第17話:天空神ホルス
目の前にいるのは眼帯を外した天音。
だが、感じる気配はどう考えても天音ではない。
義眼ではない半分の表情は硬直し、義眼である半分はほほ笑んでいる。
「失礼、これでは不気味だね。天音、少し借りるよ」
天音が両目を閉じ、再び開くと違和感がなくなった。
異質なオーラがより強大になったことを除けば、であるが……。
「おい、貴様ら無礼であるぞ」
「よい、タイタス。こちらが先に無粋な真似をしておきながら礼儀を正す訳にはいかないだろう? お前も楽にしてよい」
タイタスは軽く会釈をすると、立ち上がり部屋から出て行った。
「さて、改めてお詫びをさせてくれ。試すような真似をしてすまなかったね」
「試す?」
ホルスが手を少し動かすと、散乱していたテーブルや椅子が起き上がり、仁とクリスの近くに置かれた。
「しっかり説明するよ。特に、そこの彼はイライラしてしょうがないみたいだから」
仁は、ハッとしてクリスを見た。
クリスは苦悶の表情を浮かべ、グッとホルスを睨んでいる。
普段のクリスからは、到底想像できない姿だ。
「お、おいクリス……」
「ふふ、ご想像の通り、私は情報を持っているよ」
「やはりその眼は、『ウジャトの目』でしたか」
「ウジャト?」
「はい、癒しや再生を意味する万能の力を持ち、またすべての真実を見通せるという最高クラスの神具です。まさか本当に実在していたとは……」
ホルスは、少しほほ笑んだ。
「ありがとう。ただ、本来は存在しえないものだ、ということは言っておこう。本来、
私は下界に降りることはなかったのだから」
「え?」
「──すべては数百年前に遡るのだ」
「数百年前……?」
仁が呟く。
クリスは黙って耳を傾けていた。
「少し、昔話をしよう。さ、座って」
仁とクリスは、天音に案内されるがままに座った。
「そもそも、なんで『神事』というものがあるのか、ということから説明しよう」
ホルスは、指を軽く振るう。
部屋の空間が変質し、真っ白い神殿のような空間が現れた。
仁たちのいる空間に、別の空間が再現されたようだった。
神殿には、様々な容姿をしたモノが座っている。
『モノ』と表現したのは、仁にとって形容すべき言葉が浮かばなかったからだ。
ホルスは、話を続けた。
「人間界において、数百年前より神に対する信仰の低下が起きた。信仰の低下は私たち神々にとって深刻だ。それがそのまま力関係に影響するからね」
映像の中のモノ=神たちは激しく言い争い、神とは思えない醜い言葉で罵りあっている。
「そこで、上位の神々はある計画を思いついた。下界に神を降ろし、人間に神の奇跡を直接授けようというものだ。そして、その役目を担うものとして、信仰が乏しく、そして善良な神々が選ばれた」
ホルスの声は低く、重かった。
「……本当ですか?」
クリスが口を開く。
ホルスはクリスを見て、フッと微笑を浮かべた。
「ご明察。実際は、ただの“神減らし”だった。強き神々の信仰を集中させるために、弱い神を切り捨てた」
仁は目を丸くする。
「はあ? そんなことして何になる」
「おそらく、力を集約するため、じゃないですか? 神の数が多ければ、その分信仰は薄れてしまう。そのために、善良で目立たない神が選ばれて……消された」
ホルスはうなずいた。
「その通りだ。天界から消えた神は、もはや信仰の対象とはならないからね」
クリスは、驚きの表情を浮かべていた。
「能力だけを人に託し、名を失い、ただの神具としてしまう。それが狙いであったと?」
仁にとっては、遠い話ではあるが決して好ましい話ではない。
「……なんか、ムカつく話だな」
だが、ここで仁に疑問が起こった。
以前、自分と契約した神は『疫病神』の一種だと聞かされた。
ところが、今ホルスが言ったのは、『善良な神』だという。
話が矛盾しているのだ。
「あのさ……」
「ええ、その通りです」
ホルスは、仁が答えるより先に、答えた。
「計画は順調でした。ところが、あるモノが邪魔をしたのです」
ホルスの瞳が暗く光る。
義眼はほの暗く濁り、怒りに満ち溢れているようだ。
「ロキ」
その名を聞いた瞬間、仁でさえ知っている伝承が脳裏に浮かんだ。
悪戯の神、裏切りの象徴。
「ロキが計画に手を加えたのだ。神を下界に降ろしたとき、ロキは拘束していた様々な悪神をも、共に解き放ってしまった。もちろん、我々の真の目的も伝えて……」
仁は思わず声を上げた。
「はァ!? そんなもん逃がしてどうすんだよ!」
クリスが冷静に答える。
「……楽しそうだから、ですか?」
ホルスは、苦虫を嚙み潰した表情で頷く。
「人間たちが知っている神話の通りです。ロキは楽しそうなことなら、それがどんな邪悪であっても躊躇しない。世界が8回滅んでも笑っている男です。最初は楽観視していましたが、ここに来て行動を起こしてきた。ですので、私たちも準備を急いで進める必要があったのです」
仁が唸る。
「それで……このテストか」
「そういうことです。あなた達は期待通りだった。当然ですが、私の目に狂いはありませんでしたね」
ホルスは微笑んだ。
クリスが、真剣な顔で尋ねる。
「でも、何で僕たちなんですか? より強力な神事使いは他にもいるでしょう? それこそ、タイタス氏もその一人だ」
ホルスは一呼吸おき、ゆっくりと応えた。
「──それはね。クリスさん、君がゼウスの子だからです」
ホルスの言葉に、ホールの空気が凍る。
「ゼ、ゼウス!?」
仁が思わず叫ぶ。
「ってあのゼウスか!? オリンポスの! 雷バリバリの!」
ホルスはゆっくりと頷いた。
「ゼウスが下界に降りたとき、人間の女性との間に儲けた子供……意図せざる血脈。ロキですら読めなかった“イレギュラー”。」
クリスは息をのむ。
「やはり、そうなのか……」
平良クリス=ヘラクレス
文字通りのヘラクレスとしての枷を与えられていたからこその関連性である。
ヘラクレス英雄譚になぜ反応するのか。
これで合点がいった。
仁がかつて受けた印象、雷神……。
これは間違っていなかったのだ。
「ロキの動きは、私たちにも読めない。かの神の力は強大で真実の目をもってしても見通せない。だが、イレギュラーであればロキを出し抜けるかもしれない」
ホルスがゆっくりと席を立つと、地面に落ちていたリモコンを拾い上げ操作した。
壇上からスクリーンがゆっくりと降りてくる。
「君たちも知っているのだろう。神事課を含む特殊部隊が全滅したことを」
仁は、騒動の前にクリスが言っていたことを思い出した。
スクリーンに、ある映像が映し出される。
「うっ……」
仁は、思わず目をそらした。
「よく見てほしい……、ここだ」
ホルスが、映像を止める。
そこには、ネコのような耳をしているが愛らしさは微塵もない、異形の存在が映っていた。
「これは、まさか……」
クリスの声は、震えていた。
ホルスとネコ耳とくれば、答えは一つしかない。
「そうだ。この存在こそ、我が仇敵──セトだ」
セト──破壊と混沌を司る邪神。力を欲する者を狂わせ、戦乱を呼び込む存在。
クリスは目を細める。
「……また、大物の名前ですね」
「そうだ。これこそ……」
ホルスが何か言おうとしたその時、大きな音がしてタイタスがホールに飛び込んできた。
「ホルス様、テレビを!」
タイタスに促され、ホルスは映像を切り替える。
切り替えた先には、異形の存在が血の海の真ん中に立っていた。
今度はハッキリと見える。
仁は、たまらず息を飲み込んだ。
セト……。
おぞましい憎悪がそこにいた。