王子と騎士
ティーテラスでフィオラたちと別れてから、校舎裏の静かな渡り廊下を二人は並んで歩いていた。
西の空に残る茜色と、迫りくる群青が静かに溶け合う。
木枠の窓を通したその光が、床に淡く揺れる影を落としていた。
不意にアレンが立ち止まり、真紅の瞳を細める。
「……なあ、オリバー。お前は“あの先生”について、正直どう思った?」
隣を歩いていたオリバーも足を止め、しばし無言で空を仰ぐ。
やがて小さく息を吐き、低く答えた。
「……直感で言うなら、“危険な人”だと思ったよ。表情も声も穏やかで柔らかいのに……絶対に踏み込んではいけない“層”がある」
「……やっぱり、な」
アレンの眉間に深くしわが寄る。いつもの余裕を欠いたその横顔は、未来の王というよりもただの“ひとりの青年”のものだった。
「実は……あの先生がフィオラに視線を向けた瞬間、能力を使おうとしたんだ」
オリバーの目がわずかに揺れる。
「……アレンの力を?」
「ああ。でも、その瞬間にノイズが入った。……あんなの、初めてで意味が分からなかった」
国民の前では決して見せることのない、わずかな迷いがアレンの表情に滲んでいた。
オリバーは黙って彼を一瞥すると、胸ポケットに手を入れた。
取り出したのは銀の懐中時計。蓋を開くと、中の秒針がほんのわずかに“止まりかけ”、そして何事もなかったように再び動き出した。
オリバーは懐中時計を閉じながら、低く呟いた。
「……俺も一つ気づいたことがある。ラフィン先生が話してる時、一瞬だけ時間の流れがわずかに歪んでいた。 その時、あの場にいた全員が、一瞬止まったように見えた。けど……彼だけは、自然に動いていた」
「やっぱり、か」
アレンの赤い瞳が、冗談を捨てた色を浮かべた。
「……あの先生も“持ってる”んだな。俺たちと同じ、“こっち側の能力”を」
「でも……教師として、この学園に紛れ込んでいる理由が分からない」
オリバーの声は静かだが、底に冷たい警戒があった。
「それよりも“教師”が、うちのフィオラに無駄に近づいてくるなんて……いい度胸してると思わないか?」
アレンはいつもの軽口めいた調子を装いながらも、その瞳は冴えた光を宿していた。
そんなアレンに対して、オリバーは苦く笑った。
「……アレン。“うちの”は余計だ」
「ははっ、言うと思った」
そう笑ったアレンの声音は軽い。けれど、その奥に隠れているものは、冗談とは程遠い“本気”だ。
赤い瞳が細められ、彼は背を壁に預けながら天井を見上げた。
けれどその姿勢のまま、赤い瞳を伏せると、ゆっくりと拳を握りしめる。
「本当は……今すぐにでも、この学園から追い払いたい。けど……まだ、何も決定的な理由がない」
その低い声に、オリバーは静かに頷いた。
「だから、今は“見張る”必要がある。……もちろん、フィオラちゃんたちには内緒で」
「ああ。アイツらを不安にさせたくはないからな」
そう答えたアレンの横顔には、王族らしからぬ焦燥がほんの一瞬、浮かんでいた。
一方で、オリバーの表情がわずかに険しくなる。
「もし必要になったら……すぐに動ける準備はしておくよ」
金色の瞳が、静かに、けれど鋭く光った。
二人の間に落ちた沈黙は、決して穏やかなものではなかった。
それはむしろ、“嵐の前”としか言いようのない、張りつめた静けさだった。