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第21話:偽りの石船(ライアー・シップ)

 東京上空、高度二千メートル。  

 瓦礫で構成された巨船『タロス』は、暴風を切り裂きながら垂直に近い角度で降下を開始していた。


 眼下には、赤黒い雷光に包まれた首都・東京が広がっている。

 かつての煌びやかな夜景は見る影もなく、まるで地獄の窯の底を覗き込んでいるかのような禍々しい光が明滅していた。


「ひぃぃぃ……! 高い! 速い! 揺れるうぅ!」


 甲板の上で、薬師仁は手すりにしがみつき、情けない悲鳴を上げていた。

 風圧で顔が波打ち、呼吸すらままならない。


「うるさいわね! 舌噛んで死になさいよ!」


 隣で仁を罵倒したのは天城天音だ。  

 彼女は暴風の中でも姿勢を崩さず、優雅に腕を組んでいる――ように見えるが、その銀髪はボサボサに乱れ、表情は般若のように険しい。


「おいタイタス! もっと静かに飛びなさいよ! 私のドレスが汚れるでしょうが!」

「無理言わねえでくださいよ、お嬢様! こっちは全速力なんだ!」


 船尾で操舵――瓦礫の塊を神事で操作――しているタイタスが、額に青筋を浮かべて怒鳴り返す。


 仁は、ふと疑問に思った。

 タイタスといえば、泣く子も黙るクレーテ強盗団のボスだ。先日までは敵として殺し合いを演じ、数多の部下を従えていた男が、なぜ今はパシリのように天音に従っているのか。


「なぁ、おっさん……。あんた、結構有名な悪党だろ? なんでこんなチンチクリンに……」


「ああん?」

「あ?」

 タイタスに加えて、天音も仁をギロッと睨む。


 主従というよりは兄妹だ。


 タイタスは、操舵の合間に懐から一枚の羊皮紙を取り出し、ヒラヒラと見せつけた。


「契約書だよ、契約書! 『財宝の損害賠償および慰謝料、計八十五億円を弁済するまで、天城家の犬として働くこと』……だいぶ前の仕事であいつ等に嵌められてな!」

  「は、八十五億……」


 仁は絶句した。それはもう、一生どころか来世まで働いても返せない額だ。  


「天下のホルスの呪いだ。木端程度の神具じゃ解呪どころかカウンターで解呪士がやられるような代物だだ。それ以来、俺は犬だよ!」


 どうやら、この巨漢も被害者の一人らしい。

 仁が少しだけ同情の視線を送っていると、タイタスは契約書をしまいながらニヤリと笑う。

「でもな、お嬢様はあれはあれでな……」


 船首に立っていたクリスが振り返った。

 金髪が風に煽られる中、その瞳は鋭く標的を見据えている。


「無駄話はそこまでです。……見えましたよ」


 雲を抜けた瞬間、視界が一気に開ける。

 政府官邸前広場。そこは今や、アスファルトではなく赤い砂漠と化していた。

 その中心に、砂塵を纏って悠然と佇む異形の影――セトがいる。


 地上で、セトがゆっくりと見上げた。

 ただの人間ならば歯牙にもかけないはずの王が、その赤く燃える瞳を細めた。


「……む?」


 セトの鼻孔が動く。

 風に乗って漂う、懐かしくも忌々しい気配。

 数千年の時を経ても決して見間違えることのない、宿敵の臭い。


「ほう……。ゴミに混じって、腐れ縁が飛んできたか」


 セトの口元が、残忍な笑みの形に歪む。

 あの船に乗っているのは、ただの人間ではない。


 この気配……。おそらく、ホルスか。

 天界に残った下郎がわざわざ出向いてきたか。


  ならば、挨拶をしてやらねばなるまい。


「歓迎しよう。――地獄へとな」


 セトは無造作に右手を天にかざした。  


 それだけで、空中に漂う砂塵が一瞬で凝縮し、巨大な「砂の槍」が形成される。

 長さ十メートルを超える、神威の塊。戦車すら貫く一撃だ。


「消えよ」


 ヒュンッ!


 風を切る音すら置き去りにして、砂の槍が射出された。  

 正確無比に、タロスの船首――仁たちがいる場所を狙っている。


「ひぃぃぃっ! 来た! なんかデカイの来た!」

 仁が悲鳴を上げる。


「仁さん、前に! 『審判』のイメージを!」

 クリスの声が飛ぶ。


 仁は震える足を踏ん張った。


 逃げたい。今すぐ逃げ出したい。


 だが、ここで逃げれば全員死ぬ。


 八十五億の借金を背負ったおっさんも、口の悪いお嬢様も、生意気な天才少年も。


(俺は……船だ! ただの人間じゃない、神の理屈を跳ね返す船だ!)


 仁は右手を突き出した。

 迫りくる巨大な死の槍に対し、ちっぽけな人間の掌を向ける。


 ――『マアト(秩序)』にかけて、お前の攻撃を否定する!


 仁の脳内で、クリスに教えられたイメージがスパークする。


 ―――!


 砂の槍が仁の掌に触れた、その瞬間。

 物理的な衝撃は来なかった。

 代わりに、パリンッという乾いた音が空に響いた。


 巨大な槍が、先端からサラサラと崩れていく。

 神の意志で固められた砂が、ただの砂に戻り、風に流されて消えていく。


「……何?」


 地上で、セトの眉がピクリと動いた。

 ホルスがいることは分かっていた。

 だが、今の一撃を防いだのはホルスの力ではない。

 もっと異質な、神の理そのものを拒絶するような力。


(貴様……何を連れてきた?)


 セトの思考に一瞬の空白が生まれる。


「今だ! 突っ込め!」  

 クリスが叫ぶ。


 タロスはその空白を突き、減速することなく地面へ激突した。


 ズガガガガガガッ!!


 轟音と土煙。  

 瓦礫の船はセトの目の前で座礁し、衝撃波が周囲の砂漠を吹き飛ばした。


 舞い上がる砂塵の中。  

 四つの影が降り立つ。


「げほっ……げほっ……! し、死ぬかと思った……」  

 仁は四つん這いになり、涙目で咳き込んだ。腰が抜けて立てない。


「ちょっとタイタス! 着地が雑よ! 埃まみれになったじゃない!」  

 天音はドレスについた砂を払いながら、ヒステリックに叫んでいる。


「へいへい、生きてるだけで丸儲けでしょうが」  

 タイタスは瓦礫の山から這い出し、肩を回した。


 そして、その中心で。  


 平良クリスは、服の乱れをただし、涼しい顔で目の前に立つ巨神を見上げた。


 圧倒的な圧。

  誰もが名前を知る悪神。その名に恥じぬ禍々しいオーラ。

 喉が避けそうなほどの圧気がその場を包む。

  だが、少年の瞳に宿る光は、神のそれよりも冷徹だった。


「……お初にお目にかかります、破壊神セト」


 クリスは丁寧な口調で、しかし挑発的な笑みを浮かべて挨拶した。


「随分と派手な『模様替え』をしてくれましたね。おかげで僕たちの街が台無しですよ」


「……小僧」


 セトの声が、空気を震わせた。

   先ほどの余裕は消え、明確な殺意が滲み出ている。


「我が槍を消したのは貴様か? ……いや、違うな」

   セトの視線が、クリスの背後で震えている仁を一瞥し、そして天音へと固定された。


「やはり、そこにいたか。――ホルス」


 ドクンッ。

 空気が凍りつく。

 セトが放つ『王の威圧』。

   ただ名前を呼んだだけで、周囲の空間が歪み、仁やタイタスは立っていることすら困難になる。


「隠れているつもりもなかろう? 出てこい、臆病者の弟よ」


 その挑発に対し、凛とした、鈴を転がすような声が響いた。


「誰に向かって口を利いている、駄犬」


 天音が一歩前に出る。  

 その眼帯のない左目が、カッ!と見開かれた。


 蒼い光が迸り、セトの赤黒い威圧と衝突する。  

 視線の交錯点で火花が散り、重圧が相殺された。


「はぁ……はぁ……」  

 威圧が消え、仁は地面に手をついて荒い息をついた。


「助かった……のか?」


「ふん。私の従僕シモベを勝手に躾けないでくれるか?」


 天音――いや、今はホルスが表に出ている。  

 左半分の表情だけが冷徹な笑みを浮かべ、セトを見据えていた。


「この者たちの所有権は私にある。特にそこの大男は八十五億の価値があるのだ。傷一つ付けさせんよ」


「ククク……相変わらず、みみっちい真似を」  

 セトは愉悦に顔を歪めた。


  「だが、面白い。貴様が連れてきたその『石ころ』のような人間たちが、我にどう抗うか見ものだな」


 セトは気づいている。  

 この船がただの特攻ではなく、かつての「石の船」の逸話をなぞらえた挑戦状であることを。


 ホルスは鼻で笑った。


「石ころかどうか、試してみるがいい。……さあ、構えろ。ここからは神々の領域だ」


 天音の左眼『ウジャトの目』が輝き、砂嵐の中に一筋の「視える」道を作り出す。

 それは、セトへと続く唯一の攻略ルート。


「了解です」

 クリスがポケットに手を入れ、静かに告げた。


「仁さん、下がらないでください。ホルスさんが威圧を消し、僕が隙を作り、あなたがトドメを刺す。……これ以外に勝機はありません」


「わ、わかってるよ!」

 仁は震える足を手で叩き、無理やり立ち上がった。


「やるんだろ! やればいいんだろ!」


「その意気です。では――開戦といきましょう」


 セトが両腕を広げ、砂漠が波打つように盛り上がる。

 対するは、天才少年、不運な一般人、強欲な女神、借金まみれの強盗。


 凸凹な四人の「石灰の船」が、破壊の神へと出航した。

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