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エマスイの屋敷2

研究所でシステムを設置してもらい、治療していた時のこと。

ダルシアン博士にたずねたことがあった。


『どうやって、このシステムを発明したんですか?』


天才の彼が、何を取っ掛かりにして発明しているのか、不思議だった。

僕が不意に曲を思いつくみたいに、偶然アイデアが湧いてくるのだろうか。

システムは、そうして作られた物なのだろうか。

それとも、特定の病気の研究をしているうちに、偶然、多数の病気を治せると気づいて、システムに発展したのだろうか。


まだ手術した跡が痛んでいて、ベッドに横たわっている僕に、ダルシアン博士は答えた。


『発明する大きなきっかけはあったんだけど、まだそれについては話せないかな。

システムのアイデアの糸口になった情報のことは、みんなが元気になってから伝えようと思う。

誰も信じないかもしれないけどね。』


信じがたいようなきっかけ……?

どんなきっかけだろう……。


『発明って、どんな風に組み立てていくものなんですか?』


『俺がどうやって発明しているかというと、まず、大体の見当をつけておいて、候補を組み合わせて、合うものを探すんだ。

意識しなくても、いつも問題を気にしているから、ほかのことをしていても、いつの間にかつながって、突破できたりする。』


見当をつけると言っても、きっと、膨大な情報から探すんだ。

ダルシアン博士は、そこから問題の解き方を探し当てるセンスというか、アンテナの質が飛びぬけていいんだと思う。

だから、誰にも思いつかないような組み合わせを思いつけるのだろう。

もちろん、大量に論文を読んだり、シミュレーションの想定通りには実験がうまくいかなかったり、地道な積み重ねがあるから、ひらめくことができるんだろうけど。


意識しなくても、いつの間にかつながるっていうのは、僕の作曲も同じ感じだな。と思った。


『それじゃあ、今日も作業するね。』

『お願いします。』

ダルシアン博士は、自分の中のシステムから僕のシステムにアクセスして、動作の点検をし始めた。

ベッドのすぐそばの椅子に腰かけて、目を閉じている様子は、瞑想しているみたいに見えた……。


……作業が終わったのか、僕を見て微笑んで言った。

『すべて順調に進んでるよ。痛みはどう?』

『さっきより痛くないです。』

彼が調整してくれたようで、少し気分もよくなった。

そういう調整も、多少なら自分でできるようになるらしい。

『もう少し起きてる?それとも眠る?』

僕は、痛みが減っても、疲れていた……。

常にダルシアン博士かルイス博士がいる、ICUのある部屋から個室へ移動できてほっとしていたし。

『……眠ります。』

『そう。じゃあ、スリープモードに切り替えるね。』

『はい。』

額の画面に、スリープモードの表示が出た。

通信していたダルシアン博士のアイコンが消えた。

『お休み。』

彼は椅子から立って、窓のカーテンを引いてくれた。

『ありがとうございます。』

ダルシアン博士は、そっと、僕の部屋から出て行った。


まどろみの中、思った。

ダルシアン博士が素晴らしい発明家であるように、

僕も良い作曲家でありたい……。

彼のように、生きていきたい……。





僕は、端末から、コールドスリープセンターにアクセスする。

入るときのパスワードは、ローイのご両親が教えてくれた。

……ローイのご両親は優しい方達で、ローイを見舞いに来るたび、僕の事も可愛がってくださった。今は、連絡を取り合ったりしていないけれど、どうしていらっしゃるだろうか……。


僕は、ログインして、ローイの状態を見る。

グラフは横ばいで、安定している……。

……あんまり頻繁には見ないけど、週に二回くらい、数値を見ている。


……まだ、ローイの病の治療法は見つからない……。


映像に切り替える……。

コールドスリープしているローイが画面に映る……。

変わらず眠っている彼の顔を、眺める……。

でも……凍っている彼を見ていると……、

悲しく……、

怖く……、

なってくるから……、

たまにしか見ないようにしている。

……僕は、心の中身を吐き出すようにため息をつく。

「はぁ……。」


安定して、コールドスリープしていることを確かめられたので、アクセスを閉じる……。



凍り付いて眠っている人……。



僕は術後、ベッドから起きられるようになってきたころ、

ダルシアン博士に質問した。


『なぜ、このシステムを作ろうと思ったんですか?』


ルイス博士が言っていた。

『二年間、かかりっきりで仕上げた大作なんだ。』

と。

もし、偶然、システムを作れると気づいたのだとしても、ほかの研究より優先して進めたのは、なぜなのか。

何か目的があったのだろうか……。

もしかして、僕たち治験者の中に、どうしてもシステムを使って治したいと思っていた人がいるのだろうか。


ダルシアン博士は微笑んで言った。

『システムを作った一番の目的は……

コールドスリープしている従妹を助けるためだよ。

そのために、今まで研究して来たんだ。』


優しく温かな彼の、人生を貫いている目的、動力を知った……。


今まで、ということは、システム以外の発明は、全て副産物ということなのか……。


『でも、今を過ごしている君たちのほうが、彼女よりも、優先して治療すべきだと思った。

アルシュ君も、これで、好きなだけ音楽ができるね。』

彼は優しく微笑んだ。


僕は、

『すごくうれしいし、感謝しています!』

と伝えた。それから、

『従妹の人は、いつから眠っているんですか?

僕の友人も、コールドスリープしているんです。』


『ああ。ルイスから聞いたよ。

……俺の従妹は、俺と同い年で、十六の時から眠ってる。

でも、あと二、三年のうちに、システム治療法の承認を学会から得られて、起こせるだろう。』


彼は、思いを馳せる目をして、

嬉しそうに、幸せそうに微笑んだ。


ダルシアン博士は三十三歳らしいから、従妹はもう十七年も、眠っていることになる。


彼が、自分の能力を最大限使って作ったシステムで、

大切な人が目覚め、病が治る……。

なんて力強いんだろう……。

すごい事だ……。

そう思った。


『……とても大切な人なんですね。博士にとって。』

どうしても治したくて、長年研究してきたのだ。

愛しているのだろう。


『……うん。俺のことを、世界一だと言ってくれた人だ。』

『世界一か……!僕も、ローイは世界一だと思ってます……。』


『そうなんだ。』

と、彼は微笑んだ。

希望のある表情で、彼は言った。

『ローイ君も、数年で目覚められるかもしれない。

システムが承認されれば、コールドスリープしている人たちを、治療していくだろうから……。俺は、そう願ってる。

若年化、長命化の問題も、なるべく早く解決できるよう、取り組む。

解決すれば、より大勢の人が治療を希望し、受けるだろう。

多くの人が、大切な人と、長く過ごせるようになるだろう。

コールドスリープの空きが増えて、年齢制限が引き上げられるだろう。』


ダルシアン博士は嬉しそうな笑顔で言った。

『……ようやくここにたどり着けて、ほっとしてるし、自分に自信を持てるようになったよ。』



ダルシアン博士……。


僕は、亡くなってしまった彼の笑顔を、毎日何度も思いだす。


努力し続けて、やっとたどり着いたのだ……。

システムが完成して……

あと一歩だった……

あと一歩で、従妹と再会できたのに……。



ダルシアン博士……!

僕は思う。


僕よりも先に、

あなたの大切な従妹を、治療してほしかった……!


何の承認も得られていないシステムを、国が運営しているコールドスリープセンターで眠っている人に施すことは不可能だったんだろうけど……。


僕がコールドスリープしたくなくて、システムを選んだばっかりに、

ダルシアン博士が従妹と会えなくなってしまったんじゃないかと……

嘆いてしまう……。


あの時、

「なんとかして今から従妹を救う方法はないんですか!」

と、揺さぶって促せば良かったと……

悔やんでしまう……。


僕を、僕らを治療した時間と労力を使っても、

従妹を目覚めさせることはできなかったのだ。

だから博士たちは僕らを集めた。

それでも僕は……。


博士……。

あなたが亡くなったと知ったら、

従妹の人はとても悲しむでしょう……。


でも……

きっと、いつかは……

あなたを誇りに思って、前を向くでしょう……。





郵便で、荷物が届いた。

玄関に一番近かった僕が受け取った。

ドローンじゃなくて人が運んできたから、きっと、とても貴重で大事なものが入っているのだろう。

小包で軽い。何だろう。

エマスイ宛だ。差出人は、


「ルイス博士だ!」


「あ、受け取ってくれたんだ。」

吹き抜けを見上げると、サマーが二階から軽やかに降りてきた。

「ルイス博士からなんです!」

「え、あのルイスさん!?」


エマスイが練習を終えるのを待ってから、開けることにした。

僕は僕で、リビングのピアノを弾く。

でも箱の中身が気になってしまう。


エマスイに、何を送って来たんだろう。

……そうだ、僕宛だとしても、宛名はエマスイなんだ。

でも、本当にエマスイ宛の郵便かもしれない……。

それでも僕に関係ある物かもしれない……。

システムに関係ある物だろうか……。

システムのアップデートはネット経由だと聞いているし……

システムの説明書は、データでエマスイに送ってあるし、

研究所にも、搬送先の病院にも、忘れものはないし……。

……。

エマスイへのお礼の品かもしれない……。

僕を引き取った事に対しての……。

……そうかも。それに、すぐわかるんだし、あれこれ考えるのは失礼だからやめよう。


しばらくしてエマスイがリビングに来た。

サマーから聞いたようで、リビングの中央のテーブルに置いてある小包に近寄る。

僕は作曲の手を止めて、そちらをうかがう。

箱を開けた彼女がこちらを見る。

「アルシュ。」

隣へ行くと、エマスイが、小さな紙を僕に見せた。

そこには、エマスイ先生とアルシュ君へ。と書かれていた。

小さい段ボール箱の中には、さらに小さい箱が入っている。丈夫そうな、平たい木の箱。

エマスイが梱包材からそれを取り出す。

段ボール箱の中身は、それで全部だ。

エマスイは木箱をテーブルに置き、留め金を外して、ゆっくりと開いた……。

箱の内側には、ビロードの布が張られていて、

その中央には、

金属色に輝く、美しい昆虫がはめ込まれて横たわっていた。


「え!トンボ!?」


サマーもやってきた。

「え、これが届いたの?」

「ええ。」

僕はエマスイに言う。

「触ってもいいですか?」

ほかに何のメッセージもない。

エマスイがうなずくので、僕はトンボの翅に触れた。

死んでいるみたいに動かない。

そっとつまんで、掌に載せた。

本物……ではないはずだ。

似たような物を、動画で見たことがある。

こうして手に乗せると、動くロボット……。

観察していると、目が光り始めた。

そして、生き返ったみたいに動き出した。

トンボは足を動かし、起き上がって羽を広げ、羽ばたいて飛んだ。

「わ!」

そして、空中の一点で止まり、ホバリングする。胸くらいの高さだ。

トンボは、僕らを見ているようだ。

すると、いきなり、人の姿のホログラムが現れた。


ルイス博士だ。目の前に立っている。


目が合う。

僕たちの顔をトンボが認識しているんだ。


メルツみたいに透き通った姿の彼が言う。

「こんにちは。アルシュ君。エマスイ先生。」

「ルイス博士!」


「このトンボは、僕が医療用3Dプリンターで作ったドローンです。

そしてこれは録画の映像。

見えづらかったらカーテンを引くか、照明を絞ってください。」

サマーがカーテンを閉めに行く。

「この映像は一回しか再生されないので、覚えるか、手帳で録画するかしてください。準備できたらタッチしてください。」

と、ルイス博士は片手を差し出して停止する。

僕とエマスイは手帳を用意し、僕がルイス博士と手を重ねた。


「ようやく研究所の片付けができたよ。

警察の話では、出火原因は機械の故障による、事故だそうだ。

僕もあの時見たけど、機械にセットされていたはずの引火性の液が、部屋の外まで漏れていた……。

警察がメーカーを調べたら、他にもトラブルの報告がある製品だと分かったそうだ。リコールと会社の取り調べをしているところらしい。

ニュースで見て知ってるかな。」


ニュースは見た。

……研究所には、数多くの機械類があった……。

その中にそんな重大な欠陥品があったなんて……。


「ダルシアンの葬儀も済んだよ。

日程を知らせなくてごめんね。まだ治療中の身を押して来てほしくなかったから……。

元気になったら、挨拶しに行くといい。」


そうします……。

以前お二人が務めていた会社に献花台もあるらしいけど、

僕はお墓へ、花を手向けに行こう……。


「僕の火傷も、システムのおかげで早く完治しました。

心配をかけてしまったけど、僕の身体はすっかり元通りだよ。」


良かった。

火事の直後のルイス博士は、全身、火傷治療用のシートとテープだらけで、本当に痛々しかったから。

僕をここへ送り届けてくれた時も、治りきっていなくて、手袋をはめていた……。

それに、髪が傷んで短くなってしまったからと、ウイッグを被っていた。

今もそうだ。耳を隠す長さの金髪は、地毛ではない……。


彼は話を続ける。

「ダルシアンが……亡くなってしまったから、

君たちのこれからは、僕が見る。

長命化問題にも、取り組む。

ダルシアンの解決力には及ばないけど、努力する。」

と、微笑んだ。そして深く息を吸って続ける。

「今日は、もう一つ話すことがある。

僕とダルシアンが組み上げた、この治療システムが、どうやってできたのか。

というか、作るきっかけと、ヒントを得た人について伝えておきます。」


治療システムを作る、ヒントを得た人……。


前に、ダルシアン博士に訊ねたことがあった。

『どうやって、このシステムを発明したんですか?』


『システムを発明する大きなきっかけはあったんだけど、まだそれについては話せないかな。

システムのアイデアの糸口になった情報のことは、みんなが元気になってから伝えようと思う。

誰も信じないかもしれないけどね。』

と、話していた。きっと、その話だ。

どんな、信じがたいきっかけだったのだろう……?


ホログラムのルイス博士は話す。

「僕とダルシアンは、今から三年前、とある人と出会った。

スワロウと名乗るその若者は、

銀色のドーム型の小型宇宙船に乗って、遠くの銀河からやってきた、エイリアンだった。」


「え!?」

僕はびっくりして、ルイス博士の目をじっと見る。

「エイリアン……!?」


聞き間違えじゃない。

トンボの前に浮いている字幕テロップにも、エイリアンと書いてある……。


彼は僕と目を合わせて、ふっと笑って、

「……驚くよね。僕も驚いたよ。

スワロウは、見た目は地球人と同じで、言葉も通じた。

悲しいことに、スワロウは、ディストピアな故郷から逃れるために、一人で地球へやってきた人だった。

スワロウの星の祖先は、不老長寿と国の繁栄を求めるあまり、星全体と、全ての住人をシステムで支配していて、スワロウも、他の人も、星から出られずにいたそうだ。

けれど、ある日、偶然、スワロウは、よそからやってきた無人の小型宇宙船を見つけ、助けを求めた。

そのまま単身乗り込んで、故郷を捨て、この星にやってきた。

けれど、故郷を離れてもなお、スワロウはシステムに支配されていた。

システムが全身の細胞と同化していたんだ。

僕とダルシアンは、スワロウのシステムを解除しようと、調べた。

けれど、僕らの検査方法では、わかることが限られていたから、手出しできなかった。

ダルシアンは、スワロウの船に助けを求め、

宇宙船は、ダルシアンに、システムのすべての情報を与えた。

全容が明らかになったのだけど、それは、僕とダルシアンには、とても解くことのできない、呪いのようなものだった。

スワロウはその呪いのために、自分からは、解いてほしいと表現することができなかった。

なので、僕とダルシアンは、〈主人の要望に応える機械〉である船に、システムの解除を、スワロウの代理として頼んだ。

宇宙船は、主人であるスワロウを助けると言い、スワロウを乗せて、どこか宇宙の遠くに飛び去って行った……。

すべて、今から三年前の事だ。

……僕とダルシアンに残された、異星の技術のデータの一部は、

君たちと僕に埋め込んだ、治療システムを作るヒントになった。」


「……。」

スワロウさんを支配していたシステムのデータの一部が、

僕の中にある治療システムを作るヒントになった……。

それなら、データを提供してくれた宇宙船もスワロウさんも、間接的にだけど、僕を助けてくれた恩人ということになる。

でも、宇宙船もスワロウさんも、どこかへ行ってしまったらしい……。


ルイス博士は話しを区切り、息を吸う。

「ひとつ、ここではっきり言っておきたいのは、

僕とダルシアンは、支配のために、この治療システムを作ったのではない、ということだ。

まだ医学界の、正規の手順を踏んでいない治療技術だけれど、僕たちは、難病の人たちの幸せを願ってシステムを組んで設置した。

どうか、誤解のないようお願いします。」


それはもちろん。

ダルシアン博士は、善良な科学者だ。

従妹と人々を治すためにシステムを作ったのだ。

ルイス博士も、もちろん良い科学者だ。

尊敬するダルシアン博士の設計したシステムで、僕らが治っていくのを見て、とても喜んでいた。


「……これから僕は、システムを学会に発表する。

そして、研究を進める。普通に老化できる体にする研究だ。

今のままでは、四百年生きることになるからね。

みなと同じ寿命を。

それはダルシアンも気にしていたことだ。

もしかしたら研究を進めるうえで、君たちに、何かしらの協力を求めることがあるかもしれない。その時は任意でお願いをします。

では、今回は以上です。質問や困りごとがあったら、いつでも連絡ください。

それではまた。」


笑顔のルイス博士が消えた。


トンボは床に下り、羽を閉じて、目の光りも消え、動かなくなった。




僕は、手帳に録画した、ルイス博士の話を何度も聞く。


……エイリアンの技術をヒントに、治療システムを組んだ……。


初めは戸惑った。

現実味にかけて聞こえた。

けれど、ルイス博士の眼が、話の裏にある、スワロウさんとの思い出のやさしさと、別れの悲しさを語っていて……本当のことだと思えた。


ダルシアン博士とルイス博士は、本気でスワロウさんを助けようとした。

船は、システムについての膨大な情報を二人に伝えたのだろう。

残念ながら、二人にはスワロウさんを治すすべがなかったけれど、

ダルシアン博士は、得た情報の中から、大切な従妹を救う手掛かりを見つけた。


そこから治療システムを開発したけれど、コールドスリープセンターにいる従妹には、すぐには設置できなかった。

どうしたって、正規の手順を踏む必要があった。

だから、代わりに、僕たちを集めて治療したんだ。


治療システムを施し、

元気になっていく僕らを見るダルシアン博士の、

嬉しそうな、満ち足りた表情を思い出す……。


「ダルシアン博士……。」


僕は、彼を思うたび、

彼を死なせた炎が、僕の心にも燃えているのを感じる。


苦しくて、痛くて、

でも、しっかり生きなくちゃ。

という真剣な気持ちになる……。





僕は、町の教会で、ダルシアン博士の冥福を祈る。


そして、彼に語り掛ける。

「……ルイス博士から聞きました。

僕たちのシステムは、スワロウさんという方を支配していたシステムから、ヒントを得たと。

その人は、異星人だと……。

彼なのか、彼女なのかわからないけれど、

そのスワロウさんの星は、きっとこの星よりずっと文明の発展した星なのでしょう。

だからダルシアン博士もルイス博士も、多くの刺激を受けて、

そこからこのような、だれにも思いつかず、作れないシステムを作り出したんですね……。

ダルシアン博士……

あなたの死は、あまりにも早い……。

あなたなら、もっとたくさんの発明を出来たのに……。

長く生きればその分、

歩んだ道が、そのまま人類の道となるような、

そんな人生を送ったでしょうに……。」


惜しまれて、悔しくて、僕は涙ぐむ。


「……でも……どうか、安らかに……。」



教会の中は肌寒く、少し冷えてしまったので、サマーと一緒に、パーラーの外の席で、日にあたりながら紅茶を飲んだ。

サマーが言う。

「来月の学会で、ルイス博士はシステムについて、正式に公表するわけか……。」

「そうです。……ルイス博士、終わった後に倒れるんじゃないかって、心配です……。」


もともと多忙に働いていたタフな人だけれど、親友であり、仕事のパートナーであるダルシアン博士を失ったショックは、想像に余りある……。


二人で立つはずだった、学会の檀上……。

ルイス博士は、何としても、そこまで走り切るつもりみたいだけど……。

心配で、昨日連絡した。

『動画をありがとうございました。

学会発表がもうすぐですね。何か僕にお手伝いできることはありますか?』

『それじゃあ、発表の時、アルシュ君のデータを一部、使ってもいいかな。もちろん個人情報は伏せるよ。』

『どうぞ使ってください。お体お大事にしてくださいね。』

『うん。ありがとう。アルシュ君も。』

『はい。』




おととい、俺は初めてルイス博士と会った。

いや、会ったというか、彼はホログラムで、アルシュとエマスイに向けてのメッセージ動画だったわけだけど……。

……なんて言うか……俺の印象だけど……

ルイス博士って、同性を好きになるタイプなんじゃないかな……。

いや、わかんないけど……。

もしそうだとして、それでもしも、ダルシアン博士と、公私ともにパートナーだったんだとしたら……。

彼が事故死して、ルイス博士は相当なショック状態でいるんだと思う……。

メッセージ動画では、ショックを隠していたけど、内心では……。

痛々しすぎて、とてもアルシュには話せない……。

って言っても、俺はダルシアン博士がどんな人か知らないし、俺の想像が間違ってるかもしれないけど……。

てか、間違ってたらすみません、ルイス博士、ダルシアン博士……。




私は、細胞学について素人だけれど、ルイスの語ったシステムの成り立ちを聞いて、納得がいった。

アルシュに施されたシステムは、今の科学力の一歩先どころではないような、飛躍的な発明に思えていたから。

けれど……。

私は、宇宙船やエイリアンを信じ切れていない。

だから、矛盾した、宙に浮いた、納得。


アルシュは治療を受けた中で最年少らしいけれど、学会発表で提示する資料に、個人情報を伏せてデータ提供することに同意していた。





僕はサマーから借りたエプロンを着る。

一時間ほどなら、立っていられるくらい体力がついてきたので、料理の手伝いを申し出たのだ。

サマーが楽しそうに言う。

「それじゃ、料理しようか!」

「はい!」

「まずは質問。」

「?」

「料理で一番大切なことは?」

「えっと……。」

「味か、栄養か、安全か。」

「あ、安全!」

「そ。料理も安全第一。怪我と食中毒に要注意ね!」

「はい!」


料理!

作れるようになりたい料理がたくさんある。

キッチンに立っているということが、わくわくする!


初心者の僕は、食材や道具の場所を覚えながら、必要なものを取り出すところからだ。

玉ねぎのみじん切りを炒めるのも、手伝った。ポークソテーのソースにするらしい。

「覗き込んでると、目が痛くなるよ。」

と、注意してくれたけど……

なった……。

「あはは!」

面白いな。玉ねぎって、本当に目が痛くなるんだ……!


サマーは、僕より年少のころから料理していたそうだ。

「家族が多いからね。それに、俺の祖母がいつも、楽しそうにおいしい料理をつくるひとで、手伝いたくなったし、俺も好きになったんだよね。」


サマーの育った家は、きっと楽しくて退屈しないんだろうな。

サマーを見ていればわかる。みんないい人たちだ。


「ありがとうアルシュ!あとは煮込んで味を整えるだけだから、休んでていいよ!」

と、ホットミルクとクッキーをくれた。

ばてた僕は、暖炉のそばのソファーで、おいしくいただいた。





……両親と暮らしていたころの僕の日常は……

薄氷の上で暮らしているようなものだった……。

もろくて、寒くて、

一番欲しいものは手に入らなかった。


それでも僕は、掌にある喜びや楽しさを大切にしてきた。


音楽。

それさえあれば、僕は豊かでいられたし、少しの間、嫌なことを忘れられた。

僕は……そうしながら、いつだって、良いほうに進むよう、願っていた。


でも、子供の僕は無力で、怖さがまとわりついていた。

もし、今より悪いほうへ進んでしまったら……。

もしも……。


けれど、僕は落ち着いて見えるらしく、

「アルシュ君は大人だよね。」

と、クラスメイトに言われたりした。

泣いたら止まらなくなりそうだから、安全枠の中で、じっとおとなしくしていただけなんだけど。


……病気になって入院して、

やさしい先生や看護師さんたちに支えられて、

ローイと出会って、

ようやく生きた心地がした。


両親がいなくても、僕は生きていけるとわかったし、びくびくしなくていいし、

体はしんどくても、心は明るかった。


ローイと僕の周りには、いつもどこかに死別の気配があった。

けど、だからこそ、一日一日がはっきりしていた。


楽しく過ごしていたけれど、

次第に、僕よりローイの方が、体調悪い日が続くようになって行った。

(そういえば、悪い、は、先生や看護師さんたちは使わない言葉だった。

すぐれない、とか、進行する、とか、お休みが必要、とか言っていた。)


調子のすぐれなかったローイがコールドスリープして、僕は少しほっとした。

会えないのは寂しくて嫌だけど、それよりも、容態の急変を恐れなくてよくなったから。


それから……

僕も体調崩しやすくなってしまい……

けれど、

ルイス博士とダルシアン博士に出会って、治療を受けて、

新しい未来をもらった。


エマスイの家へ来て、エマスイとサマーに出会い、

生きていく勇気をもらった。


……今思う。

僕は、両親からは良いものをもらえなかったけれど、

出会った人たちから、

たくさんの大切なものをもらってきた。


おかげで僕は……

生きている……。





サマーが言った。

「そうだアルシュ。エマスイの演奏旅行の日程が決まったんだ。」


演奏旅行!


「いつですか?」

「半年後だよ。俺はエマスイに同行して、いろいろ仕事をする。

アルシュも行きたかったら、連れてってくれるって。」

演奏旅行はあこがれるけど、ハードな仕事だと聞く。

「どのくらいの期間ですか?」

「そんなに長くないよ。八か所を二週間で回るんだ。」

半年後なら行けそうだ。エマスイの邪魔でないなら行きたい。

「僕も手伝いたいです!」





朝霧が出ている。

僕は、コートを着て散歩に出た。

森は白く、行く先を隠している……。


鳥の声に驚いた。

視界を遮られると、音に敏感になる……。

それでも、知った道を、ゆっくりと歩いていく。


家から離れたところで、彼女を呼んだ。

「メルツ!……いますか?」


ひんやりと白くかすんだ木々の間に、声をかける。


「メルツ……!」


いなかったら引き返して、家の周りを一周するだけにしよう。


「アルシュさん、ここに。」

どこか上の方から聞こえた。


彼女がふわりと現れ、

道の上に降り立った。


「メルツ!おはようございます。」

僕は、ほっとして歩み寄る。


「おはようございます。」

彼女も微笑む。


僕は、こんな霧の深い森の中を一人で歩いていると、寂しく不安に感じるんだけど、彼女がいれば安心だ。

メルツは、霧は楽しいと話していた。


「メルツ、もしよければ、手をつなぎませんか。」

白い彼女は、霧になじんでて、見えにくいから……。


「はい。」

メルツは僕の手に、手を重ねる。


彼女に色彩が現れる。

もう何度もこの変化を見ているけど、僕は毎回嬉しくなる。

メルツもそうらしい。


「霧の、どんなところが楽しいですか?」

と、訊ねてみた。


「霧はあちこちと繋がっていて、普段行けないところへ行けますし、

ただこうしていても心地いいんです。」


繋がっている……?

心地良い……?


「それは例えば、雨とはまた違うんですか?」


「雨と違って、霧は……呼吸できる感じ……です。

人とは違いますけど、全身で息をしてる感じがして、気持ちが良いです。」

と、快適そうにう微笑む。


「そうなんですね。わかる気がします。

霧があちこちに繋がっているというのは、どういうことなんですか?」

と、聞いてみた。


「霧の中を通って、別の森や、丘や、山へ、短時間で移動できるんです。

たまに、ほかの地域にいる精霊も、霧を伝ってこの森へやってきているようです。

なかなか会うことはありませんが。」


……メルツは、僕が見たこともないような景色を見ていて、

不思議な経験をしているんだ……。

僕も、メルツと一緒に霧を通って、

いろんな場所へ行ってみたい……。


僕たちは短い散歩をして、エマスイの家へ戻った。

髪がしっとりして冷えてしまったけれど、

メルツとの散歩は楽しかった。


それに……

霧は心地良いという話しを聞いてからは、

霧が優しく見えたし……

……美しかった。




メルツのいるこの森が、どれほど美しいか。


森というのは、どこもこんなに素晴らしいものなのか。


僕は映像でしか森を知らなかったから、わからない。


精霊がいることが、森の良さに関係しているのかもしれない……。


夜……。


森のどこかで鳴く、


木笛のような鳥の声を聴きながら……


僕は、眠りにつく……。





僕は不安で彼女に言う。

「メルツ……もう少しそばに来てくれますか?」


森の中を、今日も散歩しているのだけれど、

再び真っ白な霧に視界を阻まれてしまい、

僕は不安だ。


霧は次第に濃くなってきている。

薄い霧は優しくて綺麗に見えるけれど、

こんなに濃いと、隣にいるメルツもほとんど見えなくて、

やっぱり怖くなってくる……。


けれどメルツは、

「アルシュさん、あちらが明るいですよ。」

と、僕から離れて、一人でそちらへ行ってしまう。


「メルツ!」

彼女の言う明るさが、僕にはわからない。


「メルツ……!」

僕もそちらへ行く。

でも、彼女を見つけられない。

自分の手さえ、かすんで見えている。


僕は……彼女に親しみを感じていた。

彼女が、年を取らないから。


システムで病気が治っても、年を取らなくなった僕は、

これからずっと、十五歳の見た目のままかもしれない。

それが、何となく不安なのだ。


でも、精霊のメルツといると、

その不安がなくなり、ホッとする。

精霊も長生きで、見た目が変わらないらしいから。


それに、

彼女の雰囲気は明るくて、素敵で、

気分がよくなる。


初めて彼女と会話した時も、

その雰囲気に惹かれたのだ……。


「メルツ!」


そんな彼女が、こんな風に突然どこかへ行ってしまうと、

精霊と僕との違いに気づかされて、

悲しく、寂しく、心がひんやりする……。


「メルツ、どこですか……?」


全てが白く隠されている森。


僕は何度も、あたりを見回す。


霧は美しいけど……、

やっぱり怖い……。

心細い……。


もしかしたら、

メルツとは、

長く一緒には、いられないのかもしれない……。


自在に飛べるメルツの後を、

追いかけて、ついて行けるようでないと、

彼女のそばには、いられないのかもしれない……。


そして、彼女は、

飛べる自由を封じなければ、

僕のそばには、居られないのかもしれない……。


封じないでほしい。

メルツには、今まで通り、自由でいてほしい。


だから、僕は、

メルツの自由を奪う言葉を言えない……。


いつか別れる事が、つらく、寂しくても……。


「メルツ……あ……」


霧の中から、何かがやってくるのに気付いた。


僕のほうに近づいてくる。

足音のほうを、不安に思いながら見つめていると……

現れたのは……


美しい、真っ白な鹿だった。


初めて見る鹿が、真っ白だなんて……。


僕を怖がらず、

まっすぐに近づいてくる。


『霧の時は、普段行けないところへ行けます。

ほかの地域にいる精霊も、霧を伝ってこの森へやってきているようです。』

と、メルツは話していた……。


こんな鹿がこの森に住んでいるなんて、メルツから聞いた事がないから、

もしかしたら、

霧を通って、どこかからやって来た、鹿の精霊なのかも……。


角はない。雌なのかな。

綺麗だな……

まるで……


「アルシュさん。」

と、鹿がしゃべった。


「え、メルツ!?」


「私です。驚きましたか?」

「驚きましたよ!」


鹿のメルツは、僕に近寄り、

額を僕の胸に押し付ける。


メルツに色彩が現れる。

背中に斑点模様のある、ベージュ色の毛並み。


「ふふ!」

僕は彼女の首をなでる。

「僕を驚かせたかったんですね?」


「はい!」

オレンジがかったベージュ色の瞳で僕を見上げる。それから目を細めて、

「ふふふ!」

メルツは楽しそうに笑っている。


「大成功です!」


僕も笑う。

「あはは!ほんとに驚きましたよ!メルツらしい!」


うれしくて、心がすっかり温かくなった。


僕は彼女に伝える。

「でも、僕は、霧が出てると不安になるから、かくれんぼは霧のない時にお願いします。」

「はい、そうなんですね、すみません……。」 


笑って許してしまう。

「ふふ!メルツは鹿になっても綺麗なんですね!」


「……綺麗……ですか……。」

「そうですよ。」

僕は彼女を優しく撫でる……。


「……。」

「あ、すみません、」

と、手を離す。

鹿の姿だし、つい嬉しくて触ってしまった……。


「いえ。

……アルシュさんの手は、不思議ですね……。」


「……不思議、なんですか……?」

僕には分からないけど、魔力の通う感じがするんだろうか……。


メルツが人の姿に戻る。

しゃがんだ格好から立ち上がり、

微笑んで僕の手に触れ、


「はい。ずっと、ここにいたいような気分になります……。」


僕の手の中に、ずっといたい……。


そう言われると、

なんだか……

彼女を引き寄せたいような気分になる……。



この感じは……

感情は……

きっと……。



僕は彼女の手に、手を重ねる。


今なら言えるだろうか……。


僕と一緒にいてほしい。と……。


「……メルツ。」

「はい。」


「……ありがとうございます。鹿の姿を見せてくれて。」


やっぱり言えない……。少し怖くて……。

まだ、今のままがいいのかもしれない……。

僕はまだ、精霊のことも、メルツのことも、よく知らないし……。


メルツは少しすまなそうに微笑む。

「霧の時は、アルシュさんから離れないようにしますね。」

「はい。ありがとう。」


僕らは手をつないだまま、家へ向かった……。


メルツに体温は無いけれど……

温かかった……。





今日は暖かい。

木漏れ日がキラキラしている。

散歩の途中、僕は足を止め、

「あの、メルツ、君ともっと仲良くなりたいので、

これからは敬語なしで会話したいんですけど。どうでしょう?」

と、提案してみた。彼女は、

「はい。いいですよ!」

と、嬉しそうににっこりする。

「よかった!うれしいよ!」

「私もうれしいです!」

僕はくすっと笑う。

「……敬語じゃなくていいんだよ。」

メルツは首をかしげる。

「はい?敬語に聞こえますか?」

「敬語に聞こえます。」

「……。……もしかしたら、アルシュさんがそういう体質なのかもしれませんね。」

と、少し寂しそうに微笑む。

「え?」

「私の姿が見えるのも、言葉が聞こえるのも、

アルシュさんが魔力を持っているからです。

その魔力が、精霊の言葉を敬語に変換しているのかもしれないですね。」


「……そうか……」

口の動きと少しずれているし、不思議な聞こえ方のする声だと思っていた。

メルツの声は、音じゃないのかもしれない。

本当は、精霊の言葉を話しているんだ……。


「なるほど……。」

敬語に聞こえるのは、僕自身ではどうにもできない魔力によるものなのだ……。


ちょっと残念だ……。

もう一歩、メルツに近づきたかったのに。

親しくなりたかったのに。


メルツも残念に思ってるみたいだ……。

彼女は微笑んで、僕の肩に触れて言う。


「アルシュさんは、敬語じゃない言葉で話してください。

友達の話し言葉、私はうれしいです。」


「……ありがとう。」





今日は、ルイス博士が学会でシステムを発表する日だ。

僕の治療データも使ってくださいと申し出たから、それもスライドに映すだろう。


無事発表が終るのを、僕は祈っている。

きっと、ダルシアン博士も見守ってくれている。


システムを作るヒントは、スワロウさんというエイリアンから得たと、ルイス博士は話していた。

それは僕たち治験者だけに伝えてくれた事で、学会では話さないらしい。

全て、ダルシアン博士の発明だと発表すると言っていた。


スワロウさん……

どんな方だろう……

いつか……

スワロウさんにも、お礼を言えるだろうか……。





多くの科学者が集い、成果を発表する場。


今までも、僕とダルシアンは、何度も一緒にこの場に立ってきたけれど……

もう、ダルシアンはいない……。

僕一人で、

彼の最大の功績を、発表しなければならない……。


ダルシアンが発明して、僕が形にした、治療システムについて……。


大勢の科学者たちが見つめる中、

ライトの光を浴び、

僕は、

学会の壇上に立つ……。

ダルシアンと二人でまとめた論文と、スライドのデータを持って。


悲しくて……

嫌だ……。


……でも、今まで十年以上、ダルシアンが研究し続けてきた、従妹の少女、ファブリアーナの治療法が完成したんだ。

念願叶ったダルシアンをたたえて、

彼の相棒であることを誇りに思って、

発表するんだ……。


「リク・ラドフ研究所のルイス・ラドフです。

それでは研究発表、始めさせていただきます。」


僕は準備通り、落ち着いて発表していった……。



発表が終ると、多くの質問が上がった。

僕には答えられない、ダルシアンでないと語れない質問もあった。

時間になり、僕が袖へ下りると、会場がにわかに騒がしくなった……。

僕は気に留めず、建物の外へ出て、タクシーを拾って、ホテルへ向かった……。


本当は最後まで残って全ての発表を聞くべきだけど、

端末でアクセスして参加できるから、帰る事にした。

システムは、前代未聞の発明だし、残っていると、必ず誰か話しかけてくるだろう。


天才ダルシアンと話したい人は、今までも多くいた。

彼の多岐にわたる発明は、いつも脚光を浴び、科学雑誌に毎回載った。


ホテルの部屋につき、端末を開くと、

学会の質問受付のコーナーに、数多くの質問が寄せられていた。

僕はそれらに丁寧に答えていく、

リク・ラドフ研究所のホームページに、改めてお悔やみの文面も届いている。


……数時間後。

すべての研究者の発表が終わり、学会が終了した。

僕は……

とても疲れて、ベッドに横になった。


ダルシアンは、もういない……。

これから僕一人でしなきゃいけないことが、山のようにある……。


でも今は……

何も考えたくない……。

頭を空っぽにしたい……。


ああ……ダルシアン……。

僕をねぎらって……。



……背が高くて……

肩幅が広くて、少し猫背……。

数本、白髪のある、短い黒髪……。

きりっとした眉、美しい瞼を縁取る、濡れたような黒色の、繊細なまつげ、

かわいい魅力的な黒い瞳は、

研究の時は深く真剣で、僕を見るときは穏やかで……。

かっこいい鼻筋と、綺麗な形の唇……。

どの角度で見ても、見とれるくらい美しい、

精悍な顔立ちの彼……。


かなりのイケメンだけど、

やさしく温かい人柄のダルシアン。

彼に、いつくしむまなざしで見つめられ、キスされたいと、

毎日のように願っていた……。

彼がほしいと、あこがれていた……。

僕に恋をしてくれたらと……

夢見ていた……。


彼が、恋人の従妹と再会出来て、幸せになる事を、僕も願っていたけれど、

僕の事も、同じくらい好きになって欲しかった……。


彼の右腕になれて、友達としてそばにいられて幸せだったけど、

いつも彼の心に居るのは、ファブリアーナだった……。

僕もそんな風に思われたかった……。


「ダルシアン……。」


僕は彼を思い浮かべる。


ダルシアンが、僕をねぎらって、温かい笑顔を向ける。


「ルイス。ありがとう。」


「うん……。ちゃんと発表できてたでしょ?僕、頑張ったでしょ?」


「ああ。」


彼は僕の肩に、美しい手を置いてくれた……。

そして……

ハグしてくれた……。


「……。ダルシアン、僕も君と一緒に……」


炎の音。

薬品の燃える刺激臭。


「いいでしょ?ねえ、連れて行って。」


「……すまない。ルイス……。」


「僕は、君がいたから研究を頑張れたんだ。

ひどいじゃないか。置いていかないでよ……。」

「……。」


なじる言葉を言ってみても、僕の後悔は消えない。

彼を助けられなかった……。


「ごめん。君こそ不本意だったのに。

……ねえ、また一緒に研究がしたいな。」


彼は口元をあげて、やさしいまなざしで僕を見つめる。

「俺も。」

「……。」


僕は少し背伸びして、彼にキスする……。


涙が落ちる……。

「助けられなくて、ごめんね……。」


彼は、僕の髪を、そっと撫でてくれた……。


「ルイスのせいじゃない。俺のほうこそ……」


彼が、僕のために後悔して心を痛めているところなんて、見たくない。


「ダルシアン!もういいよ!もう何も……!」


僕は彼を抱きしめようとした。

けれど、そこにダルシアンはいない……。


「……え……」

……たった今まで目の前にいたのに、

ダルシアンが、

消えていなくなってしまった……。


悲しくて、僕は叫びそうになる。

「…………」

強い風が吹いた気がする。


僕は顔をあげる。

「あれ?……ダルシアン……?どこに行っちゃったの……?」

僕は研究所の廊下に立っている。


確か、これから研究室で一緒に研究するはずだったのに。

でも、彼を探すのも好きだ。

「ダ・ル・シ・ア・ン!どこかな?」


と思ったら、急に後ろから呼ばれた。

「ルイス!」


僕は振り向く。

「スワロウ!」


広く明るい場所で、

スワロウが、嬉しそうに微笑んでいた。


ミルクティー色の、さらさらの髪、

かわいい栗色の瞳、ふさふさのまつ毛。

色白の、かわいい女性的な顔立ち。

華奢で性別がなく、僕と同じくらいの背丈。


スワロウは、ほっそりした綺麗な手で拍手しながら、ゆったり優しい口調でねぎらってくれる。

「ルイス。お疲れ様!」


そういえば何か普段と違う大仕事をしたような。

「ありがとう!」

スワロウは、とにかくかわいくて、ホント癒される……。


僕は、白いワンピース姿のスワロウを抱きしめる。


「スワロウ、毎日君を思って、何とか頑張ってるよ。早く帰ってきて!」

スワロウのこの姿は、遠くの宇宙船にいるスワロウがよこしてくれた幻だと、僕は知っている。


「うん。待ってて。ルイス。」

頬にキスされる……。


「ねえ、スワロウと一緒に行きたいところが、千か所くらいあるよ。」


スワロウは嬉しそうに笑う。

「ふふ。全部行こう。」


僕たちは額を寄せ合って、くすくす笑う……。

幸せだ……。


「ねえ、スワロウ、キスして。」

僕はソファに寝そべる。


「いいよ。」


スワロウもソファに座り、顔を近づけてくる……。


スワロウはエイリアンで、身体がアルカリ性だから、キスが苦いんだけど、

幻のスワロウもそうなのかな?


「……」



……僕は目を開く……。

ホテルの部屋の天井……。


「あ……スワロウ……ダルシアン……。」


ベッドに横たわって、そのままうたた寝していたらしい。


そう、夢でもいい。

毎日会いたい。


僕は少し泣いた後、

歌を口ずさむ……。

多少は気持ちが軽くなるから……。





ホテルから帰宅後、僕は、アルシュ君に手帳でメッセージを送った。


「一昨日、学会発表が終わりました。

アルシュ君、データの提示に協力してくれてありがとう。

治療システムの発表自体は、簡潔に、時間内に終わったけど、質問が大量にあって、発表後にネットで返答したよ。

後からも、ずいぶんいろんな方から質問されて、大変でした。

僕はこれから一月ほど休むつもりです。

でも、何かあれば、いつでもラインください。」


数時間後、アルシュ君から返事が来た。

「ルイス博士、発表、お疲れさまでした。

ゆっくり休んでください。

僕はエマスイ先生に支えられて、毎日楽しんで暮らしています。

僕の作った曲をいくつか送ります。よかったら聞いてください。」

ピアノ曲が添付されていた。


「それから、もしよかったら、こちらへ遊びにいらしてください。

エマスイ先生も歓迎するとおっしゃっています。

ここの森はとても美しくて、ルイス博士にも見せたいです。」



次の日、返事を送った。

「アルシュ君、素晴らしい曲をありがとう。どの曲も、心に染みました。

そして、エマスイ邸へのお誘いどうもありがとう。

エマスイ先生の家は、君を送りに行ったときが初めてだったし、もう一度ちゃんとご挨拶しに伺いたいなと思っていました。

森が美しいんだね。見たいな。あの日は雨だったからね。

来週あたり、お伺いしてもいいでしょうか。って、エマスイ先生にもメールしました。」


エマスイ先生からは、

「ルイス。歓迎します。どうぞ遊びに来てください。」

と返事が来た。


昨夜は、リビングに置いてあるオーディオでアルシュ君の曲を流して、

ソファでお酒を飲んで、

そのまま毛布にくるまって寝てしまった。

アルシュ君の曲は、星空みたいにキラキラしててかわいくて、和んだ。

お酒が回って、ふわふわして、いい気持ちだった。

「うふ。スワロウ、愛してるよ!」

このソファで、スワロウと一緒にこの毛布にくるまってイチャイチャしたのを思い出して、浸った……。




電車から降り、改札へ向かうと、

短い黒髪の、ラテン系の青年がいた。

僕を見て

「ルイス博士ですか?」

アシスタントが迎えに行くと、エマスイ先生から連絡があったから、彼がそうなのだろう。

僕はハンチング帽を取って、

「君がサマー君?ルイスです。よろしく。」

と、微笑んで片手を差し出した。

彼も白い歯を見せてさわやかに微笑んで、 

「はい。こちらこそよろしくお願いします。」

と、握手した。

僕たちは車まで歩く。僕は、目にかかる前髪を払って言う。

「今日は晴れててよかった。」

「そうですね。電車、座れました?」

「うん。座れたよ。ありがとう。

ここは来てみると案外近いし、とてもいいところだね。」

「そうですね。穏やかでいい街です。都心まで二時間で行けますしね。」


エマスイ先生の車に乗って、二人で彼女の家を目指す。


僕は、助手席で街並みを眺めながらつぶやく。

「僕は、生まれも育ちも都会だけど、この町は懐かしく感じるな……。」

ベージュ色の石畳と石垣。昔ながらの古風な家々。


街を出て、

のどかな景色の農場を通り、

森に入る。


穏やかな木漏れ日と、小鳥のさえずりを浴びて、

木立のトンネルをくぐると、

その先に、優雅なたたずまいの屋敷が見えてきた。


エマスイ先生の家だ。


玄関前の車寄せに、車が止まる。僕は、

「運転どうもありがとう。」

と、サマー君に笑顔を向けた。

彼も感じよく、ニコッとする。

「いいえ!」

車を降りると、屋敷の大きな玄関扉が片方開いて、アルシュ君とエマスイ先生が出てきた。

アルシュ君が、かわいい笑顔で出迎えてくれる。

「ルイス博士!お待ちしていました!」

「アルシュ君!」

エマスイ先生もうれしそうだ。

「いらっしゃい。ルイス。」

僕も微笑んで、

「お世話になります。エマスイ先生。」

握手する。それからアルシュ君に微笑んで、

「アルシュ君、元気そうだね。よかった。」

病気はかなり良くなったようだ。

淡かった雰囲気がはっきりしたし、顔色が良い。

「はい、おかげさまで!」


ダルシアンが設計したシステムを持っている彼と、また会いたいと思っていた。


ダルシアンが亡くなって、まだ一か月……。

僕は毎日、繰り返し、心が痛んでいるけど、

ダルシアンと二人で治療した患者とこうして会うと、救われる思いがする……。


元気に生きているアルシュ君が、愛しくて、輝いて見える……。


ダルシアンの願いは、ここに生きている……。


僕は涙が出てくる。

「ごめんね!泣き虫で……。」

「ルイス博士……」

アルシュ君が僕にハグしようと腕を広げ、手を伸ばす。


優しい……。


僕はかがんで彼を抱きしめる……。


生きていてほしい。

アルシュ君たちは、ダルシアンが遺した宝なのだ……。




ルイス博士は、僕を見て泣いていた。


ダルシアン博士に救われた僕は、

ルイス博士にとって、

ダルシアン博士の思いが詰まった、希望の塊のようなものなのだと思う……。


「ごめんね、もう泣き止むから。今日はお招きありがとう。アルシュ君。」

僕は、ルイス博士をぎゅっと抱きしめてから離れた……。


ルイス博士を屋敷の中へ招く。

「お部屋は僕がご案内しますね。」

彼を二階へ案内する。

彼に用意した部屋は、僕が使わせてもらっている部屋の、向かいの並びにあるゲストルームで、サマーの部屋の隣だ。

ルイス博士の部屋の仕度は、僕がした。

掃除をして、

ベッドのリネンを取り変えて、整えておいたし、

今朝も、窓とドアを開けて空気の入れ替えをした。

「こちらです。」

「いい部屋だね……!ホッとするよ……。」

ルイス博士はカバンを椅子に置き、髪をかき上げて、窓辺へ近づく。カーテンを手で除け、ガラス越しに景色を眺める。

「本当にきれいな森だよね……。」

「あ、窓開けますよ。」

レースのカーテンを開け、窓を開け放つ。

ルイス博士は外に顔を出し、深呼吸する。

「はあ……気持ちいい……。」

僕は博士に言う。

「この森には、精霊が住んでいるんですよ。」

彼はこちらを向く。

「へえ、それはいい森だね!」

と、目を輝かせて楽しそうに笑う。

もしかして……

「ルイス博士、精霊に会ったことあるんですか?」

「ないけど、この森ならいそうだなあって思って。」

と、にっこりする。

信じているんだな。彼はエイリアンにも会ったことあるし。

博士は窓に背を向けて、窓枠に座るように寄りかかる。

「アルシュ君は?精霊に会ったことあるの?」

僕は微笑む。

「友達ですよ。」

「そうなんだ……!」

彼は驚いて、楽しそうに笑う。

「アルシュ君、誘ってくれてほんとにありがとう。

僕が新しく借りたマンションの部屋は、まだ引っ越したばかりみたいに箱が積んであるよ。もう二週間経つのに。

でも、片づける気力も出なくて、タバコとお酒ばかり飲んでたんだ。

何もする気になれないから、旅行にでも行こうかと思ってたところだった。

君が、森が美しいって言ったから、ぜひ行きたいって思ったんだよ。

五日間もお世話になるから、何か僕にできることがあったら、なんでも言ってね。」


なんでも言ってほしい。

傷ついている、ルイス博士の役に立ちたい。


それは僕が思ってたことだけど、言わないことにした。

年下の僕から、あんまり心配されるのは、申し訳なく思って、疲れるかもしれない……。


「それじゃあ、毎日僕と散歩して、話し相手をしてもらえますか。」


彼は微笑んでうなずく。

「もちろん、よろこんで。」


開けてあるドアがノックされ、

「ルームサービスでーす。」

サマーが、ハーブティーとお菓子を二人分、持って来てくれた。

ルイス博士が微笑む。

「どうもありがとう。ハーブティー、僕、好きなんだよね。

いい香りだ……!うん、美味しい!」

「エマスイに伝えておきますね。彼女のスペシャルブレンドだから!」

サマーが陽気に去っていった。

僕とルイス博士は、森を眺め、会話しながらハーブティーを飲んだ……。




僕はアルシュ君に言う。

「後でいいけど、またデータを読ませてもらえるかな。」

「はい、もちろん。」

アルシュ君の治療の進み具合をチェックするため。後、システムの状態もチェックしたい。

今までも、自動的にシステムのデータが送られてきていたけど、それは総合的なもので、システム自身は、もっとたくさんのデータを保持している。 

医学的なデータや、今のところ、僕とダルシアンでないとわからないような、プログラミングのデータもある。

アルシュ君に、使い勝手の要望を聞いて、アプリの設計に手を加えることもできる。

「額の画面を、僕以外の人に見せたことある?」

アクセスコードを入力すれば、端末からでもアクセスできる。

額の画面と同じ物を、誰かに見せることができる。

「いいえ、エマスイにもサマーにも見せていません。」

「見せてもいいんだよ。

システムが実際どんなものか、口頭や説明書じゃ伝わりにくいんじゃないかな。

自分はシステムで治療してる。システムの仕組みのせいで老化しない体だ。と言葉で言っても、

僕とダルシアンが作った説明書のデータを読んでもらっても、

飲み込めないことはあるだろうと思うんだ。

アルシュ君が額の画面で見てるものを、エマスイ先生なり、サマー君なりが、端末の画面で一緒に見られれば、理解が進むと思うよ。」

「そうですね。システム自体は見えないわけですし、画面を共有できれば、二人の疑問や不思議が解けるかもしれませんね。」

「うん。」

「ルイス博士は、いつデータを見ますか?僕はいつでも大丈夫ですけど、一休みされてからにしますか?」

「そんなに時間はかからないから、今、見させてもらおうかな。」

「はい。」

僕とアルシュ君は、机のそばの椅子に座る。

僕はノートパソコンを取り出し、アクセスコードを入力する。

みんなのアクセスコードは、僕のシステム内で管理している。

〈アルシュ君のアクセスコード〉、と念じれば、額の画面に出てくる。

これは、アルシュ君が使っているコードとはまた違うものだ。

いじろうと思えば、彼の病を治すプログラムを書き換えることだってできる、そのレベルの深さまで入れるコードだ。

アルシュ君本人も入ることができない、システムの根底の領域。

僕とダルシアン、二人のシステムからじゃないとアクセスできない設定になっているし、半径一メートル以内にいないといけない設定になっているし、他者が悪意のある操作をできないよう、何重にもセキュリティーを張っている。


僕は、アルシュ君のシステムと僕自身のシステムをつなげ、パソコンと僕の額、両方の画面で多数のページを開いて、アルシュ君のデータを読む……。

と言っても、もちろん全部見れるわけじゃない。

アルシュ君の楽譜帳とか、プライベートな、本人しか開けないアイコンもある。


医師と患者。当たり前だけど、信頼関係がないと成り立たない。

この先システムを持つ人が増えるとして、システムのデータを扱う病院側は、カルテを管理するより、より重い責任を担うことになる。


厳重にセキュリティーを張り、システムを操作する医師が重い責任を担うのには、理由がある。


システムは、脳細胞も治療できる設計だからだ。

言い換えれば、記憶や認知機能もいじれるということだ。


命令に従順な人間だって、犯罪者だって、作ろうと思えば作れてしまう……。

理性、感情、それらも操れるのだ。

人は記憶と脳内物質を操作されたり、前頭葉部分を破壊されたら、人格が違ってしまう。


ダルシアンが、スワロウのシステムから発明したのは、そういう技術なのだ……。


ダルシアンの従妹が脳の病気だから、そういう設計にしたんだけど、

悪用されることを、彼は恐れていた。

彼は言っていた。

『ある意味、スワロウさんのシステムより危険なんだ。』


治験者たちには、そういったリスクも含めて、システムがどういうものか、前もって伝えてある。

『君たちのアクセスコードは、僕とダルシアンのシステムから取り出せないようになってるし、暗記して記述できるような単純な形じゃないから安心して。』


その複雑なアクセスコードの形式も、元はスワロウのシステムに施されていたものだった。

宇宙船が解読したものを、ダルシアンが量子コンピューターで扱えるレベルに設計しなおした。


……スワロウのシステムより危険……。

……ダルシアンは、発明品が諸刃の剣であることに臆する人じゃなかったけれど、

科学の宿命の重みは、いつも心にあっただろう。

エンジニアである僕より、ずっと責任を感じながら、真剣に発明していただろう……。

そんな彼を支える相棒としての役割を、

僕は、ちゃんと果たせていただろうか……。


ダルシアンが重い表情でつぶやいた。

『システムの扱いを、みんなで考えて、堅牢な体制を整えなくては、あるいは……』

取り返しのつかない事が起きる……。


僕は彼の肩を叩いて言った。

『今はまだ三十種類の病気しか治せないけど、システムが承認されれば、他の研究者たちも色んな病の研究を大幅に進められて、結果、多くの患者が治療できるようになる。

ダルシアンは間違いなく、みんなの希望を作ってるんだよ。』


彼が暗いほうばかり見ていたら、研究がはかどらない。

諸刃の責任は、僕も担いでいる。

どこまでだって、彼の仕事のパートナーでいるつもりだ。

僕は、最高に可愛いにっこり笑顔で、彼を元気づける。

『ね。だから、楽しく研究しようよ!』

孤高の天才も微笑む。

『そう言って、俺を励まして隣にいてくれるお前が、俺にとって希望だよ。ルイス。』

ハートにサクッと矢が刺さった……。

僕は得意げに言う。

『そ、そうでしょ!僕って励ますの上手いでしょ!特技なんだ!実験もね!』

彼は心配そうに言った。

『ルイス。顔が赤いぞ。』

『うれしいんだよ!ダルシアンが僕を頼ってくれてて!』


彼はくすっと笑って、

『ルイスほど頼もしいやつはいないよ。

組んでくれて、ほんと感謝してる。』


無邪気で幸せそうな笑顔……。


そんなに僕を頼りに思ってくれてたなんて……!

笑顔可愛すぎる……!

矢が次々刺さる……。

『……あ……あんまり僕のハートを痛めつけないでよダルシアン……』

僕は感動と胸キュンで、重傷だ……。

『ん?何か言った?』

『何でもないよ!さて、実験!』

けど、冷静に実験できるようになるまで、しばらくかかった……。




僕はアルシュ君のシステムをチェックし終わり、アクセスを閉じる。

「順調に回復してるよ。それに、もうほとんどの流行病にはかからない。あともう少しだね。」

「ありがとうございます!」


健康になれている幸せを喜ぶ、彼の笑顔。

ダルシアンに見せたい……。




データを見させてもらった後、アルシュ君と僕は、森へ散歩に出かけた。

彼は、

「ここへ来てから森を歩くたび、いろいろな発見があるんです。」

と、楽しそうに話す。


森は美しいし、アルシュ君はかわいいし、気分がいい。


初めて見る虫の名前を僕に教えてくれた。

僕が大きい虫を手で捕まえると、アルシュ君は驚いた。

彼はちょっと苦手らしい。

虫って捕まえる時ドキドキするけど、そこが良いなと思う。


アルシュ君は、ふと耳をそばだてて、

「あ、メルツがどこかで歌ってる。」

「へえ。」

メルツという名前の精霊が、この森に棲んでいるそう。さっき話してくれた。

けれど、僕は耳を澄ませても、彼女の歌声は聞こえなかった。残念。

アルシュ君の耳が特別なんだ。



エマスイ先生の家の中も、アルシュ君が案内してくれた。

美しくて、居心地がよくて、音楽の息吹があって、とても素敵な家だ。



アルシュ君は、まだ十五歳なのに、

気遣いができて、配慮が細やかで、やさしくて、とてもいい子だ。

病気の経験のある子たちは皆、やさしい。

僕とダルシアンが治療システムを施した十五人、みんなそうだ。

彼らとSNSでやり取りをしていて、こちらが救われることがしばしば。



夕方、キッチンで物音がし始めたので、顔を出した。

サマー君が、キリッとエプロンをして、忙しそうに働いている。

「サマー君、手伝うよ。」

殆ど彼一人で、全員分の食事を作っていると聞いている。

「あ、ありがとうございます!」

彼は嬉しそうににっこりした。彼も優しい良い青年だ。

「手伝うって言っても、僕はほとんど自炊したことないし、料理初心者だけど。

でも、教えてもらえればできると思うから。」

食材がテーブルに並んでいる。こんなにたくさん、彼一人で調理するのは大変だ。

「ええと、それじゃあ、野菜を洗ってもらえますか?根菜から洗ってください。煮えにくいんで最初に鍋に入れますから。このスポンジが野菜用です。ついでに言うと、こっちがまな板用で、これが鍋用。」

「わかりました。」

サマー君は、僕が洗った根菜を次々と手際よく皮をむき、軽やかに切って、鍋で煮る。

あっという間に、テーブルの食材が三つの鍋に入っていく。

僕も料理できるようになりたいな。

この家で休んで気力をチャージして、帰って部屋を片付けたら、週一度でも自炊しよう……。


僕はそうして……

いろんなことを楽しみながら……

待っていよう……。

いつか僕のところへ帰ってくる……

スワロウを……。

僕の、恋人を……。



僕がリビングに一人でいると、エマスイ先生がやってきた。

「ルイス。この家の居心地はどう?」

「とてもいいですよ。アルシュ君もサマー君もいい子たちだし。

そうだ、二人とも、先生のことをエマスイって呼ぶんですね。」

家族や友人(か恋人)みたいで、ほほえましい。

「ああそれは、私が最初に頼んだことなの。一日中先生だと疲れるから。」

「へえ!じゃあ僕もルイスって呼んでもらおうかな。で、僕もエマスイと呼ばせてください。」

彼女は微笑んでうなずく。

「ええ、どうぞ。そうして。」




博士も

「ルイスって呼んで!」

と楽しそうに言うので、僕はそうすることにした。

彼も、一日中博士と呼ばれるのは疲れるのだろう。

休暇で滞在しているんだし、それはそうだろうな……。


ルイスはカメラを持って来ていて、いつも首から下げている。

よく撮影している。


屋敷の中の写真や、

僕がピアノで作曲している写真、

サマーが演奏している写真、

エマスイが花を活けている写真、

森の景色の写真、

などなど、たくさん撮っている。


ルイスの写真は、雰囲気が良い。

光が優しくて、人物は繊細で柔らかな印象で、

背景は少しノスタルジック。

楽しんで撮っているのが伝わってくる。


タブレット端末の画面に映る写真を見て、エマスイが驚いた様子で、

「とても素敵に撮れているわ。」

サマーも、

「プロいですね!ルイスさんは、写真いつから始めたんですか?」

「六歳からかな。もともと自撮りが趣味なんだ。」

「へえ……。」

微妙な表情。サマーにはわからない趣味らしい。

「ああ、そうでしたね!」

と、僕はくすっと笑う。ルイス博士は小さいころからコツコツ自撮りしているのだ。


研究所で治療中、患者の間でうわさになっていたので、見せてもらったことがある。

『最近撮ったやつだよ。』

と、見せられたら写真は、

プロのファッションモデルか俳優みたいだった。

『君と同い年の時のもあるよ。』

十五歳の彼は、思ったとおり美少年で、笑ってしまった。

『この一緒に写ってる方は?』

背の高いやさしそうな男性も写っていた。

十五歳のルイスは、彼に、幸せそうに寄り掛かっていた。

男性も、幸せそうに微笑んで、ルイスを両腕で抱いていた。

まるで、恋人同士のような写真……。

『アドルフは、僕のフィアンセ。』

『え。』


ルイス博士は、微笑んで画面を見つめて言う。

『出会って四か月で、病気で亡くなったけどね。』


彼の紺色の瞳が、初めて悲しい色に見えた。

『……。』


ルイス博士が病気の治療の研究をしているのは、

そういうことがあったからなのだ……。


彼は僕の未来を見つめて、そして、アドルフさんを思って、優しく微笑んで言った。

『アルシュ君も、きっと素敵な人と出会えるよ。』


僕と同い年のルイスは、それだけ夢のような、幸せな時間を過ごしたのだ……。

二人がお互いをどれだけ愛していたか、表情からも、雰囲気からも、分かる写真だった……。


僕の目から、ポロポロ涙が落ちた……。

「……。」


「アルシュ君……。

確かに僕は、今でもアドルフを思うと悲しくなるけど、でも、毎日すごく幸せだから、泣かないで。」

と、よしよしされた……。



「うわ、ガチですね!」

ルイスの最近の自撮り写真を見て、サマーが目を丸くしている。

エマスイは楽しそうにくすくす笑っている。

「ルイスらしいわ!」

ルイスも楽しそうに会釈する。

「どうも。」




ルイスと一緒に森を散歩している時。

僕はこっそり声をかける。

「あの、ルイス……。」

「なに?」

「僕と二人でいる時は、被っていなくていいですから。」

と、僕は自分の髪に触れる。

ルイスは笑う。

「ああ、これ!地毛だよ!ごめん、話してなかったね。システムで伸ばしたんだ。」

僕は驚く。

一月で四、五センチも伸びた事になる。

「システムって、そんな事も出来るんですね!」

言われてみれば、ウイッグより少し短い。

彼は申し訳なさそうに言う。

「ごめんね、気を使わせちゃったね。」

「いいえ。やっぱりルイス博士はそのくらいの長さの方が似合いますね。」

「ふふ。ありがと。」

と、にっこりして髪をかき上げた。




「うわ、全然弾けない……。すごい久しぶりだし……。」

と言いながら、ルイスはリビングのピアノを流ちょうに弾いている。

彼は十代のころ、ピアノコンクールで入賞したことがあるらしい。エマスイから聞いた。

飛び級して医大に入学するまで、習っていたらしい。


僕は微笑んで彼に言う。

「ルイスの演奏も、音色も、僕好きですよ。」

きらめいていて、スリルがあって、少しせつない。


「ありがとう。アルシュ君に褒められると自信がつくな。」

彼は嬉しそうに笑った。




一階に、広い浴室があると、アルシュ君から聞いたので、やってきた。

僕が泊めてもらっているゲストルームは、シャワールームはついているけど、浴槽はない。

僕は普段、シャワーで済ませることが多いけれど、たまには湯船につかりたい。

「ここかな。」

ノックしてからドアを開けると、洗面所と脱衣所になっていた。

棚の隣の壁に、すりガラスのドアがある。その中が浴室らしい。

中から水音がする。

僕は浴室に向かって声をかける。

「サマー君?」

アルシュ君は、さっき二階にいた。

「あ、ルイスさん。」

「じゃあ、僕は後にするよ。ゆっくり入って。」

「あ、大丈夫ですよ!広いんで!どうぞ入ってください!」

「……そうですか。それじゃあ、入らせてもらおうかな。」

服を脱ぎ、畳んで棚に置き、ガラスのドアを開ける。

サマー君は、しゃがんでシャワーを浴びていた。

僕は、反対側の壁にあるシャワーのところへ行く。

感じのいい、きれいな浴室だな。

壁と床を覆っているタイルは、寒色系の、繊細な色味。

少しオリエンタルな雰囲気があって、

まるで、オアシス都市の浴室って感じだな。

大きな浴槽は、上から見ると四分の一の円に近い形で、淡いエメラルドグリーン。

角の上の壁には、角を挟んで、すりガラスの窓がはめ込まれている。


僕がシャワーを済ませると、サマー君は湯船に浸かっていた。

こちらに背を向けている。僕は近づいて、

「となり、失礼していいかな。」

「どうぞ。」

彼の隣に入る。


心地いい……。


「お湯、ぬるめですけど、どうですか?」

「ちょうどいいです。ありがとう。」

足を伸ばして目をつぶる……。

彼は言う。

「毎日のようにこの風呂に入れるのは、気分いいですよ。」

「はは!」

「って言っても、普段は三日おきですけど。今日からは毎日焚くんで、入ってください。」

「ありがとう。」

「アルシュの部屋は、風呂がついてるらしいんですけど、狭いみたいです。」

「そうなんだ。」

「なんで、彼も毎回、この風呂に入りに来るんですよ。

綺麗で気に入ってるみたいです。」


窓からの光に、淡い色のタイルが細かくきらめいている。


「アルシュは、ルイスさんが来るの、すごい楽しみにしてたんですよ。

ルイスさんのこと、すごく慕ってますよ。

恩人で、尊敬してるって言ってました。」

「うれしいな……。僕も彼を尊敬してるよ。天才だし、やさしいし、それにかわいい子で。」

「ふふ。俺もですよ。尊敬してるし、可愛い後輩で友達ですよ。

すごい才能あってカッコイイし!」

「……僕はね……アルシュ君を見てると……なんだか昔の自分を思い出すんだよね。」

「十五歳のルイスさんですか。絶対美少年ですね!」

「そうだよ。後で写真見せるね。」

と、僕はにっこりする。

「ははは!」

「僕はそのころ、三十五歳のサラリーマンと付き合ってた。」

「……え、」

「すぐに病気で亡くなったけどね。

でも、当時の四カ月半は、今よりずっと長く感じられたし、すごく幸せだったな……。

僕も来年三十五歳になるけど、アドルフから見た僕は、アルシュ君みたいな感じだったのかなって……。

眩しくて、大切にしたい……。」

「……。」

「サマー君も、僕から見たら……」

かわいいし、まぶしい……。

「あ、こんな話すると、気分悪いよね。ごめん、もう出るよ。」

立とうとすると、

「あ、いえ‼全然大丈夫ですから、ゆっくり入っててください!」

「……そう、悪いね。」

「全然悪くないです!」

「ありがとう。」

僕は座りなおす。

サマー君はまじめな口調で言う。

「……あの、思ってたんですけど、

もしかして……、ルイスさんとダルシアン博士って、お付き合いしてたんじゃないかなって……。」

「……。」

やっぱり、雰囲気に何か出ているんだろうか。


「あ、違ったら謝ります!

でも、そしたらスゲーつらいよなって……。」

同情の声……。


澄んだお湯。

揺らいできらめく水面……。

明るい水音。


喉を刺す煙。

非常ベルの音。

焼き尽くす、熱い炎……。


『ダルシアン……!!』


僕は息を吸う。

「付き合ってはいなかったよ。僕は、彼が好きだったけどね……。」

そして、ダルシアンも、僕を思ってくれていたらしい……。

涙がにじんでくる。


「あ……すみません。」

僕は微笑む。

「いや。

……僕たちは親友だった。

彼といられて幸せだったよ。」

「いい人ですね。」

僕は目を伏せる。

「うん。……ありがとう。気遣ってくれて。

やさしいな。君も、エマスイも、アルシュ君も。みんな優しい……。」


「あの……ルイスさん、

もし何か、俺にできることあったら言ってください。

なんでもしますから。」

まっすぐなまなざし……。


気持ちがうれしい……。若さがかわいい。

僕は微笑む。

「……うん。ありがとう。

気づかってくれて嬉しいよ。

……でも君は、そんな身体を張って助けてくれなくて大丈夫だよ。」

と、にこっとする。



『スワロウ、毎日君を思って、何とか頑張ってるよ。早く帰ってきて。』

『うん。待ってて。ルイス。』


『ねえ、スワロウと一緒に行きたいところが、千か所くらいあるよ。』

『ふふ。全部行こう。』



「同情してくれてる通り、僕は辛くて寂しいけど……

だけど、百年でも、二百年でも、スワロウとの貞操を守るつもりだから。」


湯が大きく波立つ。


「や!!そういう意味じゃ……!!無いです!」


彼は赤くなっている。たぶん。色白じゃないから分かりづらいけど。

「すみませんけど!」

いや、引いてるみたいだ。そりゃそうか。

僕は笑う。

「ははは!もちろん冗談だよ!ごめんね!」


彼のまっすぐさに、一瞬寄りかかりたくなった。


サマー君、

『なんでもしますから。』

なんて、寂しい人に言っちゃだめだよ。

うっかり勘違いしたくなっちゃうから……。


僕は年上が好みだし、

お付き合いは、本当に好きな人とがいいし、

いくら寂しいからって、誰も、スワロウやアドルフの代わりにはならない。



「あ、冗談ッスか……!ビビった……。」

と、彼はため息をつく。

「ごめんごめん!からかって驚かせちゃって。

安心して。僕はこうみえて、けっこうタフなんだ。

だから、心を痛めて心配してくれなくて大丈夫だし、ヘテロの君を困らせたりしないよ!」


笑って強がって、やんわり遠ざけたい。

そういう姿勢を見せるべきだ。

頼れる大人でありたいし……。


「……そうですか……なんか俺、逆にルイスさんを傷つけて、疲れさせちゃってませんか?」

心配してくれている。

サマー君も、良い子でかわいいキャラだ……!

僕はくすくす笑って、首を横に振る。

「全然!さっきも言ったとおり、気づかいが嬉しいよ。君のおかげで気分が晴れたよ!」

久しぶりに、こんなに笑ってる……。

彼は、

「なら良かったですけど……。

……百年かあ……。」

と、つぶやいている。

僕は言う。

「また、料理を教えてもらってもいい?」

「はい!もちろんお教えしますよ!」

笑顔でうなずいた。




俺のほうが、ルイスさんより先に、風呂から出た。

なんか、ルイスさんに悪かったな、と反省しながら。

なんでもするって、なんでもは無理だよな……。確かに……。

子供の時、婆ちゃんにも心配そうに言われたな。

「なんでもなんて言う前に、頭使いなさい。」

「……。」

俺って進歩してないな……。

どんな助けがいるか、本人に聞かなきゃわかんないんだよな……。

「なら、そう言いなさい。助けが必要か、手伝える事はあるか、って。」

はい。そうでした……。

「だけど、家族と先生以外の大人の頼み事は断りなさい。」

とか、いろいろ言われたな……。

婆ちゃん、会いたいな……。

ってか、ルイスさんって、強がって見せてても折れそうで、けっこう危なっかしいな……。

でも、ちょっと俺はもう、ルイスさんとは一緒に風呂入りたくない感じだな……。

俺が不器用な事言ったせいだろうけど……

あれは八つ当たりのセクハラだよな……。


ルイスさんがこっちを見てないか気にしながら、

ガラスのドアを開けて、浴室から出る。

すると、脱衣所にアルシュがいた。

棚のほうを向いて、くすくす笑っていて、

「何か楽しそうな笑い声が、階段まで聞こえてましたよ。」

と、束ねてある長い髪を解き、シャツを脱ぎ始める。

俺はバスタオルを腰に巻いて、サーキュレーターの風を浴びる。

「あー、うん。アルシュがかわいいって話だよ。」

「ええ!?僕が笑われてたんですか!?」

心外らしい。

アルシュはかわいいって言われるの、あんまり好きじゃないみたいだ。

「笑ってたの、ルイス博士ですよね……。入りづらいな……。」

あ……俺、ルイスさんと似たような事してるな……!と気づいて慌てて謝る。

「ごめん!冗談だから!違う話だから!あ、かわいいって言ってたのは本当だけど!」

「……んん……。」

俺は服を着ながら反省する。

俺も大概子供っぽいかも……。

アルシュの方が大人かも……。

アルシュは、そーっと風呂場へ入っていった。




僕が半身浴していると、

アルシュ君がやってきて、湯につかった。

さっきサマー君がいたところに。

彼は幸せそうに目を細めて言う。

「はあ……このお風呂、僕、好きなんですよ……。」

彼は、洗った髪を頭の上に乗せるように結っている。

「うん、僕も気に入ったよ。」

「ふふ。よく、曲が思い浮かぶんで、いつもは手帳を持って入ったり、この、」

と、額を指さす。

「システムのメモ機能で譜面を書いたりしてて、長湯しちゃうんですよ。」

と、笑う。

「長湯したくなる湯加減だしね。」

僕も笑う。

「指、ふやけてませんか?」

僕は手を持ち上げてみる。

「ん、まだ大丈夫。」

アルシュ君は、抱えていた膝を伸ばし、あごまで湯につかる。

「はあ……ローイとも、よくこうして一緒にお風呂に入ってました……。」


ローイ君は、アルシュ君の親友だ。入院中に、コールドスリープしてしまったらしい……。


「病院では、こんなに深く、お湯を張ることはできなかったですけど。

壁にナースコールがあるので、一人で入ってもいいんですけど、でも、もし何かあった時、もう一人いたほうが、多少は対応できるじゃないですか。」


「そうだね……。」

僕が十五歳の時の恋人アドルフが、入院中、お風呂に入るときは、僕がそばで様子を見ていた。


「ローイも……システムを入れることを、彼のご両親が承諾してくれるといいですけど……。

僕からはお願いできないです……。

お二人が決めることなので……。」


コールドスリープしている子が未成年の場合は、

治療の承諾に、親の同意が必要。

この先、システムの検証が終わって、

親がシステムでの治療を望めば、コールドスリープから目覚めさせ、治療することができる。

でも……そうすると、僕やアルシュ君みたいに、年を取らない身体になる……。

それは望まない親は、多いだろう……。

天才ダルシアンのいない今、長命化問題のあるシステムを子供に施そうと思う親は、当然少ないだろう……。


「ローイに早く会いたいですけど、

でも、すぐに決まらなくてもそれはそれで、僕は待つって決めているので。

きっと、彼にとっても僕にとっても、

いいタイミングで目覚めるって信じていますから、

だから、ルイス博士は気にせず、研究してくださいね。」

と、彼は僕に微笑む。


長命化問題は、解決までどのくらいかかるか、分からない。

ダルシアンは、五年以内に解決すると言っていたけれど、僕にはもっとかかるだろう……。

それでもアルシュ君は、投げやりにならず、何事もタイミングが来るものだから、待っていると、僕の背中をそっと押してくれている……。


「……ありがとう、アルシュ君……。」


いいタイミングで、か……。

きっとそうだろう。

長命化問題も、きっと解決できるだろう……。

そう思う事にしよう……。


「あ、指、ふやけてませんか?」

「あ、ふやけてる。」

「僕もです!もう出ましょう!」


一緒にお風呂から出たあと、僕は、

いつもやさしいアルシュ君へのお礼に、彼の長い黒髪を綺麗にスタイリングしてあげた。


「ありがとうございます!

お礼に僕も乾かしてあげたいですけど、そうすると髪型変わっちゃいますね……!」

と、笑っていた。





エマスイのうちに来て二日目の夜。

エマスイが夕食の時、僕を誘った。

「ルイス。あとで二人で、お酒でも飲まない?」

「いいですね。エマスイはお酒強いんですか?」

彼女はうなずいた。

「割とね。」


キッチンで、おつまみになるものと、グラスと氷を用意する。

二人で二階へ上がる。

右手の部屋に案内された。

アルシュ君が使っている部屋の向かいで、僕が泊まっている部屋の隣だ。

エマスイが鍵を開けて中へ入る。

微かに家具と、香水の香り。

窓際に、グランドピアノが置いてある。

手前にソファーとテーブル。奥の壁際に、天蓋付きのベッド。

広い部屋だ。エマスイの母親の部屋だったそうだ。

「運んでくれてありがとう。テーブルに置いて。」

僕は、低いテーブルにトレーを置く。

エマスイが戸棚を開けて、いくつかお酒の瓶を取り出す。

「母は、よく晩酌する人だったの。」

はす向かいに座って、グラスに氷を入れ、お酒を注ぎ、手渡してくれた。

大切な親の遺品であるお酒を僕に……。

深みのある綺麗な琥珀色だ。

彼女は自分のグラスを持ち上げ、にっこりして言う。

「ルイス、学会発表、お疲れ様。」

僕も笑顔でお礼を言う。

「ありがとうございます!」

グラスを触れ合わせた。

僕たちは、強いお酒を味わう……。

エマスイのお母さんにも、労われているように思える……。

「発表はどんな様子だった?

ネットでも話題になっているし、だいぶ驚かれたでしょう。」

「ずいぶん注目されました。今も。」


発表から一週間たって、あちこちで議論が沸いている。

一般の人達が、好き勝手に僕やダルシアンの事を書き込んでいるようだけど、僕の端末は、いつも通り、野次や中傷を消すフィルターをかけてある。

未知や常識外れのものは受け入れられない人が多いだろう。

使い方によっては脅威になるものだ。

システムをどう扱うかは、みんなで真剣に考えていかなければならない。


「あの会場のざわめきを、ダルシアンに見せたかったな……。

……あ、すみません……。」

僕は指先で目元をぬぐう。


彼女は優しく微笑んで言う。

「ルイス。ダルシアン博士がどんな人か、私に教えて。

それから、スワロウさんという方のことも。

あなたがどう思っている人たちなのか、私に聞かせて。」


グラスの中で、氷が動く。

「……エマスイ………。」


彼女を見つめるとすぐに、僕の目から、いくつも涙が零れ落ちた。


僕の辛さを受け止めようとしてくれている……。

そういう眼差しをしている……。


僕は彼女に、僕の現状を受け止めて欲しいと思っている事に気付く。

心に溜まっているものを、全部話してしまいたいくらいだ……。



エマスイは僕の隣へ座り、

優しく肩を抱いてくれた。


僕は

お酒を飲み、

涙をこぼしながら、

話した。


「僕は……、ダルシアンが、大好きでした……。


彼は素直でやさしくて、温かい心の持ち主で、

僕を大切に思ってくれていました。

彼の力になりたかったですし、

彼を、幸せにしてやりたかったんです……。


彼は従妹を愛していて、

彼女が目覚めて元気になったら、それが彼にとって、一番の幸福でした。

彼女の治療法が早く見つかることを、僕も祈っていました……。


僕は、それでよかった。

彼女が治った後もずっと、ダルシアンの隣で研究したくて、僕は頑張ってきました……。

彼は、僕をとても信頼してくれていたから、そうしてくれるんじゃないかと、期待してました……。


ダルシアンの、恋人にはなれなくても……、

親友として、仕事のパートナーとして、ずっと一緒にいたい……、

天才の彼の発明を、輝きを、ずっと、間近で見ていたい、

この先もずっと、ダルシアンの設計は、全て、僕が形にしたいと……

思って……」


「……そう。」


「……最近気付いたんですけど、彼、僕のことを好きになってくれてたんですよ……。


出会ったはじめの頃は、暗くて無愛想で、研究一筋で、僕の事なんて見てなかったのに……、

いつからか、僕を見てくれてたんです……。


僕は、気付いて以来、彼の優しさに浸っていました……。

でも、ダルシアンは亡くなってしまって、

僕を満たしていた優しさも、過去になってしまいました……。」


どれほど望んでも、人の命が途切れる時は、ほんの一瞬だと知っている。

僕を満たしていた喜びも、消えてしまう……。


そして僕は、取り残される……。


かがんで、震えて泣く僕の肩を

エマスイがなでてくれる……。

華奢な彼女は、手もほっそりしている。

けれど、ピアニストらしい、強さのある手だ……。

強くて優しい

彼女に支えられ、

僕はひとしきり泣いてから、

話しを続ける。


「スワロウは……、僕の恋人です。

スワロウは、性別がなくて、背が高くて、とても可愛らしい人です。」


スワロウの話しをするのは、心地いい。

スワロウは、僕の希望だから。

いつか僕のもとに帰って来てくれると、わかっているから。


ミルクティー色の、さらさらの髪、

やさしい可愛い茶色の瞳。

まつげが長くて、眉が細くて、細い鼻筋で、かわいい形の口……。

骨格が華奢で、色白で、

おっとりした性格……。

抱きしめると、いい香りがした……。

僕が触れると、スワロウは恥ずかしがって、くすくす笑った。

あんなに可愛い人は、二人といない……。


性別がなくても、身体がアルカリ性でも、エイリアンでも、僕はスワロウと結婚したいと思った。


スワロウを、システムの支配から救いたいと思った。


「スワロウはエイリアンですけど、人間と変わらない外見で、

この地球に下りることを決めたのも、自分と同じ見た目の人たちが住んでいる星だったからだそうです。


でも、この星へ来ても、故郷を支配しているシステムに、ずっと身体を支配されていて、苦しんでいました。

僕とダルシアンでその解除を試みたんですが、無理でした。


スワロウが乗ってきた船は、スワロウの故郷で作られたものではなく、ほかの星の、より高度な技術でできていて、無人で放浪していたのを、スワロウが拾ったんだそうです。

スワロウは、その宇宙船で故郷を離れて、一人でここへやってきたと話していました。

辛い思いをして、一人で逃げてきた人でした……。


スワロウと……ずっと一緒にいたかったんですが、その船になら、スワロウを束縛しているシステムを解除できるとわかったので、お願いしました。

ただ、解除にはとても時間がかかるそうで、百年、二百年、待つかもしれない……。

でも、スワロウは必ず帰って来て、再会できるので、僕はそれまで、何とか生きていようと……思っているんです……。」


トンボのドローンで伝えた内容と大体同じだ。

でも、カメラを見ながら話すのと、こうして一対一で聞いてもらうのとでは、やはり違う……。


「エマスイ……こんな話、信じますか……?」


エマスイは僕の眼を見つめて、温かく微笑んだ。

「信じるわ。」


「……ありがとうございます。エマスイ……。」

僕はホッとして、目を伏せてほほ笑んだ。

まつげから涙が滴る。

僕たちは、手を握り合った。

肩を抱いてくれたので、僕は少し彼女に寄り掛かる……。


『信じるわ。』

と、言ってくれた。

恋人がエイリアンで、百年待っているところだという話を……。


たぶんエマスイは、話の内容がどうであれ、

僕が信じているものを信じると言ってくれたんだ……。


そうやって受け止めてもらえるって、すごくほっとする……。



僕は手帳で、ダルシアンとスワロウの写真をエマスイに見せた。

考え込んでいる様子の、精悍な顔のダルシアン。

カメラの向こうの僕に微笑んでいる、かわいいスワロウ。


お酒を飲んだ僕は、少し酔っている。

「部屋まで歩ける?」

「大丈夫です。今日は深くは酔いが回らないように、システムに頼んでいるので。」

僕はエマスイにとても感謝している。


こういう風に僕の話を受け止めてくれる女性は、ほかにいない……。


「エマスイ、ついでに一つ、お願いしてもいいですか?」

「何かしら。」

「膝枕してくれませんか?」

彼女はくすくす笑う。

「そんな目をして頼まれると断れないわ。」

「……。どんな目ですか?」

僕はゆっくりと横になり、彼女の足に頭を乗せる。

エマスイは僕の髪を撫でてくれる。

「ルイス。相変わらず、まつ毛が長くて綺麗ね。」

「答えになっていませんよ。もっと撫でてください。」

僕は尻尾を振って懐く。

「よしよし。」

「ふふ。……頭以外も、お好きなように触ってもらって構わないですよ。」

と、彼女を見上げて微笑む。

「……。」

指の背で彼女の頬を撫でる。

その手をそっと掴まれた。

「別にエッチな意味で言ってませんよ。」

「そのようね。ルイス、悪いけど、そろそろ重いわ……。」

と、微笑む。僕もニコッとする。

「残念……。」


「これはこのままでいいから。」

テーブルの上は、明日片づければいいということらしい。

「そうですか。でも、トレーだけキッチンに運んでおきますね。

ああ、もうこんな時間ですね。

……エマスイ、本当にありがとうございます。

話を聞いてくれて、甘えさせてくれて。」


僕は彼女にハグして、頬にキスする。

もう、エマスイが特別な人になっている……。


僕は微笑む。

「おやすみなさい。エマスイ。」

「お休みルイス。」


トレーをキッチンへ運んでから、僕は自分の部屋へ帰った……。




「ダルシアン……!

君を殺した炎で、僕も一緒に死にたかった……!

一人で逝かないで……!」


泣いて深酒をしようが、煙草を吸おうが、

翌日には、すっかりシステムに浄化されている。


そうして、ダルシアンが、

僕の背中をそっと押して、

「生きろ。」

と言う……。


「すまない、ルイス……。

生きていてほしい……。

長命化問題の解決に、取り組んでほしい……。」


「ダルシアン!無理だよ!僕一人じゃ……!」


「すまない……。頼む……。

リアーナのことも、どうか助けてやってほしい……。」


「ダルシアン……!いやだよ……!帰ってきて……!」


「ルイス……。

ごめんな……。」

辛そうな声……。


「いや……だ……」


目が覚める。

「……夢……。」


今まで何度、泣きながら目覚めただろう……。




僕は、大切な人を亡くすのは、二度目だ……。


アドルフの時は、

病気で長くないって知ってて付き合った。


でも、ダルシアンとは、

こんなに突然死別するなんて、思いもしなかった……。


火事になる前へタイムワープして、ダルシアンを助け出したい……。

パソコンに向かっている彼に、

「危ないから、早く外へ出て!」

って叫んで、揺さぶって、あの部屋から引っ張り出したい……。





リビングで。

僕はにっこりして、椅子を示して言う。

「アルシュ君、ここに座って。」

「はい?」

「髪を結ってあげるよ。」

彼は髪が長いけれど、自分で結うと、一つに束ねるか、ハーフアップにするかしかバリエーションがないようだ。

「どんな髪型がいいかな。」

手帳で検索する。

彼の髪は、背中の真ん中くらいまであって、それだとやっぱり、女性モデルの写真ばかり出てくる。

「まっすぐできれいな黒髪だから、シンプルな編み込みにしようか。こういう感じ。」

「はい、ありがとうございます!」

彼の髪にブラシをかける。さらさらだ。

「僕は、ここまで伸ばしたことはないな。ウイッグはかぶってたけど。」

「ふふ!前に写真見せてくれましたね!女の子にしか見えませんでしたよ!」

十代のころ、僕は女装も趣味だった。

アドルフとデートするときは、女装して、年も大人に見えるよう誤魔化してた。

でないと、未成年の僕と腕組んで歩いてたら、アドルフが警察の人に呼び止められると思って。

「ツインテール、アルシュ君も似合うと思うけど。

高い位置に結って、リボンつけて、毛先を巻いて。スカートはいて。可愛いだろうな。」

でも、アルシュ君はちょっと引く。

「え、それは恥ずかしいし、女の子の格好はしたくないので遠慮します……。」

「なんで長いの、とか、聞かれたりしない?」

「サマーに聞かれました。特に理由はないんですけど……

ローイがコールドスリープしてから、なんとなく切らずにいたら伸びたので、そのままなんです。」

「そっか。毛先が不ぞろいだから、揃えるのもいいと思うよ。」

「そうですね。確かに二年近く伸ばしっぱなしなので、切ったほうがいいかも。」

「僕が切ろうか?ショートにすることもできるよ。」

「ありがとうございます。ルイス博士ってほんとに器用ですね。どうしようかな……。」


編み込みを結い終わった。

「できたよ。」

「ありがとうございます!」

毛先まで、まっすぐに三つ編みにした。

アルシュ君は玄関の鏡を見に行った。

「すごい綺麗に編めてますね!」

手鏡で合わせ鏡にして見ている。

嬉しそう。気に入ってくれたみたいだ。

いつもと違った、華やぎのある雰囲気で、綺麗だと思う。

耳のそばは、少し髪を引き出して、印象を柔らかくした。

ピアノを弾く姿も優雅だ。



僕は毎日、

美しい森を散歩して、

綺麗な音色のピアノを弾いて、

気ままに写真撮って、

サマー君のお国の、未知の郷土料理作りを手伝って、

たくさん笑って会話して、


……ずっとこうして暮らしていたくなる……。

もう、殺風景な自分ちには帰りたくないな。ここに住みたいな。




僕が髪を伸ばした理由は、特にない……。

ローイがいるときは、彼が散髪するタイミングで、僕も、肩の上くらいに切り揃えてもらっていた。

ローイが眠ってしまってからは、タイミングを見失ったというか、

なんだか、一人で理容室へ向かうのが面倒になってしまったのだ……。

ローイが目覚めるまでの願掛け、というわけでもなく、無精して伸びてしまったわけで……。

でも……

この毛先はローイと過ごしていたころのものだと思うと、

断ち切って捨ててしまいたくないように思えて……。

理容室に足が向かなかった……。


彼とのつながりは、

僕が思っているより、

年月の分だけ隔てられて、

不確かになってしまっているかもしれないと……

不安になることもある……。


変わらないつもりでいても……

ローイから見たら、

共感できないくらい、

僕は……

変わってしまっているのかもしれない……。




翌朝。

「おはようございます。」

アルシュ君が起きてきた。僕は言う。

「おはよう。ふふ。アルシュ君、ふわふわでかわいい!」

三つ編みをほどいた髪が、ウエーブしてる。

「え、」

エマスイもにっこりして、

「あらまあ、素敵ね!可愛らしい。」

サマー君も、

「かわいい!」

アルシュ君は、下唇を噛んで、恥ずかしそうな、嫌そうな顔をする。

「……」

髪を抑えて僕のそばへ来て、困ったように、

「これ、頭洗ったら戻りますよね……?」

僕はにっこりして言う。

「うん。戻るよ。」

ホッとしたらしい。毛先を持って、

「やっぱり短くしようかな……長いと僕、女の子に見えますか?」

眉を寄せて僕をじっと見る。かわいい。

「見えたら嫌なの?」

「……。」

黙って目を伏せてしまった。

「いいよ。ショートにしようか。」

もったいないけど。ショートもかわいいと思う。

「……。」

彼は、なんか急に、シリアスに考え込んでいる……。

髪が長いのには、本当は、それなりの理由があるのかも……。


夕方、

今日もアルシュ君と一緒にお風呂に入って、出た後、彼の髪を乾かしてあげた。

まっすぐに戻っている。

彼は言う。

「あの、毛先だけ、そろえてもらってもいいですか?」

「いいよ。十センチくらい切らないとそろわないけど。」

「それでお願いします。」


リビングで準備して、アルシュ君に椅子に座ってもらう。

彼の髪に霧吹きをかけ、櫛でとかす。

ハサミを動かし、切り始める。アルシュ君が言う。

「……僕は、短くしたことないんです。いつも、首が隠れるくらいの長さでした。」

「そうなんだ。」

「……ショートヘアーが好きな母に……似るのが嫌で……。」

「……もしかして、アルシュ君は、お母さん似なの?」

「……。」

彼は黙って頷く。

湯上りのサマー君がやってきた。

「あ!いいな!ルイスさんて、実は美容師だったんですか!」

「動画で覚えたんだよ。」

「俺もそろそろ切りたいんですよね~。」

僕もアルシュ君も笑う。

「あはは!十分短く見えますけど!」



『母に……似るのが嫌で……。』


アルシュ君のご両親は、彼が入院中、一度も見舞いに来なかったらしい。


『できれば一生、会いたくありません……。』


以前、彼は、苦しそうにそう言っていた……。



サマー君は、夕食を作りにキッチンへ行った。

「アルシュ君。僕でよかったら、話聞くよ。」


「……ありがとうございます……。

でも……両親のことは……悪口になってしまうし、

……思い出すのも……嫌なので……。」


震えが伝わってくる……。

僕は……華奢な彼の肩に手を置く。微笑んで言う。

「あとでまた、君の音楽を聞かせて。」


彼はうなずく。

「はい。」

ほっとしたらしく、小さくため息をついている。




僕は、本当は、鏡を見るのが苦手だ。

顔立ちが、母の若いころと、ほとんど同じだから……。

かわいいと言われることの多い、自分の顔が、僕は嫌いだ……。

でも、そんなことを思っているのも疲れるから、

僕は僕だと思って、気にしないようにしている。

周囲の人たちは、誰も僕の母を知らないんだし、

性格も全く違う人間なのだから、印象だって全然違うはずだと思う……。



ルイス博士がカットしてくれた毛先を一束、僕は拾ってとっておくことにした。

ローイとの思い出を、失いたくないから……。




アルシュ君が、

リビングでピアノを奏でている……。


音色に浸りながら、

僕はダルシアンを思い出す……。



僕は……、

研究所のラウンジで食事している彼に話しかけた。

『ダルシアン、』


『ルイス、今、ルイスがしてくれた実験の結果を考察してる。』

『あ、ごめん。』

彼は何も考えてない時はほとんど無いらしい。

『寝てるときと、マシンでランニングしてる時くらいかな。』

と以前話していた。


考察してるってことは、実験結果が仮説と違ったって事だ。

そこから新たな発見がある可能性が高い。

『……楽しみだな!』


彼も口元をあげる。


次の手立てへの筋道を開拓する彼を、僕は黙って見守った。


ダルシアンはすぐにノートパソコンに向かい、キーボードを打つ。

ひと段落して、また食事する。


彼は僕を見て、

『何の話?』

と、微笑む。


僕は、たわいのない話をする。

彼は楽しそうに笑う……。



……僕は、スワロウのことも思い出す……。



スワロウが、僕の腕の中で言う。

『ルイス。私、わかったよ。』

『何が?』


『私がこの星へ来たのは、

ルイスに出会うためだったんだ……。』

長いまつ毛で瞬きして、愛しそうに僕を見つめる。


『……スワロウ……。』

僕は、愛しいスワロウの髪にキスした。


ため息のように言う。

『こんなに幸せになれるなんて……

夢にも思わなかった……。』


と、スワロウは、涙をこぼして微笑んで

幸福そうに、

僕を抱きしめた……。


愛しいスワロウが宇宙へ行ってしまって、もう三年も経つ……。

スワロウとは、出会って二週間しか一緒にいられなかった……。

帰ってきたら、何百年でも、ラブラブに過ごすんだ……。



アドルフのことも思い出す……。


パジャマ姿のアドルフが、

少しでも体力を維持しようと、病院の廊下を歩いている。

子供の僕も一緒に歩いて、楽しく会話している。

『ルイスはなりたい職業とかあるの?』

『うーん、研究する仕事がいいな。医療系の。』


アドルフが明るく言う。

『そっか……。研究職か。

ルイスはきっと、大勢の人を救う薬を作ったりするんだろうね。』

希望の眼差しで僕に微笑む。


僕は笑顔で言う。

『そうだよ!いつかきっと、アドルフの病気も治すから!』


不意にアドルフが立ち止まる。

『……ルイス……。』


抱きしめられた……。

『ルイス、ありがとう……。』


僕は彼の背中を擦る。

『僕が治すよ。約束する。心配しないで。』


『ありがとう……。でも、約束して。あんまり無理しないでほしい……。』


僕は、涙目のアドルフに笑顔を見せた。

『うん。気を付ける!』



だけど、勉強するうちに、僕には治療方法を探究するのは難しいと気付いた。

でも、ダルシアンになら、きっとできると思って、期待していた。

けれど、残念な事に、システムでは、アドルフの病を治せない……。



ダルシアン……

スワロウ……

アドルフ……

会いたいよ……。


いつも僕だけが取り残されて、

年ばかり食っていく……。


困難ばかりが、僕の行く先に横たわっている……。



アルシュ君は、

また別の曲を弾き始める……。


僕は震えるため息をつき、

袖で目をぬぐう……。




「ルイス博士……。」

アルシュ君が、おずおずと僕に言う。

「トンボのドローンで話してくださった事、お尋ねしてもいいですか……?」

「うん。スワロウの事かな?」

「はい、もしよろしければ、どんな方か、もう少し知りたいです……。」

「もちろん話すよ。遠慮しないで。スワロウの事を考えてると、気分が良いんだ。」


僕は端末の画面にスワロウの写真を映し、

エマスイに話した内容を、アルシュ君に聞かせた。

聞きながら、アルシュ君はぽろぽろ涙を流す。


「すみません……辛いのはルイス博士なのに……!」


と、一生懸命泣くのを抑えようとする。

「ありがとう。うれしいよ。僕のために泣いてくれて。」


アルシュ君は言う。

「長命化問題がいつか解決して、僕たち患者が全員、長命じゃなくなったら、

ルイス博士は……

一人になってしまうじゃないですか……。」


僕はスワロウを待ちたいから、長命化問題が解決しても、自分には施さない。

四百年……今の姿のまま、

一人……。


僕は笑って言う。

「気にしないで!そんな事。

好きなように生きるだけだよ。

君もね。」

「……。」

「優しいね。そんな顔しないで。

待っていられるのは、僕にとっては嬉しい事なんだ。また会えるって事だから。」


スワロウは、生きている。必ずまた会える。


「僕も一緒に待ってます。

スワロウさんに、お礼を言いたいので。」


……それは、自分も若いまま四百年生きるって事だろうか……。

いや、違うだろう。直接お礼を言いたい気持ちってことだろう。


「……ありがとう。きっとスワロウも喜ぶよ。」


スワロウは、願っていた。

エイリアンである自分の身体が、システムに支配されてる自分の身体が、僕とダルシアンの研究の役に立つ事を、願っていた。

人を助ける力になりたいと……。

そして、現実にそうなって、アルシュ君たちを治した。


アルシュ君はまっすぐに僕を見つめて言う。

「早く帰って来られるよう、僕も祈っています。」


「ありがとう。」


君のやさしい心が、僕をしっかりさせる。





僕は、向き合わなくてはならない。

いつまでも逃げてはいられない。


ダルシアン。

君の発明したシステムを、もっと大勢の人の役に立つように、研究し続けなきゃ。


どれほどの長い道のりか、考えるだけで今からしんどいし、

君を思うと、涙が出るけど、

何とか頑張るから……


見守っていて。


ダルシアン……。




アルシュ君は、楽しそうに、幸せそうに、

エマスイやサマー君、それに、森の女神、メルツさんについて話してくれる。


「エマスイ先生は優しくて、僕の話しを熱心に聞いてくれますし、何より、彼女の詩的な素晴らしい演奏を間近で聞けて、しかも僕の曲を弾いてくださるんですよ!

ルイス博士、こんな幸せを用意してくださって、本当にありがとうございます!」


「サマーには、優しい兄に甘えるみたいに甘えちゃってますよ。大好きです!」


「メルツが言うには、僕は魔力が濃い方らしいです。会話できる人は三人目だそうです。

僕はメルツといると、とても心が安らぐし、良い友達です。」


アルシュ君は、メルツさんの事を友達だと言うけど、本当は恋人に近いんだと思う。

前に話してた、好きなタイプの子の容姿に似てるみたいだし、

何より、彼女の事を話す表情とか、話し方に、ほんのりラブが現れている。

でも、本人は、どうやらいまいち気づいていないみたいだし、音楽も同じく大事なようだ。

メルツさんも大切だけど、自分が作り出す音楽も大事。

両方大事ってところも、彼の魅力なんだと、僕は思う。




楽しそうなアルシュ君を見て、

僕は思う。

ダルシアン。

君が救った笑顔だよ……。

君と僕が、一緒に助けた輝きだ……。

スワロウ。

君と出会えたから、

君が僕たちの研究に協力してくれたから、

アルシュ君は今を、

幸せに生きているんだ……。





僕はアルシュ君に話す。

「僕一人では、研究を続けるのは到底無理だから、企業に就職するよ。

以前、僕とダルシアンが勤めていた会社だ。

ダルシアンが助けたがっていた従妹は、その会社の社長令嬢なんだ。

彼女は二年くらいでコールドスリープから起こせると思う。」


アルシュ君が心配そうな顔をしている。


「だから社長は、娘のために、優秀な人材を集めて僕の研究チームを作ってくれるんだって。

多人数で研究なんてしたことないから、最初は上手く行かない事もあるだろうけど、頑張るよ。

ダルシアン程ではないだろうけど、発明が得意な人もいるだろうしね。

アルシュ君も期待してて。」


「お仕事、楽しめると良いですね。」

「そうだね。ありがとう。」





五日間の滞在期間が終わって、

エマスイ邸を後にすることにした。


玄関の外で、僕は、見送りに出て来てくれたアルシュ君に言う。

「来てよかったよ。楽しかった!元気でね。アルシュ君。」

「はい。ルイス博士もお元気で!無理しないでください。」

笑顔の彼の眼は、少しうるんでいるように見える。

「ありがとう。」

健気でかわいいアルシュ君にハグする。

もう僕は、彼の事を、ダルシアンと僕の息子みたいに思っている。


「エマスイ先生もお元気で。」

「ええ。」

彼女にもハグする。

やさしく僕の背中をさすってくれた。

僕にとって彼女も、間違いなく特別な人だ。


「サマー君も、たくさんおいしかったよ。」

彼にもハグする。

「毎日しっかり食べてくださいね!」

と、バシバシ背中を叩かれた。

「うん。」

彼の前途も応援している。


僕はタクシーに乗って帰路につく。

手を振る三人が小さくなり、

見えなくなった後は、


木漏れ日のトンネルが、

僕を

穏やかに……

さわやかに……

送り出してくれた……。


「さて。研究、頑張らなきゃ……。」



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