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子爵さんと精霊さん

森のはずれに、枯草色の石でできた、大きな可愛い建物がある。


今日も私は森を見回りながら、そのお屋敷へ向かう。


人が暮らす建物としては大きくて、四角い窓がたくさんある。


私は二階のいつもの窓へ行き、中の部屋を覗く。


部屋には広いテーブルがあり、上にいろんな道具が置かれている。


壁一面の棚には、たくさんの本や、瓶などが並んでいる。


天井の梁からは、植物の束が吊るしてある。


このお屋敷の主は、毎日この部屋でお仕事をしている。


今日も彼は、テーブルに向かい、何か作業をしている……。


私はその様子を眺める……。


すると彼は、窓の外にいる私に気づいて微笑んだ。


「精霊さん。」


私も微笑む。


「子爵さん!」


子爵さんは、窓を開けて私に言う。


「丁度良かった。薬草の生えている場所を教えてくれないかな。」


と、本を持ってきて絵を見せた。缶も持ってきて、中身を見せてくれた。乾燥した草が一本入っていた。


「これがたくさん生えている場所は、あるかな。」


「これなら、湖のほとりにたくさん茂っていますよ。」


「湖かぁ……。少し遠いな……。他の場所は?」


「他は……見かけたことありません。探してみないと分かりません。」


「ううん…………よし、湖まで行きましょう。」


「私が採ってくる事もできますよ!」


と、提案したけれど、子爵さんは、


「どんな場所に生えているのか、見て確かめたいから、歩いて行くよ。明日晴れたら、案内してくれますか?」


「はい!では明日!」




嬉しい!また子爵さんのお役にたてる……!


私は、すぐに湖まで飛んで行って、本当に同じ薬草かどうか確かめ、少し手折った。


他の場所にも生えていないか、飛び回って探してみた。


でも、見つからなかった。






翌朝。


晴れていて、この先数日、天気は持ちそう。


昨日持ち帰った草を、子爵さんに見せた。


「ああ、まさしくこれだよ。ありがとう!」


「歩いて行くのですか?」


私が子爵さんを持ち上げて運ぶ事もできるし、魔力が強い魔術師である子爵さんは、谷一つくらい、飛んで超えられる。けれど彼は、


「歩くよ。体力を付けたいからね。足腰が弱ると、魔力も気力も弱ってしまうから。それに、採集したいのは、これだけじゃないから、道々探したいんだ。」


澄んだ泉のような美しい緑の瞳には、使命感が宿っている。


「この薬草があれば、苦しんでいる村人を治してやれる。他の薬草もそうだ。


精霊さん、案内をお願いします。」


「はい!」




私は、道案内もだいぶ上手くなった。


最初の頃は、子爵さんに何度も呼び止められて、


「すまないけれど、もっとゆっくり進んでくれるかな。」


「すみません!」


「それと、もう少し歩きやすいルートはないかな……。」


と、困り笑顔で言われた……。


「歩きやすいルート……ここは、歩きづらいですか?」


「勾配が急だからね……。」


「そうなのですか……。鹿はよく通っていますけれど。」


「はは!鹿はね!」


なるほど、二本足で歩く人間は、他の動物より歩行が不安定なのだ。筋力も弱いみたい。


「こっちはどうでしょう?」


「ちょっと岩が多いよ。」


「ここは?」


「下枝が混んでるね……。」


「薬草はすぐそこなんですけど……。」


「ううん……じゃあ、どうしてもじゃまな枝は払って進むけど良いかな?」


「良いですよ。」


何かと大変らしい……。人間は最短ルートでは辿り着けないのだと知った。




私は、人にとって歩きやすい場所とはどんな場所なのか、一つずつ覚えていった……。






子爵さんは、屋敷を後にして、庭を横切って森へ入り、湖に向かって歩き始めた。


私は言う。


「湖までは、深い川を二つ超えなければいけません。岩だらけの場所もあります。」


難所はあらかじめ伝える事になっている。でも、子爵さんは、


「そうだったね。しっかり準備したから大丈夫だよ。」


いつもは裾の長い上着や、襟飾りの付いたシャツを着ているけれど、今日は村の職人さんみたいな格好をしている。


背中には、大きな布袋と、鍋を背負っている。


……人間は、行く場所や、イベントや、職業や、身分によって服装が違うなんて、面白いと思う。




出発して、


道のない、明るい森の中をしばらく進む……。




深い川を二人で飛び越えると、


次第に岩の多い山道になる。




休憩中、私は一人で山奥へ行き、清流の水を水筒に汲んできた。


澄み切った水が勢い良く流れている川で、以前一度、子爵さんと一緒に来たことがある。


子爵さんは一杯飲み干して、


「ああ……やっぱりあの川の水は美味しいな……!どんなお酒よりもご馳走だ……!」


私は、子爵さんの嬉しそうな顔を見るのが好き。




以前、


「毎日あの川の水を汲んでお運びします!」


と言ったら、彼は笑って首を横に振ってから、


「君と一緒に森を歩いて、疲れた時に飲むのが一番美味しいんだ。森の爽やかな空気の中で飲むからご馳走なんだ。


でも、ありがとう。気持ちが嬉しいです。」




ひたすら歩き、夕方近くに湖に着いた。


早速子爵さんは、目的の薬草の生えているところへ行く。


目当ての薬草は、湖の水辺に群れて茂っている。


「そうか……」


彼は葉っぱに手を触れて、辺りを見回し、


「なるほど……これだけ広くて、良く日の当たる、風通しの良い水辺にしか生えないんだな……。そんな場所は、この森で、ここだけだ……。」


「はい。」


「明日の早朝に採取して、この場で薬を作ります。」


「はい。」


子爵さんは、しゃがんで草を観察する。


「魔力が生の状態で鮮やかだし、魔力の相が綺麗だな……。」


子爵さんは、植物の魔力が見える体質なのだと話していた。


「子爵さんもお綺麗です。」


私は子爵さんの魔力が見える。子爵さんは自分の魔力があまり見えないらしいけど。


「ふふ。ありがとう。」




すぐに日が暮れていく。


子爵さんが、木の枝とロープと布でテントを作る。私も手伝う。


この簡易なお家は、最初一目見て好きになった。


立派なお屋敷も綺麗で好きだけれど、なぜか不思議と、テントの方が惹かれた。


何度も出たり入ったりして面白がっていると、子爵さんは笑って、


「子供みたいですね。私も小さい頃、テントが好きでした。」


「子供の頃……今はどうですか?」


「今も好きですよ。毎日テント生活はしんどそうですけど、こうしてたまに過ごすのは、楽しみに思っています。」




なので、私もワクワクしながら、一緒に組み立てる。


「わあ、完成ですか?」


「完成しました。」


嬉しくて、二人とも拍手する。




テントが完成すると、彼は、外で石を積み始めた。石で囲った小さい炉の中に枯れ枝を置いて火を起こし、網をのせ、小鍋を置き、


乾燥した豆と、肉の薫製と、私が汲んできた水で、スープを作って、パンと一緒に、美味しそうに食べていた……。


「はあ……マナーも、話題も気にせず、森の中で食べる料理は、美味しいし爽快ですよ。」


私は茂みへ入って、小さな木の実を採ってきた。


毎回、ついつい、両手で持てないくらいたくさん摘んでしまう。なので、袖の中に仕舞っている。


袖は、木の実も、小さな生き物も運べるので、とても便利。


子爵さんの持つ器の中に、袖口から赤や紺色の実を落とす。


「ありがとう!」


彼は美味しそうに食べてくれた。


「甘酸っぱくて、疲れた身体に効くよ。残りは明日食べるね。」


子爵さんの生き生きした表情を見ていて思う。


キャンプが楽しいから、自分で薬草を採取しに行くのかも知れない。




……木の実と言えば、しばらく前、


私はたくさんの木の実をスカートに乗せて包んで、屋敷にいる子爵さんの元へ行った。


すると彼は慌ててよそを向いて、


「……精霊さん、スカートで物を運ぶのは、お行儀が悪いですよ……。」


「お行儀が悪い、ですか?それはなんですか?」


「ええと……その、私が困るので、やめてください……。」


「お困りですか!すみません!」


以前、女中さんがエプロンで果物を包んで運んでいたので真似してみたけれど、子爵さんは困る事らしい……。


私は慌ててスカートから手を離したので、部屋中に木の実が散らばった……。


すると、子爵さんは、笑い出した。


「あっははは!」


涙が出るほど大笑いしていた……。


「はははは!」


「子爵さん、大丈夫ですか?」


苦しそうなので、心配で尋ねると、彼は笑いながらうなづいた。


「ははは!」


あの時は分からなかったけれど、どうやら子爵さんは、私のアンダースカートや足が見えるのが困るらしい。


それに、私が部屋を散らかすと、とても面白いらしい。


あの日以来、子爵さんは、なんだか雰囲気が明るくなった。




人間は、私と違う事がたくさんあって、不思議……。


毎日眠るのも、不思議……。


私は枝と布でできたテントの入口から中を覗く。


子爵さんは、乾いた落ち葉の上に布を敷いて横になって、身体に上着をかけて休んでいる。


「子爵さん、お側にいてもいいですか?」


「いいですよ。」


私はテントの中へ入る……。




普段は寝室へ入れてもらえないし、部屋の窓もカーテンもしっかり閉めて、結界を張って休む方なので、こういう時しか、彼の寝顔を見られない……。


「なぜ結界を張って休むのですか?」


と、尋ねた事がある。


「安心して眠れるからです。」


と、子爵さんは話していた。


「安心……無いと不安なのですか?何が不安なのですか?」


「……不安と言うか、習慣ですし、無いと寝付けないんです。怖いお化けから守ってくれる魔法のカーテンのような物です。」


「お化け、いませんよ?」


森でそんなの見たことない。


「うん……私は昔から怖がりなんですよ。」


私は子爵さんの寝顔を見たいけれど、安心して眠れる方が大事なので、普段は我慢している。


でも、野宿の時は寝ている子爵さんを眺められるので、嬉しい。


魔力の強い子爵さんが眠っている時の、生命力と魔力は、とても美しいと思う……。




「見張りはお任せください!安心してお休み下さい!」


「ありがとう。おやすみ。」


今日は私が結界を張って、子爵さんをお化けからお守りする。




……子爵さんが寝付いた。


「わあ……!やっぱり子爵さんの魔力は綺麗……!」






明け方の空に……、


薄青い煙が、細く立ち昇る……。


子爵さんが、温めた大鍋の側で杖を動かし、術を唱える。


鍋の中の新鮮な薬草は、杖からあふれ出たきらめく光に包まれ、汁を落とし始める。


汁を失って干からびた薬草を取り除き、粉末を少量注ぎ、混ぜながら杖で魔力を込める……。


液体の色が変わり、透明な薄紫色になる……。


完成した物を瓶に詰める……。


「新鮮な薬草で作ると、こんなに透明になるんだな。」


刈った薬草はまだたくさんある……。




子爵さんは、また一束、薬草を鍋に入れて、術を唱える……。


完成したら、瓶に入れる……。


その繰り返し……。




朝日が降り注ぐまでに、六つの瓶がいっぱいになった。光が当たらないよう、しっかりと黒い布で包んで仕舞った……。




「はあ……。」


子爵さんは、魔力が減って、岩の上に座り込んだ。


私は彼の胸に手を当て、魔力を送り込む……。


「お疲れ様でした。」


「ありがとう。」




朝食後、


子爵さんは、小さな薬草図鑑を片手に、湖のほとりを探索した。


何種類も薬草を採取した。


種や球根は、庭で育ててみるらしい。




それから湖を出発して森を歩き、夕方には屋敷に到着した……。


「これは道案内のお礼です。ありがとう。」


と、子爵さんが、お花を一枝くれた。彼が趣味で育てているお花。


花びらが白とピンクの縞模様。


「わあ……とっても綺麗です!」


私が喜ぶと、子爵さんも嬉しそうに笑った……。




枝は、一番良い場所に植えて大切に育てよう……!


増やしておけば、一つが枯れてしまっても、長く楽しめる。


見るたびに、子爵さんと一緒に森で過ごした楽しい時間を思い出せる……。


枝を三等分して、切り口の細胞に働きかけ、発根と発芽を促して挿し木した。






「子爵なんて身分は、捨ててしまいたいけれど、おかげで学費の高い魔術大学で魔術を学べて、薬を作れるようになって、人助けが出来ている。だから、私は、精一杯、私を支えてくれている人達のために、できる事をしたい。」




子爵の身分というのは、税金というもので支えられていると以前説明してくれた。


大昔の王様が作った仕組みらしい。


だから、税金を収めている人はみんな、子爵さんを支えている人達、らしい。


村の人たちはもちろん、よその村の人たちのためにも、子爵さんはお薬を作って力になりたいらしい。




すごいと思う。


私はこの辺りの森の植物や動物たちの事しか考えた事がない……。


他の森の力になりたいなんて、考えた事無かった……。




子爵さんは、自分の身分が嫌だという。


嫌ならやめてしまえばいいのに……。


やめさせてくださいって、王様に頼めばいいのに。


でも身分を受け入れて、できる事をしたいらしい。


「よくわからないですけど、子爵さんは、立派で優しい人間だと思います。」


「はは、私は立派じゃないよ。でも、そう、君の言う通り、私は人間だ。村の人とも同じ、人間なんだ。精霊さん。」




それはもちろそう。村の人も、子爵さんも、人間。子爵さんは魔力が強くて特別だけれど。




「人間さん、と、お呼びしましょうか?」


「ははは!」




彼は優しい目をして言った。


「私のことは、子爵と呼んでください。」




……子爵であることが嫌なのに、そう呼んでほしいなんて、やっぱりよくわからない……。




「なぜですか……?」


「私はあなたの事が大切だからです。精霊さん。」


「??」










子爵さんの部屋へ行くと、


窓が開いていた。


うららかな日差しの注ぐ室内で……


子爵さんは、机に肘をついて、頬杖をつき、広げた本の上でうたた寝をしている……。


私は……子爵さんが眠っているところを、初めて見た……。


「わあ……魔力がすごくきれい……!」


まるで、風に煽られて波打つ、若い麦の穂のよう……。


つい、そばへ寄って、触れてみたくなった。


「少しだけ……」


背中に手のひらを付けると……


私の手の魔力が、子爵さんの体内の魔力の中に、少しずつ落ちて行って混ざっていく……。


子爵さんの魔力も、私の手に立ちのぼって来て、じんわり混ざってくる……。


なんだか……気持ちいい……。


もしかしたら、寄り添って眠る動物たちが感じる心地よさは、こんな感じかもしれない……。


安らぐ温かさというのは……。体温を交換する親密さの安心感は……。


それにしても、なんて美しいんだろう……。


子爵さんの背中を撫でる……。


私の魔力の影響を受けて、マーブル模様や渦ができる……。


子爵さんの体の奥を流れている魔力にも、触れてみたくなった。


どんな感触か、確かめてみたくなった。


私は、子爵さんの背中の中に、手をうずめていく……。


すると、まるで滝が滝つぼに落ちるように、急に私の魔力が子爵さんの体へ流れ込んでいく……。


「!?」


慌てて手を引っ込めたけれど……


「んん……うわ!?」


子爵さんが感電したみたいにビクッとして起きた。


肘が当たって、本や書類が床に落ちる。


「精霊さん!何を!?」


「子爵さんの魔力があんまりきれいなので、触れていました。すみません、いやでしたか……?」


「はぁ……精霊さん、私にことわりなく、身体に触らないでほしいと言いましたよね……?」


「はい、すみません!あの、大丈夫ですか?」


子爵さんは息が上がっていて、髪もやや乱れている……。


「驚いたんですよ。」


「私もびっくりしました。」


魔力を吸われてしまうのにも、子爵さんの驚きようにも。


彼は居住まいを正して質問する。


「精霊さんは、私の表面に触れるとどんな感じがするんですか?」


「心地よくて安心します。」


「体の中は?」


「……驚きましたけど、嬉しかったし面白かったです。」


「そうですか……。私は精霊に体の中を触られると、魔力の質が急に変わってびっくりするんです。体の中に色の違う風が嵐のように流れ込んできて、染まっていく感じがするので。」


「そうなんですか……。」


どうやら子爵さんにとっては不快らしい……。


「あと、私の頭には触れていませんよね?」


「はい。」


「頭の中を触れられると、以前も言ったとおり、気持ち悪くなってしまうので、しないようにお願いします。」


「わかりました。すみませんでした。次からは、眺めるだけにします。……でも、少しなら、表面だけなら、触ってもいいですか?」


「……背中じゃなくて、手とか腕にしてください。」






頭の中を触られると気持ち悪くなるというのは嘘だ。


精霊は、人の脳に触れることで、記憶を読む。


私の過去を、精霊さんに読まれたくないから、嘘をついた……。




精霊さんと全く同じ姿の……、


許嫁との思い出を……、


見られたくないから……。










精霊さんが私に言う。


「子爵さん、あの、あなたの眠っている姿を見たいです。」


精霊さんが言うには、私が眠っている時の、魔力や生命力が美しいので眺めていたい、ということらしい。


うたた寝しているところを見られて以来、時々そう言われる……。


けれど私は、精霊さんに、寝室へ入ることを許可していない……。


彼女とは、隣人として付き合っていきたいから……。


魔法使いと式の契約を交わすつもりもない。




精霊さんは……昔、病で死んでしまった思い人に、瓜二つの見た目だ。私のフィアンセに……。




二年前、薬草を取りに森へ入った時、生まれたばかりの精霊と出会った。


精霊は最初は形の無い魔力の塊だけれど、何度か遭遇するたび、亡きフィアンセの姿になっていった……。


そして、魔力の強い私に興味を持ち、屋敷へやって来るようになった……。




忘れられない思い出と、悲しみをまとった、新しい命との出会いに戸惑って、どうしたらいいのかわからなかった……。




彼女と精霊さんは、別人だ。死者は蘇ったりしない。フィアンセは死んだのだ……。




精霊さんの性格や言葉使いが、フィアンセと違うと気づいては、悲しく辛くなった。


違う姿になって欲しかった……。




今でも、ふとした時、私は苦しくなることがある。




けれど今では……


精霊さんがこの森に住んでいて、私を思ってくれている……


それだけで幸福なのだ……。


こんなに誰かを大切に思えるのは、フィアンセ以来だ。


だから、精霊さんとはパートナーではなく、隣人の関係でいたい……。


精霊の一生は長く、私の方が必ず先に死ぬと分かりきっている。


精霊さんに、親密な関係の人を亡くす悲しみを味わわせたくない。


いつか現れるであろう、精霊さんの大切な人のためにも……


精霊さんを縛りたくない……。


私は一生、精霊さんとは契約しない。






私は精霊さんに訊ねる。


「今年もあの木は、花が咲いているかな?」


薬に使う花だ。




「はい。咲いていますよ。」


「では、摘みに行くので、手伝ってくれますか?」




精霊さんは、嬉しそうに返事をする。


「はい!子爵さん!」










精霊さんは以前、私の好きな木の実を、大量に取ってきてくれたことがあった。


「子爵さん、今年は豊作ですよ!」


彼女は入れ物を持っていないらしく、スカートで包んで持ってきた……。


スカートが持ち上がってしまっていて、アンダースカートが見えていた。


アンダースカートは足のラインに沿ってなびいていて、少し透けていて、私はあわてて目をそらした。


「……精霊さん、スカートで物を運ぶのは、お行儀が悪いですよ……。」


「お行儀が悪い、ですか?それはなんですか?」


「ええと……その、私が困るので、やめてください……。」


「お困りですか!すみません……!」


彼女はあわててスカートから手を離したので、木の実は部屋中の床に散らばった……。


昔亡くなったフィアンセは……


スカートで木の実を包んで持って、窓から入ってくるなんて、おてんばなことはしなかった……。


こんなに見事に物を散らかすことも、もちろん……。


私は大笑いしてしまった。


彼女と精霊さんは、全然違う……。


そうはっきりとわかって、ほっとしたんだと思う……。


それまでの緊張や悲しみが溶けて、


苦しくて涙が出るくらい笑った……。


こんなに笑うのはいつ以来だろう……。そう思った。


失敗を恥じて戸惑っている彼女に言った。


『精霊さん、ありがとう。大切にいただきます。』


私は懐から銀の杖を取り出し、魔法で木の実を拾い集めては、洗面器とピッチャーに入れていった。


手で拾った方が消耗しないけれど、動くと踏みつぶしそうなので、丁寧に少しずつ魔法で拾い上げた。


すると精霊さんは、


「なるほどです!」


床の木の実がすべて浮かび上がり、洗面器とピッチャーに我先にと入っていった。


「……精霊さん、ほこりも一緒に入ってしまっているよ。ついでに言うと、私の靴の飾り金具もね。」


「すみません……!」


彼女は、見た目は美しいレディーだけれど、中身はまるで子供だ……。


私はくすくす笑った。


「大笑いしてすみませんでした。木の実を私のためにとって来てくれた、その気持ち、うれしいですよ。どうもありがとう。」


「ええと、……次はスカートではなくて、木のうろに入れてお運びしますね……。」


背の高い木を抱えて、空を飛んで運ぶ彼女を想像した。


私はまた大笑いしてしまった。


「片手で持てる量で十分ですよ!」


「すごく少ししか運べませんよ?」


「それで良いんです。」


「そうですか……あ、木の実がなっている場所に、子爵さんをお運びしましょうか!」


と、両手を差し出す。


「ふふ!誰かを驚かせてしまうかもしれないので、遠慮しておきます。


それに私は、掌一つ分くらいの、小さなプレゼントがちょうどいいし、十分うれしいんですよ。多いと全部を大切にできないかもしれませんしね。」


と、微笑むと、


「……わかりました。」


精霊さんも微笑んだ。


私は洗面器を持ち上げる。


「木の実とほこりと金具を仕分ける作業を、手伝ってくれますか?」


「はい!」


精霊さんは、洗面器を受け取ると、外へ持って行って、中身を空高く放りなげ、落ちてきた実だけを受け取って、


「分けましたよ!」


嬉しそうに戻って来た。私は微笑む。


「どうもありがとう。」


私は窓から顔を出して、庭で洗濯物を干している女中さんに小声で謝った。


「すみません。」


彼女は私を見上げ、


「金具が落ちてきましたよ。ゴホゴホ!」


と、煙たそうに咳をする。


「はい。すみません。今、取りに行きます。」






「精霊さん、物を床や地面に落とすのは、物を粗末にする事なので、気を付けてください。」


「そうなんですか……!気を付けます!


……。あの、粗末、ってなんですか?」










庭で植物の観察と世話をしていると、


「子爵さん!」


と、精霊さんの声がした。


見上げると、そこには彼女はいなくて、代わりに白いハトがいた。


こちらへ向かって飛んできている。


「あ!よけてください!」


慣れない様子で羽ばたき、止まろうとするけれど、私の顔にぶつかった。


「わ!」


「きゃ!」


地面に落ちて転がってもがいている鳩を助ける。


両手で抱え、立たせてあげた。


「大丈夫ですか?」


「はい!」


精霊さんは、翼を持ち上げて言う。


「子爵さん、わかりますか?私です!」


「うん、わかるよ。精霊さん。」


「さっき鳩の群れと一緒に飛んでいたら、いつの間にか、私も鳩になっていたんですよ!」


と、真っ白な羽を広げて見せる。


「すごいことです!」


私は微笑む。


「うん、すごいですね。」


精霊さんは、目を細めて嬉しそうに喉を鳴らす。


「人の姿もうれしかったですが、鳩の姿もうれしいです!


上手に着地できるように練習しますね!」


と、頑張って羽ばたいて飛び上がろうとする。


でも、うまく飛べない。


私は精霊さんを片手でそっとつかんで、もう片方の手に乗せ、指に止まらせる。


私は立ち上がって、


「こうやって振り上げるので、飛んでください。」


と、反対の腕を振り上げて見せる。


「はい。」


以前、実家の庭師が、飼っている鳩をそうやって飛ばしていた。




「行きますよ。せーの……!」


私は腕を振り上げる。


精霊さんは私の手をけって飛び立つ……。




力強く羽を打ち鳴らして、


まっすぐに空へと飛んでいく……。




「わあ……!飛べましたよ!子爵さん!」


「うん。」


「私、鳩の姿で飛んでいますよ!」


「うん。」


目を細めて見上げていると、


精霊さんは、ゆっくりと、何度も旋回してから森へ帰っていった。






次の日。


「子爵さん……。」


仕事部屋の窓辺に現れた精霊さんは、いつもの姿に戻っている。元気がない……。


「戻ってしまいました……。


もう鳩の群れは、ほかの森へ行ってしまって、そしたら、どう頑張っても鳩になれないんです。


どうしたら、また鳩になれるでしょうか……。」


と、涙目になる。


「子爵さんが私を飛ばせてくれたの、とってもうれしかったです……。


またしてもらいたかったのに……!」


と、涙をこぼして、しくしく泣き始める。


私は本棚へ行き、一冊の本を取ってくる。


学生の頃の、精霊学の教本だ。ページを開き、杖を取り出して詠唱する。


杖からあふれ出る光の粉を、精霊さんに振りかける。


泣き止んで、不思議そうに光る粉を眺めている精霊さんに言う。


「鳩になりたいと願って。」


「は、はい!……鳩になりたい……!鳩になりたい……!鳩になりたい!」


精霊さんは、ふっと鳩になる。


羽ばたくけれど、落ちそうになる。


「おっと。」


両手で受け止めると、精霊さんは私の掌に立って、自分の姿を見て言う。


「すごいです……!鳩になれましたよ!」


「うん。」


昨日と同じく、綺麗な真っ白なハトだ。


「すごいです!子爵さん!すごいです!」


嬉しそうに羽を動かして足踏みするから、手がくすぐったい。


「ははは!」




私たちは庭へ出る。


「行きますよ。せーの!」


腕を振って、精霊さんを飛ばす。


精霊さんは、元気良く飛んで行く。


「子爵さん、ありがとうございます!」


昨日より上手に飛んで、森へ帰っていった。




部屋に戻ると、床に白い羽が一枚落ちていた。


拾おうとかがむと……


羽は霞んで消えてしまった……。




……わけもなく、涙が出てきた……。


たぶん、うれし涙だ……。


鳩の姿で飛び去る君が、幸せそうで……。




毎日、喜ぶ君を、眺めていたい……。










「あの、子爵さん。」


「なんだい?」


精霊さんが、私の眼を見つめて言う。


「子爵さんは、結婚はしないのですか?」


「!?」


驚いた。精霊さんが、そんな質問をしてくるなんて。


私は微笑んで答える。


「しませんよ。私は一人身のほうがいいんです。」


「そうなんですか……。寂しくないですか?」


「寂しくないですよ。私は忙しいし、この家は賑やかだし、君も来てくれるしね。なんで急にそんな質問を?」


「新しい女中さんが言ってました。」


なるほど。


「はは!そう。……私が結婚しない理由はね、貴族という身分が嫌いだからだ。


もし結婚して、子供が生まれたら、その子は子爵を継ぐことになる。


それは嫌なんだ。


貴族と平民がいるのは不平等だから、もう、貴族は増えないほうがいい。


それに、親せきが増えるのも面倒だしね。」


「そうでしたか。」


「一人は気楽だし、薬作りに没頭できるし、性に合っています。心配ありがとう。私はちゃんと幸せなので、安心してください。」




精霊さんは満足したらしく、森へ帰っていった。




私はつぶやく。


「あなたのおかげで、寂しくないですよ。どうもありがとう。」


空を見上げた……。










外で、子爵さんの荷物を乗せた馬車が待っている。


「精霊さん、それでは、行ってくるね。」


「はい。お気を付けて!お土産楽しみにしてます!」


子爵さんは微笑んで、


「うん、楽しみにしておいで。」


帽子を被り、部屋を出る。


私は屋根の上に出て、馬車が見えなくなるまで見送る……。




子爵さんは、時々遠出をする。


この森にはない薬草や、薬作りの材料を、魔法使いの街まで買いに行く。


自分で調合した薬も、同時に売りに行く。




魔法使いの街……!


どんなところだろう!




「私も行ってみたいです!」


と、頼んでみたけれど、


「人の多いところを精霊がうろうろしていると、さらわれてしまうので、ここにいてください。」


「?さらわれてしまう、は、何ですか?」


「悪い魔法使いに無理やり連れていかれて、閉じ込められてしまうんですよ。」


「怖いです!」


「そういうトラブルが起きても、私はあなたを助けて守ることができないので、連れていけません。」




子爵さんは、馬車ではるばる遠くの森や山へ、薬草を取りに行くこともある。


ガイドを雇って、採集するらしい。


途中で都市に立ち寄るから、やっぱり私は連れていけないらしい。




いつか、子爵さんと一緒に、どこかへ行ってみたい……。


森の外の、広い、知らない世界に……。






一週間後、子爵さんが帰ってきた。


「はあ……ただいま。」


「おかえりなさい、荷物がたくさんですね!」


「うん。はい、お土産だよ。」


「ありがとうございます!」


包みを開けると、紙の束と、何かの道具が入っていた。


「これはなんですか?」


「水彩絵の具だよ。絵を描く道具だ。最新の画材らしいよ。」


「絵を?」


「何か描いてごらん。」




子爵さんが、チューブの絵の具をパレットに出してくれた。


色とりどりで綺麗……!


私は水で薄めた絵の具を細かい水滴にして宙に浮かばせ、次々と紙に染み込ませていく……。


「できました!」


「綺麗だね……!こんな絵は初めて見たよ。いろんな色がありますね。何を描いたんですか?緑色が多いから植物かな?」


「葉っぱです!」


「葉っぱなんだ。君にはこう見えてるんですか?」


「はい。葉っぱのなかに座って表面を見上げると、こんな感じです。絵の具の色が足りないですけど。」


光はもっとたくさんの色があるけれど、人間には見えないらしい。


「へえ……さすが精霊さんですね……。」子爵さんは感動して、羨ましそうに言う。


「私は精霊さんの知っている世界が未知ですよ……。この、ガラスのタイルみたいなのが細胞ですか?」


「はい。」


「タイルの中の丸いのが核で、その中や周りの細かいのは何ですか?」


「ええと……」


説明したけれど、上手く伝わらなかったらしい。


でも、子爵さんは感慨深げにこう言った。


「……人類の科学はまだまだですね……。葉っぱ一枚すら、ほとんど分かっていないなんて……。」




私の絵を額に入れて、仕事部屋の壁に飾ってくれた。










ある日、子爵さんの部屋へ行くと、彼はいつもと違う服を着ていた。


「これから村へ行って、結婚式に出席するんだけど、君も来るかい?」


「え!子爵さん、結婚するんですか!?」


「はは!しませんよ。私じゃなくて、村の人達の結婚式ですよ。」




子爵さんが私を森の外へ連れて行ってくれるのは、初めてで、ワクワクしながらついて行った。


下男さんが馬車のドアを開け、いつもより黒っぽい装いの子爵さんは乗り込んだ。私は反対側から入って、子爵さんの隣に座る。


「わあ、馬車からの眺めは、こんななんですね!」




牧場や農場を通り、村に入る。


教会の前に、人が集まっていた。


「わあ、人間がたくさん!まるで蟻さんみたいです!食べ物があるんですか?」


子爵さんは、可笑しそうにクスクス笑う。私は何が可笑しいのかわからない。


子爵さんは小声で言う。


「みんなお祝いしに来てるんだよ。確かに美味しいもの目当ての人もいるけどね。


私達も蟻になりますよ。」


と、黒い帽子と上着の子爵さんは馬車を降りた。


お祝いってなんだろう。




子爵さんは、村人に歓迎された。


結婚する二人も、子供の頃、流行り病にかかったけれど、子爵さんが魔法薬で救ったらしい。


子爵さんは遠慮して、教会の端っこで、式を眺めていた。私も。


これがお祝い……。


「みんなでお祝いするのって、……なんだか……いいですね。」


「そうですね。」


「動物たちは、それぞれですし、毎年違う相手とカップルになる子たちも多いですけど……


人間は……長く一緒にいることを誓い合って、暮らしていくんですね……。」




子爵さんは、花かごを受け取って花を蒔く、私も、花嫁さんと花婿さんに、花を蒔いた……。


「誰かを祝うのって、気持ちがいいですね!」


「そうだね。」


子爵さんは笑顔で言う。


「誰かの幸せを、一緒に喜んで、幸せな人生を願うのは、こちらも晴れ晴れしますね。」


「それに、とっても綺麗です!」


「そうだね。」




屋敷の部屋に戻ってきた。


「子爵さん、連れて行ってくれてありがとうございました。初めてで、うれしかったです!」


「そう。」


「私も、森の子たちをお祝することにします!


カップルになった子たちを見かけたら、好きなお花をプレゼントしようと思います!」


「はは!それは良いね!」










派手な音がして、窓ガラスが割れた。


私は何事かと驚いて、手元が狂い、製薬に失敗した。


薬は沸騰して吹きこぼれる。


割れた窓の下の床には、窓ガラスが散乱し、球体の氷が一つ、転がっている……。


私は割れた窓のところへ行く。


「精霊さん……?」


見当たらない。


「怒らないので、姿を見せて。」


精霊さんが、窓の外にふわっと登ってきた。


「すみません……。」


「気にしないで。入って。」


私は杖を使ってガラスの破片を集める。


精霊さんも手伝って、窓の修復をしてくれた。


窓が元通りになると、私は氷の玉を手で拾う。


「こんな丸い氷、どこにあったの?」


「……私が作りました。」


「もしかして、雪で?」


今は冬で、外は雪景色だ。


「はい……。昨日、村へ行ったら、子供が友達の家の窓に雪玉を当てて呼んでいたので、私もやってみようと思って……」


「ははは!ちょっと力が強かったみたいだね!」


こんなカチカチになるまで雪玉を握ったなんて。


「そうみたいです……。


雪だるまも作ったんですよ。」




庭の端に、精霊さんが作った雪だるまならぬ、氷だるまは、


春になってもしばらく解け残っていた……。




私は呟く。


「精霊さんと雪合戦は無理だな……。」


防御しなければ、軽く骨を砕かれるだろう。こちらは命懸けだ。


「なんですか?」


「ん、何でもないよ。」










子爵さんが、変な形のケースから、ずいぶん不思議な道具を取り出した。


「それは、何ですか?」


「バイオリンという楽器だよ。音楽を奏でて楽しむんです。」


「楽器……?音楽……?」


「そうか、精霊さんは、初めて聞くんだね。」




子爵さんは、バイオリンで音楽を奏でた……。




不思議で、ずっと聞いていられる……。




森に帰り、子爵さんが演奏していたメロディーをハミングしてみた。


すると……


今までの自分とは、違う豊かさが広がって……


なんだかとてもうれしくなった……。




次の日。


私はワクワクしながら子爵さんに言う。


「今日は、音楽ありますか?」


彼は微笑む。


「気に入ってくれたんですね。では、今日も弾きましょう。」










精霊さんが言う。


「子爵さんは、私の親なのですか……?」


親……


「さあ、どうかな。」


「精霊は、初めて出会った魔法使いから姿をもらうのですよね?」


読み聞かせた本にそう書いてあった。


「そうらしいね。」


「この姿は、子爵さんがよく知っている人の姿なのですか?」


私は嘘をつく。


「うーん、見覚えがあるような、ないような。


村人ではないから、同じ魔術学校にいた人かもしれない。」


いつかは聞かれるだろうと思って、用意しておいた答えだ。


「どうしてこの姿なのでしょう?」


「さあね……。精霊の姿の選ばれ方について、はっきりしたことはわかってないらしいよ。」


これは本当だ。


「でも、私に姿を与えてくれたのが子爵さんなのは、確かなんですよね?」


「そうだよ。」




この森の近くにいる魔法使いは、私一人しかいない。魔力の強い村人もいない。


精霊さんを見かけるたび、姿がはっきりしていった。


私の……亡きフィアンセの姿に……。




「それなら、子爵さんは私の親と言えますよね?」


心が痛くなる……。


「……精霊さん、申し訳ないけど、私は親じゃなくて、ただの隣人ですよ。


私は精霊さんと親子になるより、対等な友人でいたいんです。」


「友人……。って、子爵さんとポールさんの関係と同じということですか?」


幼馴染で、今も手紙のやり取りをしている友人、ポールの事を話してある。


「そうだよ。」


「私も子爵さんと一緒に、学校で魔法を学ぶんですか?」


私はくすっと笑う。


ポールとは、八年間、同じ魔術学校で学んだ。


精霊さんは、学校へ一緒に通うのが友達だと思っているらしい。


「学校には行かないよ。


精霊さんは今まで通り森に住んでいて、私はここで仕事をする。


お互い嬉しいことや悩みを話し合ったり、味方でいるのが友達っていう関係だよ。」


「味方……?」


「辛い時、見捨てたりしないことだよ。」


「もちろん、私は子爵さんの味方です!」


「ありがとう。私も精霊さんの味方ですよ。」


「……子爵さんは、親より友達のほうがいいです!」


「そう。」


「親というのは、子供を見捨てることもありますから……。」


「……。」


精霊さんは、人間をよく知らない。だから、動物のことだ。


厳しい自然の中で生きている動物たちは、


弱った子供を見限らざるを得ないこともあるだろうし、


そもそも子育てにかかわらない親もいる。


精霊さんは嬉しそうに言う。


「でも、友達なら、時間がたっても、会えば、また仲良しです!」


「そうだね。」




「でも……私が困ったとき、助けてくれるのは、いつも子爵さんです。


やっぱり少しは親のように思っていてもいいですか……?」




まだ幼い精霊さんには、頼りにできる、心のよりどころが必要なのだろう。




……愛した人そっくりの見た目の精霊さんに情を注ぎたい気持ちは、もちろんある。


けれど……


それで精霊さんは、本当に幸せになれるだろうか。


精霊の一生は長い。


フィアンセと同じ姿にしてしまった責任も、まだ負い切れていないのに……。


私は大人として見守る立場だ。


この感情を精霊さんに被せてはいけない……。




私は言う。


「……私のことをどう思おうと、精霊さんの自由ですけど、


私にとって精霊さんは、今も、この先も、大切な隣人です。」


「隣人……子爵さんにとって、隣人ってなんですか?」




私にとって隣人は、


愛しい人、という意味です。


という言葉を飲み込んで、微笑んで言う。




「一緒にいて楽しい人ということです。」




精霊さんは嬉しそうに笑う。


「それなら、ずっと


私のことを、隣人と思ってもらえるよう、頑張りますね!」


「はは!君は十分楽しいですから、あんまり頑張らなくて大丈夫です。」


まだ子供の精霊さんが頑張ると、楽しいけれど、何かと大変だ……。










「遠路はるばるようこそ。」


子爵さんがお客さんにあいさつしている。


子爵さんのお屋敷に、次々と馬車や車がやってくる。


こんなことは初めてで、ソワソワする……。






一月前のこと。




「はあ……。」


子爵さんが、疲れた様子でため息をついた。


「どうしたのですか?」


「年に一度のあの日が来る……。はあ……。」




どうやらとても嫌な日が来るらしい。




「親戚中の人が集まるんだよ……。ただのホームパーティーなんだけど、親戚みんなで持ち回りで開催しているその行事が、なんと今年は私がホストなんだ……。


つまり、一月後、この家に親戚中の人が集まるんだ……。はあ……。勘弁してほしい……。」


「大勢人が来るんですか?」


「十五、六人だけどね、会いたくないな……。私は、変わった人間だと思われているしね……。」


「そうなのですか?」


「私だけに魔力があるせいもあって、いろいろとね。まあ、でも、みんな悪い人じゃないから、大切にしないとね。


そうだ、ポールも呼ぶよ。彼は、精霊のパートナーと一緒に仕事をしているんだ。」


「ポールさん!」








「やあ、元気そうだね!」


「そっちこそ!」


幼なじみで、一緒に魔法学校へ通った友人、ポールが来てくれた。


彼も魔法使いで、探偵のような仕事をしている。


「肩書は占い師だけどね。仕事は調査が多いね。」


よくわからない仕事をしている奴だ。


彼は精霊を仕事のパートナーにしている。優秀な先生のような精霊だ。


二人は、昔風に言うと、魔術師と式の関係だ。契約を結んで、コアを分かち合っており、魔力的な協力関係にある。


ポールのパートナーはエメラルドという名で、ポールはエメさんとか、エメ先生と呼んでいる。


以前、彼は言っていた。


『エメ先生は、僕が八代目の主人らしいよ。』


『頼もしいな。』


『いい相棒だよ。』


と、言っていた。


久しぶりに来てくれた彼は言う。


「森の精霊さんは、どう?」


私は微笑む。


「仲良くしてるよ。」


「そう。良かった。」


彼は、私のフィアンセのことも知っている。


だから、ずっと私のことを心配してくれていた。


その彼女そっくりな森の精霊さんと出会ったのだと知らせを送ったのは、彼だけだ。


しみじみと、


「よかったな。」


と、肩を叩いてくれた。




友人を私の仕事部屋に案内した。


「この部屋も変わらないな。」


私は大学卒業後、魔法薬師見習いをへて、独立してここへ引っ越してきた。


魔法使いの国から離れた場所だけれど、彼は何度か来てくれている。ここ数年はご無沙汰だったけれど。


私は窓辺へ寄り、精霊さんを呼ぼうとした。


けれど、彼女のほうからやってきた。目を輝かせて、興奮した様子で、


「子爵さん!大変です!バイオリンのケースを持った人たちが何人もいますよ!同じ形の、大きいケースを持った人もいますよ!あれは、」


「精霊さん、君に、私の友人を紹介するよ。」


部屋に入ってもらって、


「友人のポールと精霊のエメラルドさんだよ。」


紹介した。


「……」


精霊さんは、目を丸くしている。


「え……」


エメラルドさんに釘付けになっている。


「初めまして。精霊さん。お会いできて嬉しいです。よろしく。」


と、ポールが気取ってお辞儀する。エメさんも、


「ポールさんの式をしております、エメラルドです。初めまして。」


と、優雅で落ち着いた物腰でお辞儀する。


「え……あの……その……あ……」


精霊さんは、声が震えている。机の上の物が、カタカタ震え始める。


「精霊さん?大丈夫ですか?」


彼女は俯いて、両手で顔を隠している。


絨毯がバタバタと波打ち、机の上のものが転がり落ちる。つむじ風が吹き、窓ガラスが震え、天井の梁がきしむ。


精霊さんは、だいぶ動転しているらしい。


「すまないね。」


と、私はポールとエメさんに微笑む。


ポールは飛んできたクッションをかわし、


「下で軽く飲み食いしてるよ。じゃ、また後で。」


二人とも笑顔で部屋を出た。


「精霊さん、」


振り返ると、精霊さんもいなかった……。




窓から顔を出す。


「精霊さん……?」


森へ帰ってしまったかな……と思ったら、


「ここです。」


と、屋根の上から声がした。


私は梯子のような急な階段を登って屋根裏へ行き、低い天窓を開ける。


精霊さんは、すぐ側に膝を抱えて座り込んで、顔を伏せていた。


私は窓枠に腰掛け、話しかける。


「ちょっと急でしたね。すみませんでした。」


彼女は、他の精霊と会うのは初めてなのだ。


彼らのことは、詳しく話したつもりだったけれど、


もっと慎重にすべきだった……。


『お会いするの、楽しみです!』


と、言っていたのだけれど……。


「私、どうしたらいいのか、わからなくて……。すみません……。」


あいさつの段取りも、練習してあったのだけれど、聞くのと会うのとでは違っていて、エメさんの存在に驚いたらしい。


私は微笑む。


「私だって、昔も今も、人見知りですよ。」








『ポールは優秀な魔法使いの家系で、その上、貴族で伯爵の位だけど、地位に縛られず、フリーの魔法使いとして、活躍しているんだ。私以上に変わり者かもしれない。


エメさんは、長生きしている精霊で、エメラルドという名前は、最初の主人が以前に飼っていた猫の名前らしい。』




子爵さんが、いつもと違う、初めて聞く話をしている。


今まで私が知らなかっただけで、


彼にはたくさんの過去があって、知っている人達がいる……。


それは、不思議な感じがした。


子爵さんが楽しそうに語る、そのお友達や、エメラルドさんに会ってみたいと思った。


私も仲良くなりたいと思った。




楽しみにしていた……のに……。




いざ会ってみたら……


なんというか……エメラルドさんが、とても……


うらやましい……いえ、違う、


……怖い、……ちがう、


近づきたいけど、近づきたくない感じだった……。




それに、


私より先に、子爵さんを知っていたことも、なんだか不安になった……。


昔の子爵さんはエメさんと、どんな話をしたのだろう。


エメさんは大人だから、私とするのとは違う、私には分からないような大人な話だろう……。


そう思うと、泣きたいような、すごく羨ましいような気持ちになる……。




私は、幼い……それに、頼りない……。


エメさんのような大人になりたい……。


分からない事だらけ、失敗だらけの私は、エメさんの洗練された美しさからは程遠い……。




エメラルドという美しい名前があるのも、動揺した……。


私にはまだ、名前がない……。




今までは、精霊さんでよかった。


でも……


精霊がここに二人いて、エメラルドさんには名前があって、


私にはない……。




ショックだった……。




沢山感情がわいてきて、どうしたらいいのかわからなくて、


逃げてしまった……。




『子爵さん、私に名前を付けてください!』


以前、そう頼んだことがあった。


『え。』


『この薬草にも、この花瓶のお花にも、名前があるのに、私にはまだないんです。』


『……そうだね。でも、私がつけるより、自分で考えたほうが、きっといい名前だよ。』


『自分で……』




自分で名前を考える……。


だけど、言葉をつなげようとしても、音を声に出そうとしても、


全部ほどけて消えてしまう……。


私はやっぱり、自分で名前を付けられない……。




名前が無いと、私はここにいるのに、いない事になってしまう感じもする。


名前があれば、私は自信を持ってここにいられると思う……。


堂々と、自己紹介もできる。


でないと、私はただの精霊のまま……。




屋根の上で、私は再び言う。


「子爵さん、私に名前を付けてください……。」


「……どんな名前がほしいの?」


「どんな……綺麗な名前がいいです……。」


「……。」


「エメラルドさんみたいな……。」


「エメさんの名前は、主が昔飼っていた猫の名前だった。


その前は、幼くして亡くなった娘の名前だった。


同じ名前を付けるのは、私には、あまりいいことだとは思えない。


綺麗な名前だけど、それが、エメラルドさんにとって、幸せなことかはわからない。


自分で新しい名前をつけない限り、誰かがつけた名前に縛られてしまうことがあるんだ。


私は精霊さんを、縛りたくない。


だから、私はあなたに名前を付けられない。」




……なんだか、優しさと同じくらい、弱さから、名付けられないように思える……。




同じ名前を付けるのが、よくない事……?


よくわからないけれど、少しエメラルドさんに同情した……。




子爵さんは私を縛ってしまうのを恐れているみたいですけど、


子爵さんが付けてくれた名前に、縛られたりなんかしないと思います!


と、言い返そうとした。


彼を信じているから。


子爵さんは私を縛ったりなんかしない。


新しい名前で、新しい私にさせてくれるはず。


この姿をくれたし、魔法で鳩に変身させてくれたりしたし、私をたくさん、良い方へ変えてくれた。


子爵さんなら、私にぴったりの、良い名前をくれるはず……。


そうしたら、すごく嬉しいし、誇らしくて大切にする。




けれど、子爵さんは微笑んで言う。


「私にとって、大切な精霊は、あなた一人だから、


今まで通りの呼び方で困らないですしね。」


「……。」




やっぱり名前を付けてもらえないのは残念だけれど……


大切な精霊はあなた一人、という言葉は、まるで、一輪のお花をもらったような気分になる……。


私だけにくれた言葉だから……。


大切に思ってくれているのだから、欲張りしてはいけない気がする……。




それに……




「精霊さん。」


と、私を呼んでくれる、子爵さんが好きなのだと、気づいた……。


物心ついた時からずっと、そう呼ばれてきたから、すっかり馴染んでいるのだ……。


例えば、


「水連さん。」


と呼ばれても、自分のことと思えない……。


慣れる気がしない……。




名前をもらえたら、それはそれですごく嬉しいと思うけど、精霊さんと呼ばれなくなるのは、寂しい気がする……。




「精霊さんでいいです。精霊さんと呼んでください。」


と言うと、子爵さんは私の頭を撫でてくれた……。




子爵さんがそう呼ぶ精霊は、私だけなのだ……。




私は……


新しい名前で、新しい自分に変わりたかった。


エメラルドさんみたいに、綺麗で優秀な精霊になりたかった。


でも、名前を得るだけで、


私が失敗しなくなったり、知識が身についたりするわけではないのだ……。と、気づいた。


私は私なりに、頑張るしかない。








ホストが客を放っておいて、屋根の上にばかりいては良くないので、階下へ降りた。


「精霊さん、大丈夫?」


と、ポールが心配そうに聞いてきた。


「ああ、落ち着いたみたいだよ。すまなかった。」


「全然!もっと年の近い精霊だったらよかったかもしれないな。」


「そうかもしれないね。どうやらエメさんに嫉妬しているみたいだ。」


「ふふ。若い子は、若さの価値を知らない。」


「ポール……!」


エメさんに失礼だ……。


「別に君を羨ましがってるわけじゃない。僕にも覚えがあるなって話だよ。」


ポールの彼女が、私たちよりずっと年上の貴族を選んで結婚した時のことを言っているらしい。


あの時は、ポールが荒れて大変だった……。


『あの子は!若い男の価値を!わかってないんだ!』


泣きながらテーブルを叩いていた。私は酒瓶が倒れないよう支えながら、


『そう思うなら、やけになっていないで、すっぱりあきらめた方が自分のためだよ。


苦しむだけ、時間がもったいないし、自分を大切にしてほしい。


いつか必ず、彼女よりずっと素晴らしい女性が現れるよ。そう思わないかい?』


ポールは僕の言葉に耳を傾けたくないらしく、酒を煽った。


十分同情しているけれど、ここで崩れてダメになってほしくない……。


顔を伏せている彼に語りかけた。


『エメさんと一緒に、新しい事業を立ち上げるんだろう?夢に向かって頑張るんだろう?


君は、こんな酒場で腐るような男じゃないだろう?』


ポールはハッとした。


『……。……。』


起き上がって髪をかき上げ、


『はぁ……僕としたことが……こんなイケメンが、酒場で管を巻いてちゃ、男が廃るな……。もっと男前になってやる……!


もちろん、事業も必ず成功させるさ!


彼女が僕と結婚しなかったのを後悔するくらいな!』


胸を張って、ドヤ顔して笑った。


前向きになってくれて、ほっとした。


カッコつけで頭の良い彼らしい……。


それに彼は、エメさんを誰よりも大切に思ってる……。


『さあ、帰って準備するぞ!エメさんと契約するんだ!』


まだ中身のある酒瓶を隣の客に渡して、事業立ち上げに向かって真っしぐらに帰って行った……。






「子爵さん!子爵さん!大変です!」


窓の外で、精霊さんが興奮している。


「どうしたの?」


彼女は目を輝かせて言う。


「大変ですよ!大きなバイオリンケースからは、大きなバイオリンが出てきましたよ!低い音がしますよ!」


ゲストの楽団が演奏を始めたところだ。


お客はダンスしている。


「あんなに大勢できれいな演奏をするの、初めて聞きました!」


私は微笑む。


「精霊さん、私たちも踊りませんか?」




私は庭へ出て、精霊さんとダンスする……。


二人で何度か練習した踊りだ。


「上手ですよ!精霊さん。」


精霊さんは、楽しそうに言う。


「子爵さんの口ずさむ歌で踊るのも良かったですけど、演奏に合わせて踊るのは華やかで楽しいですね!」


「そうだね。」


精霊さんは笑顔だ。良かった。気分がよくなったらしい。




魔力の無い人の目には、アホが一人で踊っているように見えるこの状態を、親戚にどう思われるか、は、考えない。


精霊さんが幸せそうなのが、私には、一番大切だから……。








一人でパーティーの様子を眺めていたら、


「精霊さん。」


と、エメラルドさんが話しかけてきた。


「!」


慌てていると、エメラルドさんは、


「怖がらなくて大丈夫ですよ。」


と、笑った。そして、


「あなたのお隣さん、とてもいい方ですね。」


「!そうなんです!子爵さんは、いい人間です!」


エメラルドさんは、やさしく微笑んで私を見つめている。


私は思い切って尋ねる。


「あの、式って、どんななのですか?」


ポールさんとエメラルドさんは、昔で言う、魔術師と式の関係だと子爵さんが説明してくれた。


「式は、主の仕事を手伝うための協力関係で、魔法で契約を結んでパートナーになります。複数人の魔法使いの式にもなれますが、私のパートナーはポールさんお一人です。


手広く積極的に仕事をしている魔法使いにとって、精霊との契約は、何かと便利なんですよ。


精霊側は、魔力や魔法の扱いを知れますし、人間の魔力を得られます。


人の魔力は、ほんの僅かずつでも、精霊にとって、価値あるものです。


なぜなら、他の生き物には無い豊かさがあるからです。


音楽が美しいと思えるように、精霊は、魔力にも魅力を感じるのです。」


子爵さんの話と同じだ……。


「ですけど、契約関係が、お互いに幸せかどうかは、別問題です。お互い、魔力の相性を確かめて、了承して、誓い合って契約しますけど、それでも反りが合わない事もあります。」


反りが合わない……、エメラルドさんとポールさんは……


「……。」


「私とポールさんは、良い関係でお仕事できていますよ。」


私はほっとする。


「あの楽団の人たちは、なかなかの名手ですね。さすがは子爵さんですね。


精霊さん、私と一緒に踊りませんか?」


「……。」


私はエメラルドさんと一緒に踊る……。


彼女は、シンプルで美しいドレスを着ている。彼女の雰囲気に合っている……。


私がドレスを見ているのに気が付いたらしく、


「これは、昔、私を愛してくれた人間が、プレゼントしてくれたものです。」


昔……。


エメラルドさんは、もう八百年程も生きていると子爵さんは言っていた。それは、人間の寿命よりずっと長いのだと……。


では、エメラルドさんを愛してくれた人は……もしかして……


「……その人は……」


「もうだいぶ昔に亡くなりました。


でも、いい思い出がたくさん、私の中に。」


と、胸元を両手で抑え、幸せそうに微笑んだ……。




私は涙がこぼれる……。


愛してくれた人が、亡くなった……。




子爵さんも、いつかは……




涙が止まらない……。


「……え……うう……ええ……」




エメラルドさんが、泣いている私の肩をさすってくれた。


「まだずっと先のことですよ。」


「本当ですか?本当に、そうでしょうか?」




心配そうな子爵さんがやってきた。


私は彼に抱き着く。




「子爵さん……!」


「!どうしたんですか?」




「死なないでください……!


ずっと生きていてください……!」




「精霊さん……。」




子爵さんは、私の頭をなで、


そっと抱きしめてくれた……。




「う……う……」


私は子爵さんの肩に顔を押し付けて泣く……。


「……うう……」




子爵さんは、優しく語りかける。


「精霊さん。また薬草を摘みに行きましょうね。」


「……はい……。」




「また、ダンスしましょうね。」


「はい。」




「私は、急にいなくなったりしません。


また明日も会いましょう。


その次の明日も。


ずっと先の明日も、


毎日のように会いましょう。」


明るい声……。




私は、子爵さんを信じることにした……。


「……はい。約束です。」




彼の言う通り、別れはずっと先なのだ……。




初めて私を抱きしめてくれた子爵さんの腕は、優しくて、頼もしかった……。






ポールが言う。


「よかったな。これで僕も一安心だよ。」


私と精霊さんの関係が、一歩深まったのを喜んでいるらしい。


「……。」


けれど、私は……


精霊さんと仲良くなるほど……


懐かれるほど……




「精霊さんの行く末を、案じているのか?」


「……ああ……。」




精霊は、私たち人間より、ずっと長く生きる……。


特に精霊さんとは、一生の最初にかかわっている分、私の影響は大きいだろう……。




ポールが言う。


「僕たちが彼女らにしてやれることは、


楽しい思い出を作ってやることぐらいじゃないかな……。」




「そうかもしれない……。」










次の日……。


今日も私は、子爵さんに会いに行く。


昼近くに屋敷へやってきて、子爵さんの仕事部屋の窓を覗いた。


誰もいない……。


隣の部屋の窓を見る。そこは子爵さんの寝室。


昼間はいつも開いている、寝室のカーテンが、今日は閉まっている……。まだ眠っているらしい。


「子爵さん……?」


どうしたんだろう……。


彼はいつも朝早く起きているから、こんなことは初めて。


そっと、窓を叩いてみる。


「……。」


もう一度……。


「……。」




……もしかして……


……死んで……




動揺して、強くノックして窓ガラスにヒビを入れてしまった……。




足音がして、カーテンが開いた。


窓が開き、寝ぐせ頭の子爵さんが微笑んだ。




「やあ、おはよう。精霊さん。いや、もう昼か。


昨夜は、パーティーがお開きになったのは夜中だったし、


ポールと朝方まで話していて……ふああ……」


眠そうにしている。


部屋の奥にポールさんがいる。やっぱり今起きたばかりらしい。


「おはよ〜精霊さん!」


ポールさんが髪に手櫛をかけながら微笑む。




私は子爵さんに言う。


「……死んでしまったのかと思いました……。」


安堵で涙がこぼれる。




子爵さんは、後悔の表情をする。


「すみませんでした。心配をおかけして……。


久しぶりにポールと会ったので、つい話し込んでしまって。


こんなに寝坊することはめったにないので、許してください。」


と、申し訳なさそうにほほ笑む。




「お元気そうでよかったです。」


私は涙を拭いてにっこりする。




「ありがとう。やさしいですね。精霊さん。」






契約していなくても、




私には名前がなくても、




私と子爵さんは、幸せに暮らしている。




それが、一番大切なことだと思う。








子爵さんとポールさんが食事している時、別の部屋で、エメラルドさんに訊ねてみた。


「エメラルドさんは、


名前が、元は違う人のものだったと、子爵さんから聞きました……。


でも……自分だけの名前でなくても、幸せですか……?」


エメラルドさんの名前は、死んでしまった子供や猫と同じ名前で、それはエメラルドさんにとって、幸せな事ではないらしいから、気になっていた。




「そうですね、知った時は自分の存在が無いように思えて、悩んだ時期もありました。


けど、エメラルドはとても良い名前だと褒めて大切に呼んでくれた人がいたので、今では大切な名前です。


それから、私にとっての幸せですけど……」




と、エメラルドさんは微笑んで言う。


「私の幸せは、気の合う仲間がいるという事です。」


「気の合う仲間……?ポールさんですか?」


「彼もそうですし、精霊の友達もいます。仕事仲間も、仲の良い人間もいます。


毎日、恵まれています。」




……なんだかエメさんは、私の知らない世界をたくさん知ってる……。


そんな香りがする……。そう感じた……。










肌寒い雨の日。


「子爵さん。」


と、精霊さんが、仕事部屋の窓をノックする。


窓を開けると、彼女は、


「この子も一緒に入ってもいいですか?」


イタチの子供を抱えている。


「怪我をしていて、雨でぬれて震えていて、可愛そうなので、暖炉で温めてあげたいんです……。」


「いいですよ。入って。」


精霊さんは、ぐったりしているイタチの子に話しかけている。


「大丈夫ですよ。元気になれますよ。」


暖炉の近くに座った精霊さんは、心配顔で私を見て、


「子爵さん、この子に効くお薬はありませんか?」


私が作っているのは人間用だけど……。


傷薬はある。イタチにも効くかもしれない。


けれど、薬ではない治し方を選んだ。




私は杖に魔力を送り、杖先をイタチの子に向け、呪文を唱える……。




傷口が……


塞がっていく……。




「わあ……!」


精霊さんが、満面の笑みで喜ぶ。


「すごい!ありがとうございます!」




「キッチンからミルクを持ってきますね。」


と、私は部屋を出た。






温めたミルクを、煮沸消毒した研究用のスポイトでイタチに飲ませる。


おいしそうに飲みほした。


精霊さんは、いとおしそうに、イタチの背中を指でなでている。


私は言う。


『精霊さん、今日は特別に、この部屋に泊まっていいですよ。


この子のお世話をしてあげてください。』


「ありがとうございます!」






後日、精霊さんがやってきて、


「子爵さん、この間の、傷を治す魔法を教えてください!」




呪文とやり方を教えてあげた。


精霊さんは熱心に毎日練習して、程なくして習得した……。








真夜中。


がたがた、ガンガン、


と、窓の鎧戸を叩く音で目が覚めた。


「……さん、子爵さん……!」


精霊さんだ。


「助けてください!お願いします!」


涙声だ。


何事だろう……。


私は窓と鎧戸を開ける。


「どうしたんですか?」


「怪我をしてる子を治そうとしたんですけど、うまく治らなくて……」




この間教えたのは、切り傷をふさぐ魔法だ。違う怪我なのだろう。




「精霊さん、わかりました。私にできることはしましょう。」




コートを羽織り、ランプを手に階段を下りて、キッチンの勝手口へ向かう。


切り傷を治す呪文で治らないなら、回復魔法を使う。


回復魔法は、難易度の高い魔法だから、


まだ精霊さんには難しいだろうと思って、教えていなかった。




けれど、


彼女には必要な魔法なのだと、わかっていた。




もっと早く教えておけばよかった。


あんなに泣きながら、私を頼ってくる前に……。




私が彼女を傷つけて、泣かせたのだ……。




勝手口を出て庭を横切り、


精霊さんの案内する場所へ急ぐと、


そこには小鹿が横たわっていた。




「急斜面の下の沢に倒れていました。」


精霊さんが、ここまで運んで来たらしい。




一見しただけで、骨折しているとわかる……。


腹や足に血がついている。でも傷口は塞がっている。切り傷は精霊さんが治したらしい。


この位置の怪我だと、折れた骨で、内臓も傷ついているかもしれない。


まず、周囲に結界を張る。


万が一、屋敷の誰かに見られても、これで、魔法を使っていると気づかれない。




私は杖先を小鹿に向け、


回復魔法を唱える……。




「…………」




ああ、ここが折れてる。


ここが内出血してる。


私はそれらを治療する……。


背骨と頚椎は無事なので、助かるだろう。




「………………」




……すべて唱え終わり、様子を見る。


精霊さんは、不安げに小鹿に近寄る。


「鹿さん……」




……小鹿の足が、ピクッと動き、


目が開く。




すぐに首をもたげて起き上がり、少しよろけながらも立ち上がった。




「よかった……!」




「はあ……。」


今度は私が座り込み、横たわる……。


回復魔法は、大量の魔力を使う重い魔法だし、割と大掛かりだったから……。


小鹿は驚いたのか、逃げていく。




「子爵さん!」


精霊さんが、私に魔力を送り込んでくれた。


「……ありがとう。」




ああ……でも、こうして気兼ねなく外科の治療ができるのはほっとする……。


村人たちに対しては、こうはいかない。


村の医者と一緒に、傷口を浄化し、縫合して、私が調合した化膿止めと痛み止めの薬を渡すくらいしかできない……。




私が魔法使いだと、知られてはならないから……。




……子供の命が危ない時は、回復魔法を使ってしまうのだけれど……。






翌日、精霊さんに回復魔法の呪文と方法を一部、教えた。


呪文は数が多く、覚えるのも一苦労する。


患部を魔力で探り、損傷を把握して、的確な呪文を唱えなくては、逆効果にもなる。


魔法医学科の学生は一律、回復魔法を習ったけれど、薬学部の生徒は合格点が甘かった。本分ではないから。


けれど私は頑張って習得した。


回復魔法は、自分も治療できる魔法だから。


魔法使いの国を出る予定だったから、自分の身を守るために習得できるものはなんでも習得した。




「……練習します!


子爵さんみたいに、ちゃんとした治療ができるように頑張ります!」




動物たちを大切に思って過ごしている精霊さんには、必要な魔法だ。




私は微笑んで言う。


「不安なら、いつでも私に聞きに来てください。


一緒に治療しましょう。」










精霊さんが言う。


「子爵さん、あの、今日気づいたんですけど、


私の着ている服、以前はもう少し衿が開いていたように思うんですけど……?」


と、衿ぐりを引っ張って見ている。


「ほら、中が見えません!」


私はそっぽを向いて答える。


「君には、衿ぐりの開いた服は、まだ早いと思ったので、魔法で詰めたんですよ。」


まだ子供な精霊さんは、身なりを構わないので、衿ぐりのあきが大きい大人びたドレスを着ていると、たびたびこちらが困る。なので、会うたび、魔法で少しずつ衿ぐりを詰めた。


精霊さんは不思議そうに首をかしげている。


「?早い、ですか?服を着るのに、早い遅いがあるんですか?」


「ところで、また薬草が足りなくなってきたので、取りに行きたいのですが、手伝ってくれますか?」


「はい!どんな薬草ですか?」




以来、精霊さんは、衿ぐりのことを聞いてこない。


以前より動きやすそうなので、精霊さんにとっても良かっただろう。






「子爵さん!見てください!イタチの子がこんなに元気になりましたよ!」


「!」


精霊さんの衿ぐりの胸元から、イタチの子が顔を出している……。




私はすぐに机上に目をもどす。


「……よかったですね。」


「あ、引っ込んじゃいました。


イタチさん、もう少し子爵さんに顔を見せてあげてください。」


と、衿ぐりを引っ張って、ドレスの中に話しかけている……。


……後で、もう少し詰めないと……。


片手で目を覆っていると、


「子爵さん?どうしましたか?お忙しいですか?お疲れですか?また来ますね。」


「……」


微笑んで手を振って見せると、精霊さんは森へ帰っていった。


「はあ……。」




笑いがこみ上げてくる……。




本当に、毎日毎日、


精霊さんは、可愛い……。




社会や生活の中で、気持ちの曇る事があったとしても、


精霊さんは、私に落ち込む暇を与えない……。












今日は森で野宿だ。


テントを張るのを手伝ってほしいのだけど、精霊さんはどこかへ行ってしまった。


私は、炉を作りながら精霊さんを待つ事にした。精霊さんはテントを作るのが好きだから。




……炉が出来上がる頃に、精霊さんが戻って来た。


彼女を見て、ギョッとする……。




後ろに、何か巨大なワサワサしたものを引き連れている……。




「子爵さん!これだけあれば、ふかふかのベッドになりますよ!」


精霊さんは、巨大な落ち葉の塊を連れて来た……。


ガサガサ動くお化けだ……。




私はいつも、野営の時、乾いた落ち葉を集めて敷いて寝ているから、気を利かせて用意してくれたらしい……。


それにしても大量だ……。テントよりずっと大きい……。


「あ……ありがとう。……ふっ!」


私は笑う。


「ははは!あんまり多いと埋もれてしまうよ!」


子どもの頃、庭師が集めた落ち葉の山に、ポールと二人でダイブして遊んだのを思い出す……。


「私が形を整えるので、埋もれませんよ!これでテントも作ります!」




精霊さんは張り切って、枯れ葉でテントとベッドを作ってくれた。


「……。こんなの初めて見るよ……。」


見た目はやはり、巨大な枯れ葉の山だ……。


精霊さんは枯れ葉の山の中から出てきて楽しそうに言う。


「どうぞお入りください!」


私は枯れ葉を掻き分けて中に入る。


洞窟のような、歪な壁と天井、ほぼ平らなベッド。手でベッドを上から押すと、ムカデが這い出てきた。


……虫除けの魔法をかけてから、ベッドに座る。


「ふふ……」


悪くない……。


横になってみた。


ふかふかだ……。


ヒラヒラと天井から葉っぱが舞い落ちてくるけど、それも可愛い。


精霊さんを褒めてあげよう。と思ったら、風が吹いてきた。




壁と天井が揺れて、崩れ始める……。


「!!」


精霊さんが慌てて押さえてくれたけど、テント全体が、ガサガサ、ザワザワ言って、葉がバサバサ落ちてくる……。


風が吹くたび、危なっかしい、騒々しいテントだ……。


雨も漏るだろう……。


でも……


「精霊さん、このテント、好きですよ。ありがとう。」


「良かったです!」


しょっちゅう枯れ葉がヒラヒラ落ちてきて、そのうち壁も天井も穴だらけになるだろうけど、それも楽しいテントだ……。




次の日。


目覚めると、私はいつもの布製のテントに寝ていた。


「子爵さん、おはようございます。枯れ葉のテントは、修理が忙しいので、やめてしまいました……。」


「ふふ。面白かったよ。ありがとう。ポールに話してやろう。」


「え!それは嫌です!恥ずかしいです!」


精霊さんは、失敗作だったと思っているらしい……。


「私は良いテントだと思いましたよ。だから、ポールに自慢したいんです。」


きっとポールは目を輝かせて、自分にも作ってほしいと言うだろう……。


エメさんには作れないテントだ。










一人で街道を歩いていると、


「子爵様ー、こんにちは!」


荷馬車でやって来た村人に挨拶された。


「どちらへ行かれるんですか?ボロい荷車でよければ、お送りいたします。」


笑顔だけど、一人で歩いている私をやや不思議に思っているらしい。


「いえ、散歩をしているだけですので。お気遣いありがとうございます。」


「そうですか。今日は風もなくて散歩日和ですね!お気をつけて。」


村人は会釈して去っていった。


荷馬車が橋を渡って畑の向こうに見えなくなったのを見届けると、


私は辺りに人がいないのを確かめ、木立に分け入る。ここも私の敷地で、森に繋がっている。


結界を周囲に張って、懐から杖を取り出す。


呪文を唱えると、地面の中から、スプーンが一本出てきた……。


カトラリーを使って作ったそれは、魔力探知機だ。


街道と森の接しているところ一帯に、ところどころ埋めてある。


精霊さんが精霊狩りにつれさられないようにするため、魔力探知機と罠を仕掛けてあるのだ。


もし、魔術の心得のあるものが近づいたら、カトラリーと私の杖が反応して知らせてくれる。


こういう道具は、込めた魔力が次第に抜けて精度が落ちてくるので、時々こうして掘り出し、新しく作ったものと交換している。




夜中にこっそり回るよりは、目撃された時驚かれないだろうと思うので、昼間に点検している。


普段、製薬で籠りがちなので、実際、散歩も兼ねている。




交換し終わり、帰宅した。


執事が気づいて出迎えてくれた。


「おかえりなさいませ、子爵様。」


執事は私の上着を脱がせてくれる。帽子も取って彼に手渡す。


「ああ、ごめん、少し汚してしまった……。」


私は上着に付いている枯れ葉を摘み取る。


「かまいません。手入れしておきます。」


執事は私から枯れ葉を受け取り、微笑む。


「どこをどうお散歩されると、こうなるんでしょうね……。」


手を伸ばし、私の髪に付いた木の葉を取ってくれた。


帽子は外で払ったけれど、髪にも付いていたか……。


「そちらのお荷物は?」


魔力探知機の入った袋だ。手が汚れているから、持っている袋も汚れている。


「これは自分で手入れするよ。」


私は足元を見る。靴も泥まみれだ……。


「ああ……靴も履き替えるよ……。」


彼は満足そうにうなづく。


「ご健康で何よりでございます。」


母の執事だった彼にとっては、私はまだまだ子供のようなものかもしれない……。






今日も、精霊さんが仕事部屋にやって来た。


彼女はテーブルを見て、


「子爵さん、それは何ですか?たくさんありますね!」


昨日掘り出して持ち帰った魔力探知機だ。精霊さんは不思議そうに見ている。


もう術を解いて洗ってあるので、ただのカトラリーだ。


「あ!料理を食べるのに使うものですね!」


「そう。あと、お守りにも使います。私はね。」


「お守り?って何ですか?」


「大事な人に悪い事が起こらないようにおまじないをかけた物の事です。」


「おまじない!って魔法、すごいです!」


「魔法じゃないよ。ただ願いを込めるだけだよ。こうやって。」


私は適当にスプーンに願掛けをする。


「屋敷のみんなが毎日元気に過ごせますように。」


精霊さんは、スプーンを見つめて首を傾げる。


「……何も変わらないように見えます……。」


「はは!そういう物だよ。」










後日……


私は庭から森に入り、


園芸用の小さいシャベルで、土に穴を掘る。


ポケットから魔力探知機を取り出す。


フォークの探知機を、掘った穴に入れる。


屋敷のすぐ近くの森にも、魔力探知機を埋めるのだ。


私やポールの魔力が引っ掛からないよう、改良したものだ。


「子爵さん?」


ギクッとして振り向くと、精霊さんがいた。


普段彼女が来る時間帯を避けたのに……。


私は内心焦る。


埋めるだけなので、結界も張っていなかった……。


精霊さんは興味津々に言う。


「今埋めたのは、お守りですよね?どうして埋めたのですか?」


良かった、魔力探知機だとバレてない……。そういう加工をしてあるわけだけど……精霊さんにも有効で良かった……。


「地面に埋める方が効き目があると信じられているんですよ。」


「そうなんですね!あ、子爵さん、私もお守り、ほしいです!作りたいです!」


「そう。用意しておくね。」




翌日、やって来た精霊さんは、私から普通のカトラリーをいくつも受け取り、嬉しそうに森へ帰って行った。


「いくつも願い事があるんだな。動物達を気にかけて、森全体を見回っているから……。精霊さんも忙しいな……。」






庭で庭師とコックが話しているのが聞こえてきた。


「庭のあちこちから、カトラリーが出てくるんだ。ほら。」


「これは厨房のじゃないよ。知らないなぁ……。」


二人とも首を傾げている。




部屋にやって来た精霊さんに言う。


「精霊さん……前にあげたカトラリー、うちの庭に埋めたんですか……。」


精霊さんは驚く。


「どうして分かったんですか!?可愛いお花の根元に埋めたんです!」


「庭は、植木や花の手入れのために土を掘り返すんですよ。」


「そうなんですか!」


私は庭師から受け取ったカトラリーをテーブルに置く。精霊さんにあげたカトラリーのほとんど全部だ。


精霊さんは、スプーンを一本持って、


「今度はええと……このお屋敷の下に埋めますね!」


「下に?え、どうやって?」


「ちょっと持ち上げます。」


持ち上げる……どうやら、さては……


「精霊さん、家をまるごと持ち上げるのは良くありませんよ。」


精霊さんの発想は、毎度ながら、驚くやら可笑しいやら。


「どうしても屋敷の側に埋めたいなら、屋敷が見える森の中にしてください。十分効き目がありますから。」


精霊さんは、微笑んで素直にうなづく。


「はい。わかりました!そうします!」


私は内緒話しのように言う。


「……それと、……もし、私のお守りを見つけても、そのままにしておいてくださいね。」


精霊さんも顔を近づけて小声で言う。


「もちろんです!子爵さんの大切なお守りですものね!埋めておきます!」


精霊さんは、親友と秘密を共有した子供みたいにクスクス笑う……。






私はスプーンに願いを込める。


「子爵さんが、明日も明後日も、その先も、ずっと元気でいますように……!」


屋敷がよく見える木の根元に埋めた……。










時々、精霊さんから悩みを相談される。


「子爵さん……動物達と仲良しになるにはどうしたらいいでしょう……。」


精霊といえど、最初から動物と親しくなれるわけではないらしい。


「近づくと逃げられてしまいます……。きっと、私が嫌な事をしてしまっているんだと思うんですけど……。


言葉は分かるのに、話しかけると警戒されてしまいます……。もっといろんな子たちと仲良しになりたいです……。信頼されたいです……。」


「う〜ん……」


野生動物は弱肉強食で媚びがないから、なつかせるのは難しそうだ……。






後日。


「参考になるかわからないけど。」


私は精霊さんに児童書を読み聞かせる。


動物と会話できる博士が大冒険するお話しだ。


精霊さんは、挿絵を見て驚く。


「生えてる植物も住んでいる動物も、こことは全然違う森があるんですね……!」


「海って何ですか?」


「そんなに大きな船、どうやって水に浮かぶんですか?」


「鯨って本当に家みたいに大きいのですか?」


「猿?って、人間の子供みたいですね!」


「大きな猫は何を食べるんですか?」


質問攻めで、答えていると脱線もするので、読み終わるまで何日もかかった。






翌月。


「子爵さん!やっと狐さんと仲良くなれましたよ!」


「狐と?良かったですね!」


「子狐が鷲に襲われそうになっていたので、かばって守ってあげたんです。」


「へえ。どうやって?」


「近づけないように、風を巡らせたんです。」


精霊さんが竜巻で鷲を吹き飛ばしているのを想像する。


「ダイナミックだな。」


「あと、ウサギをプレゼントしました。」


「……ウサギとは仲良くできなかったの?」


「ウサギは私より、食べ物と天敵の事で一生懸命なので、仲良くなれるのは一瞬です。


それに、その子は看取ったので、悔いはありません。」


「すごいな……。」




私なら、看取ったペットを他の動物に食べさせるなんてできないだろう。




精霊さんは子供だと思っていたけど、森の理を自然と分かっていて、順応できるのだ……。




少し安心した。


私の死が怖いと言う精霊さんだけど、実際私が死んだら、すんなり納得するのかもしれない……。


そうであってほしい……。










精霊さんが言う。


「子爵さんとポールさんは、幼なじみなんですね。」


「そうだよ。私の、年の離れた姉が、ポールの家系に嫁いだから、交流があったんだ。」


「子爵さんとポールさんはどんな子供でしたか?」


「どんな……そうだね……


今と変わらず、私は臆病で、ポールは明るくフレンドリーだったよ。


そうそう、私に魔力があると気付いたのは、ポールなんだ。


彼の家で、エメラルドさんを目撃したと話したから気付いた。


彼がいなかったら、私は魔法使いの社会があると知らなかったし、魔法学校に通う事なんて想像もつかなかったし、今、こうして魔法薬師として働けているのは、みんな彼と出会ったおかげなんだ。」




当時、エメラルドさんは、ポールの叔母上の式だった。


「……ポール……あの人……幽霊を連れてる……」


私が二人を目撃して青ざめていると、ポールは目を丸くした。


「お前!魔力あるんだな!あはは!」


嬉しそうに叔母上のところへ連れて行かされた。


精霊も幽霊も、その頃の私には区別なく怖かった。


エメラルドさんが、子守の保育士さんのように床に膝を付いて視線を合わせて、微笑んで私に言った。


「ご子息様のお友達ですか。私が見えるんですね。


はじめまして。この家で、代々式をしております、エメラルドです。」


私はポールにしがみついて震えていた。


ポールは説明してくれた。


「あのな、精霊は、人間の亡霊じゃなくて、森とか空で、自然の魔力が集まって生まれるんだ。


だから、精霊は生まれた時から精霊なんだよ。


人の姿をしているのは、魔術師が一緒に仕事するには、その方が会話しやすいからなんだ。」


そう言われても、怖さは減らない……。


「う〜ん……そうだ、何か動物の姿になってあげてよ、エメさん!」


「いいですよ。」


エメラルドさんは、猫の姿になって、猫の仕草をして見せた。


当時私の家で飼っていた猫とそっくりな動作だった。ポールは自分のネクタイを外し、それでエメラルドさんをじゃれさせて遊んだ。


それから猫の彼女を抱きかかえて、


「ほら、触ってみなよ。」


と、促した。


「……。」


私は恐る恐る触れてみた。


「……ふわふわだ……。」


ポールはエメラルドさんに聞いた。


「どう?こいつ、魔力強いの?」


「はい。魔法使いの資質があります。」


「え……」


「はは!やった!」


ポールは飛び跳ねて喜んだ。




「一緒に魔法学校に行って、魔法使いになろうよ!」




と、ポールは生え変わり途中の歯を見せて嬉しそうに笑った。 




「え……?魔法使い?」


私も少し笑った。


私には、全部冗談のように思えたけれど……


実際、二人の言う通りになった。










「エメさん。次の仕事の依頼が来たよ。」


「はい。」


僕がこの仕事を始めたのは、半ば、エメさんのためだ……。




僕の遠いご先祖は、生まれたばかりのエメさんに姿を与えた人だ。


エメラルドという輝かしい名前も与え、式の契約をし、仕事をしていたけれど……


仕事内容は、利益一辺倒の、理不尽なもので、


エメさんは戦わされ、魔力を搾取され、道具のように扱われた……。


暴言を浴びせられ、常に怯えていたらしい。


五百年前は、魔法使いの国が近くになかったし、精霊を守る法律もなかった……。


エメさんは今でも心のどこかに闇があるし、時折、冷めた眼差しを人間に向けているように見える。


そう簡単に変わるものでもないかもしれないけれど、僕は、いくらかでも彼女に希望を与えたい……。


だから、悩み苦しんでいる人が、次の人生へ歩を進めるためのお手伝いをする仕事をしている。


そうする事で、エメさんが、次のステップへ進む後押しもできたら……。




彼女が、


「他にやりたいことを見つけました。」


と言ってくる日を、僕は待っている……。




エメさんは、弱者や子供にやさしい。(僕もずいぶんよくしてもらった。)


彼らの笑顔がエメさんにとっての報酬らしい。




子爵家の身内のパーティーに呼ばれ、あいつの屋敷で、精霊さんと初めて会った日。


エメさんが、黙って涙を流しているのに気付いた。


「エメさん……。」


「何でもありません。」


「精霊さんかな……?」




「……私も……


最初にやさしい人と出会いたかった……。」




「……。」


切実な思いだ……。




エメさんは微笑む。


「精霊さんが、子爵さんと出会えて、本当に良かったです……。


精霊さんが幸せで、


私もうれしいです……。」




「そうだね……。」


僕はエメさんの肩を抱く……。


彼女はしばらく泣いたあと、


「私も精霊さんとダンスしてきます。」




対面して、心動かされたのは、精霊さんだけじゃなく、エメさんもだ……。






十年ほどたったころ。


エメさんが報告してくれた。


「ポールさん。……私は、やりたいことを見つけました。」


「……すごい!おめでとう!」


「いつか、警備の仕事をしたいです。人や精霊の安全を守る仕事を。」


まっすぐな、澄んだ目をしている……。


「うん。君の腕は確かだよ。いつかと言わず、転職したらいい。」


「……いいえ。いつかでいいのです。


私が他へ行ってしまったら、ポールさんは寂しいでしょう。きっと精霊さんも寂しがると思います。


それに、この仕事をこなせる精霊は、なかなか見つかりませんよ。」


確かに。


「ふふ。では、もうしばらくパートナーでいてくれるかな。」




ちなみに、エメさんの三代目のパートナーは、心優しい魔女だった。


彼女と過ごすうちに、エメさんは心の豊かさを得た。


今でもその魔女がくれたドレスを、大事そうに着ている……。




その魔女は、


「エメラルドは、とても素敵な良い名前ね。」


と、言ったらしい。


エメさんの名前の由来を知って同情し、それでも、素敵な名前だと言って、褒めた。




「でも、私の名前ではないのです……。


彼の、亡くなった娘や猫の代わりなんです……。


どうやら最初は、若い頃の失恋相手の名前だったらしくて……


主は、いなくなってしまった彼女たち、特に失恋相手に八つ当たりして、復讐するように、私を粗く使い、富を得ていました……。この姿はたぶん、失恋相手のものだったのでしょう……。」




「それはそれ。もともとは悪い名前ではないし、私にとっては、エメラルドはあなただけ。


……エメラルド。あなたは、とても綺麗で、立派な精霊よ。」




「彼女がそうして、エメラルドという名を大切に呼び続けてくれたから、


自分でも、悪くない名前だと思えるようになったのです。


悪いのは、一代目の主ですからね……。


新しい名前が欲しいと、長い間切望していましたが、エメラルドという名前を捨ててしまっては、私以前のエメラルドさんたちが、可哀想だと気付いたんです。


なので、彼女たちごと大切にする事にしました。」




僕は拍手した。


「大勝利だよ!」


見事、一代目を負かしたわけだ!




「私は彼を……、殺したいほど憎んでいましたが、彼の家族の為に、護衛を続けていました。


私が張った結界から出て、同業者の誰かに呪い殺されたのは、彼のヘマで、使いに出ていた私のミスではありません。


仕事の記録から、私の潔白は証明されました。


運良く、その日は霧が出ていませんでしたし。


……はあ……。すみません。ポールさん。


あなたの直系のご先祖さまの事を……こんな風に話して……。」


「エメさん。」


僕は微笑んで彼女に両手を差し出す。


側にやってきた彼女の両手を優しくつかむ。


「あなたの事は、叔母から全て聞いているよ。


エメさんは、とても立派だ。」


「私を信じてくださるのですか……?」


「小さいころ、僕に、色んな魔法使いや魔法動物の出てくる、ワクワクする話しをしてくれたね。」


「はい。全て、私が出会った人達の体験談です。」


「僕は、あなたがいたから、魔法使いになりたいと思うようになったんだ。


あなたと式の契約をしたいと。


叔母から、エメさんの過去を聞いても、その気持ちは変わらなかった。


もちろん今でもそうだ。


だから、エメさんにとっての事実は、僕にとっても、本当の事だよ。」


「ポールさん……。


……私は……」


「うん。」


エメさんは、何か話そうとしたけれど、それを飲み込んで、違う話しを始めた。


「……私は、一代目が亡くなって、とてもホッとしたんです……。


そして、もう何もかも遠ざけて、深く眠りたいと思いました……。


一代目の甥と契約しましたが、私は何もしたくなくて、足手まといに思われてしまって、契約を解除されて、しばらくの間、二百年ほど、丘の向こうの遺跡の塔に籠もっていました。


自分で自分を封じ込めて、仮死状態にしたんです。」


僕はうなづく。


仮死状態の精霊は、岩石になる。


まるで、透き通ったガラスでできた墓標のような……。


「魔法使いや精霊が何人もやってきたようですが、誰がやってきても、魔力も声も、私には届かなくて……そのうち、誰も来なくなって……


けれど、三代目だけは、何度も会いに来てくれたんです。


精霊を目覚めさせる魔法をいくつも試したそうです。


そして、とうとう、封印が解けたんです。


夏の霧雨のように心地よい魔法でした……。


後から知りましたが、彼女は、幼い頃から、私に会いたかったそうです。


私を助けるために、あらゆる努力をしたんです……。


彼女と組んで……私は彼女のために、どれほど力になれたか分かりませんが、彼女と一緒に仕事をするのは、幸せでした……。」


「彼女にとって、エメさんは、最高の相棒だったと思うよ。」


三代目の魔女の手記が残っている。


古すぎて読めない古語だけど、将来、エメさんのパートナーになる魔法使いへ宛てて書かれた手紙で、翻訳がある。


エメさんは、何が得意か、苦手か、過去の経験から、ストレスになるため、気を付けてあげてほしい事柄、好きな物……。


エメさんの将来をどれほど気にかけていたか、よくわかる。








僕がエメさんに、契約のお誘いをした時の言葉。




「魔法使いの世界も、問題が山積みで、


目指す地平線は、遥か彼方だ。


それでも僕は、進んで行きたい。


苦しみばかりではない。


楽しみな事もたくさんある。


友人には、よくわからない仕事だって言われるけど、必要としている人はいるんだ。


これから僕は、そういう旅をするけど、もし、興味があれば、一緒に旅をしてみませんか……?


たいして利益は出ないし、危険もあるだろうけど……。」




エメさんは、くすっと笑った。


「私がお守りします。任せてください。」




エメさんは、最初から頼もしかった。






エメさんとは、公私ともに毎日一緒にいるから、雑談も多い。


「ポールさんは子爵さんとずっと仲が良いですよね。」


「うん。かれこれ二十年になるな。」


「子爵さんはポールさんの……恋人なのですか?」


「っえ!?今なんて言った?」


「ポールさんは子爵さんと恋仲なのですか?」


「えええ!?普通に友達だけど!?……どこがそう見えるの……?」


「お二人とも、独身ですし、しょっちゅう手紙のやり取りを楽しそうにしていますし、子爵さんのお屋敷へ行かれる時は、私に休暇をくださって、嬉しそうに出発されますし。


半年前にお付き合いされていた女性に対しての高揚感とさほど違いが無いように思います。」


びっくりだ……。エメさんにそんな憶測をされてたなんて……。


「あいつの家にエメさんを誘わないのは、あいつが許嫁亡くしてて、精霊とも組む気ないから気を使ってるだけで、僕が独身なのは、結婚が面倒なだけで……


僕らが仲良いのは、子供のころの関係が切れずに続いてるだけだよ……。」


なんでこんな話になってるんだろう……。


友人とのフランクな雰囲気と、恋人との良い感じのムードの違いが、精霊にはよくわからないのかも……。


「そうですか。念の為、主の人間関係は知っておくべきと思ったので。」


「はは、エメさんが知ってる通りの人間関係だよ。変化があったら知らせるね。」






エメさんがしみじみと言う。


「……ポールさんはずいぶん大人になりましたね。特にここ数年で……。」


「え、何、急に……。」


今度はなんの話だ……?


「ついこの間まで、無邪気に笑ったり泣いたりする小さな子供だったのに、感慨深いです。


もうすぐ、私の精神年齢を越しますね……。」


「エメさんは、自分の事、何歳くらいだと思っているんだい?」


「私は、人間だと二十代後半くらいなのではと思います。」


「そうなんだ。」


僕と同じくらいの年だと思っているんだ……。


「私は二百年くらい変化がないように思えるのに、人間は不思議です……。


成長が目覚ましくて……。」


「僕は仕事しているしね、信頼できる大人に見てもらえるよう、頑張っているから、学生の頃と違って見えるのかも。でも中身は割と子供な気がするよ。」


エメさんは、僕の目をじっと見て言う。


「ポールさん、つらい時は、正直に言ってください。」


急に真剣だ。


「え……?エメさん……?」


「私にくらい、本音を話してください。


ポールさんは、私を助けたくて、この仕事を始めたんですよね?」


それもあるけど、


「……自分がやりたい仕事だからだよ。」


「ですけど、私のためでもある。


だから、私もポールさんを助けたいのです。


大人でも、精霊でも、一人では生きて行けません。


もう一歩歩み寄って、手を取り合いませんか……?


パートナーなのですから……。」




「……。」


そう言われて初めて僕は……


自分がいつの間にか、いっぱいいっぱいになってしまっていることに気づいた……。




エメさんと契約して、仕事を始めて三年……。


苦しくても、働くというのは、こういうものだと思って頑張ってきたけれど……




「最近、一日に何度もため息をついています。無理をしているのは、明らかです。


ポールさん、私はあなたの、親にも、恋人にも、結婚相手にもなれませんが、友達にならなれます。


子爵さんといて、安心して楽しく過ごせるように、私とも、気取らず接してほしいのです。」




気取らずか……。


僕は確かに気取り屋で、自分の辛さを人に言えず、抱え込んで追い込まれてしまう性格だ。


伯爵の位は捨てて、自由に仕事しているけど、貴族出身ということが、町人に対する理解の及ばなさになってしまっているのではと、焦っている……。


それでため息をつきがちだ……。




「ふふ。……分かった。


友達として、気取らず、気負わず、話し合ったり、仕事もプライベートも、僕たちなりにやっていこう。」




「はい。ポールさん。……子爵さんと恋仲でないなら、今度は私もお屋敷へ連れて行ってください。


私も彼が心配なんです。」




「分かった。


……ところで、悩んでる事があるんだけど、話し聞いてくれる……?」


「はい。一緒に考えましょう。」




クライアントの心情をうまく汲み取れない悩みを打ち明けた。エメさんは言う。


「こちらを頼って来る方達は、どんな案件も、皆さん自分の領域を侵害されて傷ついて困っています。


ポールさんはお優しいので、寄り添いたい気持ちがおありなのは分かりますが、


深く同情して親身になれた方が、うまく対処できるとも限りません。」


「そうだけど、分からないのは嫌なんだよ。自分の人間性に穴があいているようで……。」


「そうですか。皆さん複雑な事情を抱えていらっしゃいますが、全てを語ってくれる人は少ないせいもあるでしょう。


これからは、依頼人の周囲も少し調査しましょう。」


「ありがとう。」




エメさんと腹を割って話して以来、コミュニケーションが増え、お互いアイデアを出し合うようになって、それを精査して仕事に生かせるようになってきた。


なかなか増えなかったクライアントが、少しずつ増えてきた。




「良い仕事ができるようになってきたって事かな。エメさんのおかげだよ!」


「ポールさんの努力が、人望に繋がっているんです。」






ポールさんは、私を連れてご友人の子爵さんに会いに来た。


ポールさんが、テーブルに片手をつき、軽く身を乗りだし、子爵さんの目をじっと見て言う。


「お前さ、……僕と恋愛する気、ある……?」


「…………は……??」


子爵さんは、目を丸くして、まじまじとポールさんを見ている。


ポールさんは私を見て軽く首を振る。


子爵さんは、半歩引いて訊ねる。


「お前と恋愛したいかって聞いた??」


ポールさんは子爵さんに近づき、彼の肩に手を置く。


「もし、少しでもそういう気持ちがあるなら、隠さず僕に話してほしい。」


「え……私が……?」


驚いている。


逆だと思っていたらしい。身を乗りだしているポールさんから口説かれると。


ポールさんが心配そうに言う。


「大切な人が、僕を思って苦しんでいるなんて、嫌だからさ……。」


「ポール……心配はありがたいし、私も君を大切に思ってるけど、恋愛感情はないよ。


なんかそういう心配が生じる内容の仕事を抱えてるのか……?


体調大丈夫か……?精神面も、負荷のかかりそうな仕事だな……?夢見が良くなる薬を調合するよ。他には、あれと、これと……」


「お前って、そういうとこ、昔から変わらないな。懐かしい。」


ポールさんは嬉しそうに笑う……。






「はあ……やっぱりお前んちの風呂は気分良いな……!」


私とポールは湯船に浸かっている。


ポールは風呂好きだけれど、実家のは広すぎて、今住んでるアパートのは、ポール曰く手桶のように狭くて、うちの風呂が丁度いいらしい。


私は笑って言う。


「はは!ポールもここに住んだらいい。」


「ん〜、ここは仕事無いんだよな……。


村人はみんなお前のおかげで心身ともに健康だからな。街と違って、寄り合いがあるし。」


「……そういえば、さっきはなんであんな事きいてきたのかな。」


「あんな事?」


「もしポールが私の事を、今まで少しでもそういう風に好意的に思っていたのなら、私は君を傷つけ続けてきたんだなって……」


すると彼は少し寂しそうに言う。


「……。ちょっと残念だよ……。」


「え……何が……?」


実は図星なのかと不安になる。けれど彼は、


「僕に恋愛感情があったら、今のお前の表情とセリフで魔法にかかってたなと思って。」


私はくすっと笑う。


「ポールみたいな良い男に、なびく気持ちが無くて、私も残念だよ。」




だから私達は、こうして時々会って、リラックスして話ができる……。




おしゃべりなポールが急に静かだと思ったら……


うたた寝している……。


温めの湯で、のぼせる心配はないし、心地良いけど……


「ポール、風呂で寝ると溺れるよ。」


「……ん……。」


薄目を開けてうなづくけど、すぐにまた寝息をたてる……。


疲れた寝顔だ……。


仕方ないから、起きるまで見守った……。








私は提案する。


「明日は森を散歩しよう。」


屋敷の敷地から続く森は広大だ。


「エメさんがずいぶん楽しみにしてたよ。」


「精霊のいない森を独り占めしたいのかな。」


「エメさんの生まれた森は、とっくに無いらしいし。」


「……精霊って、魔法使いに出会わなければ、ずっと生き物の姿で暮らし続けるんだったよね。」


森では、鹿や狐など。海では、イルカや海鳥など。


「そう習ったな。」


「精霊にとって、どっちが幸せなのかなって、たまに考える。


別に、エメさんの事を言ってるんじゃなくて、


今まで出会った精霊達を思って。


人の側で暮らしているからには、いつかはどの人間よりも年上になって、長く親しかった人とも、死別して、その後もさらに長く生きなくてはならない……。


私が心配する事じゃないのは分かっているけれど……彼女達の行く末を思うと苦しくなるんだ……。」




私は彼女達の人生に、自分の人生を重ねて見ているのだ……。


許嫁を亡くして、さらに長く人生が残っているのが、私は苦しいから……。




「……。暗いことばかりじゃない。楽しい事もたくさんある。」


「そうだね……。」


ポールは私の肩をさすってくれた……。


「ポール、忙しいのに、来てくれてありがとう。


君と過ごすと、なんだか少し前向きになれる気がするよ。」










子爵さんは、


時々魔力切れを起こしてぐったりしている。


「子爵さん!?」


私は、魔力を送り込んで回復させる……。


……その時、なんとなく、子爵さんの気持ちが伝わってくる。




ある時気づいた。


魔力を使い果たすほど頑張って、何かを作ろうとしていると……。


長椅子でぐったりしている子爵さんのそばのテーブルには、


いつも同じ材料と道具が置いてある……。


そして、製薬に失敗している……。




そんなに頑張って、いったい何の薬を作ろうとしているんだろう……。




私は両手を重ね、子爵さんの胸に当てる。


魔力を送り込むと……子爵さんの気持ちが伝わってくる。


私に回復を手伝ってもらって、申し訳ないと思っている……。


そして、自分の無力さが悔しくて、自分を責めている……。


それでも、自分の力でどうにかしたいと、もがいている……。




私は言う。


「子爵さん、もうそんなに自分を責めないでください……。


もう、自分を、許してあげてください……。」








魔力が回復した反動か、耳がぼうっとなって聞こえなくなった。




私を呼ぶ声がする……。


彼女だ……。




「もう、自分を許してあげて……。」




彼女はそう言って少し微笑んで、私を見つめる……。


私も微笑む。




「あなたを治す薬作りをやめてしまったら、


私は私じゃなくなってしまうよ……。


私があなたのためにできることは、


これぐらいしかないから……。」






回復して起き上がると、


精霊さんが、心配そうに私を見ている。


「子爵さん?自分じゃなくなるって言いました?」


「え。」


「自分じゃなくなるの、嫌なんですか?鳩になるのも、楽しいですよ?」


私はふっと笑う。


「昔から、変身魔法を自分にかけるのは苦手なんだよ。変身するのも、戻るのも、苦労するんだ。」


「そうなんですか。私を変身させるのは上手ですけど……。


あ、その呪文を教えてください!私が子爵さんを変身させますよ!」


「ううん、特になりたいものがないからいいです。」


初心者の変身魔法は怖いので、やんわり断った。


「そうですか……。鳩になるのも気が向かないですか?一緒に空を飛ぶのも気持ちが良いと思いますよ?」


私は微笑む。


「君が変身するのを見ているほうが楽しいんですよ。」


「……。」


精霊さんは、嬉しそうにニコニコする……。


「それじゃあ、また私を変身させてください!時々でいいですから!」


私は精霊さんに変身魔法をかけるのが好きなのだと思われたらしい。


精霊さんが楽しそうに喜ぶから、私も楽しくなる。そういう事だ。














ようやく、薬が完成した。


何十年もかかってしまった。


けれど……、


これで本当に、昔亡くした許嫁を治せるかどうかは、わからない……。




それでも、自分を少し、許せる気がしている……。




精霊さんは喜んでくれた。


「完成したんですね!おめでとうございます!」


「ああ。ようやくね。たびたび心配かけて、すみませんでした。」








子爵さんが、繰り返し、魔力と体力を削って作っていた薬が、やっと完成した。


でも子爵さんは、


「このレシピと完成品は、魔法薬学会に寄付しようと思う。」


「え、寄付でいいんですか?」


「うん。寄付したいんだ。」


あっさり手放してしまった……。


同じ物をたくさん作って、病気の人を治すのに使われるらしい。


以来、子爵さんは、ますます穏やかな人になったように思う……。








私は指輪を二つ、炎の中に入れる。


親が私の婚礼用にと用意してくれた、ペアリングだ。


子爵の紋章が、溶けて流れて、失われていく……。




人生の目的にしていた製薬が終わって、


もう、私には何も無い。


自由で穏やかだ……。




もう、貴族でいる必要も無い。


私は貴族の服を脱ぎ、全てしまい込んだ。


これからは、村人と同じ、質素で動きやすい服を着よう。




何人もいた召し使いみんなに、暇を出した。


退職金を渡し、


「故郷で親孝行してあげてください。」




広いリビングも、大広間も、締め切って、もう使わない。


女中部屋も、ゲストルームも、埃が積もっていく……。




もうこの屋敷には、


通いの家政婦さん以外は、ほとんど人が来ない。


夜は私一人だ……。




鏡を見ると、白髪混じりの年寄りが写る。


もう、過去の全てが懐かしく感じる……。




私は、病の許嫁の傍らに座り続け、手を握り続けてきた……。


私だけが、年をとり、


「次はきっと、薬を完成させるよ」


と、言うのが癖になっていた。


彼女は、治っても治らなくても、どちらでもよくて、ただ、私を案じていた……。




完成した薬を受け取り、


彼女は、治っても、治らなくても、私に礼を言う……。


「ありがとう。」




「こちらこそ、待っていてくれて、ありがとう。


これで、やっと……」


彼女は天国へ行ける……。






今日は精霊さんが、花冠を作ってきてくれた。


私に被せて、手を叩いて喜んでいた。


私より精霊さんのほうが似合うと思うけれど、


そう言うと彼女は、一生かぶっているかもしれないので、言わないでおいた。




精霊さんがいて、私は毎日、まったく飽きない……。










子爵さんが、私の眼をじっと見て言った。


「精霊さん。話があるんだ……。


私はずっと、あなたに謝りたかった……。」


「子爵さん……?」


「精霊さん、あなたのその姿は、私が無意識に与えたものだと話したことがあったよね。」


「はい。」




「君のその姿は……


昔、若くして亡くなった、私の許嫁の女性そっくりなんだ……。」




「……知っています。」


「え……」




「二十年程前、ポールさんが詳しく教えてくださいました。子爵さんは話さないだろうからと。」


「はあ……そうでしたか……。」


「時々何か言いたげな、子爵さんのまなざしの意味が分かって、すっきりしました。」




「……。とにかく、私は長い間、精霊さんに謝りたかったんです……。


本当に、すみませんでした……。」




「子爵さん、私は何も辛くないですよ!私は大丈夫です!


この姿が誰であろうと、


子爵さんは、私自身を大切に思って、愛してくださっています。


私はそれが、とてもうれしいのです!」




「……ありがとう。


私にとって、その姿はもうとっくに、精霊さん自身としてしか見えていないよ。


あの人とは、かなり性格も、動作も、表情も違うからね……。」


「それは良かったです!」




「あの人はいつもすまし顔でも、やさしい人だったから、


彼女が君を、私のもとへよこしたんじゃないかって、しばらくは思っていました。


でもきっと、精霊さんは生まれるべき時に生まれて、


精霊の特性として、私の未練をトレースしてしまった。そういう自然な事なんだろうね。」


「そうかもしれないですね。」




「精霊さん、


君がこの森にいてくれて、


私は幸せですよ。」










私にはもう、何もなくて、


幸せで、


老後の時間を持て余している……。




ただ、少し前から、気になっている事がある……。


精霊さんには、薬の材料を買いに行くと言って、街の大きな病院へ赴いた……。










ある時、子爵さんは、私に言った。




「この屋敷を離れて、旅をしようと思う。」




「私も行きます。」


といったけれど、




「一人で行かなきゃならないんだ。」


と、断られた。


それから彼はこういった。




「私は今まで、君と過ごせて、本当に楽しかったですよ。」




なんだかお別れするみたいな言葉……。




「私もですよ。私、待っていますから、帰ってきてください。帰って来るんですよね……?」


髪がだいぶ白くなった彼の、腕に触れた。


なんだか不安で、悲しくて。


遠くへ買い物に行くのとは違うのだ。旅をするなんて、子爵さんは初めて……。


この感じ、なんだか本当に……




「こんな……急にお別れするなんて、いやです!子爵さん……!」


でも、少し前から、何か準備している気配はあった。




「精霊さん。よく聞いて。


私は、ここを去るわけじゃないんだ。


この先は、ここで過ごすべきではないから行くけれど、


私は君のもとから去るわけじゃない。


ここから離れていても、君を大切に思う気持ちは変わりません。


毎日、君に会いたいと思うだろう。


だから、君は君で、楽しんで過ごしてほしい。


後ろ姿を見せたくないから、君が知らないうちに旅に出ますね。」


「子爵さん……!」




わけが分からない……。


「私も一緒に行きます!」




「私は精霊さんの幸せを願っています。だから、ここにいてください。」


子爵さんは、私にこの森から出てほしくないのだ。なぜなら……


「精霊狩りになんて、捕まったりしません!」


「森の外では、あなたを守れない。精霊さんは、安全な森にいてほしいんです。」


「……。……必ず、帰って来てください……。子爵さん……。」


「私はどこにいても、あなたの幸せを願っていますよ。泣かないで。元気でいてください。」




本当に、旅に出るのだ……。


子爵さんが決心した……


別れなのだ……。




私はショックで、怖くなって、上手く動けなくなってしまった……。




子爵さんの願う、私の幸せって、なんですか……?




日が暮れてきた。


いつも、夜は私は屋敷の外に出る事になっている。けれど……


「子爵さん……今夜はお側にいさせてください……。お化けの見張りをしますから……。」


「……精霊さん。今夜は散歩をしましょう。」




部屋の前で待っていると、着替えてコートを着た子爵さんが出てきた。


「では、散歩に行きましょう。」




ランプを持った子爵さんと、夜の森を散歩する……。




どうしたら、気持ちを変えてくれるだろう……。


でも、考えても、考えても、思いつかない……。




どうして子爵さんは、旅に出るんだろう……。


それも、答えが出なかった……。




子爵さんは、立ち止まって、私に向き直る。そして、私の目を見て言う。




「どうしても、行かなければならないところがあるんです。


精霊さん、そこには、あなたを連れて行けないんです。


……屋敷の側に、あなたの好きな花を植えました。


その花を見て、私が元気で幸せな事を思い出してください。」


優しい笑顔の子爵さん……。




私は泣きながら、子爵さんを抱きしめようとした。




すると、ランプが落ちて、火が消えた。




そして、子爵さんも……消えてしまった……。




急いでお屋敷へ行ったけれど、お屋敷も、空っぽだった……。






子爵さんは……どこにもいなくなってしまった……。








私は毎日、泣いて暮らした。




『私は君のもとから去るわけじゃない。


ここから離れていても、君を大切に思う気持ちは変わりません。


毎日、君に会いたいと思うだろう。


だから、君は君で、楽しんで過ごしてほしい。』




子爵さん……。


どこへ行ってしまったのですか……?


去るわけじゃない……?


実際、いなくなってしまったじゃないですか……。


なぜですか……?




楽しんで過ごせないです……。


どうして急に、理由も言わず、旅に出たんですか……?


もう、会えないんですか……?


お互いに会いたいと思っているのに……?




会いたいです……。


子爵さん……。




急にいなくならないと、約束してくれたの、


忘れてしまったんですか……?


覚えているのにどこかへ行ってしまったのは、


どんな理由ですか……?




あなたの事だから、きっと私に気を使っているんですよね……?


どんな理由で……?




「子爵さん……あなたのやさしさが、つらいです……。


もう二度と、会えないのでしょうか……?」






半年がたったころ、小鳥が私に知らせに来てくれた。


精霊と人間が、屋敷にやってきたと……。




急いで飛んでいくと、玄関前に、ポールさんとエメラルドさんがいた。


ポールさんが、元気そうに手を振る。


「やあ!精霊さん、久しぶり!」


「ポールさん、エメラルドさん……」


「精霊さんがどうしているか、様子を見に来たよ。あいつに頼まれてね。」


「……。」


私はボロボロと涙をこぼす……。


「子爵さん……!」




良かった……


子爵さんは、まだ生きている……。




声を上げて泣いていると、


エメラルドさんが背中をさすってくれた……。




ポールさんが言う。


「この屋敷なんだけど、売却することになったんだ。


だから、そのうちだれか別の貴族か金持ちの、家か別荘になる。」


「そんな……」


「この家が空っぽのままでいるより、人が住んでいるほうがいいだろうってことでね。


良い人間の手に渡るよう、僕も手伝うつもりだ。」


「……。」


子爵さんが、私のことを思って、そう決めたらしい……。


子爵さんは、やっぱり帰ってくる気は無いのだ……。


どうして……。




「それじゃあ、明日は、あいつに会いに行こう。」




「え……!」


会いに行く……!?




「子爵さんに、会えるのですか!?」




「うん。僕が、ヤツを説得したんだ。


もう一生会わないつもりだなんて、あんまりだ!


精霊さんがかわいそうだ!って言ってね。」


「ポールさん……!!


うれしいです!!ありがとうございます……!!」




子爵さんに、会える……!!




そうだ、何かプレゼントを持って行こう!何がいいだろう……!


そわそわしていると、


「ああ、お見舞いの品は、片手で持てるだけでいいって言っていたよ。」


子爵さんらしい……。でも……


「……そんな……無理です!」


「あはは!だよね!」






翌朝。


ゲストルームの窓から顔を出したポールさんが庭を見下ろして、笑って言う。


「あはは!たくさん持ってきたね!」


私は一晩かけて、森中から子爵さんの喜びそうなものを集めてきた。


身支度して下りてきたポールさんは、


「じゃあ、これにしまって持っていくね。」


と、右手だけの革手袋を取り出した。


「え……」


「安心して。手袋として使ったことはないから清潔だよ。」


と、金色の杖を振る。


山のような荷物が浮かび上がり、渦を巻きながら、あっという間に手袋の中へ吸い込まれていった。


「あ、君のこともこれで運ぶね。」


と、私を見てにっこりする。


「え、きゃあ!」


私も吸い込まれた……。


「手荒な方法でごめんね。契約していない精霊さんを運ぶには、これが一番安全なんだ。」


ポールさんは、手袋を上着の内ポケットへ入れる。


「それじゃあ出発だ!」


と、馬車に乗った……。




道中、私はポールさんを質問攻めにする。


「子爵さんは、どんな様子ですか?どこにいるんですか?


今まで何をしていたのですか?なぜ急に旅に出たのですか?」


「うん。割と元気だよ。着けばわかるから。」


「あの、子爵さんはやっぱりご病気なんですね……?」


お見舞い、と、ポールさんは言った。


「うん。自分でも治療薬を作ろうとしてるみたいだけどね。」


「そうですか……。」




子爵さんは、病気の自分を私に見せたくなくて、心配させたくなくて、出ていったのだ……。




「どう?そこの居心地は。」


「居心地良いです。」


「それは良かった。」


中は手袋の形ではなく、八角形の部屋になっている。荷物は片側に寄せてある。天井は、上に伸びて、すぼまって、閉じている。そこが出入口らしい。


「この手袋は、どんな仕組みなんですか?どうやって作ったのですか?」


「さあ、専門の職人が作ったものだから、僕は良くわからないよ。空間に穴をあける魔法をかけるのは苦手だしね。」


外が見える窓があるので、そこから景色を眺める……。


馬車は、村のそばを通っている街道を進んでいる。


「この道の先へ行くのは、初めてです……。」


「あいつがいる街までは、ここから二日かかる。霧の季節じゃないからね……。到着するまで、そこにいてね。」


『はい……。霧の季節って、何ですか?』


エメラルドさんが言う。


「精霊は、霧を伝って移動できるんですよ。」


「霧で、移動……?」


霧は好きだけれど、どうやって移動できるんだろう……。


私はまだまだ知らないことがあるらしい……。




宿の部屋につき、ポールさんは手袋をテーブルに置いた。


「出てきて大丈夫だよ。」


どうやって出るんだろうと思って出口を目指したら、ぱっと出られた。


「お疲れ。」


と、ポールさんが微笑む。


「森から出て、どう?」


「ちょっと心もとないです。」


「そう。最初はそうだろうね。」


ポールさんは鞄から布袋を取り出すと、それを肩に引っ掛けて、


「僕は風呂に入ってくるね。」


と、部屋を出て行った


エメラルドさんが私に言う。


「精霊さんは、この部屋から出ないでくださいね。


この部屋にだけ、精霊の気配を消す結界を張ってありますから。」


「どこかに悪い魔法使いがいるのですか……?」


「今のところ大丈夫そうですけど、精霊狩りは気を付けたほうがいいのです。」


「精霊狩りって、何なのですか?」


子爵さんは、悪い魔法使いとしか教えてくれなかった。


「精霊は、周りから魔力を吸い寄せて、常に強い魔力を持っていますし、人間は魔力的な相性の良し悪しなく、誰でもどの精霊からでも魔力を得られるので、精霊を小さく固めて魔力源として使おうと、狩る人たちがいるのです。」


悪い魔法使いに捕まったら、閉じ込められていじめられると思っていた……。魔力を横取りして使うために狩るのだ……。


「そんな……狩らなくても、契約すれば、精霊の魔力を使えるんじゃないんですか?」


「契約には、精霊の同意が必要です。


対等なパートナー関係になるわけですから、精霊も、割に合わない人間とは組みたく無いものです。


魔力のある人なら、誰でも精霊の同意が得られるというわけではないのです。


普通、精霊の同意が得られなかった場合は、魔法生物を手元に飼育したり、魔力の強い植物を食したりして、足りない魔力を補うのですが……


悪い魔法使いは、無理やり精霊を捕まえて閉じ込めて、都合よく使うのです。


なぜなら、それが一番手っ取り早くて安価だからです。」


「……閉じ込められた精霊は、どうなるんですか……?」


「自由を奪われた精霊は、意識がなく、何年か眠ったままですが、そのうち弱って死んでしまいます……。」


「……そんな……!」


「良い魔法使いたちが、精霊狩りを捕まえて、精霊たちを解放する仕事をしていますが、なかなか根絶できないようです……。」


「……。」


「精霊が、魔法使いとの契約を断る理由はいくつかありますが、


そのうち一つが、魔力の弱さです。


魔力の弱い人間と組むと、より多くの魔力を提供しなければならないので、精霊も疲れてしまうのです。


人間の魔力の容量を増やす方法もありますが、それも限界があります。


魔力の弱い人たちは、精霊のサポートがないと、魔法使いとしてやっていけませんが、


組んでくれる精霊が少ないことが、彼らが精霊狩りになってしまう原因の一つのようです。」


「……。なんだか悲しいお話ですね……。」




ポールさんは、私が入った手袋と杖を、枕の下に敷いて、眠った……。


エメラルドさんは、一晩中見張りをしていた……。


私は子爵さんへのプレゼントの世話をした。


痛まないように魔力で管理したり、水や食べ物を与えたりした。




「子爵さん。


再会したら、


またあなたが、どんな理由で私を遠ざけようとしたとしても、


私はお側を離れません。




だって……


私にとっても、子爵さんにとっても、


こんなに長く、一緒に仲良く暮らした人は、


一人だけなんですから……。




なので、最後まで、おそばにいさせてください……。」




馬が一歩一歩、歩むごとに、


車輪が回るごとに、


私たちは子爵さんに近づいている……。






村や街を幾つも通り越し、


綺麗な街に着いた。


ポールさんが言う。


「この街は大規模な都市開発が最近完成した街で、景観も、設備も、住心地も良いと評判なんだ。雰囲気の良い病院と療養所もある。あいつはそこにいるよ。」




ピカピカな車が走る、おしゃれな街道を進み、病院に着いた。


なるほど、雰囲気の良い、綺麗で可愛い建物……。


広い庭の見える、のどかな渡り廊下を通り、療養所の建物に入る。


幾つものドアの前を通り過ぎながら、


明るく心地よい廊下を通る……。




ポールさんは足を止め、内ポケットの私に言う。


「ここだよ。精霊さん。」


ポールさんはドアをノックして開け、


部屋に入った……。






「子爵さん……!」






明るい窓辺の椅子に、子爵さんが腰掛けている……。


こちらをじっと見ている子爵さんは、髪とおヒゲが伸びている以外は変わりなく見える……。




ポールさんは、子爵さんの顔を見て言う。


「……えらい顔色が良いな……。」


ポールさんはあきれている。私は手袋の中から言う。


「ポールさん!早く開けてください!」


「うん。」




出口が解かれるやいなや、


私は手袋から、ぱっと出た。




「子爵さん!」




「精霊さん……」




私は、笑顔の子爵さんに抱き着いて泣く。




「わああ……


寂しかったです……!怖かったです……!」




「うん……すみませんでした……。」


抱きしめて髪をなでてくれた……。




「ふふ……」


子爵さんがクスクス笑い始める。


「精霊さん。また部屋を散らかしていますよ。」


「え……」


どうやら急いで飛び出したとき、プレゼントも一緒に飛び出させてしまったらしい。


ポールさんの髪にお花が引っ掛かっている。


床には木の実や花や、薬草や、ウサギの親子や、葉っぱや木の枝や……たくさん散らばっている。


「いやあ、初めて見たよ。この散らかしっぷり。身動きできないよ。」


と、両手を上げるポールさん。


「すみません。」


でも、私は片付ける気になんてならない。


子爵さんにしがみついて泣く……。




会いたかった……!


死んでしまったのかと思った……!


もう二度と会えないかもしれないと思って、


悲しくて、毎日泣いていた……!




すると、子爵さんが優しく言う。


「……精霊さん。片付けてください。」




私は起き上がって怒る。


「……子爵さん!


私は子爵さんの言う事なら、何でも聞くと思っていますね!?


何と言われようと、もう二度と置いてきぼりは嫌です!


ちゃんと理由を言ってください!


どんな理由でも、話してください……!


でないと、私は、いつまでも、あなたの安否を心配して、待ち続けてしまいます……!


あなたは、私がいなくても暮らせるかもしれませんけど、


私は……!私は……」




子爵さんは、泣く私の顔に触れ、私の目を見て、穏やかに言う。




「もう二度と、側を離れません。


今度こそ、約束を違えません。」




「……本当ですか……?」




「本当です。精霊さん、どうもすみませんでした……。」


もう一度抱き合った……。




「私にとっても、精霊さんが必要なのだと、はっきりわかりましたから……。」




「子爵さん……!」


子爵さんも、私に会いたくてしょうがなかったのだ……。


カッコつけて出て行ったけれど、そのために、私の必要性に気づいただなんて……




「子爵さん……!バカな子爵さん……!」


「ははは!本当ですね。私はバカですね。」


「最後まで、お側にいますからね!」


「うん。」


彼は私の手にキスしてくれた……。




ポールさんが、エメラルドさんと顔を見合わせてから、咳払いして言う。


「あのー、水を差したくないから、片付けて外に出てるね。」


「うん、どうもありがとう。」


ポールさんが杖を振ると、散らばっているお土産は、スルッと手袋に収まった。








私は……


これでいいんだと思っていた……。


精霊さんのそばにいないほうがいいのだと……。


弱って苦しんで死んでいく私を見せたくないし、


精霊さんを、怖がらせて悲しませたくない……。


私の死を知るのは、ずっと未来でいい。


精霊さんが、信じていれば、私は生きていることになる……。


私は彼女の隣人だ。


元気な私だけを覚えていられれば、


それは彼女にとっても、私にとっても、幸せな事なのだ……。


お互いにとって、良い別れ方だと……


思った……。




けれど……。


自分を治す魔法薬の研究をしようとして、


ふと……


この研究は、私に必要なのだろうか……


と、思ってしまった……。




精霊さんが近くにいなければ、私はいつ死んでもいい……。


わざわざ薬を作る意味は無い……。




そう気づいて……


製薬の手が、止まった……。


生きる気力が、ほどけていった……。




気づけば、精霊さんのことばかり考えるようになっていた……。


どうしているだろう……。


今日も私の帰りを待って、屋敷へ見に来ているだろう。


けれど、そのうち、あの屋敷にやってこなくなるだろう……。


私のことは、時々懐かしく思い出すだけになるだろう……。


「それでいい。」


それが、彼女の幸せなのだ……。




私にとって、精霊さんは、とても大切で……


大切だからこそ、別れるべきなのだと、思っていた……。




私は、自分を治す努力を、してもしなくても同じだ……。


魔法薬師として、同じ病の人のために、研究はするけれど、


完成したとしても、自分で使おうとは思わなくなった……。




毎日、精霊さんを思い浮かべた。




私を思って、寂しがって泣いている精霊さんを……。




「嫌です!行かないでください……!」


必死に私を引き止めようとした精霊さんを……。




私は何にも焦点が合わず、


隣人を恋しく思ってばかりいる……。




彼女がいないと、生きていられないのは……


私だ……。




病で弱っていく私を見るのは、精霊さんにとって、怖い事だろう。


と、思っていた。


けれど、思い出した……。


病に侵された私の許婚は、私と会うのを許してくれた。


私は、怖さより、会いたさのほうが勝っていて、再会できた事が、とても嬉しかった。


手を繋いで……心も結ばれた……。




彼女は、私の一生を見渡す目をして、


「ありがとう。」


女神のように微笑んだ……。




それから、最後まで、何度でも会ってくれた。


そうして、私が傷つかないようにしてくれたのだ……。


彼女は私より、ずっと強い人だったし、


私よりも、私の事を分かっている人だった……。






屋敷の売却の話を進めていると、どこから聞きつけたのか、友人ポールがやってきた。


私は驚いた。


「どうやってここを……?」


療養施設にいることは、誰にも話していないのに……。


「僕が探偵まがいな仕事をしているのを忘れたのか?一人暮らしのお前が心配なんだよ!」


たぶん、この間出した手紙の消印がこっちの所在なのを、目ざとく見つけたんだろう……。


「はあ……。」


「おい、疲れた年寄りみたいな顔するなよ。」


「私も君も年寄りだよ。」


「まさか精霊さんに黙って出てきたんじゃないだろうな……」


「……。」


「何やってんだ!精霊さんがかわいそうだ!バカヤロウ!」


「……。彼女のためになると思ったんだ。」


「あのなあ!」


相当叱られると覚悟したけれど、彼は、


「……いい。僕が連れてくる。お前は反省してろ。」


すぐに馬車に飛び乗って行ってしまった……。




もう一生、精霊さんと会わないつもりでいた。


けれど、私はポールを止めなかった。


私の命の隅々まで、


遮りようもなく、


精霊さんと会える喜びが、


温かく満ちて行った……。




「精霊さんがかわいそうだ!」


……か……。


考えつく限りの、言葉をつくして、私が不在になった後の彼女を支えようとしたけれど……


私のした事は、一方的に、私の気持ちを押し付けて、あの森に閉じ込めて、精霊さんと向き合う事なく、私一人で逃げて来ただけだ……。




信頼を裏切って、一人で死んでも、


何も精霊さんのためにならない……。




彼女は、後悔しているだろう……。


もっと必死に私を引き止めるか、どうにかしてついて行くかすれば良かった、と……。




許嫁のように、不本意な死に方をする人を、一人でも減らしたいと思って魔法薬を作ってきたけれど……


人を傷つけ、絶望させるのは、病自体もそうだけれど、


人の身勝手な言葉や行動もなのだ……。




一方的に別れて、どれほど精霊さんを孤独に追いやり、悲しませ、傷つけて怖がらせているか……。


後悔に、再び涙が溢れた……。








精霊さんが、私の胸で泣いている……。


私が生きていて良かった、会えて良かった、と……。


精霊さんの、純粋さと善良さが胸にしみる……。




綿のような手触りの精霊さんを抱きしめていると、


生きている喜びがあふれてくる……。


こんなにも、精霊さんは、私の希望そのものだったのだ……と、改めて思う……。




……愛しい私の精霊さん……。


死ぬまで彼女と離れたくない……。




「明日から、薬を作る研究をします。手伝ってくれますか?」


「もちろんです!私のお土産も、ちゃんと受け取ってくださいね?」


「はは!もちろんですよ!ウサギまで連れてきたんだね!小屋を作らなきゃいけませんね。」




私がベッドに横たわると、精霊さんは、


「今日は隣で見ていてもいいですか?」


「いいですよ。隣にいてください。」




私たちは、仲良く並んで眠った……。




夜中……


隣で眠っている、愛しい精霊さんの手に、触れた。


すると……、


精霊さんに、色彩がついた……。


驚いた……。


そんなことは初めてだから……。


私には、精霊をカラーで見る資質はないのだと思っていた……。


精霊さんの髪やまつ毛は、ベージュ色をしている……。


「ああ……よかった……」


私の許嫁は、赤毛だった……。


精霊さんは彼女によく似ているけれど、でも、ベージュ色の髪が似合うと思っていた……。


私の髪も、昔はベージュ色だった……。


もし……許嫁が病にならず、無事に結婚できていたとしたら……


もしかしたら、精霊さんのような娘が産まれていたかもしれない……。




幸せそうに眠っている彼女の頬に……


キスした……。






朝、目覚めると……


「おはようございます。子爵さん。」


精霊さんが、隣に座っている。


「おはよう。精霊さん。」


夜中に見たカラーの精霊さんは夢だったかのように、いつも通りの白くて半透明の見た目だ。


ふと気づいた。精霊さんは、なぜか私の片腕を掴んでいる。


私が起き上がっても、まだ離さない。


「?なに?」


「子爵さんの魔力を管理しています。」


なるほど。調子が良いようだ。


「ありがとう。でも、着替えたいから、一旦離してください。」


「離さなくても、子爵さんはお着替えできます。」


と、にっこりする。私もつい、くすっと笑う。


「そうだけど……」


「構いません。お着替えしてください。」


「……。」


私は着替えた。


「精霊さん、ずっとそうしてなくても大丈夫ですよ。」


「気にしないでください。」


「……あの、トイレに行くのでここにいてください。」


「私もついて行きます。」


「……え……」




ほんの少しの間でも離れたくないなんて……


精霊さんは、私に置いてきぼりにされて、よほど寂しかったのだ……。


私だって、精霊さんと離ればなれになりたくないと思っている。


「でも、トイレにはついて来ないでほしいな……。」


「?なぜですか?人間は不思議ですね。大人しくしているので、側にいさせてください。」


と、微笑んで肩に寄りかかってくる。


「……。」


精霊さんの愛を、受け取らないわけにはいかない……。


だけど……


「やっぱりドアの外で待っていてください。」




今日は浴槽を使える日だ。


「お風呂に入りに行きます。」


と、精霊さんに言うと、彼女は楽しそうに、


「私も一緒に。」


やっぱり……。




精霊さんが驚いている。


「お風呂って、お湯に浸かるんですか……!」


私が湯船に浸かっているのを、不思議そうに見ている。


「水浴びだと思ってました!……どんな感じですか?」


「気持ちが良いですよ。見られているとリラックスできないけど……。」


仕方ないから腰巻きしいるけれど。


「私も入ってもいいですか?」


「え……」


精霊さんは、着ているドレスのあちこちを引っ張っている。


「これはどうやって脱ぐんですか?」


と、スカートを持ち上げる。


「知りません。」


と、私は嘘ぶく。本当は、昔、脱げないようにこっそり細工したのだ。


開くところは、魔法で縫い止めたから、精霊さんはドレスを脱げない。


アンダースカートも、下着も、ドレスと一体化している。


精霊さんが、どうしても新しいドレスに着替えたい時だけ、解けるようになっている。


精霊さんは、残念そうに口を尖らせると、私に覆いかぶさって抱きついてきた……。


「おっと……!」


驚いて滑って沈みそうになって、浴槽の縁をつかんだ。




「……私も人間になりたいです……。そうすれば、子爵さんが感じる色んな事を、私も同じように感じられるのに……。


お湯に浸かる気持ち良さも、知りたいです……。」




「……困りましたね……。」


「なぜ困るのですか?」




「私は、精霊であるあなたが好きだからですよ。」




私にしか見えない、生まれたての精霊だからこそ、気にかけて、話しかけ、愛しくなった……。


もし人間だったら……許嫁そっくりな人というだけで、遠ざけただろう……。


幸せにしてやれる気がしないから……。


他に、人間はたくさんいるから、私が構わずとも、生きていける。


でも、精霊は……


たった一人、私の森に生まれた精霊は……


愛さずにいられなかった……。


守らずにはいられなかった……。




「あなたが、魔力が強くて長生きな精霊さんだから、私は幸せになれたんです。」


病にならない、精霊だから。


私より、長生きするから。




「子爵さん……」




一人、薬草を摘み、薬を作る魔法薬師の仕事は、孤独だ。


精霊さんがいてくれて、どれだけ救われたかわからない……。




「それに、もし、人間になれたとしても、好奇心は満たされるかもしれないけど、今までできていた事が出来なくなるのがショックだと思いますよ。」


精霊にはできて、人間にはできない事が、数多くある……。




「……。……。わかりました。」


メリット、デメリット、天秤にかけて、納得してくれたらしい。




精霊さんは、私に寄りかかる……。


……お互いの魔力が通う、心地よさ……。




精霊さんは顔を上げて、私の目をじっと見て、


「……子爵さんは、いつも私に何か隠しているように思いますけど、なるべく気にしない事にします……。」


と、少し微笑む。


精霊である事を肯定してもらえて、嬉しいらしい。


私も微笑んで、精霊さんをそっと抱きしめる……。


「でも……今も何か隠していますよね……。正直に話してもらえると嬉しいです。話し合えるのは、幸せな事です。」


「……あのね、人間は誰かと会話する時、服を着ていないと恥ずかしくて落ち着かないんですよ。私はそうです。」


「それは嫌な事ですか?」


「嫌かどうかは相手によりますけど。」


「私はどうですか?服を着ていない子爵さんは、いつもより魔力がくっきり見えて、私は好きですけど……。」


と、浮き上がって私の身体を見下ろす。


「ははは……うん……慣れかもしれませんね……。」


気のせいか、精霊さんが色っぽく見えて、妙に焦る……。






ポールが笑う。


「はははは!一日中!」


再会以来、精霊さんは、一日中、私にくっついている……。


何か用事を頼まない限り、昼も夜も側にいる……。


幸せだけど……、戸惑う事もある……。


「はあ……。精霊さんに、年老いた体をさらすとは夢にも思わなかったよ……。」


「あはは!でも、精霊にとっては、僕らが服を着てても着てなくても、あんまり変わらないんじゃないか?」


と、エメラルドさんを見る。彼女は、


「違いはありますよ。」


と、返す。ポールは肩をすくめる。


「失礼。……ふふ。ヒゲも綺麗に剃って、髪も切って、少し若返ったじゃないか。」


「……。」


別に若返りたくてしたわけじゃない。


私が黙っていると、精霊さんが楽しそうに言う。


「子爵さんの、顎と首の形が好きなんです!」


無邪気な精霊さん……。


ポールはクスクス笑っている。


「新婚の邪魔をして悪いね!」


「俗な冷やかしはやめてくれ。」


当たらずとも、遠からずな感じ、あるけれど。


「ははは!悪い!」










精霊さんがプレゼントしてくれた木の実もあと僅かだ。


すると精霊さんは、


「探して採ってきます。」


と、外へ出ようとする。でも……


「ここは街だから、木の実は人の家の庭か、お店にしかないよ。それに、精霊が街をうろつくのは危ないから。」


と、止めた。彼女はニコッとして、


「それでは、そこの庭で育てます!」


と、窓の外を指差す。


頼めば療養所の庭の手入れを手伝わせてもらえる。好きな草花を植えている人もいた。


「じゃあ、そうしようか。」




精霊さんと二人で、小さな苗を植えた。


けれど……私が生きているうちに収穫できたら奇跡だ……。






一週間後。


苗を見て私は言う。


「……成長、早すぎませんか……?」


もう1.5倍くらい大きくなっている……。


「夏には実がなりますね!」


「あんまり急がせると、木が疲れてしまうんじゃないですか……?」


「大丈夫ですよ。早く成長するのが普通な木になるように、設計図を書き換えたんです。疲れないように、栄養もあげていますよ。」


「設計図を……?」


「植物も、動物も、設計図を書き換えられるんですよ。」




驚きだ……。


精霊は、そんな事までできるるのか……。




「……どうやって書き換えるんですか?」


「長く連なっている情報の一部を切り取ったり他で切り取ったのを繋げたりします。」


「そんな事ができるんですか……!」




精霊は、人間の目には見えないような微細な世界まで、自然と知っているのだ……。




……私はなんの宗教も信じていない。


世界の全てを神様が作ったと乱暴にまとめてしまうのは、学問が浅いせいで、事実が解明されていないからだと思っている。


幼いころから、宗教よりも、科学が好きでを学んだし、魔法薬学を専門としたから、そう考えるようになったんだと思う。




近い将来、科学や魔法学が、本当の世界の成り立ちを証明する時が来る。


けれど、


精霊は、ごく自然に、この地球の成り立ちも、生命の仕組みも、知っているのだ……。




「精霊さん、大発明ですね。」


「?発明?ですか?


植物も、動物も、時々情報がちょっと違う子ができるんですよ?私はそれを真似しただけです。」


劣性遺伝は知っているけれど、似たものだろうか。




食物を大きく育てる技術……。


もしかしたら……


精霊さんの技があれば、世界中の飢餓や食糧難はなくなるかもしれない……。




でも、世界のために尽力するより、


精霊さんには、幸せに心豊かに暮らしてほしい。


いつかいいパートナーに巡り合えることも願っている……。









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