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卒業と、続いていく物語

 



 淡く色づいた花びらが、風に舞う。


 窓の向こう、校庭へ続く石畳の上を、薄桃色の桜がふわりと揺れながら流れていった。

 温かい陽射しが、制服の袖を優しく照らし、春の匂いが胸の奥まで静かに染み込んでいく。


(……もう、すっかり春だ)


 オリバーさんが眠りについてから、数ヶ月。

 季節は何事もなかったように巡っていき、今日はアレン様とオリバーさんの卒業式。


 本来ならきっと、笑い声があふれて、晴れやかな日になるはずだった。

 けれど私は今、校舎の影に立ちながら、揺れる桜をただ見つめていた。


 胸の奥に、期待と不安が入り混じったような、言い表せないざわめきを抱えたまま。


(……オリバーさんが卒業する姿、みんなで見送れたらよかったのに)


 ふと浮かんだその想いに、胸がギュッと痛む。


 オリバーさんは今も目を覚まさず、あの日のまま、王宮の静かな部屋で眠り続けている。

 “卒業”という季節だけが先に進んで、彼の時間だけがそっと取り残されたようだった。

 こんなにも春の陽気は柔らかいのに、私の胸の奥には、まだ少しだけ冬の名残が息を潜めている。


 そんな時、遠くからバタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。


「フィオラ!!」


 背中越しに呼ばれた声に振り返ると、卒業式のために制服をきっちりと着たレオンとシリウスが並んで立っていた。

 二人とも、数ヶ月前より背が伸びて、表情にほんの少し“大人”の影が宿っている。


「こんなとこにいたのか!探したんだぞ!」


「式、もうすぐ始まるよ。……まぁ、まだ少しなら余裕あるけどね」


 変わっていないようで、確かに変わったふたりの姿に、胸の奥が少しだけ温まる。


「……今日で、アレン様たち卒業なんだよね」


 ぽつりと呟くと、レオンも少し寂しそうに笑った。


「まあ、ほんと寂しくなるよな。なんだかんだでアレン様たちがいると場が締まるっていうか……先輩って、そういう存在だよな」


 その言葉に、隣のシリウスが小さく微笑む。


「俺は寂しいというより……レオンが生徒会長としてやっていけるかのほうが心配だけど」


「なっ!?おい、それどういう意味だよ!!」


 そう言って、レオンがむくれて頬を膨らませる姿に、私は思わずふっと笑ってしまった。

 その何気ないやりとりが、胸のどこかに残っていた冬を、ほんの少しだけ溶かしていくようだった。


 そう、変わったのは季節だけじゃない。

 みんなも、確かに前へ進んでいた。


 レオンは、アレン様から次期生徒会会長に任命された。

 信じられないくらい重い肩書きなのに本人は「なんとかなる!」と笑っていて、周りが逆に心配する始末だった。


 一方のシリウスは、驚くことに、“アレン様の側近候補”として、時々見習いとして王宮に出入りするようになった。

 少し前の彼からは想像できないほど責任ある場所に立ち始めていて、その姿はどこか眩しく感じた。


 次にルカくん。

 レオンが会長になると聞いて、「心配だから僕がレオン先輩を支える」と言って副会長に立候補した。

 気がつけば、休日にも一緒にいるくらい仲良しになっていて――本当に、最初の頃が嘘のようだ。


 それに、つい最近まで一番小柄だったはずのルカくんは、成長期の勢いそのままに、レオンより背が高くなった。


「成長期って……怖いよな……」


 ある日レオンがぽつりと呟いたとき、私もシリウスも同時に頷いてしまって、思わずその場で笑ってしまった。


 そしてカロンは、次期公爵家当主として忙しくなり、今は父のもとで本格的な勉強をしている。

 学園には時間があるときにだけ顔を出すようになってしまったけれど、会えば変わらず“私の可愛い弟”だ。


 こうして、みんながそれぞれの場所で確かに歩き出していることを、春の風がそっと教えてくれる。



 レオンたちと話しているうちに、気づけば心の中の重さも少しずつほどけていった。

 笑い合う声が校庭に溶けていき、ふと時計台の音が遠くで響く。


「そろそろ、卒業式の時間だね」


 そう呟いて、私たちはゆっくりと会場へ歩き出そうとした――その時だった。

 軽い足音と共に、二つの影がこちらへ駆けてきた。


「フィオラ先輩!」

「姉さん!」


 焦った声に振り返ると、息を弾ませたルカくんとカロンが立っていた。


「ど、どうしたの?そんなに慌てて……」


「実は……卒業式の花束の準備で、ちょっとした“ミス”があって……!」


 肩で息をしながら、ルカくんが苦笑いを浮かべる。


「アレン様用の花束、豪華なやつを別で注文してたんだけど……その注文が丸ごと抜けてたみたいで」


「えっ……そんな大事なのを……」


 思わず声が漏れると、カロンが小さく頷いた。


「一般生徒用の予備はあるんだ。でも、アレン様に渡すには少し地味で……だから姉さん、温室で追加できそうな花を選んできてくれないかな?」


「……え、わ、私が?」


 予想外の依頼に戸惑う私へ、カロンはいつもの穏やかな微笑のまま。

 けれど、ほんの少しだけ視線を逸らした。


「えーっと……姉さんの選んだ花なら、どんな花でもアレン様は喜んでくれると思うから」


 その言い方が、どこか“わざとらしく”聞こえた。

 何か隠しているような気配すらある。


 けれど、それを問いただす前に――


「よし!!じゃあ、俺も行くぞ!!」


 横から勢いよく手を上げたのはレオンだった。

 その元気な声が響いた瞬間。


「フィオラだけで行ってきて」


 レオンの申し出を、ひと言で冷静に断ったのはシリウスだった。


「えっ……?」


 思わず声が漏れる。

 すると、シリウスはふっと目元を緩め、優しいオッドアイをこちらへ向けた。


「たまには、一人で選ぶのもいいかもしれない。ね?」


 その微笑みは、何かをすべて見透かしているみたいで――けれど、それ以上は何も言わなかった。


 不思議な空気の中、数秒迷ってから私は小さく頷いた。


「わ、わかった。じゃあ……行ってくるね」


 そう返した直後。


「ていうかルカ、お前……またでかくなってない?」


 レオンの呆れたような声が響き、私は振り返る。


「ふふっ、成長期って怖いよね?」


 軽くウィンクしたルカくんの横で、カロンが小さく肩をすくめる。

 そんな二人のやりとりを背に受けながら、私は静かに歩き出した。


 温室に向かう道は、春の風が優しく吹き抜けていく。

 胸の奥で何かが、静かに芽吹き始めるような予感がした。



 * * *



(急がないと、卒業式が始まっちゃう……)


 時計をちらりと見ながら、私は少し足早に温室へ向かった。

 もうすぐで扉が見えてくる――そんな時。


「おい、フィオラ」


 静かで、よく知る声に思わず足を止める。

 振り向くと、淡い春光を背にアレン様が立っていた。

 穏やかな笑みの奥に、どこか真剣な色を秘めて。


「えっ、アレン様? もう卒業式始まっちゃいますよ?急がないと……」


「お前に、少しだけ嘘をついてたことがある」


「……え?」


 突然のことに、胸がヒュッと縮こまる。

 けれどアレン様はゆっくり笑みを深めて、優しく言った。


「これは、俺からお前へのサプライズだ」


 そのまま、温室の扉の方へ視線を向ける。


「詳しい話は後でするとして……行ってこいよ。花を選ぶのは、お前の役目だろ?」


 その言葉は、なぜか私の背中をそっと押すみたいだった。


(……どういうこと?)


 私は不思議に思いながら、温室へ一歩踏み出す。

 そして、扉を開けた瞬間、ふわりと花の香りが胸いっぱいに広がった。


 ガラス越しの春の陽射しが、柔らかく差し込んでいる。

 その光に照らされた花々は、色も形も違うのに、どれも綺麗で、どれも生きていた。


 私はゆっくりと歩きながら、一つひとつの花に視線を落とす。


(……アレン様に渡す花……どれがいいんだろう)


 愛らしいピンク。

 陽だまりみたいな黄色。

 凛とした赤、静かに佇む青。

 そして、優しそうな紫。

 どれも綺麗で、選ぶのが難しい。


 そんな中、ふと足元近くでそよぐ小さな花が、そっと私の視線を攫った。


(……ユスティア・フロス)


 あの時、私の心を強く揺らした“あの白い花”――。

 けれど今では、王宮だけで咲く特別な花ではなく、街でも手に入る、ただ静かに陽光を透かす白の花となっている。


 本当は何の意味も持っていない。

 ただ綺麗に咲くだけの、儚くて繊細な花。

 あの時はただ、誰かが“恐怖”をまとわせるために使っただけだった。



(……結局、この花自体には罪なんてない。ただ、綺麗だっただけなんだ)


 私はそっと手を伸ばし、触れずにその数センチ手前で指先を止めた。


(……もし、オリバーさんがここにいたら……どの花を選んだのかな)


 考えるつもりなんてなかったのに、自然とそんな想いが胸に浮かぶ。


 揺れる花の間を歩くたび、ふわりと胸の奥がきしむ。

 優しかった声。寄り添ってくれた背中。あの日の温もりが、また胸の内を静かに満たしていく。


 ――けれど、この時の私はまだ知らなかった。


 この温室の中に、もう一人。

 “春”を静かに待ち続けている人がいることを。




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