☀14魔術師の来訪
今日は魔術師がやってくるその日だ。いろいろと質問ができるという期待と、粗相をしないだろうかという不安と緊張から、どうにも気分が悪く吐き気さえ感じている。
「……エナ様、大丈夫でしょうか?」
酷い顔色をしているのか、イレイラさんの声音がかなり心配そうだ。申し訳ない、ただ緊張しているだけなんです。そんな気持ちで体調不良の説明をすれば、「ああ……」と納得しながらも困った表情でイレイラさんは頷いた。
「でしたら、こちらを」
食後の一杯も兼ねて、ティーカップが目の前にそっと置かれた。立ち込める湯気は小さく、あまり熱くなさそうだ。ゆらゆらと揺れる湯気と共に、ふわり、とほのかに甘く、けれどレモンの様な酸味のある香りが漂う。
「リシルティーです」
緊張を和らげてくれるというその一杯を、ゆっくりと含めば香り以上の甘みが口いっぱいに広がる。香りで感じていたほどの酸味はなく、ほんのりと刺激がある程度だがもう一口、と手が止まらなくなる。
「おいしい」
「ヘドウィン様も緊張した際に好んで飲まれる一杯です」
「……ヘドウィンさんも緊張するんですね」
見かける時はいつだって自然体で、相手に真っ向から向き合っているだろうヘドウィンさんが緊張している姿は、正直あまり想像はできない。勿論あの人が抱える重い責任や悩みがあるのはなんとなく理解しているつもりではあるけれど、ヘドウィンさんはそもそもの雰囲気でそういったものを感じさせない。……感じさせないようにしている、のかもしれないけれど。
「いざというときにはしっかりされている方ですが、エナ様と同じで緊張で顔を青く、そしてしっかりと体調を崩されますから」
同じ、という部分に安心感を覚えるけれど果たして私は大公閣下の弱みを知ってよかったのだろうか、という不安も同時に感じる。
「イレイラさんはヘドウィンさんのこと良く知ってますよね」
そこまで言ってからイレイラさんがローザ大公のお孫さんである、ということを思い出す。良く知っているも何も、そもそもの付き合いが長いのだろう。
「古くからの付き合いですからね。私にとって、年の離れた兄の様な方ですから」
いつも通りてきぱきと作業をするイレイラさんの口元に小さな笑みが浮かんでいるのを見て、小さなイレイラさんが大きなヘドウィンさんを振り回していたりしたのかな、なんて想像する。
「……ヘドウィンさんって、子供の扱いうまそうですね」
「レディの扱いは下手でしたけれど」
ぱちりと目が合い、お互いになんだかおかしくなってイレイラさんと一緒に笑い合う。
小さなレディを子ども扱いして怒られたりしたのかな、なんてまだ幼かったであろうイレイラさんと若かったヘドウィンさんを思い浮かべる。
「女の子というのはいつだって子ども扱いを嫌いますから」
ぴんとした背筋を崩さず笑っているイレイラさんはきっと、小さい頃も子供ではなく今と変わらない立派なレディだったのだろう。
部屋の外が騒がしくなっているのを感じる。普段活気こそあれど、「動」よりも「静」というのが正しいと感じるほど落ち着いた雰囲気を持つディケイラ城だけれど、いつの日かにルディミア大公が訪問した時の様な忙しなさを感じる。いや、あの時ほど「慌てている」といった風には感じないけれど。
窓から正門のほうを見れば馬車が正門を通り抜け、整えられた庭を通る。
「……あの馬車に、魔術師の方が……」
そう思うと落ち着いたはずのお腹や胸のあたりがざわざわとし始める。若干の吐き気を覚え、このまま会っても大丈夫だろうか、という不安感に襲われ更に気分が悪くなる。
「――エナ様、出迎えはヘドウィン様が行いますので」
大丈夫ですよ、と付け加えられた言葉にほんの少しだけ心が軽くなる。
「状況が整い次第、連絡が来ますので」
それもそうか、と感じた。魔術師はあくまでディケイラ領に仕事のために来ている。決して私の質問に答える訳に来た、なんてことはないのだ。自分を中心とした考えに陥ってしまったな、と反省をしつつ心穏やかに、呼び出しに備えよう。
そう思っていても一度体にやってきてしまった吐き気は、そう簡単には去ってくれないのであった。
―――☀―――☀―――☀―――
「お目にかかれて光栄です、ディケイラ大公閣下」
馬車から降りたエルフの男は質のいいローブを羽織っていた。好奇の視線を向けられているだろう、ということに気付いているのか気にしてすらいないのか、背筋をピンと伸ばし、緊張を感じさせないまっすぐとした視線と声で挨拶を俺に投げかける。
「魔術協会よりの来訪、心から歓迎する」
お互いに軽い会釈を交わす。
(必要最低限の挨拶、だな)
エルフの魔術師――ユシン・デュ・エルムンサはディケイラ大公に頭を下げるような仕草は感じられない。だがそれは決して彼が不敬であるから、などといった理由ではなく、正しく自分の立場を理解しているからであることは分かっている。
魔術協会はどの国にも属さない中立の立場にある。そもそも権力というものから離れ、ただ探求心のために設立された組織であるため、彼らは権力そのものに興味がないと言った方が正しいかもしれない。
(ここで彼が頭を下げれば魔術協会はディケイラ領――ひいてはアスタラン帝国との関係を諸国に要らぬ誤解を抱かせることにもなる。……それに加え、その関係性がふとしたきっかけにもなりうる、か)
魔術協会もアスタラン帝国も諸国との関係性は良好だ。だがそれは表面的なものであり、周辺諸国の内部でどういった扱いをされているかは計り知れない。
(――ルディミアの件があるからな)
魔術師ユシンは周囲への影響を理解しているのだろう。温和な笑みからは敵対心は感じられないが、だが一歩以上離れたこの距離は友好をあまり感じられない。
「調査を、よろしく頼む。部屋は用意させてある。必要なものがあれば使用人に声をかけてくれ、用意させよう」
「お心遣い、感謝いたします。早速ではありますが、調査を行ってもかまいませんか?早々に痕跡が消える訳ではありませんが、一度確認をしておきたいものですから」
「構わない。――魔術師殿。二点、調査外で頼みたいことがある。本来であれば事前に連絡をするべきではあったのだが……」
「内容にもよりますのでお引き受けいたします、とは申し上げられませんね。いかがいたしましたか?」
きっぱりとした言葉に小さく笑ってしまう。浮かべた笑みは変わらず、そしてこちらに対して丁寧に接していながら実に業務的。慣れたように弟子だろう幼げに見える魔術師に対して指示を出すあたり、魔術師らしい魔術師ではある。尤も、魔術師の中ではかなり丁寧な部類だろうが。
「……火災の折に異世界の来訪者がディケイラ領に」
そう言えば彼はふむ、と片手で自らの顎をす、と撫でた。少し思案した表情を見せてから色素の薄い瞳をそっと細めて見せた。
「白い光を観測した、という話を耳にしておりましたので。――火災と異世界の来訪者の関連性をお疑いで?」
自分の眉間に皺が寄るのを感じる。あまり言いたくはない。
「全くない、とは言えないだろう」
「それでは異世界の来訪者の存在を留意し、関連性を明らかにできるよう務めさせていただきます。もう一点とは?」
「その異世界の来訪者――エナという女性なのだが、彼女の疑問に答えてやってほしい」
「――分かりました」
何故、と聞くことなく彼は頷く。疑問に思っていたとしてもユシンの反応を考えれば、彼が言い出すこともきっとないだろう。そもそも俺が色々と考え過ぎている、という部分もないとは言い切れない。
静かに頭を下げ、騎士の案内の元、現場となった場所へ向かう彼らを見送る。調査に必要ないらしい荷物を部屋に運ばせる。
彼らの姿が見えなくなってから緊張の糸が切れ、大きくため息が出る。あまり人前で見せるものではない。分かっていても政治に関わるかもしれない、などと思うとあまり気が抜けない。
「旦那様」
執事長のアンドレアスの顔を見れば、いつもと変わりがないようでほんの少し心配しているような雰囲気を感じる。
「大丈夫だ。彼らが戻ってきたら知らせてくれ」
「かしこまりました」
疲労を多少感じなくはないが、これからの調査で分かるだろうことを思えば休んでいる暇はない。休む暇を、感じたくないというもの事実ではあるが。
(――疑うのが仕事ではあるが、あまり気分は良くないな)
魔術師であるユシンに火災と異世界の来訪者――エナとの関連性を調べさせるのも領主の仕事だ。心の底から彼女を疑っているわけではない。だが魔術について知らないふりをしている可能性も、異世界の来訪者を騙った何者かであるという可能性も、捨てきれない。彼女に魔力がないことを思えば彼女が火災に関わっているとは考えにくいが、“考えにくい”だけだ。
(悪い印象はない。むしろ――)
自信なさげにするエナを思い出す。視線が合うことは少なく、目が合ったとしてもすぐに逸らされ下を向く。一緒に食事をしたときも感じたのは、静かな女性という印象だった。
(礼節、と言ってしまえばそれまでだが……)
食事の音も、食器の音も、立ち上がる時さえも、その音は最小限だった。まるで自分の存在を消そうとしているのでは、という邪推をしてしまう。
(……よく知らない状況で判断するわけにもいかないが、)
やはり疑うのは気分が良いものではない。




