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弟の憂鬱と、王子様の提案

 



 ──それは、ルカくんとの“デートの約束”から数日後のことだった。


 朝の登校時、校門をくぐった瞬間から、妙な気配を感じていた。


(……ん? なんだか、見られてるような……?)


 これまでもカロンと一緒にいる時は、よく視線を集めていた。

 けれど、その注目はいつもカロンに向けられたものだった。

 今は違う。

 突き刺さるような視線が、確かに“私自身”へと注がれているのが分かる。


 すれ違う生徒たちが、ちらちらとこちらを振り返る。

 そして、わざとらしく口元を隠して、ひそひそと囁き合う。


「フィオラさんって……」

「ルカくんと……デート……」

「やっぱり特別……」


(フィオラ……ルカくん……デート……特別……まさか……)


 耳に入る断片的な言葉を繋ぎ合わせれば、何について話しているかはすぐにわかった。

 噂はもう、広まってしまっている。


 恐るべし、学園の拡散速度。

 心臓がひやりと冷える。


「……結構広まってるみたいだよ。姉さんとルカの“デート”のこと」


 わざと強調するように「デート」と口にしたその響きに、思わず息を呑む。

 慌てて振り返ると、カロンは落ち着いた表情のままこちらを見ていた。


「そ、そんな……!」


 足が止まりかけた私の腕を、カロンがそっと引いて歩かせる。

 その仕草が優しいだけに、胸の奥がぎゅっとなる。


「実はここ数日、よく聞かれるんだ。“姉さんとルカが付き合ってるのか?”って」


「えっ! う、うそ……! そんな……! あれはただの、お祝いの約束で……!」


 思わず声を上げてしまう。

 そんなふうに噂されていることを知らなかった私は、カロンに余計な心配をさせてしまったと申し訳なくなり、すぐに「ごめんね」と謝った。


 するとカロンは、いつもの穏やかな笑みを浮かべながら静かに言う。


「うん、わかってるよ。……僕は、ね」


 口調は柔らかい。

 けれど、その言葉の奥に、じんわりと熱を帯びた不機嫌さが滲んでいる気がして──胸の奥がひやりと震えた。


(カロン……もしかして、怒ってる?)


 カロンとの間に、今まで感じたことのない気まずい沈黙が流れていた。

 そのときだった。


「おはよう! 先輩! カロン!」


 ストロベリーブロンドの髪をふわりと揺らしながら、ルカくんが元気よく駆け寄ってきた。


「……おはよう、ルカくん」


 少しぎこちなく返した私に、ルカくんはニッコリと笑って、ぴょんっと腕に抱きついてくる。


「今日も可愛いね、先輩!」


 その一言に、周囲の視線が一斉にこちらへ向いた気がした。

 ひそひそと囁く声が、ざわざわと空気を揺らす。


(……また、噂が広がる……!)


 焦る私とは対照的に、ルカくんは全く気にしていないようで、むしろ楽しげに続ける。


「ふふっ。僕たちの噂が、学園中に広まってるって思うと……なんかドキドキするかも!」


「ちょ、ちょっと、ルカくん……!」


 慌てて離れようとする私の様子を見て、ルカくんはわざとらしいくらい楽しそうに笑い、さらに身を寄せてくる。

 彼のキラキラした笑顔は無邪気にしか見えないはずなのに、その奥に潜むものを、私は一瞬だけ読み取ってしまった気がした。


 そして次の瞬間。


「……ルカ」


 低く抑えたカロンの声が、鋭く空気を切り裂いた。

 その声音は、優しい弟のものではなく……私ですら聞いたことのない冷たさを帯びていた。


「なに?」


 ルカくんが小首を傾げ、無邪気に見せかけた笑みを浮かべる。


「……わざわざ、毎回抱きつく必要ある?」


 低く投げかけられたカロンの声は、淡々としているのに鋭さを帯びていた。


「えっ、もしかして嫉妬? へえ、カロンにも可愛いところがあるんだね?」


 ルカくんはわざと挑発するように笑い、さらに腕の力を強める。


「ふざけないで。……姉さんが困ってるのが分からないの?」


「困らせてるのはそっちでしょ。いつもいつも、フィオラ先輩にベッタリくっついて……弟なら、少しは距離置いたら?」


「──ルカ」


 カロンの低い声が落ちた瞬間、空気が一気に張り詰めた。

 冗談の延長には見えない。今にも火花が散りそうな気配に、思わず私は両手を広げる。


「や、やめて……お願い、二人とも! 落ち着いてっ」


 必死に声をかけても、二人の視線は絡み合ったまま。

 私の存在すら薄れてしまったようで、胸がぎゅっと締め付けられる。


(な、なにこれ……これじゃ、乙女ゲームの修羅場イベントだよ……)


 ──その時だった。


「いやあ、朝からずいぶん熱のこもった討論だな。青春だねえ」


 場の緊張をあっさりと断ち切るような、どこか楽しげな声。

 振り返れば、陽光を背に受けたアレン様が歩み寄ってきていた。

 彼の隣にはもちろん、オリバーさんもいる。


「ア、アレン様……!」


「ふたりとも、見物してる周りを凍らせるには迫力十分だったぞ? ……でも、そろそろやめとけ」


 軽口のように聞こえるのに、赤い瞳には柔らかさと同時に圧が宿っている。

 その視線に射抜かれ、ルカとカロンはどちらも言葉を飲み込んだ。


(……さすが、未来の国王陛下。この場を一瞬で収めちゃうなんて……)


 張り詰めた空気が少しずつ解け、私は胸の奥で大きく息をついた。


「おはよう、フィオラ」


 にやりと笑ったアレン様が、わざとらしく肩をすくめる。


「まさかお前が“恋愛の噂”で学園中を騒がせる日が来るとはなぁ。……俺、正直ちょっとショックなんだけど?」


「な、なに言ってるんですか! アレン様までそんな……!」


 顔が一気に熱くなる。

 けれどアレン様は、ふうっと大げさにため息をついてみせた。


「だって困るだろ? “俺の婚約者候補”が、他の生徒といい感じ……なんて話が王宮で流れたらさ」


「……えっ? ……今、なんて……?」


 鼓膜に届いた単語が頭の中でぐるぐる回る。

 “婚約者候補”──?


 心臓が大きく跳ね、周囲の空気までも一瞬で凍りついた気がした。

 問い返す私に、アレン様は面白そうに目を細めた。


「何って、言葉のまんまだよ。お前は“俺の婚約者候補”。……知らなかったのか?」


「し、知りません……! じょ、冗談はやめてください!」


「いや、冗談じゃなくてガチだって」


 アレン様は笑いながらも、どこか本気の響きを混ぜてくる。


「親同士の話だから本人には伝わってなかったのか。……いや、それちょっとひどくない? 俺、結構ショックだな」


「しょ、ショックって……!」


「だって俺は、前から知ってたんだよ。“フィオラが将来の王妃候補の一人だ”って。俺が決めたわけじゃないけど……悪い話じゃないと思ってた」


「そ、そんな……」


 心臓の音がうるさく響いて、息が詰まりそうになる。

 ルカくんとの噂、さっきの言い合い、そしてアレン様の爆弾発言。


 ──どれもゲームでは見たことのない情報ばかり。

 頭の中がグラグラと揺さぶられる。


(……これって、私がアレン様のルートに入りかけてるってこと……? でも、彼とは必要最低限でしか関わっていなかったはずなのに……)


 そんな考えが頭をよぎったとき、ふと隣に視線を向けた。


 そこにあったのは、感情を隠すように硬く閉ざされたカロンの横顔。

 けれど、その瞳だけは曇りなく、冷たさを帯びてまっすぐにアレン様を射抜いていた。


「……それ、今ここで言う必要ありました?」


 カロンの声は落ち着いているのに、奥底にじわりと熱を帯びていた。


「さあな?」


 アレン様は軽く肩をすくめ、整った唇に余裕の笑みを浮かべる。

 試すような、挑発するようなその態度に、空気が一瞬ピリッと張り詰めた。


 そして、アレン様は隣に立つオリバーさんへと視線を移す。


「お前はどう思う? オリバー」


 呼ばれたオリバーさんは、わずかに目を細め、言葉を選ぶように静かに口を開いた。


「……アレンの言い方は乱暴だけど、婚約者候補であることをフィオラちゃん自身が知らないのは、よくないと思う。

 本当のことなら、ちゃんと伝わっていた方がいい」


 その声音はあくまで穏やかで優しい。けれど、確かに正しさを宿していた。


(どうして……こんな大事なことを、今、知ることになるんだろう……)


 反応を確かめるように、カロンが静かに私を見つめる。


「……本当に、知らなかったんだ。姉さん」


「うん……全然……」


 声に力が入らないまま、正直に答えると、カロンの瞳にほんの一瞬だけ陰りが差した気がした。


「まあまあ、この話はこれくらいにしよう」


 オリバーさんが、空気を和らげるように軽く笑みを浮かべて口を挟んだ。


「アレンも、あんまりフィオラちゃんを揶揄うなよ」


「俺は事実を伝えただけだ」


 アレン様は軽く笑みを深め、赤い瞳をきらりと光らせた。次の瞬間、その口角がわずかに上がる。

 ──その表情は、イタズラを思いついた少年のもの。けれど、彼の場合はただの冗談で終わらない。


「そうだ……いいことを思いついた」


 胸の奥で嫌な予感が鐘のように鳴る。


「こんなに“デートの噂”が広まってるんだ。なら、俺たち全員で出かけるって訂正した方がいいんじゃないか? 俺としても、“婚約者候補”がいることを王宮でちゃんと示しておくのも悪くないし」


「えっと……そ、それって……どういう……」


  思わず後ずさりしそうになる。けれど、アレン様の瞳は私を捉えたまま、微動だにしない。

 冗談のような口ぶりなのに、冗談では済まされない気迫がそこにはあった。


「今度の休みに、みんなで王宮に来いよ。ここにいないレオンやシリウスも一緒にな」


 さらりと言い放つ声は、断る余地を与えない。


「うん、歓迎するよ。王宮の庭園もちょうど見頃だしね」


 隣でオリバーさんがいつもの穏やかな調子で続ける。優しい響きなのに、その言葉もまた、逃げ道を塞いでいくように感じられた。


 気づけば、二人の流れに自然と巻き込まれている。


(……また、知らない“イベント”が始まるってこと……!?)


 胸の奥で、確信にも似た不安がざわりと広がっていった。


「え、これ本気ですか?」


 さすがのカロンも、この急展開には目を見開いて戸惑っていた。


 そんなカロンの頭に大きな手を置きながら、アレン様は楽しげに唇を吊り上げる。


「決まり。詳細はまた知らせる。みんな、楽しみにしてろよ」


 王子らしい堂々たる言葉。その場の空気を一瞬で支配する力に、誰も逆らえない。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 約束した時は二人きりだったんだよ!? 先輩との初デートが……!」


 ルカくんが不満そうに声を上げる。けれど、アレン様にはその声さえ軽く流されてしまう。


 私はといえば──ただ頭を抱えることしかできなかった。


(どうしよう……ルカくんだけじゃなくて、アレン様まで……)


 次々に押し寄せる出来事に、思考が追いつかない。


 ──まるで「恋愛しないなんて許さない」と、どこかの神様にいたずらを仕掛けられているみたいに。

 気づかないうちに、誰かが敷いたレールの上に足を乗せさせられていた。


 そんな感覚が、胸の奥をじわじわと満たしていくのだった。



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