第13話:ハジマリ
都内の外れ、倉庫街。
夜はすでに深く、冷たい海風が錆びた鉄骨を震わせていた。
その中に、ただ一つだけ光を漏らさぬ暗い倉庫があった。
解析されたラキアの指輪が示した座標。その場所に、機動隊の車列が音もなく到着する。
「目標建物を確認。全員、降車せよ」
黒尽くめの特殊部隊員が次々と車両から降り立ち、MP7サブマシンガンやM4カービンを構える。
ナイトビジョン、ボディアーマー、最新式の防音ヘッドセット――現代アメリカの特殊部隊と同等の装備が、月明かりに鈍く光った。
指揮官がハンドサインを送ると、隊員たちは蜘蛛のように散開し、無言のまま目標を包囲する。
赤外線スコープに映るのは、ただの空虚。
しかし彼らは油断しなかった。
──突入。
破砕弾が放たれ、重い鉄扉が内側に弾き飛ぶ。
閃光と轟音が倉庫内を切り裂き、次の瞬間、黒い影がなだれ込む。
しかし、中は……空だった。
「……誰も、いない?」
「くそ、逃げられたか?」
緊張の糸がわずかに緩む。
足音が鉄板を叩き、隊員たちはさらに奥へと進む。
古びた木製のドアが一つ、残っている。そこからかすかに冷気が漏れていた。
「開けろ」
合図と共に、前衛の隊員がドアを蹴破る。
瞬間。
――――――……。
肺を焼き尽くすような瘴気が一気に吹き出した。
視界が歪み、夜視装置がノイズを発する。
腐敗と血の臭いが混ざった獰猛な空気に、隊員たちは反射的にマスクを押さえた。
「ッ……!?」
そこに現れたのは、五つの人影だった。
闇を纏い、輪郭さえ掴めぬ。
ただ、視線を合わせた瞬間、心臓が握りつぶされるような圧力が走る。
その一人が、低く吐き捨てるように呟いた。
「人間とは、愚かだ……」
闇より暗く、深い声……。
続いて別の影が言う。
「神々もまた同じ。愚かなり、脆弱なり……」
「世界を汚し、互いに殺し合い……そしてまた神を求める。繰り返し、繰り返し……」
声に合わせ、倉庫の闇そのものが憎悪を孕んで膨張していく。
隊員たちの喉が乾き、汗が流れる。
理屈ではない、本能が「逃げろ」と叫んでいた。
「撃てえええッ!」
指揮官の怒号が響き、サブマシンガンの銃口から閃光がほとばしる。
9ミリ弾が雨のように放たれ、五人の影を穿ったはずだった。
だが――
そのうちの一人が、ゆらりと前に出た。
口が裂けるように開き、呪のような詠唱を吐き出す。
「ヨワリエエカトリ……」
直後、暴風が爆発した。
嵐のごとき風が巻き起こり、弾丸を弾き飛ばす。
さらに突風は人間の身体さえ軽々と舞い上げ、鉄骨に叩きつけた。
骨の砕ける音、血の噴き出す音が次々に響く。
「ぐあああッ!」
「きゃああッ!」
十数名が瞬く間に吹き飛ばされ、床に転がった。
その中に、女の影が近づく。
冷たく細い指が、気絶した隊員の額に触れた。
「……ああ、素晴らしい」
次の瞬間。
隊員の身体がぐにゃりと歪み、筋肉が膨れ上がる。
骨が不気味に鳴り、顔は醜悪な異形へと変わっていく。
「……う、うあああああ!」
彼は叫びながら立ち上がり、隣の仲間に襲いかかった。
牙が首筋に食い込み、鮮血が噴水のように飛び散る。
「やめろッ、やめろぉ!」
銃声が再び響くが、異形と化した元仲間は銃弾をものともせず、狂った獣のように喉を食い破る。
倒れた者もまた次々と変わり、地獄絵図が広がっていった。
「ひ、ひいい……助けてくれ……!」
一人の隊員が必死に這いながら逃げ出そうとする。
涙と鼻水で顔を濡らし、無線に向かって叫んだ。
「誰か……助けて! 死にたくない……!」
その前に、音もなく影が降り立った。
猫のような耳を持つ異形の姿。
紅い舌を舐め回すように動かし、にやりと笑う。
「や……やめて……! お願いだ……!」
哀れな命乞い。だがその異形は一切耳を貸さず、男の腕を掴んで強引に木箱へ押し込んだ。
「さあ……ゲームを始めよう」
箱の蓋が閉じられる。
直後、ぐちゃり、と内側から何かが潰れるような音が響き、モニターはそこで途絶えた。
──沈黙。
管制室に残されたのは、途切れた映像と、張り詰めた空気だけだった。
映し出された最後のフレームには、血の飛沫を浴びた倉庫の床が残されていた。
「……以上です。この映像が送られた箱に入っておりました……。その死体と共に……」
政府関係者が深刻な面持ちで言う。
映像は警察中枢に届けられ、司令室の大画面に映し出されていた。
幹部たちは誰一人として言葉を発せず、ただ沈黙に凍りついていた。
その隅に、田楽刑事が立っていた。
紫煙をくゆらせながら、わずかに顔を歪める。
「こりゃあ……一体……」
机に並ぶ誰もが、答えを持ち合わせてはいなかった。
ただ一つわかること――
何かが、始まってしまったのだ。




