甘く、危ういガーデンパーティー 2
「……ラフィン先生」
振り返った瞬間、予想していた通りの人物がそこにいた。
白い手袋を重ねた指先、柔らかな微笑み。
けれど今日は、その笑みがやけに近く感じられる。
「ふふ、人が多いとどうしても息苦しいからね。少し気分転換しようと、花を愛でに来たんだ」
「……そう、ですか」
「王宮の花は特別に育てられている。香りも、色も……繊細で、美しい。だが同時に、とても壊れやすい」
花を褒めるでもなく、愛でるでもなく。
まるで弱さを嗤うかのような声音に、背筋がひやりとする。
言葉の奥に潜む棘が、私を静かに試しているように思えた。
胸の奥で、心臓がひとつ大きく跳ねる。
先生は花弁に指先をそっと添えると、そのまま視線を私へと移した。
「……君も、壊れやすいものを抱えているのでは?」
曖昧で、具体性のない問い。
けれど、心の奥を掬い取られるようで、呼吸が途端に浅くなる。
たったそれだけの言葉なのに、胸を圧迫するような息苦しさが広がっていった。
「……何の話ですか?」
必死に平静を装い、声を絞り出す。
けれど、先生は柔らかな笑みを崩さぬまま、ほんのわずかに距離を詰めてきた。
指先ひとつ分。それでも、息がかかりそうなほどの近さだった。
「もし君が“壊れて”しまった時は……私が支えてあげようと思ってね。君の心も、体も、能力も。すべて」
耳の奥に沈み込むような、低く甘い囁き。
優しい響きのはずなのに、冷たい闇に引きずり込まれるようで、呼吸が詰まる。
まるで私という存在のすべてを、彼の手の中に閉じ込められてしまうような恐怖。
──そして、今日の様子で確信した。
先生は、やっぱり私の“能力”に執着している。
自分自身でもまだ何も分かっていないのに。
(……先生は、いったい何を知ってるの……?)
逸らそうとしても絡みつく視線に、逃げ場を失いかけたその時。
「フィオラーっ! ここにいたんだな!」
明るく弾む声が、淀んだ空気を一瞬で吹き飛ばした。
オレンジの髪を陽の光に揺らしながら、レオンが駆け寄ってくる。
「探したんだぞ! まさかこんなとこにいるなんてさ」
「ご、ごめんね……」
駆け寄るレオンの声に、思わず安堵の息がもれる。
「それにしても、先生。フィオラに、ちょっと近づきすぎじゃありませんか?」
いつの間にか隣に立っていたシリウスの低い声が、鋭く空気を切った。
真っ直ぐな視線が、ラフィン先生を射抜く。
「フィオラに……何か用事でもあったんですか?」
問いかけを受けても、先生は変わらぬ穏やかな笑みを浮かべ、落ち着いた声で答える。
「少しだけ話をしていただけだよ。彼女のことが気になったから……ただ、それだけ」
柔らかい口調のまま、先生は言葉を重ねる。
「私はね、壊れやすいものを守りたいと思う反面……壊れた先にある“本当の姿”を見てみたいんだ」
その一言に、背筋を冷たいものが駆け抜けた。
優しげな笑顔の奥で、形の見えない狂気が静かに揺れている。
「フィオラ君がその能力をどう扱うのか。どこまで私たちに見せてくれるのか……楽しみにしているよ」
軽やかに告げられた言葉は、残酷な響きを孕んでいた。
まるで私の秘密を、私自身より深く知っているかのように。
「……フィオラ、戻ろう」
レオンが迷いなく私の手を取った。
その温かさに引かれるように、私はそっと頷く。
「アレン様がフィオラを心配していたので」
シリウスの冷静な一言が、場の空気を切り替えた。
ラフィン先生は小さく肩をすくめ、微笑を崩さないまま言葉を返す。
「もちろん。邪魔をするつもりはないよ。ただ──」
その視線が、再び私に絡みつく。
「困った時は、私を頼ってくれればいい。敵か味方かなんて……後で考えればいいのだから。……そうだろう?フィオラ君」
甘い囁きのような問いかけに、私は何も答えられなかった。
ただ、その目を正面から見返すことすらできずに。
先生の言葉の余韻を胸に抱えたまま、私はレオンとシリウスに連れられて歩き出す。
けれど、ほんの一瞬だけ振り返った。
そこには、花に触れる仕草で、穏やかな笑みを浮かべる先生の姿。
まるで何事もなかったかのように。
(先生は、敵? 味方? それとも……)
答えのない疑問が、胸の奥で静かに波紋を広げていった。
* * *
人影が消えた庭園の奥。
木々の影に紛れるようにして、カロンはひっそりと立っていた。
姉がラフィンと二人きりで言葉を交わした、その一瞬一瞬を彼は全て見ていた。
『私が支えてあげようと思ってね。君の心も、体も、能力ギフトも。すべて』
耳にこびりついたその囁きは、氷のように冷たく、同時に胸の奥を焼くように熱い。
あの言葉の裏にどんな思惑が潜んでいるのか、確かめずにはいられなかった。
カロンはゆっくりと木陰から歩み出る。
その足取りは静かで、けれど視線は鋭く、凍りつくほど冷えていた。
「……僕の味方をするフリをして、姉さんを狙っていたんですか?」
その問いは、カロンの声には似つかわしくないほど硬質だった。
ラフィンは振り返り、驚きもせず、むしろ心底愉快そうに微笑む。
淡い光を反射した瞳は、まるで面白い玩具を見つけた子供のように輝いていた。
「やあ、カロン君。随分と熱心に見物していたじゃないか」
「……答えてください」
冷たい声で遮るカロンに、ラフィンは一瞬考える素振りを見せ、肩をすくめる。
「“狙ってる”なんて物騒だな。私はただ、君のお姉さんのことを──知りたいだけだよ」
「“知りたい”だけで、あんな言葉を?」
怒気を孕んだ声。
その様子を楽しむかのように、ラフィンは目を細め、じりじりと彼を覗き込む。
「……じゃあ、もし“好意”だったら?」
「……は?」
思わず、カロンの声が漏れる。
想定外の言葉に、わずかに呼吸が乱れた。
「君がお姉さんを守りたい気持ちは理解できるよ。でもそれは“弟として”? それとも、“誰にも渡したくない”から?」
言葉は穏やかなのに、胸の奥を鋭く突き刺してくる。
「もし、私がフィオラ君に惹かれているとしたら……君は、どうするんだい?」
笑みを浮かべたままのその声に、逃げ道は一瞬で塞がれた。
カロンは唇を噛みしめ、強く拳を握った。
爪が掌に食い込む痛みでしか、心を繋ぎ止められなかった。
「……あなたが、姉さんに“触れる”ことを許すつもりはありません」
吐き捨てるように言った声は、僅かに震えていた。
ラフィンはそれを楽しむかのように、唇に笑みを刻む。
「そうか。なら君が、誰よりも先に触れればいい。彼女の心にも──能力にも、ね」
心臓が跳ねる。
怒りでも焦りでもない、名付けようのない感情が胸の奥をじわじわと満たしていく。
「……それでも、もし君が間に合わなかったら」
ラフィンの声は甘く、ひどく冷たい。
「私が“代わり”になるのも、悪くはないと思っているよ」
ぞくりと背筋を氷が這い上がった。
それでも視線を逸らすことはできなかった。
「……あなたは、本当は味方ですか? それとも敵?」
問いかけに、ラフィンはわずかに首を傾げる。
「君が望むように、どちらにもなれるよ」
淡々としたその言葉の奥に、狂気めいた熱が滲む。
「ただ一つ確かなのは──私はフィオラ君を誰よりも理解できる。そして、愛している」
その告白は静かでありながら、重く胸にのしかかる。
ラフィンはくるりと背を向け、ゆったりとした足取りで歩き出す。
残されたカロンの手は、強く握りしめられ、爪が掌に食い込んでいた。
「君のお姉さんは、本当に魅力的だ。君が守りたくなるのも当然だよ。……でも、それを独占したいのなら、急がないとね」
その言葉だけを残し、ラフィンは庭園の人集りの中へと、影のように溶け込むように姿を消していった。
カロンはその場に立ち尽くしたまま、動けなかった。
呼吸が浅くなり、胸の奥がざわつきで満たされていく。
(──本気だったのか? あの言葉は)
冗談のようでいて、決して笑い飛ばせない。
ふざけているはずなのに、どこか真実味を帯びて耳に残る。
ラフィンの声が、棘のように喉元に引っかかり続けていた。
そして何より、そんな挑発にほんの一瞬でも心を揺らされた自分が──許せなかった。




