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助けてくれるのは、いつもあなた

 



 放課後の中庭。

 夕暮れの風が、ほんのり甘い花の香りを連れて通り抜けていく。


 昨夜の夢のことを誰にも話す気になれず、胸の奥に押し込めたまま。

 シリウスもレオンも、きっと気づいているのだろう。けれど二人は、あえて私が話し出すのを待ってくれているようだった。

 そのことがかえって申し訳なくて、無意識に小さなため息が漏れる。


「フィオラちゃん?」


 不意に声をかけられて振り返ると、中庭の隅にある温室の扉からオリバーさんが姿を現した。

 手にしていた本を静かに閉じ、心配そうな顔でこちらへ歩み寄ってくる。


「……どうしたの? 顔色、少し悪いかも」


 一瞬だけ迷って、それから私は小さく笑って頷いた。


「……少しだけ、お話……してもいいですか」


 その問いに、オリバーさんは穏やかな笑みで静かに頷いた。

 なぜなのか、私は自然と「この人になら話せるかもしれない」と思ってしまった。

 それが彼から滲み出る揺るぎない優しさのせいなのか、攻略対象ではないという安心感からなのか──今は、まだ分からない。



 * * *


 温室の奥。咲き誇る花々に囲まれた木のベンチに並んで腰を下ろすと、あたりは静かな安らぎに包まれた。

 私は膝の上で指先を絡めながら、胸の中に滞っていたものを少しずつ言葉にしていく。


「……昨日の夜、変な夢を見たんです。すごく……怖くて。目が覚めても胸が苦しくて」


 声が震えるのを押さえきれず、ぎゅっと自分の手を握りしめる。


「建物も、空も、何もかもが壊れていて……それを壊したのは、まるで自分みたいで……」


 オリバーさんは驚いた様子も見せず、ただ静かに耳を傾けてくれていた。

 遮らず、否定せず、私の言葉が途切れるまでずっと。


 そして、ひと呼吸おいてから、柔らかな声が降りてきた。


「そっか……怖かったよね」


 たったひと言なのに、その声が胸の奥にすっと染み込んでいく。

 温かくて、優しい声音に、堪えていた涙が今にも零れそうになった。


「夢って、ときどき本当みたいにリアルになるんだ。心が疲れてる時ほど、特にね」


「……そう、なんでしょうか」


「うん。それに……君が全てを壊すようなことをするはずないって、俺はちゃんと知ってる」


 そう言いながら、そっと私の手に触れるぬくもり。

 大きくて、温かくて、包み込むような手。


「たとえ何もかも壊れそうになったとしても、俺が絶対に守るよ。君のことも、君の心も、何もかも」


「……え?」


 顔を上げた瞬間、オリバーさんの真っ直ぐな眼差しと重なって、思わず息を呑む。

 堪えていたものが、胸の奥でぷつりと切れた。


「……っ」


 視界が滲む。必死に堪えてきたのに、もう我慢できなくて。

 熱い涙が頬を伝い、零れ落ちていった。


 オリバーさんは、私が泣いていることにきっと気づいているはず。

 けれど、気づかないふりをして、あくまで穏やかに話し続けてくれる。

 そんな優しさが、余計に涙を止められなくしていた。


「フィオラちゃんって、いつも強がってるでしょ。だから、辛い時くらい、やっぱり俺に頼ってほしい」


 その言葉に、胸の奥がじんわり熱くなって、私はただ小さく頷くことしかできなかった。


「俺、結構頼りになると思うよ。……それに、ずっとフィオラちゃんの味方だって前にも言ったでしょ?」


 心臓がきゅっと縮むように鳴る。

 温かくて、真っ直ぐで、ずるいくらい優しい。


「……オリバーさんって……いつも助けてくれますね」


 思わず口に出した自分の声が、涙で少し震えていた。慌てて袖で目元を拭う。


「だって、ほっとけないよ。君のこと……大切だからね」


 選ぶように紡がれたその言葉に、顔が一気に熱くなる。

 真剣な瞳からその想いが伝わってきて、何も言えなくなってしまう。


「っ……」


 恥ずかしさに俯いてしまい、言葉が出てこない。けれど、逃げたくはなかった。

 だから、彼の優しい言葉に背中を押されるようにして、私はそっと息を吐いた。


「……実は、もう一つ……気になってることがあるんです」


 その言葉に、オリバーさんがほんの少しだけ眉を顰める。

 私は胸の奥に溜め込んでいたものを吐き出すように、ゆっくりと口を開いた。


「……この前、中庭の裏で……ラフィン先生と、カロンが話しているのを、偶然聞いてしまって」


「……ラフィン先生と、カロンが?」


「はい。私のことを話していたんです。“最近、不安定だ”とか、“能力の確認が必要だ”とか……。それでカロンが、“姉さんのためなら、なんでも”って……」


 言葉を継ぐたびに、胸の奥からじわじわと恐怖が蘇ってくる。

 思い出すだけで、背中を這い上がるような冷たい感覚が、喉を締めつけた。

 気づけば、膝の上に置いた手が小刻みに震えている。


「……カロンは昔から優しい子で……でも、最近はどこか怖くて。私、どうしたらいいのか……わからないんです」


 絞り出すように告げた途端、喉の奥が熱くなった。

 また涙が出そうになるのを必死に堪える。


 オリバーさんはすぐには何も言わなかった。

 ただ、静かに伸ばされた手が、私の震える手をぎゅっと包み込む。

 その温もりが、胸の奥に広がっていく。 


 しばし沈黙が落ち、花の揺れる音だけが耳に届いた。

 やがて、オリバーさんはゆっくりと視線を落とし、低く抑えた声で言葉を紡ぐ。


「……ラフィン先生とカロンが、何を考えてるか。俺も気になる」


「……はい」


「正直、あの先生には前から注意してたんだ。理由は説明できないけど……危険な気配を感じる」


 その一言に、胸が大きく跳ねた。

 私が感じていた恐怖を、オリバーさんも同じように感じていたのだ。


「だから、無理に一人で抱え込まないで。俺がいる。フィオラちゃんが怖いと思うものは、俺が一緒に見て、確かめるから」


「……オリバーさん……」


 真剣な瞳と、迷いのない声。

 それはただの優しさじゃなく、確かな“庇護の約束”のように響いた。


「信じて話してくれて、ありがとう。……俺のことを頼ってくれて、嬉しかったよ」


 柔らかい笑みを浮かべながら告げられたその言葉に、胸の奥が熱くなる。

 冷えていた心が、じんわりと温められていく。


「……ありがとうございます。オリバーさんがいてくれて……本当によかったです」


 自然と零れたその言葉は、少し震えていたけれど、確かに心からのものだった。


 それを聞いたオリバーさんは、安心したように小さく頷くと、静かに立ち上がった。

 軽く肩を回し、張り詰めた空気をほぐすようにしてから、改めて私に穏やかな笑みを向ける。


「ラフィン先生のこと、俺なりに探ってみる。王宮と学園、どちらにも出入りしてるから……見えるものがあるかもしれない」


「……でも、そんな危ないこと……」


 咄嗟に言葉が零れた。止めたかった。

 けれど、彼の瞳にはすでに揺るぎない決意が宿っていて、私の声はそこに届かない。


「大丈夫。俺、こう見えて器用だから。……それに、もう君に泣いてほしくない」


 真っ直ぐな眼差しに、思わず息を呑む。

 その瞳に映る想いは、ただ優しいだけじゃなく、確かな強さを帯びていて、心の奥まで響いてきた。


「俺は、フィオラちゃんを守りたいんだ」


 胸の奥で、何かが小さく震えた。

 込み上げてくる感情をどう言葉にすればいいのかわからず、私はただ、そっと頷いた。


「……ありがとうございます。オリバーさん」


「うん。だから、一人でもう無理はしないで。それだけは約束して」


「……はい」


 頷くと、オリバーさんは軽く手を振り、温室を静かに後にした。

 残された空間には、まだ彼の温もりが漂っているようで──ほんの少しだけ、勇気をもらえた気がした。


(ちゃんと、信じて頼っていい人がいるんだ……)


 そう思えただけで、胸の奥の重たさがほんの少し軽くなった気がする。

 でも、それでも──


(カロンとラフィン先生が……もし、本当に何かを企んでるとしたら……?)


 考えたくない。けれど、目を逸らしてはいけない。


(私は“ヒロイン”として向き合わなくちゃいけない。……たとえ、その先がバッドエンドだとしても)


 胸にそっと手を当てると、不安の種はまだ脈打つように残っている。

 けれど今は、それを一人で抱え込んでいるわけではなかった。


 夕焼けの光が温室のガラス越しに差し込み、花々を淡く照らす。

 その色に包まれながら、私は小さく息を吐き、ほんの少しだけ背筋を伸ばした。




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