天使は優しすぎる(2)
なかなか順調だ。精神も安定してる。毎回ここに立つたびに思う。気持ち悪い。人の頭を切らなくてはいけないのが痛々しい。なぜ脳外科医になったのだろうか。こんなメンタルで仕事を続けられる訳がない。辞めてしまおう。病院の前に立つ度に考える。辞めたら犬でも飼おう。そんな考えが頭にはあるのに行動しない。
(私が辞めたら誰も治せない…私が辞めたら誰も治せない…私が辞めたら誰も治せない……)
これは呪文だ。医者の家系だった私は同然私も医者の卵として育てられた。友達なんかより勉学が最優先。そんなことが当たり前の世界だった。唯一の救いは勉強は楽しかったこと。知らないを知ること、分からないを分かることは楽しかった。それだけで良かったんだ。医者なんか求めてなかった。『知る』だけで良かった。『分かる』だけで良かった。『活かす』なんてしたくなかった。
ぷしゅ。
……え?ぷしゅ?右手のメスが真っ赤に染まる。まずい。どこを切った?そこは切るべき場所より2センチ遠かった。まずいまずいまずい。落ち着け、深呼吸だ。一回呼吸を……
「死ぬ…倉那が死……」
父親は南錠組。なにをされるのだろうか。汗が止まらない。苦しい。空気が欲しい。
「私も…死ぬ…?」
殺される。私も殺される。少し捻った上向きの蛇口のように血が出てくる。赤い気泡も出てきた。髪が濁った赤色に。なんとかしなきゃ。まずは縫合を──
ピーッ、ピーッ、ピーッ、
うるさい。うるさい。私の思考を遮るな。手が震える。機械音が鳴り響く。
「………せい……んせいっ!……」
ダメだ。聞こえない。左右から肉声が飛び交う。私は今どんな顔をしているのだろう。彼にも謝らなくては。
「……せんせいっ!十合先生っ!」
逃げたい。逃げたい。逃げたい。私に医者は向いていない。呼吸さえままならない。そういえば、今日は安定剤を飲んだ記憶が無い。
ピーーーー
体が動かない。瞼も閉じてきた。目を開ける余力さえ残っていないのか俺は。思ったよりも早く死ぬんだな。最後に宮の顔でも見たかったな。そんなこと言ったらキモいか。
「……約束、守れそうにないや…」
ゆっくり目を閉じる。体温が無慈悲に奪われていく。俺の最期は孤独に終わった。猫のように、静かに。
シュ〜。ドクッ…ドクッ…。
「……」
「……」
「……はっ!」
…なんだ?俺は死んだはず…。体が動く。立ち上がれる。視力も良くなっている。
「…アブノーマルってやつか?」
部屋を出て、最初に向かったのは出会いの部屋。深夜の病院なので走ってはいけない。だが、心が先走る。息を殺しながら、足音を殺しながら、近づく。早く、伝えなきゃ。『約束が必要無くなったよ。』、『宮は僕のために無理しなくていいんだよ。』、『次は僕が宮を救う番だよ。』。最初に言う言葉を考える。どうせ考えた言葉なんか出てこないくせに考えている。
ガコッ。スー…
「……あ?」
いない。宮がいた場所には男がいた。俺よりも二倍は年上の男性が寝ていた。なぜだろうか。頭がすっきりしている。怒りとか、焦りとか、悲しみとかが無い。無だ。自分を裏切っている感覚があるというのに、感情が湧かない。というより、受け入れているが正しいかもしれない。ただただ情報を処理しただけ。そんな感覚に襲われている。たぶん、無意識に。
「……明日にしよう。」
謎の虚無感に襲われながら、夜を過ごした。
朝、普通に部屋を抜け出した。虚無感を残したまま、ほっつき歩くと看護師の話声が聞こえた。何となく、聞いてみることにした。
「ねぇ、聞いた?十合先生、手術ミスだってよ。」
「聞いた聞いた。手術中にパニック起こしちゃったやつでしょ?」
「そうそう。『一家の面汚しだっ!』とか言われちゃって。そもそもあの人、外科医に向いていなかったでしょうに…」
「……親御さん相当悲しんでいたよね。あんな綺麗な子を亡くしちゃったから…」
「まぁ、先生が悪いよね。裁判とか…最悪の場合殺されるくらいまでのことになるかもね……」
………。………。は?は?は?は?…?……あ????理解したくない。理解したくない。は?受け入れられない。ミス?綺麗な子?亡くした?やめろ。聞きたくなかった。あ?……。……??あ?は?殺される?十合?……………。
「…すーっ…ふぅ……」
「……はぁー…」
「ふーっ……ふーっ…」
ん?急に窓から落下する形が現れた。小さい形だ。子供か?柴が先に交戦すると思っていたんだが違いそうだ。つまり、あの形は敵。ならこのままなにもせずに待てば骨折とかで動けなくなるはず。
「……いや。」
思い立って走り出す。壁を使って跳躍すると小さな形を庇うように抱き抱える。……いや、なんで助けた?
「ありがとな、目無し。」
俺は敵のクッションとなった。たぶん相手のメリットだ。意思を変えられた気がする。着地をした瞬間に顔に一発殴られる。
「…くっ、」
一回『再び』するか?いや、限界がわからないなら無闇に使う訳にもいかない。とりあえずは相手と交戦しながら柴を待つしかないな。お互い距離を詰める。先に蹴りを繰り出すが回避された。相手の足払いよりも先に軸足を交換して回し蹴り。顔面にいい当たりを食らわせた。
「尾座田くーん、大変そう?」
「早く手伝えよ馬鹿!」
うざったらしい形が呆れたポーズをする。
「何言っているの?僕はもう依頼を終えたよ。もう手は出せないさ。」
なに言ってんだコイツ?間違えたとか言って殴りかかってもいいんじゃないか?
「だって依頼内容は『犯人の特定』でしょ?『犯人の殺害』なんて言われて無いよ。」
「なるほどなぁ…。完璧に理解した。」
理解したよ柴。俺に言わせたいセリフがあるんだろう?なら乗ってやるよ。お前の考えてることは分かんないけど、俺が仲間になったってちゃんと認めてくれよ。
「柴!依頼だ!俺と協力してアイツを無力化させるぞ。」
「依頼料は?」
「ちっ…お前の言うことを一回だけ従ってやる。」
ムカつく形はご機嫌なようだ。笑っているように感じる。見えないけど。
「契約成立!」




