ルカくんのお願いタイム
──馬術大会の翌週。
放課後の学園の小道は、柔らかな風に木々を揺らし、どこか穏やかな時間が流れていた。
私はレオンとシリウスと並んで歩きながら、その空気を胸いっぱいに吸い込む。
「にしてもさー、俺、あの時はほんっとカッコよかったと思うんだよな! 馬と完全に一体になってたっていうか!」
「……それ、自分で言っちゃうんだ」
レオンの自画自賛に、シリウスが淡々と突っ込む。
いつも通りのやり取りに、思わずクスッと笑みがこぼれた、その瞬間――
「フィ・オ・ラ・せ・ん・ぱ〜い!」
明るく甘い声が、穏やかな空気を切り裂くように響き渡った。
「っ?!」
風を切って飛び込んできたのは、ストロベリーブロンドの髪をふわりと揺らしたルカくん。
反応する間もなく、甘い香りとともに、その小柄な身体が勢いよく私に抱きついてきた。
「先輩、全然見かけないから寂しかった〜!」
そう言いながら、さらにぎゅうっと抱きつかれる。
華奢に見えるのに、その力は意外と強くて、ちゃんと彼も“男の子”なんだと実感させられる。
「ちょ、ちょっと……ルカくん、人目もあるし……」
慌てて腕の中から抜けようとするけれど、彼はまるで子猫みたいにしがみついて離れない。
そんな私の横で、レオンが笑い混じりに声をかけてきた。
「よっ、ルカ! 相変わらず元気だなー! てか、そのテンション、俺にも分けてほしいくらいだよ」
「……あ、レオン先輩もいたんだ」
ルカくんはちらりとレオンを見やると、まるで興味がないと言わんばかりにすぐ視線を逸らす。
「シリウス先輩、こんにちは」
「……やあ」
あからさまに違うトーンの挨拶。シリウスはわずかに瞬きをして、少し驚いたような表情を見せた。
(……でも、挨拶するようになっただけ、成長かな?)
そう思った矢先、ルカくんは再び私にピタリとくっつき、上目遣いでにやりと笑った。
その笑みは、甘える子供のようでいて、どこか計算高さを秘めているようにも見えた。
「ねぇ、先輩。実はお願いがあって」
『お願い……?』
「うん。僕さ、馬術大会で一位になったでしょ? だから、ご褒美に――」
抱きしめていた力をすっと緩めると、ルカくんはわざと間を置いて、つぶらな瞳でじっと私を見上げてくる。
「先輩と、デートしたいって思って」
『で、デート!?』
心臓が飛び跳ねるような衝撃に、思わず声が裏返った。
その一部始終をしっかり見ていたレオンが、すかさず大げさに反応する。
「うわ、出た! ストレート爆弾! おいおいルカ、それを俺たちの前で言うか? ……ていうか、フィオラが困ってるだろ!」
「困らせてないよ? ね、先輩?」
ルカくんは小首を傾げ、わざとらしいくらいに上目遣いで覗き込んでくる。
その仕草は可愛いのに、逃げ場を与えない。
(な、なんでそんな顔するの……断りづらすぎる!)
レオンには視線すら向けないまま、ルカくんの意識はただ一点、私にだけ注がれていた。
シリウスもその様子をじっと見ていた。けれど、ルカくんは彼と目が合った瞬間、まるで拒むように静かに視線を逸らす。
それは「あなたは関係ない」とでも言いたげだった。
『……じゃあ、前みたいにお茶するくらいならいいよ。でも、急に抱きついたりするのはやめてね?』
釘を刺すようにそう告げると、ルカくんの顔がパッと花のように明るくなった。
「やった! 先輩、大好きっ!」
そのまま再び飛びつくように抱きついてくる。
甘えてじゃれ合っているだけ、そう見えるはずだった。
けれど次の瞬間。
私の肩に顔を預けたまま、ルカくんの口元の笑みがすっと形を変える。
小悪魔のような無邪気さが消え、静かに、ただまっすぐな色へ。
すぐ近く。私にだけ届くように落とされた声は、低く甘い響きを帯びていた。
「……楽しみだね、先輩」
その声音には、可愛さも冗談もなかった。
本気の色だけが滲んでいて――息を呑むほど近い距離に、心臓が大きく跳ね上がった。
(……ま、間違えたかも)
可愛い年下の男の子だからって、無意識に線を引いて安心していた。
でも、やっぱりルカくんも“攻略対象”の一人なのだと、今ので嫌でも実感させられる。
ギャップに戸惑っている私をよそに、ルカくんは何事もなかったかのように顔を上げた。
そして、すぐにあざといくらいに愛らしい、いつものキラキラとした笑顔に戻っていた。
「じゃ、またねっ!」
軽やかに手を振り、風のように去っていく小さな背中。
まるで、さっきの声も、あの真剣な眼差しも、全部が幻だったかのように。
「……なんか、さっきのルカ、ちょっと雰囲気違わなかった?」
ルカくんの姿が見えなくなると隣で、レオンがぽつりと呟いた。
普段はどちらかといえば鈍感なくせに、こういう時だけ妙に勘が鋭い。
「そ、そうだった……かな?」
どう答えていいかわからず、曖昧に笑って誤魔化す。
でも胸の奥では、あの低く甘い声がまだ残っていて、思い出すだけで頬が熱くなりそうだった。
「……ルカ、フィオラのことを“独り占めしたい”って思ってるみたいだった」
静かな声で言ったのはシリウスだった。
心の奥をそのまま映し出すような言葉に、私は思わず肩を震わせる。
(それって……もしかして、私の知らないうちにルカくんの好感度が上がってる……?)
そんなはずないと否定したいのに、嫌な予感だけが胸にまとわりついた。
しばらく沈黙が流れたあと、レオンがぱっと明るい声を上げた。
「ま、それよりさ! 帰りにどこか寄ってこうぜ! 馬術大会のお疲れ会! 甘いもんでも食べてさ!」
唐突で無邪気な提案に、胸の奥の重さがふっと和らぐ。
私は小さく笑って頷いた。
「……うん、そうだね」
「じゃあ、今日はフィオラの好きな店に行こう」
隣でシリウスが静かに言う。
その一言には、不器用な気遣いが滲んでいて、胸の奥がじんわりと温かくなった。
(ルカくんのことは、あとでゆっくり考えよう……)
そう自分に言い聞かせながらも、胸の奥に広がる予感は消えてくれなかった。
きっとこのままではノーマルエンドには辿り着けない。
まるで私の意思とは別のルートに、少しずつ足を踏み入れているようで──ほんの少し、怖かった。