第10話:護送任務④
仁の鼓動が速まる。
目の前に立つのは、ライオンの獣人と化したスネメア。
黄金の鬣を揺らし、漆黒の爪を光らせるその姿は、まさに人外の怪物だった。
「田楽刑事、隙を作ります。合わせてください」
「命令を聞くのは、今回だけだぞ」
クリスが前へと駆け出した。
大地を蹴った瞬間、疾風のごとき加速。残像すら残さず、スネメアの死角へと潜り込む。
連撃。
拳、肘、膝、踵――全身を武器にした嵐のような打撃が、獣人の巨体に矢継ぎ早に叩き込まれる。
鋭い一撃が顎を跳ね上げ、次の蹴りが胸を抉る。
常人であれば確実に内臓が破裂していた。
だが。
「……小虫が」
スネメアは微動だにしない。
むしろ、攻撃を受けているはずの顔に、不敵な笑みを浮かべていた。
「今だ! 飛べ!」
田楽刑事が背後から叫ぶ。
声に合わせてクリスは虚空を蹴り上げ、上空へ舞い上がった。
両腕を広げ、周囲の空気から水分を一気に凝結。
大地を揺らし、直径三メートルを超える巨大な氷刃が形成されていく。
「氷結――穿てぇぇッ!」
氷の刃が獣人を貫かんと飛ぶ。
夜空を切り裂く轟音。鋭利な白銀の槍が次々と降り注いだ。
爆発的な衝撃音。
瓦礫が吹き飛び、氷塊が次々と砕け散る。
煙の中から現れたのは――。
「……くだらん」
無傷のスネメアだった。
鋭利な氷槍は、その筋肉の鎧を傷つけることすらできなかった。
「クソが、足止めも出来んとは」
田楽刑事の顔が歪む。
次の瞬間、獅子の怪腕が振り抜かれた。
まるで空間そのものが破壊されるような一撃。
「ぐああッ!」
氷の壁を展開する暇もなかった。
田楽刑事の体が大きく歪み、背後の瓦礫に叩きつけられる。
砕け散る氷片と共に、鮮血が宙を舞った。
「おっさん!」
仁の絶叫。
駆け寄ろうとしたが、その前に獣人の影が立ちはだかった。
黄金の鬣を揺らし、燃えるような眼光で仁を見下ろすスネメア。
「虫ケラどもが……これが全力か?」
仁は足が震え、声が出なかった。
怪物の殺気が、呼吸すら奪っていく。
「あ……、あ……」
呼吸が止まり、目の前が霞む。
仁の身体は、もう生命に対して諦めたかのようだった。
「仁さん!」
大きく振りかぶったスネメアの拳は、虚空を叩く。
スネメアは、ゆっくりとその視線を仁が消えた方へ向ける。
ギリギリで仁を救出したクリスは額から血を流し、紅の瞳が鮮血に溺れていた。
「クリス、血が……」
「仁さん、よく聞いてください」
スネメアがゆっくりと歩み寄ってくる。
地を踏むたびにアスファルトが軋み、粉砕される。
「あいつの動きを止めます。その隙に、仁さんは必ずやつに触れてください」
「む、無理だって! に、逃げよう。お前の足なら……」
「大丈夫。必ず勝ちます……。でも……」
クリスは、少し悲しげにほほ笑んだ。
「仁さん、僕を助けてくださいね」
「え?」
大きな動揺が、仁を包み込んだ。