第一章 05
「――第二王子の婚約者選びは保留になった」
面会に来た侯爵は言いにくそうに口を開いた。
「保留?」
「王太子の婚約者が病気になってしまったのだ」
「王太子殿下の婚約者……?」
「レンティーノ王国の王女だ」
(王太子……って、『あの氷の王子』よね)
ブレンダは前世の記憶を辿った。
王太子は漫画のサブキャラとして登場していた。
ブレンダたちより一つ歳上で、クールな見た目通りの冷淡な性格。
周囲に対して厳しく威圧的で、漫画の中では「氷の王子」と呼ばれていた。
身分の低いヒロインが第二王子と親しくなるのを良く思わず、二人の仲を裂こうとする邪魔者の一人だ。
彼の婚約者のことは、確か漫画では出てきていないはずだ。
「……そんなに悪い病気なのですか」
「かなり重くて、どうなるか分からないそうだ」
王太子の婚約者ということはブレンダと同じくらい、まだ十代だろう。
(そんな若いのに重い病気だなんて……)
見ず知らずの相手だけれど、気が重くなってしまう。
「王太子の婚約者に万一があることを考えて、第二王子の件は保留になったのだ」
漫画ではその婚約者の王女様がどうなったかは書かれていなかったけれど……病気になる前に、ブレンダは既に第二王子の婚約者となっていたからそのままだったのだろう。
「……そうですか」
「それで、本当は王子の婚約者が決まってから言おうと思っていたのだが……」
口籠ると侯爵は一度視線を落として再びブレンダを見た。
「ブレンダ……家に帰ってきてはくれないだろうか」
「――家にですか」
「もちろんお前との婚約の話は既に断ってあるし、それは今後も変わらない。だから……」
ブレンダは父親を見た。
家出をするまでまともに顔を見たことはなかったが、前はもっと怖い顔をしていたように思う。
今の侯爵は……娘の様子を窺う、少し気の弱い父親のように見えた。
(父親……)
この人を、父親と思っていいのだろうか。
数日前に院長と話をして、確かにすぐ修道院へ入らなくてもいいのではないかとブレンダは思い始めていた。
貴族令嬢でなければ学べないものや得られないものも多い。
それに貴族の中で人脈を作っておけば、将来何かと役立つかもしれない。
「……私は、学園を卒業したら修道院へ入ります」
侯爵を見据えてブレンダは言った。
「それでもいいのなら」
「――それは……」
「ダメならば帰りません」
これだけは譲れなかった。
「……分かった」
「あと、二つ条件があります」
ブレンダはしぶしぶ頷いた侯爵に向けて右手の指を二本立てた。
「……何だ」
「家に帰っても定期的にこの孤児院へ通います。それから一人、私付きの侍女として孤児院の子を連れて帰りたいです」
「――いいだろう」
侯爵はため息をつきながらも同意した。
「本当ですか⁉︎」
ブレンダの言葉にリタは目を輝かせた。
「私、侍女になれるんですか」
「ええ。最初は見習いとしてしばらく働いて、その働きが認められればということになるけど」
「頑張ります!」
リタはグッと握り拳を作った。
院長からリタを侍女にどうかと言われたあと、本人に聞いたらとても乗り気だった。
リタの母親は平民出身だったが、伯爵家の侍女となり、その働きぶりから子爵家に紹介され、嫁いだのだという。
金銭的に余裕がなく、使用人をあまり雇えない下級貴族は夫人も家事ができないとならないのだ。
そんな母親と同じように、自分も侍女になりたかったのだとリタは言った。
「でもブレンダがいなくなったら皆寂しがりますね」
「ここにはこまめに来るつもりよ」
「ロイはすっかり懐いてしまっているし……」
「……そうね」
ロイはブレンダのことをまるで母親のように慕っている。
(でもさすがにロイまで連れて帰るわけにはいかないし……何とか納得してくれるといいけれど)
その日の夜、皆の前でブレンダとリタが孤児院から離れることを皆に告げた。
孤児院では養子に貰われたり仕事を得たりして仲間が出ていくことはよくあることなので、大きな子たちはそれなりに受け入れていたが、皆寂しそうに見えた。
「あのね、ロイ。私は明日でバイバイなの」
ロイはまだあまり喋ることはできないが、言葉はそこそこ理解できているようで、ブレンダがそう言うと顔をしかめた。
「やっ」
「ごめんね」
抱きついてきたロイの背中を撫でる。
「シスターになるために、一度家に帰って色々勉強しないといけないの。すぐ会いにくるから」
「……う……」
ブレンダの言葉に、ロイは呻いてさらにぎゅっと抱きついた。
「ブレンダは、本当にシスターになるの?」
マリが尋ねた。
「そうよ」
「ブレンダの家ってとっても立派な貴族なんでしょう? それなのにシスターになるの?」
「家柄は立派かもしれないけど。でも関係ないわ、後継になるわけでもないし」
家は弟が継ぐからブレンダには関係ない。
「そうなの……」
「変かしら」
「ブレンダらしくていいと思う」
マリがそう言うと、カルロも頷いた。
(私らしいか……そう言われると嬉しい)
「ありがとう」
ブレンダは笑顔で返した。
そうして翌日、ぐずるロイや寂しがる子供たちに後ろ髪を引かれながらも、ブレンダは迎えの馬車に乗り侯爵家へと戻ってきた。
第一章おわり




