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優しい檻、優しい鍵

 



 それから数日後の昼休み。

 中庭の木陰で、レオンとシリウスと並んでお弁当を広げていた。

 穏やかな空気に包まれながらも、私は胸の奥に溜めていたものを、つい口にしてしまう。


「……最近、カロンの様子が、ちょっと変なの」


 ぽつりと落とした一言に、ふたりの視線が一斉にこちらへ向いた。


「カロンが? あの無敵な弟が?」


 レオンはサンドイッチをもぐもぐしながら、驚いたように眉を上げる。


 一方、シリウスは手を止めたまま、静かに目を細めていた。

 言葉は発さないけれど、すでに何かを感じ取っているように見えるその表情に、胸が少しざわめいた。


「いつも通りなんだけど……なんというか、“いつも通りすぎる”っていうか。……少し前に、様子が変だったのを見て……それからは逆に、何を考えてるのか全然分からなくなっちゃって」


 自分でもうまく言葉にできない不安を吐き出すように話すと、シリウスが小さく頷いた。


「……フィオラの言いたいこと、分かる気がする」


 静かな声でそう告げると、彼は続けた。


「実は、最近のカロン……前より心が読みにくい。というか、ほとんど何も感じ取れないんだ」


「……え?」


 思わず息を呑む。


「普通、人の感情って無意識に外へ滲む。喜びも恐怖も……少しは伝わってくるんだ。でも今のカロンは、あまりに静かすぎる。まるで、自分の心を意図的に封じ込めてるみたいに」


「うわ……」


 レオンが口を開いた。驚きと困惑が混じった顔で、首を傾げる。


「それ、逆にめっちゃ怖いじゃん……でも、そんなこと出来るもんなのか?」


「カロンの能力(ギフト)は【原状回復】だからね。……もしかしたら、自分自身の精神に作用させて、感情を“無”にしているのかもしれない。あくまで可能性の話だけど」


 淡々と語るシリウスの声に、私は思わず息を呑む。

 隣のレオンも、さすがに笑みを消し、真剣な眼差しを向けてきた。


「そんなことして……大丈夫なのか?」


「どうだろう。……でも、カロンの力は並じゃない。普通の人間なら壊れてもおかしくないことでも、彼なら耐えてしまえるのかもしれない」


 言葉が、胸の奥で重く沈んでいく。

 返したいのに声にならない私を見て、シリウスが柔らかく続けた。


「……今度、カロンに会ったら少しだけ俺の能力(ギフト)を使ってみてもいい? 無理にはしない。でも、何か手掛かりになるかもしれない」


 【読心】の負担がどれほど大きいか、私は誰より知っている。

 だからこそ、本当は頷きたくなかった。

 それでも今は、その提案に縋るしかなかった。小さく、こくりと首を縦に振る。


 すると、場の空気を変えるようにレオンが声を弾ませた。


「よーし! 難しい話は一旦ストップ! とりあえず今はいっぱい食べて元気出そうぜ! な?」


 その明るさに、張りつめていた心がほんの少しだけ緩むのを感じた。

 ほんのひとときの安心に包まれながら、私は昼休みを終えた。



 * * *


 そして、その日の放課後。


 教師に頼まれていたノートを職員室に届けた帰り。廊下の角を曲がったところで、私は思わず足を止めた。

 そこに、まるで待ち伏せしていたかのように、カロンが立っていたからだ。


「……姉さん」


 名前を呼ばれただけなのに、小さく肩が跳ねる。

 カロンの表情は、いつも通りの柔らかな笑顔。けれど、その裏に、やはり危うい何かが潜んでいる気がしてならなかった。


「ど、どうしたの? なにか用事?」


「ううん。ただ……ちょっと気になったことがあって」


 そう言いながら、一歩、また一歩と私に近づいてくる。

 距離が縮まるたび、胸の奥にじわじわと重たい圧がのしかかってくるようで、思わず息を詰めた。


「今日のお昼休み。……レオン先輩やシリウス先輩と、何を話してたの?」


「えっ……あれは、別に……」


 慌てて口を開いたのに、言葉が喉に詰まって続かない。

 そんな私を、カロンは穏やかな笑みを浮かべたまま、真っ直ぐに見つめていた。

 まるで、私の心の奥底を覗き込むかのように。


「別に怒ってないよ。姉さんが誰と話しても自由だから。……でもね」


 ふわりと笑ったその顔に、不思議と無邪気さは感じられず、むしろ背筋を冷やすような恐ろしさがあった。


「もし、“いらない不安”とか、“混乱するようなこと”を聞かされてたなら……僕の能力(ギフト)で、全部なかったことにしてあげるよ?」


 心臓が、ドクン、と大袈裟なくらい跳ねた。


「……え?」


 思わず聞き返すと、カロンは変わらぬ笑顔のまま囁く。


「だって、姉さん、悩んでる顔してたから。僕の能力(ギフト)を使えば、簡単に“元に戻せる”よ。人の気持ちも、状況も──全部」


「……戻すって、例えば何を……?」


 喉が渇くような声で問い返すと、カロンはほんの少し首を傾げ、楽しそうに数え上げていく。


「例えば……ルカとのデートの約束とか。アレン様の婚約候補の話とか。そうだな……シリウス先輩が僕の心を読もうとしてることも、かな?」


 その言葉に、思わず息が止まる。

 優しい声音で語られるひとつひとつが、まるで鋭い刃のように胸へ突き刺さった。


「そういうのって、姉さんには必要ないと思わない?」


 柔らかな笑顔に包まれているのに、どうしてこんなにも冷たく息苦しいんだろう。

 その“優しさ”は檻。甘い響きは、逃げ場を塞ぐ鎖の音にしか聞こえなかった。


「大丈夫だよ。僕が全部、元通りにしてあげるから。……姉さんが何にも困らないように、全部僕が」


 囁きは甘い。けれど、その優しさの奥に潜むものは、明らかに支配だった。

 そして私は悟ってしまった。

 ──私の心はもう、彼を“恐れている”のだと。


 胸の奥を冷たい手で掴まれたような感覚に、呼吸が乱れそうになる。

 でも、ここで怯えを見せたら、きっと駄目。


 私は必死に笑顔を作った。


「……ありがと、カロン。でもね、大丈夫。私は今のままで十分だから」


 声が震えないように、精一杯明るく言い切る。

 その瞬間、カロンの瞳がほんの一瞬だけ細く揺れた。


「……そう。姉さんがそう言うなら」


 表情はすぐに、いつもの優しい笑顔へ戻る。

 だけど、笑顔の奥で何を考えているのかは、どうしても読み取れなかった。


「じゃあ、もう帰ろう」


 カロンはそれ以上追及せず、まるで最初から何もなかったかのように歩き出した。

 私は頷いてその背を追うふりをしながら、強張った笑顔の裏で、心臓の鼓動が早鐘のように鳴っているのを必死に誤魔化す。


(……今は、とにかく、カロンから離れて落ち着きたい)


 そう心で呟き、廊下の途中で「今日、少し寄り道するから先に帰ってて」とだけ声をかけてカロンと別れた。


 足が自然と向かったのは、学園の中庭。

 夕暮れの色に染まるベンチに腰を下ろすと、空は淡い橙色に溶け、風は静かに木々を揺らしていた。

 夕陽に照らされた緑の匂いに包まれると、ようやく張りつめていた息が、かすかに吐き出せた。


 けれど、心は休まらない。

 頭の奥では、カロンの声が何度も何度も反響していた。


『もし、“いらない不安”とか、“混乱するようなこと”を聞かされてたなら……僕の能力(ギフト)で、全部なかったことにしてあげるよ?』


 あの響きは、耳に残るほど優しい。

 なのにどうして、あんなにも冷たく、恐ろしく感じてしまったのだろう。


 そのときだった。


「……フィオラちゃん?」


 不意に、静かな声が背後から届いた。

 振り返った視線の先にいたのは──オリバーさんだった。


 夕陽に照らされた中庭に立つオリバーさんは、いつもの柔らかな笑みを浮かべていた。

 けれどその微笑みの奥には、どこか真剣な空気が宿っているように見えた。


「たまたまここを通ったら……フィオラちゃん、少し元気がないように見えてね。何かあった?」


 胸の奥をそっと撫でられるような声音に、思わず言葉を飲み込む。

 一瞬だけ迷った末、私は頑張って笑顔を作ってみせた。


「……はい、ちょっとだけ。いろいろあって」


「そっか……」


 オリバーさんは、すぐにそれ以上問い詰めたりはしなかった。

 ただ静かに私を見つめ、やわらかな声で続ける。


「無理に話さなくてもいいよ。でも、何かあった時には頼って。俺は、君の味方だから」


 その言葉は胸に沁みて、じんわりと温かさが広がっていく。

 ……けれど、それだけではなかった。

 まるで心の奥を見透かすような鋭さが、その眼差しの奥に確かに潜んでいた。


(……もしかして、何か気づいてる?)


 カロンの変化も、私の不安も。

 けれど、簡単に口に出せることではなくて、私はただ、視線を伏せるしかなかった。

 そんな私に対して、オリバーさんはただ優しく微笑み、静かに言葉を紡いだ。


「……あまり、一人で抱えないで。君が困った時は、必ず助けるから」


 その声音は穏やかなのに、騎士の誓いのように揺るぎない強さを帯びていた。

 まるで、私のためだけの護衛騎士みたいに。


「オリバーさん……」


 名前を呼ぶ声が、自然と震えてしまう。


「こんなこと言ったのは、誰にも内緒だよ。『お前はアレンの専属護衛だろ』って怒られちゃうからさ」


 少し照れくさそうに冗談めかして言うオリバーさん。

 普段なら口にしなさそうな軽口に、思わずふっと笑みがこぼれた。

 その気遣いが、張りつめていた心をほんの少し和らげてくれる。


 けれど次の一言は、どこか含みを持たせるように低く落ちた。


「でも、本当に俺が本気を出せば……色々、変えられるから。安心して」


 それは仄めかし。

 オリバーさんが持つ特別な能力(ギフト)を、遠回しに示す言葉。


(本当に、私を守ってくれるのかもしれない)


 心に浮かんだのは、恐怖の闇を少しだけ切り裂く光のような感覚だった。

 私は小さく頷いて、微かな声で言葉を返した。


「……ありがとうございます」


 胸の奥に渦巻く不安のただ中で、ほんの少しだけ希望の光が差した気がした。


 オリバーさんはそれ以上何も言わず、ただ穏やかに微笑んでいた。

 夕陽に照らされたその横顔は、揺らがぬ強さと静かな優しさを兼ね備えていて、思わず目を奪われてしまう。


 ──その笑顔を信じていいのだと、今だけは思いたかった。




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