甘く、危ういガーデンパーティー 1
休日の午後。
王宮の庭園は、まるで夢の中の光景だった。
白い石畳に沿って並べられたテーブルには、花を模した菓子や果実が彩りよく置かれ、噴水の水音が涼やかに響いている。天蓋越しに降り注ぐ陽射しは、光のヴェールとなって一帯を柔らかく包み込んでいた。
──ここは前世のゲームで、アレン様ルートの背景として何度も目にした場所。
休日の午後。
王宮の庭園は、まるで夢の中の光景だった。
白い石畳に沿って並べられたテーブルには、花を模した菓子や果実が彩りよく置かれ、噴水の水音が涼やかに響いている。天蓋越しに降り注ぐ陽射しは、光のヴェールとなって一帯をやわらかく包み込んでいた。
──前世のゲームで、アレン様ルートの背景として何度も目にした場所。
その舞台に、今こうして自分が立っている。そう思うと、胸の奥がほんの少し浮き立つ。
(まさかの聖地巡礼……現実で来ることになるなんて)
「わあ、すごい……! 僕、王宮なんて初めて来た」
隣でルカくんが瞳を輝かせ、感嘆の声をあげる。
レオンは軽やかに口笛を吹き、肩をすくめて笑った。
「さすが王宮だな。……正装で来ておいて正解だったな」
「王宮に正装で来るのは当たり前だろ……。それより、まさかアレン殿下から直々に招かれるなんて、思ってもみなかった」
シリウスの静かな声にも、どこか楽しげな色が混じっていた。
けれど私は、どこか落ち着かなくて。
この美しい空間のどこかに、刺すような視線が潜んでいる。そんな気配を拭えなかった。
(……もしかして、もう“イベント”は始まっているのかもしれない)
そこには、庭園の奥からゆっくりとこちらに向かって歩いてくるアレン様の姿があった。
学園でよく目にする、少し崩した制服姿とはまるで違う。
王族らしい気品を纏った正装に身を包み、その一歩ごとに凛とした雰囲気が漂う。
そして、その表情もまた、学園では決して見せない柔らかで、王子らしい微笑を浮かべていた。
「みんな、よく来てくれたな! 今日は存分に楽しんでくれ」
差し伸べられた声を聞いた瞬間、緊張で張り詰めていた肩の力が、ほんの少しだけ抜けていく。
いつものアレン様だ、と安堵する。
けれど同時に、その声音の奥底には、微かに鋭い刃のような響きが潜んでいる気がしてならなかった。
すると、アレン様のすぐ背後に、まるで影のように寄り添う人影があった。
その顔を見た瞬間、私は思わず息を呑む。
「……ラフィン、先生……?」
掠れるほど小さな声が、喉の奥から漏れ出た。
学園の教師であるはずの先生が、この王宮の庭園にいる──その光景は、どう考えても不自然に思えた。
胸の奥に、冷たい水が流れ込むように、不穏な疑念がじわじわと広がっていく。
(ラフィン先生も……王宮のガーデンパーティーに招待されたってこと?)
先生は隠しルートの攻略対象。
そう考えれば、ここに姿を見せているのも不思議ではないのかもしれない。
そう自分に言い聞かせながら視線を向けると、ラフィン先生は招待客たちと談笑していた。
一見すれば、ただパーティーを楽しんでいる紳士的な教師。
けれど、その笑みを浮かべながらも、瞳の奥には深く冷たい影が揺らめいていて、背筋を撫でられるような悪寒が走った。
(……やっぱり、怖い)
その不安に心を奪われていたせいで、目の前にいるアレン様の声が、どこか遠くに聞こえてしまう。
何を言っているのか、内容が頭に入ってこなかった。
(……どうしよう)
不安が胸いっぱいに広がりかけた、その時だった。
「……フィオラちゃん、大丈夫?」
ふいに横からかけられた声に振り向くと、そこにはオリバーさんの姿があった。
「難しい顔をしてたから……ラフィン先生がいたの……驚いたよね」
私は無言で頷く。
するとオリバーさんは、ほんのわずかに口元を緩め、囁くように言った。
「大丈夫。ここは王宮だし、アレンも俺もいる。……何があっても、すぐに動けるから」
その言葉に、張り詰めていた心が少しずつ緩んでいくのを感じた。
「……ありがとうございます」
「うん。……せっかくのガーデンパーティーに来てくれてるのに、そんな顔されると、俺の方がちょっと凹むよ」
オリバーさんは肩をすくめ、冗談めかして微笑んだ。
その何気ない仕草に、胸の重さがふっと軽くなる。
「フィオラちゃんは、笑ってる方がずっと可愛いから」
「……ふふっ、そうですか?」
思わず口元に笑みが浮かぶと、オリバーさんは優しく頷いた。
「うん。だから今日は、不安なことは一旦忘れて、ちゃんと楽しんで。……それくらいのわがまま、許されるよ」
その声音に導かれるように、私は自然と微笑んで頷いた。
胸の奥に少しだけ、明るい光が灯った気がした。
* * *
気がつけば、私はアレン様の隣でティーカップを手にしていた。
周囲の視線が自然とこちらへ集まるのを感じて、胸がそわそわと落ち着かない。
(……やっぱり、本当に“婚約者候補の一人”なんだ、私……)
そう意識した途端、背筋がこわばる。
隣にいるアレン様は、学園で見せる気さくな笑顔ではなく、柔らかでありながら威厳を帯びた静かな微笑を浮かべていた。
その堂々とした存在感は、場を自然と引き締めてしまうほどで、そんな人の隣に座っていることが、私には不相応で、ほんの少し居心地が悪かった。
けれど、不意に気配を感じて顔を上げた瞬間。
真紅の瞳が、まっすぐに私を射抜いていた。
「フィオラ、お前……」
その瞬間、息が止まりそうになり、頭が真っ白になる。
「そんな顔を見せられたら……俺も卑怯な人間になりそうだな」
「えっ……」
戸惑う私の頬に、ひやりとした指先がそっと触れる。
熱を帯びた肌にその冷たさが心地よく、同時に、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
「……顔、真っ赤だぞ」
揶揄うような声音。
けれど、その仕草は優しくて、甘くて、思わず心臓が跳ねた。
「もしかして、俺相手に照れてるのか?」
耳の奥で鼓動が暴れる。
慌てて顔を逸らそうとするけれど、その動きを彼の指先が制した。
「隠すなよ。……可愛いから、もっと見ていたくなる」
ドクン、ドクン、と心臓の音が、自分の内側でうるさく響き渡った。
「ア、アレン様……っ」
ようやく声を絞り出した瞬間、彼の指先がすっと離れる。
その代わりに浮かんだのは、悪戯っぽい笑みだった。
「冗談。本気にしたか?」
軽く告げられた一言。
でも、頬に残る熱も、胸の高鳴りも、すぐに消えてはくれない。
(……本当に、ずるい)
そう思っているのに、心の奥はほんの少し、嬉しさで満たされてしまう。
私は動揺を隠すように、そっとティーカップに手を伸ばした。
──けれど、その瞬間。
自分のものではない大きな手が、自然すぎる動作で私の手に重なる。
アレン様の手が私の手を包み込み、そのまま引き寄せられた。
「お前が笑うなら、何度でも冗談を言ってやるよ」
強引に、けれど優しく。
そのまま視線を絡め取られて、逃げ場を失う。
「……か、揶揄わないでください」
やっとの思いで告げた言葉。
アレン様は静かに、しかし確かな光を宿した瞳で微笑んだ。
「揶揄ってるだけなら……俺は、こんな風に見つめたりしない」
本気か冗談か、境界が見えなくなる。
どちらにしても、胸の奥が甘く痺れていくのを止められなかった。
前世で何度も攻略したはずのアレン様。
けれど、今の彼は、ゲームの中より何倍も甘くて、危うくて。
私はただ、その事実に戸惑い続けるしかなかった。
(この流れは……よくない)
ようやく動き出した思考で、私は何とか口を開く。
「す、すみません……少し落ち着きたいので、ここを離れてもいいですか?」
「クッ……少しフィオラには刺激が強かったか。庭園の中なら、自由にしていいぞ」
アレン様は可笑しそうに笑いながら、私の頭を軽く撫でてきた。
その手は、やっぱり優しくて、安心してしまう。
けれど、その優しさに甘えてしまえば、きっともう冷静ではいられなくなる。
胸の奥でざわめく鼓動を誤魔化すように、私は小さく息を吐いた。
それからようやく顔を上げて、丁寧に小さく会釈をする。
そして、名残を振り切るように一歩後ずさり、そっとその場から下がった。
(心臓……爆発するかと思った……)
心臓の高鳴りがまだ収まらない。
落ち着きを求めて、私は庭園の奥へと静かに足を進めた。
陽射しを受けて花々が風に揺れ、その光景は現実離れした美しさで。
けれど、どこか夢のようで掴みどころがなかった。
アレン様の言葉、指先のぬくもり。
あれはどこまでが冗談で、どこまでが本気だったのだろう。
(……あんな風にされたら)
どうしたって、心が揺らいでしまう。
けれど、それは私の選びたい未来ではない──そう思いたいのに。
その時。
「……おや、一人かな? フィオラ君」
背後から、不意にかけられた声。
空気を震わせるその響きに、私はびくりと肩を跳ねさせた。




