佇む後ろ姿が見えた。

 月明かりに照らされ、柔らかいストロベリーブロンドの髪が淡く輝いている。


(……あれって)


 誰かと話すでもなく、ただじっと夜の庭を見下ろしていた。

 その背中は、いつも明るく無邪気に振る舞う彼とは少し違って見えて、思わず声をかけてしまった。


「……ルカくん」


 呼びかけに、彼はゆっくりと振り返り、いつもの可愛らしい笑顔を浮かべた。


「フィオラ先輩。……こんな時間にどうしたの?」


「それは、こっちの台詞だよ。夜更かしは怒られちゃうんじゃない?」


 冗談めかして問いかけたつもりだった。

 けれど、ルカくんの笑みはふっと陰りを帯び、その瞳に翳りが差した。


「ちょっとだけ……空気を吸いたかっただけだよ」


 軽く笑ったように聞こえたけれど、その響きはどこか寂しげで。

 私は思わず、小さく首を傾げる。


(……ルカくん、落ち込んでる?)


 いつもは明るくて茶目っ気たっぷりの彼が、こんなふうに沈んだ顔をしているのを見るのは初めてだった。


『……何かあったの?』


 問いかけると、ルカくんは一瞬だけ目を伏せる。

 月明かりに照らされた横顔が、ひどく幼く見えた。


 そして、ぽつりと呟く。


「僕、何もできなかったなって思っただけ」


『……え?』


「アレン様も、シリウス先輩も、カロンも……みんな、すごい能力(ギフト)を持ってる。フィオラ先輩を守れるような、ちゃんと役に立つ力」


 言葉を吐き出すたびに、彼の肩がわずかに沈んでいく。

 ルカくんは窓枠に寄りかかり、再び視線を夜の庭へと落とした。


「僕の能力(ギフト)って【魅了】でしょ? 敵を倒せるわけでもないし、誰かを守れる力でもない。……ただ相手の気を引くだけ。そんなの、意味あるのかなって思っちゃって」


 その声は淡々としているのに、胸の奥からにじみ出た痛みが混じっていた。

 聞いているだけで、私の胸がぎゅっと締めつけられる。


「【魅了】って、簡単に言えば相手を好きにさせる力……。でも、それって本当に“僕”を見てくれてるんじゃないかもしれないでしょ? ……そう考えるとさ、時々、怖くなるんだよね」


 月明かりに照らされた横顔は、普段の無邪気さとは違って脆く見えた。

 その姿がどうしようもなく切なくて、私は自然と彼の隣へ歩み寄り、窓辺に並んだ。


「私はね、ルカくんがいてくれて、すごく心強いよ。今日だって、一番最初にルカくんが明るく振る舞ってくれたから、みんな緊張が解けたの。……私も、本当に助けられた」


 私の言葉に、ルカくんの肩がぴくりと揺れる。


「それは、“能力(ギフト)”じゃなくて、“ルカくん”自身のおかげだよ」


 少しの沈黙が流れたあと、ルカくんは唇を噛み、照れ隠しのように笑った。


「……先輩って、ほんとズルいよね。そんなこと言われたら……泣きそうになるじゃん」


 伏せた睫毛の奥、月光にきらめく瞳は、ほんの少し潤んでいた。


 その姿に胸がきゅっと締めつけられて、思わず私はそっと手を伸ばした。

 指先が彼の柔らかな髪に触れ、優しく撫でる。まるで弟を慰めるみたいに。


 ルカくんは最初こそ驚いたように目を瞬かせたけれど、やがて静かに目を閉じ、素直にその温もりを受け入れてくれた。


「……ありがと。ちょっとだけ、元気出たかも」


『よかった』


 小さく微笑んで言うと、ルカくんも少しだけ肩の力を抜いたように、窓の外へと視線を向け直した。


「せっかく王宮に泊まれるんだし、ちょっとくらい楽しんでみようかな。……ね?」


 その屈託のない声に頷こうとした瞬間――


 ルカくんが不意に、私の腕をそっと引いた。

 その仕草はあまりにも自然で、けれど心臓が跳ねるには十分すぎるほどの距離の近さだった。



「……先輩」


 呼ばれた瞬間、ルカくんはふわっと笑って――そのまま胸元へと身を預けるように抱きついてきた。


「大好き、先輩。……先輩だけは、僕のこと、ちゃんと見てくれてるって思えるから」


 その声は軽やかに聞こえるのに、奥底には確かな寂しさと、本音の熱が滲んでいた。


 不意を突かれて驚きながらも、私はそっと彼の背に手を添える。

 華奢な体温が伝わってきて、胸の奥がざわめく。


(……誰かのルートに入らないようにって、ずっと気を張ってたのに)


 今だけは全部、忘れてしまいたい。

 そんなふうに思ってしまうくらい、彼の温もりはあたたかくて、切なくて――。


 だから私は、ただ静かに、彼を抱きしめ返した。




ここまでお読みいただきありがとうございます。

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