天使は優しすぎる(1)
俺は恋をした。一目惚れだった。なにも無い俺の日常に華が咲いた。肩まで伸びた髪。綺麗な肌。細い指。丸い瞳。俺は気持ち悪いくらいに彼女を見ていた。
「……ねぇ。宮になんか付いてる?」
「…え、?あ、あぁ!いや!そんなことない…!」
「じゃあ、なんでじーって見てたの?」
「えっ、あ、それは…その……珍しいなぁって……」
俺はなに言ってんだ。詰まりに詰まって出た言葉が『珍しい』ってなんなんだ?俺は何に緊張しているんだ?
「……女子の患者は珍しいって?」
「いや、そんなわけじゃなくて……そこに人が居るのが珍しいなぁって…」
「ふーん。なんか、可哀想な人。」
意外な言葉を放つ彼女にこの時の俺はなにを思ったのか。今だにわからない。ただ、当時の俺にはその言葉は凶器だった。刺さってしまう。深く、深く。あぁ。なんか視界が……潤んで…。
「え、!?え?なんで泣くの!?ごめんって!」
それから俺と宮は仲良くなった。院内という限られた場所で青春と呼べる時間を過ごした。ただ楽しくて、最高だった。話は変わるが、いじめという存在を知っているだろうか?もしかするといじめという存在を知らない人はいるかもしれない。だが、ほとんどの人が知っているし、受けたことやしたことがあると思う。いじめは色んな場所に存在する。学校や職場、そして病院にも。
「ぐはっ!!」
多目的トイレで殴られたことはあるか?俺はさっき初体験した。すぐ二発目が飛んでくる。もちろん避けれるはずがなく、頬に入った。歯が抜けそうになった。鼻血が出た。痛かった。涙は出なかった。
「なんか宮と仲良いらしいじゃん。」
誰だよお前。宮はお前を知らないだろ。そんな正当なツッコミも言葉にはできなかった。自分より背が高くて、自分より年上。そいつは俺を殴るだけ殴って帰った。俺は思う。あいつは馬鹿だ。この傷はすぐ誰かに気づかれる。それなのにあいつはたっぷり殴って帰るだなんて。
「ははっ」
乾いた笑いが俺から溢れる。頬には涙が一雫。動かない俺に自動で明るくなるライトは人間はいないと判断し、多目的トイレは暗くなった。
目が覚めると暗い病室にいた。周りに人は居らず、どうやら個室のようだった。やけに広い部屋に孤独感を感じる。思い浮かべるのは宮の顔だった。
「失礼します。」
入って来たのは男性。少し疲れていそうな顔をしていた。
「赤木佑玖君。君の担当医となる十合だ。」
「……俺をあの病室に帰してくれよ!!」
俺の一言目は文句だった。そこで気づいた。俺にとって宮は俺の全てだったこと。あの空間が好きだ。あの雰囲気が好きだ。俺は…宮が。
「君は重症だ。…君が一番分かっているだろう。」
確かに。思うように体が動かない。顔も痛い。なんで俺なんだ。神様は俺が嫌いなのか?俺が幸せになることを拒んでいる。そうとしか思えない人生だ。
「……赤木君。最善は尽くしたんだ。」
「…は?」
「君の癌は4期になった。」
間髪入れずに突き落とされた。なんでだ。俺が何をした。ふざけるな。両親を失って、医者に拾われたと思ったらがんが見つかって、病院に住み込んでもいじめられて、やっと見つけた幸せも離れ離れ。
「君の余命は3ヶ月だ。」
おまけに余命宣告。ふざけるな。このまま死ぬのか?不幸しかない人生で終わり?なんで?頭の中はぐちゃぐちゃだった。ぽたぽた。泣き喚く俺を酒の肴にしてますか神様。
あぁ、幸せってなんだろう。せめて一日だけでも俺を幸せにしてくれ。
「佑玖、来たよ。」
「え」
目の前には俺の唯一の幸せがいた。ちょっとだけ体が軽くなった気がする。宮は俺の目の前で座った。
「佑玖、死んじゃうんだね。」
「…知ってんだ。」
「……宮のせい、?」
……あ?何言ってんだ?
「宮が悪いよね…。宮が近くにいるからそうなっちゃったんだよね…。」
「は?なんでそうなるんだよ?」
「だって……宮を守ってくれたからそうなっちゃったんでしょ?」
なんで君が泣くんだ?君は俺より幸せだろう?生きれるんだろう?なんで俺を見て悲しむんだ?なんで、なんで。
「ごめん…佑玖……」
その謝罪は俺を深く傷つけることを宮は知らない。宮は泣いた。俺はただ、黙ったままだ。慰めもせず、怒りもしない。静かにしているだけ。なんて愚かなんだろうか俺ってやつは。
「佑玖……宮の話、このまま聞いてくれる?」
「うん。」
「宮ね……佑玖に生きて欲しいの。」
「…うん?」
「あのね…宮の臓器あげる。」
「……は?」
俺は聞こえないふりをしたかった。天使は優しすぎる。だからこそ魅力的なのだろう。宮の目は潤んでいた。宮の手は震えていた。俺の目は死んでいた。なんだろう。こんなにも優しさを恨んだのは初めてだった。殴られるより痛くて苦しい。言葉ってのは凶器だ。状況によって刃にもなるのが言葉である。言葉は人類史上最悪の発明かもしれない。
「ねぇ、佑玖、どこが悪いの…?宮のと交換するから…」
「…がう……ろ…」
「宮はね、佑玖がいたから楽しかったんだよ…。いっぱいお喋りしてね、たくさん笑ったりしてね…うん…」
「ちがうだろっ…」
「死なないで……ほしいっ…」
ついに天使が泣いた。我慢していたものを吐き出した。宮の足元に涙が落ちてゆく。その雫は美しく、ドロドロだ。数分後には落ち着き、どこかに行ってしまった。だが、また戻ってきた。十合先生を連れて。宮は決心して十合先生に伝えた。
「宮は……佑玖に臓器を提供する!」
もちろん十合先生の反応は「は?」だった。だがすぐに理解してくれた。
「……ただし、倉那さん。ドナーになるには親の同意が必要だ。」
その瞬間、宮から魂が抜けたように感じた。真顔になり、手が少し震えている。直立不動の天使は何も捉えていない。魂が戻ってきたと思ったら苦笑いをしながら十合先生の方を見た。
「…先生……なんとかできないの?」
宮は喉奥から出た言葉を発した。首を横に振る十合先生に宮は抗議する。だが、先生も頑なに引き下がらない。結局、宮は負けてしまった。が、しかし。
「……わかりました。倉那さんの脳腫瘍を切除したら考えます。」
「へ…?ほんと…?」
十合先生は頷く。宮はさっきまでの暗い表情を忘れさせるほど、明るい笑顔になった。
「じゃあ宮、頑張るっ!」
そう決心した宮は出て行った。先生も他の患者のもとへ行ってしまった。楽園は閉まってしまった。もう二度と開くことは無い楽園が。
倉那宮の手術の三日前、父親の倉那晴路がお見舞いに来ていた。
「どうも。倉那宮さんの手術を担当します。十合です。」
軽い会釈をする。そこで初めて顔を見た。私はゾッとしてしまった。わかってしまった。彼は歪んでる。死んだ目、窶れた顔、ところどころに現れている白髪。しかし体は健康そうだ。歪んでるガタイのいい男が父親…?私は嫌な予感がした。
「あぁ…どうも。宮の父親です。少し話をしませんか?」
「は、話ですか…?」
「えぇ…誰もいないところで。二人。」
淡々と話す彼に私はもう怯えている。乗っちゃいけない、こんな話。そんなことわかっているのに脳はイエスの信号を送ってしまった。話し合いの前にチラッと倉那宮を見る。目の焦点が合わさってない。体が微かに震えている。どうやら私の予感は当たっていそうだ。
「先生、手術を今すぐしてください。」
「……なぜですか?」
「…いいから早くしてください。」
晴路は鼻息を荒くする。握り拳に無駄に力が入っている。…何かを我慢しているのか?
「それはできません。」
冷たく言い放った私に彼は胸ぐらを掴んで反抗した。血管が浮かび上がる腕。睨みつける眼。息が…できない。
「…わかっているのか?俺はいつでも殺していいんだぞ。明日、手術を行え。いいな?」
苦しみながら頷く私はどんなに惨めなのだろうか。呼吸を整えながら頭を抱える。無理だ。彼は私を殺せる。腕にあったタトゥー。あれの意味を私は知っている。暴力団の一派、南錠組の印だ。
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指定暴力団一派・南錠組 : 近年、アブノーマル被害に紛れて暴力団事件が多発しています。特に有名なところで言えば南錠組です。彼らは体のどこかに仲間の印としてタトゥー、もしくは焼き印が入っています。特徴としては、
・円の中から舌を出している
・円の中に鍵穴
の二つです。もし見かけた場合、一旦距離を取りましょう。もし被害を受けた場合、即座に警察に通報してください。
(警視庁ホームページ『暴力団について』より一部抜粋)
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円に鍵穴、そして舌。間違いない。倉那宮の父親は南錠組のメンバーだ。だとしたら倉那宮は……
「…先生?」
声をかけられてはっとする。私は倉那宮の目の前に立っていた。どうやら私は脅された後、深く考えながら淡々と仕事をこなしていたらしい。
「先生…宮のパパになんか言われたでしょ。」
「……あぁ。」
「言うこと聞かなくていいよ。あんなゴミカス。」
衝撃だった。彼女の口からそんな言葉が出てくるなんて。そのまま彼女は続けて喋った。
「宮のパパはね、宮が産まれたから変わっちゃったの。ママに優しくて、色んな人に親切だったんだって。でもね、宮の産まれ方が悪かったみたいなの。……ママ、死んじゃったんだ。」
たまにあることだ。同じ仲間からちょくちょく話を聞く。出産が原因で母親が…子のせいで…
「それから宮はたくじじょ?に行ったの。パパの心がぼろぼろだから…でね、宮が10歳の頃にパパが宮を連れ去ったの。……それから、それから…うっ…」
私は咄嗟に近くにあったゴミ箱を渡した。予想通り、宮は吐いてしまった。それが意味するのはとてつもなく生々しい話だろう。なぜ。私が震えているのはなぜだろうか。第三者の私が怯えてどうする。わかっている。私は小心者だ。あんな人間に怯えてしまうほど臆病な人間だ。それなのに無駄に共感能力が高い。保育士とかの方が向いていたのだろうか。なぜ医者なんか…全部血筋とかいう呪いのせいだ。死にたい。ああ死にたい。
「もういいよ。ありがとう。話してくれて。」
「先生…宮は平気……?」
「…あぁ。必ず成功させるさ。」
倉那宮の手術当日。宮の父親を無視して予定日に手術を行うことにした。前日に他の患者の手術をし、かなり安定していた。ならば今日もできるはず。落ち着け。私には毎回手術前のルーティンがある。肘で脇腹を軽く押し、その後肘で強い一撃を同じ場所にいれる。そこは昔父さんに縫われたとこであり、母さんが痛めつけるとこ。母さんがいつもここを叩くから母さんに躾けされている気分になる。忌々しいくせに、やめられない。集中するから。その後は軽く伸びをする。目をほぐす。最後にもう一度脇腹を肘打ち。
「っし…」
手術室に向かう。その足は重かった。だんだんと不安が芽生えてくる。私を押し殺す。落ち着け。肩が重い。ふらふらする。ちゃんと立てているか?落ち着け。汗が出る。あつい。いやさむい。体内はあついのに体外はさむい。酸素が足りない。落ち着け。落ち着け。
「手術を開始します。」




