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第20話:神話の解釈

 燃え盛る屋敷を脱出したタロス――瓦礫で構成された巨大な船は、夜の東京上空を滑るように飛行し、都内某所のタワーマンションの屋上へと着地した。  

 ここも天音(というより天城家)が所有する隠れ家の一つだという。


「……最悪よ。お気に入りの屋敷だったのに」


 広々としたペントハウスのリビングで、天音はソファに沈み込みながら毒づいた。  

 乱れた銀髪を苛ただしげにかき上げ、テーブルに置かれたミネラルウォーターを一気に煽る。


「修繕費だけで数億……いや、建て直しならもっと掛かるわね。あの泥棒猫タイタス、タダ働きさせて元を取ってやるんだから」

「お嬢、聞こえてますよ。俺だって命がけで運んだんですがねぇ」


 部屋の隅で縮こまっている大男、タイタスが苦笑いを浮かべる。世界的な強盗団のボスも、この強欲な雇い主の前では形無しだ。


「はぁ……。とりあえず、生きててよかった……」


 薬師仁は、高級そうな革張りのソファにへたり込んでいた。  

 ここ数時間の出来事は、一般人の許容量を遥かに超えている。機械兵との戦闘、神の顕現、そして空飛ぶ瓦礫船での逃避行。心臓がいくつあっても足りない。


「仁さん、お疲れ様です。少し休んでいてください」


 平良クリスは、一人窓際に立ち、眼下に広がる東京の夜景を見下ろしていた。  

 その背中は小さくとも、纏う空気はどこまでも理知的で、張り詰めている。


 彼が見つめる先――都心の方角では、空が不気味に赤く染まり、時折、雷鳴のような轟音が響いていた。


「……始まっていますね」


 クリスの呟きと同時に、彼の懐でスマートフォンが震えた。  

 画面に表示された名前を見て、クリスは一度だけ眼鏡の位置を直し、静かに通話ボタンを押した。


「……どうも。平良です」


『クリスか……! 俺だ、田楽だ』


 受話器の向こうから、悲鳴と爆発音が漏れ聞こえる。  

 クリスは表情一つ変えず、冷静に応答した。


「ニュース映像で見ましたよ、田楽刑事。……酷い有様ですね」


『ああ、全滅だ。軍のシールドも戦車も、あの化け物には通用しなかった。物理法則を書き換えてやがる』


 田楽の声には、隠しきれない絶望が滲んでいた。  

 現場の惨状は想像に難くない。


『助けてくれ。お前たちの力が必要だ。……政府も、お前たちの投入を許可した』


「分かっています。でも、よくこんな民間人を許容しましたね?」

『知ってるくせに意地の悪いことだな。神事の予言には政府も従うさ』


 クリスは淡々と答えながら、部屋にいる全員を見渡した。

 仁、天音、タイタス。全員の視線がクリスに集まる。


「田楽刑事、一つ確認させてください。セトの『砂』は、どのような特性を示していますか? 単なる物理的な質量攻撃ですか? それとも――」

『いや、あれは質量じゃない。……接触した瞬間に、対象を砂に変えている。戦車も、ビルも、人間もだ。まるで、そこが最初から砂漠であったかのように』


「なるほど。『定義の上書き』ですか」  

 クリスは納得したように頷いた。


「分かりました。すぐに向かいます。……少し、準備をしてから」

  『準備だと? そんな時間はないぞ!』

「いえ、今のまま突っ込めば無駄死にです。あの神を殺すには、『理屈』が必要なんです」


 クリスは一方的に通話を切り、スマートフォンをポケットに仕舞った。

 そして、ソファでふんぞり返っている天音――その左目に向かって歩み寄った。


「ホルスさん。講義の時間です」


  「……なんだ?」

 天音の左目が開き、低い神の声が響く。


「あなたとセトは、神話の時代から何度も争ってきたはずだ。セトの弱点、あるいは攻略の糸口になるような話はありませんか?」


 ホルスは少し思案するように目を細めた。


「セトは力押しの神に見えて、意外と狡猾だ。我々の戦いは八十年にも及び、その多くは力比べではなく、知恵比べや法廷闘争だった」


「法廷闘争……。神話にしては世知辛いもんだな」  

 仁が思わず突っ込む。


「有名なのは『石の船』の話かな」

 ホルスが語り始めた。


「ある時、我々は船で競走をして勝敗を決することになった。セトは石で船を作ると言い出した。重い石こそが最強だと信じてな。一方、私は杉の木で船を作り、それを石灰で塗って石に見せかけた」

「……結果は?」

  「セトの船は重すぎて沈んだ。私の船は浮き続け、勝負は私の勝ちとなった」


「なるほど」  

 クリスは口元に薄い笑みを浮かべた。

 その瞳の奥で、高速で思考が回転しているのが分かる。


「つまりセトは、『見た目』や『思い込み』に騙されやすい。そして、自らの強大な力を過信するあまり、物理的な道理――浮力や重力といった基本法則――を軽視する傾向がある」


 クリスは部屋にあったホワイトボードに、さらさらと図を描き始めた。


「ああっ! ちょっと!」

 ゴチャゴチャ書いてあったお金関連の文字が消され、天音は不満そうだがクリスは無視していた。


「現在の官邸前は、セトによって『砂漠』という位相ルールに書き換えられています。そこではセトが絶対の王であり、現代兵器は無力化される。……なら、僕たちがやるべきことは一つです」


 クリスは、図の中心に『仁』と書き込んだ。


「仁さん。あなたが、セトの『思い込み』をぶち壊す『石灰の船』になるんです」


「は? 俺が船? どういうこと?」  

 仁が間の抜けた声を上げる。


「セトの支配領域は強固ですが、それは『自分は無敵である』という絶対的な自信の上に成り立っています。神話の時代、彼は石の船が沈むとは微塵も思っていなかった。……今回も同じです。彼は『人間の攻撃など通じない』と確信している」


「だからこそ、仁さんの『無効化』が刺さるんです。ですが、ただ触れるだけでは足りない。セトは防御本能が高い。近づけば砂に変えられるでしょう」

「じゃあ無理じゃないか!」


「そこで、これを使います」  

 クリスが指差したのは、ホワイトボードの隅に書かれた『マアト』という文字だった。


「マアト?」

「エジプト神話における『真理』や『正義』を司る概念です。古代エジプトでは、死者の心臓とマアトの羽を天秤にかけ、罪の重さを量った」


 ホルスが頷く。

  「そうだ。セトはその荒々しさゆえに、マアト(秩序)を嫌う。だが、王を名乗る以上、マアトの裁定からは逃れられない」


「仁さん。あなたの能力は『神事の無効化』ですが、これを応用して『審判』を下します」  

 クリスは仁の胸に手を当てた。


「あなたの無効化の波動を、周囲に拡散させるのではなく、一点に収束させて……『断罪の刃』として固定する。そして、セトにこう宣言するんです。『お前は王ではない』と」

「そ、そんなこと出来るのか……?」


「出来ます。僕がサポートしますから」

 クリスはニヤリと笑った。それは名探偵がトリックを暴く時のような、不敵で頼もしい笑みだった。


「セトが展開している『位相』に、仁さんという『異物バグ』を流し込む。そうすれば、砂漠の定義が崩壊し、セトはただの獣に戻る。……そこを、僕とホルスさんで叩く」


 クリスはタイタスに向き直った。

  「タイタス、タロスの損傷具合は?」

  「船底がボロボロだが、あと一回特攻するくらいなら保つぜ」


  「十分です。……仁さん、覚悟はいいですか?」


 仁は、自分の震える手を見つめた。

 怖い。逃げたい。今すぐ布団に入って、全部夢だったと思いたい。

 けれど、窓の外では今も赤い光が瞬き、誰かが助けを求めている。


 仁は深呼吸をして、顔を上げた。

  「……やるよ。どうせ、断ったって連れていくんだろ?」


「あはは、正解です」  

 クリスは満足げに頷くと、再び真剣な表情に戻った。


「作戦名は『石灰のライアー・シップ』。神様相手に、大掛かりな詐欺ペテンを仕掛けに行きましょう」


 一行は再び、屋上のタロスへと向かう。  


 夜風が強くなってきた。  


 それは、決戦の地から吹く、嵐の予兆だった。

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