☀10本題
「さて、長々話してしまって悪かったな。食べながら……本題に移ろう」
柔らかい表情は崩さないものの、ヘドウィンさんの表情が少しだけ真剣さを帯びる。それと同時に、少しの戸惑いを滲ませながら両の掌を合わせる。
「いただきます、で合ってるよな?」
へにゃ、と子供っぽさを感じる笑顔で笑う目の前のその人にどうしたって気が抜けてしまう。
「いただきます」
ヘドウィンさんと同じように手を合わせ、そうして食事を用意してくれた人、私の糧となってくれるこの料理に感謝を込める。
「イレイラから話は聞いた。母国語が、理解できなくなっていると」
「はい。なんとなくこういう感じだった、というイメージはあるんですが……。それが明瞭ではない、と言いますかなんといいますか…。日本語、っていう覚えはあるんです。でも、」
「――思い出せない?」
ヘドウィンさんの言葉に頷く。起きたら夢を忘れてしまうように、ぼんやりと文字の認識は残っているのにどう書くのかがさっぱり分からない。読みは、どうなのだろうか。今いる『アスタラン帝国』と呼ばれるこの国の言語で自然と読み書きをしている以上、読みも怪しい気がする。
「……ヘドウィンさん。私は今、日本語で話していますか?」
そう問いを投げかけ、ちらりとヘドウィンさんの表情を見てみればとても難しそうな顔をしていた。その表情こそが、私の問いかけへの答えなのだろうなと何とも言えない空虚さを覚えながら、用意された料理にフォークを伸ばす。
まんまるとした黄色い塊を一口食べれば、しっとりとした触感とじゅんわりと溶け出すバターの甘味、そして芋のうまみが口いっぱいに広がる。塩気と甘みがまさに絶妙。しっとりなめらかでありながら、何かは分からないけれどコリコリとした、キクラゲのような何かで食感も楽しい。
「エナ、君が話しているのは……この世界で共通言語とされている言葉だ。日本語がどういう言語か、俺には分からないが……、間違いなく俺たちと同じ言葉を、君は話している。意思疎通に、不便を感じたことはないな」
その言葉に喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか分からない。意思疎通ができなければ今よりずっと不安で仕方がなかったのだろうな、と容易に想像できることを思えば言葉が通じることは悪いことではないのだろうが。
「通じないよりまし、ですかね」
少しでも良い方向に捉えよう、そんな気持ちで言葉を溢せばヘドウィンさんは静かに頷いた。
「そうだな。お互いの言葉を理解できれば何かしらの解決策が見つかるかもしれない。……勿論見つからない可能性もあるが、意思疎通ができるのならば……可能な限り君を尊重することだってできるからな」
ヘドウィンさんは少しだけ言葉を詰まらせていた。私を元の世界に返そうとしてくれているけれど、それがうまくいく確証はない。なるべく私を安心させようと言葉を選んでくれているのだろうけれど、変に優しい嘘をつかれるよりもはっきりと言ってもらえた方が気が楽だ。後でやっぱり駄目だった、と期待が裏切られるより、最初から期待しない方がずっといい。
「エナ、他に異変は?」
「自覚できる範囲で言えばないと思います。自覚できない部分で変化してるっていう可能性もありますけど……」
「そうか。異変を感じたらまた教えてほしい。そうでなくても、何か不安に思うことがあればすぐに俺に教えてくれ」
まっすぐと伝えられる言葉に嘘はない。これまでのヘドウィンさんの表情や、こうして私のことを気にしてくれることを考えれば疑うことなく信じられる。
「ありがとうございます、そうします」
「仕事の邪魔になる、と遠慮するのはなしだからな」
にか、と音がしそうな笑みを浮かべるヘドウィンさんに思わず苦笑いをする。遠慮せずに、とは言うけれど彼の立場を思えば忙しいだろうことは想像に難くない。それを考えれば安易に頼るというのも申し訳ない気もしてしまうけれど、私が黙っていて後で迷惑をかけるというのも申し訳ない。
「……早めに、伝えられるようにします」
はっきりすぐ言います、とは言いにくかった。ヘドウィンさんはいい人だと思うし、イレイラさんにもお世話になっている。だからこそ自分の事情に巻き込んでしまうことに対しての罪悪感もあるけれど……何か取返しが付かない事態になってしまう前には必ず伝えよう。そんな気持ちを抱きつつ、ちらりとイレイラさんを見てみれば、意図を察してくれたのかただ静かに頷いてくれた。
―――☀―――☀―――☀―――
おいしい食事に舌と腹が満足したところで、静かに悩んでいるような様子をするヘドウィンさんが気になった。
「あの……どうかしました?」
「ああ……。エナ、魔術師と話をしたいと思うか?」
唐突に言われたその言葉に戸惑ってしまう。
(魔術師?突然何故?)
訝し気にしていることが伝わったのか、一つ頷いてからヘドウィンさんは口を開いた。
「先日の火事の調査で魔術師がこちらに来ることになったんだ。それで……彼が異世界の来訪者について詳しいかは分からないが、俺たちよりも詳しいという可能性は十分にある」
そう言われて朝食の時、魔術師や学者であれば知っているかもしれないなんて話をしたことを思い出す。
「いつの間に魔術協会へご連絡を?」
「……いや、あー……ローザ大公が便宜を図ってくれていたらしくてな」
飲み物を淹れなおしてくれたイレイラさんの視線から逃れるように、ヘドウィンさんがそっと目を泳がせる。
(……主人であるヘドウィンさんの方が上の立場だろうけど)
力関係が見えるな、なんて思いながら二人の様子を眺める。察するに、本来ヘドウィンさんが魔術協会とやらに連絡をしなければならないところを、ローザ大公が代わりに連絡しておいてくれたといったところなのだろう。
(魔術協会、は……まぁ魔術師の組織、だよなぁ。ヘドウィンさんやイレイラさんの反応に嫌悪感がなさそうだし、多分警戒しなくてもいい、んだろうな)
ふぅ、とため息を吐きながら眉間に皺を寄せ、呆れた、という様子を見せるイレイラさんに苦笑いをするしかなかった。イレイラさんの様子にヘドウィンさんがばつの悪そうな表情を浮かべる。
(やっぱり力関係が見える……)
主従の関係だろうが、それ以上の近しい距離感を漂わせる二人をなんだか不思議な感じもするが、仲の良さそうな二人に気が抜けてしまう。
「ローザ大公への礼状をお忘れなく、ディケイラ大公閣下」
「分かってる、分かってるさイレイラ……。可愛い孫娘の様子も聞きたいだろうから、合わせて君の近況も伝えておく」
「結構です」
手紙は定期的に送っておりますので、と言いながら優雅にスカートを揺らしながら距離を取るイレイラさんの言葉に水を飲もうとした手を止める。
「どうした?」
私の視線に気付いたらしいヘドウィンさんがどこか心配そうな表情を浮かべながら私に問いかけるけれど、はは、と小さく笑い返す。
「……いえ、なんでもないです。その、魔術師の方には会ってみたいです。大丈夫ですか?」
「ああ!そう伝えておく」
変わらない笑顔を浮かべ、当たり前の様に返事をしてくれるヘドウィンさんに友人たちが集まったとき、自分だけ話題についていけなかったあの時のなんとも言えない感情を思い出す。別に無碍に扱われたわけではないが、形容しがたい居心地の悪さを肌に感じてしまう。
(――当たり前の様に話していたけど、イレイラさんは……大公の孫娘、なのか)
自分の周囲はとんでもないな、と改めて感じる。いや、すごい人々の元に偶然現れてしまったというのが正しいのだろう。
(魔術師かぁ……。どんな人なんだろう)
ぼんやりと考えながら止めてしまった手をグラスに伸ばし、水を喉へと流し込む。ひんやりとしたなめらかな液体が喉を通る。素直なおいしいという感想を頭に浮かべながら、魔術師に何を聞くべきか、考えをまとめないといけないななんて考えが頭を巡るのであった。




