表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/49

優しさの目印




 攻略対象全員と接触したティータイムから、驚くほど平穏な日々が続いていた。


 レオンとシリウスは変わらず自然に接してくれて、ルカくんもカロンといる時くらいしか会わない。

 アレン様やオリバーさんとは、あの日以来まだ顔を合わせていない。


 ラフィン先生も特に接触してこない。……だから、あの不穏さも少しずつ薄れてきていた。


 ――なのに、私の胸の奥はどこか落ち着かなかった。


(だって……もうすぐ【馬術大会】があるから!!)


 乙女ゲームでは、学園イベント=フラグ乱立イベント。

 そして馬術大会は、間違いなくその“最初の山場”なのだ。


 バッドエンドに突入する確率が高いのも、この大会だった。


 攻略対象との関係が不安定だと、嫉妬、事故、陰謀……さまざまなトラブルが起きて命さえ脅かされる。

 前世の私は、アレン、ルカ、レオンのルートでしか、このイベントを無事に乗り越えられなかった。


「……でも、大丈夫。私は誰のルートにも入ってない。だから、バッドエンドにはならないはず……」


 自分に言い聞かせるように呟いた声が、誰もいない図書室に静かに溶けていく。

 放課後の静寂と紙の匂いに包まれたこの場所だけが、最近の私にとって唯一の安らぎだった。


 ──けれど。


「……そうやって無理に言い聞かせても、あんまり意味ないと思うけど」


 背後から不意に落ちた低い声に、小さく肩が跳ねた。


 振り返ると、いつの間にかシリウスが立っていた。

 本棚の影から現れた彼は、静かにこちらを見つめている。

 感情の見えない無表情の奥で、水面のように何かが揺れていた。


「シリウス……どうしてここに?」


「フィオラがここにいると思ったから」


 迷いのない声でそう答えると、彼は音もなく私の向かいの席に腰を下ろした。

 長い指がテーブルをなぞり、その先に置かれた開きっぱなしの本へと視線を落とす。


「……今日の君、少しだけいつもと違った。心が波立ってた」


 胸の奥を射抜かれたようで、私は息をのむ。


「……能力を使ったの?」


 思わず問いかけると、シリウスは静かに首を横に振った。

 黒髪がさらりと揺れて、淡い光を帯びたオッドアイが真っすぐに私を見つめる。


「使ってない。いや、使いたくない。……フィオラにだけは」


 囁くような声なのに、心臓の奥がぎゅっと掴まれる。

 図書室の静けさに、彼の言葉だけが強く響いた。



 ──1年生の頃、シリウスが小さく打ち明けてくれたことを思い出す。


「俺の能力は“他人の心を読む”こと。でも、相手の感情が強すぎると、自分に反動がくる。だから、あまり使いたくない」


 その時の彼は、ほんの少しだけ笑ってこう言った。


「君は自分の言葉でちゃんと話してくれるから、心を読まなくても心地いい」


 その言葉がずっと胸に残っている。

 だからこそ今の「私にだけは使いたくない」という言葉が、なおさら特別に響いたのだった。



「じゃあ……どうして気づいたの?」


「君の気持ちって、空気に滲むから。いつもは澄んでるのに、今日は少しだけ、濁ってた」


 その言葉に、思わず俯いた。開きっぱなしの本のページを指先でなぞりながら、ぽつりと吐き出す。


「……実は、少し怖くて。馬術大会、何が起こるか分からないから」


 沈黙が落ちるかと思った瞬間、低い声が続いた。


「……何が起きても、俺がいる。君が困ったときは、必ず力になるよ」


 その一言は、水面に落ちた雫のようだった。

 静かに、でも確かに、胸の奥へと染み込んでいく。


 シリウスは少しだけ視線を逸らし、何かを探すように短い沈黙を置いてから、ゆっくりと口を開いた。


「たとえば、君の足元が崩れそうになったとき。君がそれに気づけなくても、俺が見てるから。必ず、手を伸ばす」


「……うん」


 短く返しながら、私は気づかないふりをした。

 ほんの少し、頬が熱くなっていることに。


 沈黙を破るように、シリウスが懐から細い羽根飾りを取り出す。光を受けて淡く揺れるそれを、本の間にそっと挟み込んだ。


「これは、ただの栞。でも目印になると思って。……どれだけ先に進んでも、もしここに戻りたくなったら、迷わないように」


 彼の不器用な優しさに、思わずふっと笑みが零れる。


「……ありがとう、シリウス」


 栞を指先で撫でながら、胸の奥がじんわり温かくなる。


 ──このまま、ほんの少しでいい。時間が止まってくれたらいいのに。


 そう願った、その瞬間。


「フィオラーっ! あっ、いたいたー!」


 空気が一変するように、図書室の扉が元気よく開いた。

 響いた声に振り向くと、満面の笑みを浮かべたレオンがこちらに駆けてくる。


「レ、レオン!? ここ、図書室……!」


「わかってるって! でも今日は特別! ほら、クッキー焼いたんだよ。二人にもあげる!」


 そう言って、当然のように私の隣へ腰を下ろすと、可愛らしい包みを机の上に広げる。

 ふわりと甘い香りが漂い、静かな空気を甘やかに染めた。


「クッキーはね、ラズベリーとホワイトチョコの二層! 甘酸っぱさと甘さのバランスが最高なんだ!」


「……食べる」


 シリウスがぽつりと答える。無表情なのに、どこか柔らかく見えた。


「甘さは、心を宥めるんだって。……本に書いてあった」


「へぇ、シリウスは物知りだな! じゃ、俺が選んであげる。これはシリウス用、で……これはフィオラ用!」


 二カッと笑ったレオンが差し出してきたのは、ひときわ目を引くハートの形をしたクッキーだった。

 そして、レオンは躊躇いもせず、そのクッキーを私の口元へ持ってきて、ひょいっと押し込んだ。


「ちょっ、ちょっと……!」


 口いっぱいに広がる甘酸っぱさに慌てていると、視線の端でシリウスがわずかに目を伏せ、クスッと笑った気がした。

 口の中に残る甘さは、どこかレオンの無邪気な優しさそのものみたいで、胸がじんわり温かくなる。


「……ありがとう、レオン」


「うん! 元気出してほしかったから!」


 レオンの声はいつものように明るい。けれど、その奥には確かな真剣さがあった。


「ね、フィオラ。馬術大会、もうすぐだよな。不安なら……俺にも言って。俺だって、力になりたいから」


 思わず目を見開く。

 だって、さっきシリウスも同じ言葉をくれたばかりだったから。


「……ありがとう。二人とも」


 泣きそうになるのをグッとこらえて、笑みを浮かべる。


 レオンは太陽のように、シリウスは月のように。

 正反対なのに、どちらも私の傍を照らしてくれている――そんな気がした。



「……フィオラが笑ってくれたなら、俺もう満足〜!」


 レオンが大きく伸びをして、くったりと椅子にもたれかかる。


「本当はさ、もっとすごい元気の出る魔法が使えたらよかったんだけど……“大丈夫ビーム”とか!」


「……それ、ただの謎ポーズ」


 シリウスが淡々と切り捨てると、レオンは大げさに肩を落とし、すぐににやっと笑う。


「ひどっ! じゃあシリウスにビームしてやる!」


 じゃれ合う二人の姿が面白くて、思わず笑みがこぼれる。

 その笑い声が、図書室の静けさにやさしく響いた。


「……こうしてるの、すごく楽しいね」


 噛みしめるように言葉を落とすと、シリウスはゆっくり頷いた。


「……俺も」


 短いその一言が、不思議と胸を温める。

 レオンは一瞬、驚いたように目を丸くしたが、すぐにんまりと笑って大きく頷いた。


「またこういう時間、作ろう!」


 その声は軽やかなのに、不思議と余韻が残っていく。

 それはまるで、嵐の前の静けさに差し込んだ、束の間の光のようだった。


 けれど私は心のどこかで、もう気づいている。

 この穏やかな時間が、永遠に続くことはないのだと。


「……うん、また」


 小さく返した声は、自分でも驚くほど微かに震えていた。

 手のひらの中では、レオンがくれたクッキーが体温でほんのり温かさを増していて……その優しいぬくもりが、逆に胸を締めつける。


 そしてそのとき。

 私たちのやりとりを図書室の奥、静かな棚の陰から見つめる視線があったことに、私はまだ、気づいていなかった。

 ──それが、次の波乱の始まりになるとも知らずに。




ここまでお読みいただきありがとうございます。

少しでも面白いと思っていただけたら、ブクマ、評価、レビュー、感想、いいねをお願いします(˙ᴥ˙)作者の励みになります!!


↓にある☆☆☆☆☆から評価をしていただけると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ