馬術大会はドキドキのはじまり!? 3
馬術場に戻ると、真っ先にレオンが駆け寄ってきた。
「フィオラ! どこ行ってたんだよ! やけに遅いから心配して探したんだぞ!」
その表情は、まるで迷子の妹を見つけた兄のようでで。
思わず胸の奥に申し訳なさがこみ上げる。
「ごめんなさい。ちょっと休んでて……戻るのが遅くなっちゃった」
「……まあ、無事ならいいけど。ほんと、心配したんだからな」
レオンはふっと笑って、安心したように肩の力を抜いた。
その笑顔が眩しくて、嘘をついていることに胸が少しだけ痛んだ。
続いて、少し離れたところでじっと私を見ていたシリウスが、ゆっくりと口を開く。
「……何か、あった?」
低いその声には、ほんのわずかに含みがある。
もしかしたら、私の心の“揺らぎ”が、彼に伝わってしまったのかもしれない。
「本当に、ちょっと休んでただけだよ」
誤魔化せるかはわからない。けれど、精一杯平静を装ってそう答えた。
シリウスはわずかに眉を寄せたが、それ以上は何も言わなかった。
──あえて、踏み込まないでいてくれている。
そう感じられて、胸の奥が少しだけ温かくなった。
けれど、その空気を切るように、別の声が響いた。
「飲み物取りに行っただけって聞いてたのに、先輩、なかなか戻ってこないから……」
頬をぷくっと膨らませたルカくんが、小走りでこちらに駆け寄ってきた。大きな黄緑の瞳は、ほんのり潤んでいた。
「……よかった、無事で」
「ごめんね、ルカくん」
謝りながら慌ててその頭を撫でると、彼はまだ少し不満そうに眉を寄せながらも、気持ちよさそうに目を細めた。
その隣で、静かに私を見つめていたカロンが、そっと一歩踏み出す。
「……姉さん。本当に、大丈夫?」
「うん。ちょっと疲れちゃっただけ。でも、もう平気だよ」
そう伝えると、カロンはようやく安堵したように、細めた瞳で微笑んだ。
その表情がどこか幼い頃の面影を残していて、どこか懐かしくなる。
すると、そこにアレン様が、少し慌ただしい足取りで現れた。
「おい、フィオラ。顔色悪いって聞いたけど、本当か?」
鋭いはずの赤い瞳が、今はただ真っ直ぐに私を心配そうに射抜く。
おそらく……オリバーさんが報告してくれたのだろう。けれど、ラフィン先生のことについては一言も触れてこない。ちゃんと“内緒”にしてくれたのだと分かって、ホッと息をついた。
「ご心配をおかけしてすみません。緊張が抜けたら、一気に疲れがきてしまって……」
そう伝えると、アレン様はふっと長い息を吐き、わずかに口元を緩めた。
「……そうか。まあ、思ったより元気そうで安心した」
「えっ?」
その素直すぎる言葉に驚き、思わず間の抜けた声が漏れる。
「お前……俺を何だと思ってんだよ」
アレン様は少し頬をかきながら、気恥ずかしそうに目を逸らす。
「フィオラはいつも無理して突っ走る癖があるから。……普通に心配になるんだよ」
その言い方は、いつもの堂々とした王子様らしさとは違って、どこか年相応で。
思わず、クスッと笑ってしまった。
「……笑うなよ。 一応、俺なりの優しさってやつなんだよ」
赤い瞳を少し泳がせながら抗議するその姿が可笑しくて、また笑いが溢れる。
気づけば、さっきまで胸を占めていた不安が、ほんの少し遠ざかっていた。
──そんな和やかな空気の中。
「……あれ? みんな、ここに集まってたんだね」
柔らかな声に振り返ると、オリバーさんが歩いてくるところだった。
さっきまで私のそばにいたのに、まるで“今来たばかり”の顔をして。
ふと視線が合うと、彼は「大丈夫、内緒にしておくよ」とでも言うように、爽やかに微笑んでくれる。
「そろそろ、競技の表彰式が始まるみたいだよ」
「思ったより終わるの早かったな! 俺、もう一回やってもいい!」
元気いっぱいにレオンが声を上げる。
「……勘弁して。そんな余裕あるのは体力馬鹿だけだよ」
「おい! しれっと悪口言うな!」
シリウスの冷静なぼやきにレオンが慌てて抗議する。
そのやり取りに、周りのみんなが思わず笑って、張りつめていた空気がすっかり和らいでいった。
やがて場内から表彰式を告げる声が響き、視線が自然と中央の表彰台へと向かう。
「……フィオラちゃん、行こうか」
オリバーさんが私に手を差し出してくれる。
「はい」
その手を取ると、温もりが掌に広がった。
私はほんの少し安心しながら、みんなの少し後ろを並んで歩き出した。
* * *
午後の陽射しが、馬術場全体をやわらかい金色に染めていた。
観客席には生徒や保護者たちのざわめきが広がり、場の空気は華やかで少しだけ緊張感を帯びている。
やがて司会者の声が高らかに響き渡り、表彰式が始まった。
学年ごとの入賞者たちが次々と名前を呼ばれ、拍手に包まれながら表彰台へと上がっていく。
「一年男子の部、第一位──ルカ・バイエル」
「やった! ありがと!」
名前を呼ばれたルカくんは、弾むように駆け上がり、片手を大きく振って笑顔を振りまいた。
その姿に、会場からは一段と大きな歓声と拍手が沸き起こる。
まるで舞台に立つアイドルのように、彼の存在が光を集めていた。
「第二位──カロン・ノイアー」
続いて呼ばれたカロンは、落ち着いた足取りで表彰台へと向かう。
深く一礼して賞状を受け取ると、その仕草には年齢以上の気品が宿っていて、自然と拍手が重なった。
表情は変わらないのに、その横顔はどこか誇らしげで、弟の成長を目にしたようで、胸の奥がじんと温かくなる。
その余韻に浸る間もなく、司会者の朗々とした声が次の部門を告げた。
「二年男子の部──第一位。レオン・ヴァオラ!」
「よっしゃー! やったぁ!」
元気いっぱいの声が響き渡り、レオンは飛び跳ねるように表彰台へ駆け上がった。
勢いよく片手を掲げると、観客席からも大きな拍手と笑い声が沸き起こる。
その明るさは、まるで会場全体の空気まで照らす太陽のようで、見ているだけで自然と頬が緩んでしまった。
「第二位──シリウス・アーヴィン!」
「……ありがとうございます」
呼ばれたシリウスは、落ち着いた足取りで壇上に上がり、深々と頭を下げてから賞状を受け取った。
凛としたその姿に、会場の女子生徒たちから小さな歓声が上がる。
けれど、彼自身はそれを避けるように、どこか遠くに視線を逸らしていた。
(……相変わらずだな、シリウスは。華やかな舞台でも、誰より静かで誠実)
そんな風に思っていると、司会者の声が再び響いた。
「三年男子の部──第一位、アレン・ヴェンツェベルク!」
「ありがとう」
赤い瞳に光を宿し、堂々と壇上に立つアレン様。
その存在感だけで、会場の空気が一段と引き締まる。
表彰台の上から、ふとこちらに視線を送ってきたのを感じて、思わず心臓が跳ねた。
(……なっ、なんでこっち見てるの?! やめて、今は注目されたくないのに!)
慌てて視線を逸らした瞬間、次の名が告げられる。
「第二位──オリバー・クライン!」
「恐縮です」
オリバーさんは穏やかな笑みを浮かべながら軽く手を振り、その柔らかな仕草に女子生徒たちの黄色い歓声が一斉に上がった。
騎士でありながら、王子様のような人気ぶり。アレン様の隣に並んでいても、決して見劣りしない華やかさがそこにあった。
──そんな二人の姿を見ながら、ふと胸の奥で小さな感情が芽生える。
無事に終えた競技。掲示板に載った自分の順位は、真ん中あたり。
少しだけ悔しい気持ちもある。けれど……どこかで、安堵している自分がいた。
「……さすが、攻略対象キャラと人気サブキャラ……」
気づけば、そんな言葉が小さく口から漏れていた。
ゲーム内では、ルートごとに決まった見せ場が用意されていた馬術大会。
けれど現実では、誰か一人ではなく、みんながそれぞれの場で輝いている。
私はただ、その瞬間を隣で見守れることが嬉しかった。
「フィオラ!」
声に顔を上げると、メダルを手にしたレオンが勢いよく駆け寄ってくる。
汗に濡れたオレンジ色の髪が夕陽にきらめき、その笑顔は太陽のように眩しい。
「見た? 俺、一位だったんだ! あとで感想、ちゃんと聞かせてよ!」
「うん、もちろん。レオン、本当におめでとう!」
そう伝えると、レオンは子どものように嬉しそうに頷いた。
その背後で、シリウスがゆっくりと歩み寄ってくる。
「シリウスもおめでとう!」
「……この歳でメダルをもらって喜べるのは、レオンくらいだよ」
淡々とそう言いながら、シリウスは隣のレオンを横目で見やる。
「メ、メダルはいくつになっても嬉しいだろ! なっ?! フィオラ!」
「ふふっ、そうだね」
思わず笑いながら頷くと、二人のやり取りが心地よく胸に響いた。
ふと空を仰ぐと、夕暮れの光が馬術場を淡く染め、空気を優しく包み込んでいる。
まるで「お疲れさま」と囁かれているみたいな、あたたかな色。
(──だけど、本当の“ドキドキ”は、まだこれから)
そんな予感を胸に抱きながら。
私は仲間たちと肩を並べ、ゆっくりと歩き出した。
こうして、学園の馬術大会は静かに幕を下ろしたのだった。