第六章 07
「いかがでしょう」
「いいね、可愛いけど遠目から見ればブレンダと分からない」
侍女に尋ねられ、レアンドロは満足そうに目を細めた。
ブレンダの髪色は目立つ。
だから髪をまとめてスカーフで覆い、さらにマントについているフードを深く被せた。
今は冬だからおかしくはない格好だ。
「それじゃあ行こう」
そう言うとレアンドロはブレンダを抱き上げた。
「おろしてください……!」
「まだ本調子じゃないだろう」
レアンドロは抵抗しようとしたブレンダを抱きすくめた。
(強い……)
剣技大会の決勝でダミアンと戦えるだけの力があるレアンドロだ、見た目より腕の力も強く、ブレンダは動くことができなかった。
ホテルの裏口から出ると、前に停まっていた馬車に乗り込んだ。
(どうしよう……)
隙を見て逃げたいけれど、レアンドロの言う通りまだ薬の影響が残っているのか、歩くのがやっとだ。
一行はレアンドロの他に護衛が二人と侍女が一人。
逃げ切れる自信がない。
(私の……せいなのかな)
カーテンの隙間からわずかに見える街並みを眺めながらブレンダは自問した。
レアンドロは誘拐を企てるような人間ではないはずだ。
思い込みの強いところはあるけれど、反面心の弱い、繊細な部分もある優しいレアンドロ。
そんなレアンドロは、漫画ではヒロインに勇気づけられ、彼女を守りたいという意志によって心身共に強くなっていく。
(私が婚約者にならずに……だからマーガレットと心を通わせることもなくて。だから……レアンドロ殿下の性格も変わってしまった……?)
どうすれば良かったのだろう。
あの時大人しく父親の言うことを聞いて、婚約を受け入れていれば良かったのだろうか。
(でも……そうしたら今の人間関係はなかった)
孤児院の子供や院長、シスター。
彼らと出会えることもなかったし、マーガレットと友人になることもなかった。
父親との仲も歪なままだったろう。
(それに……クリストフとも出会えなかった)
ブレンダの胸に青い瞳が浮かんだ。
(そうよ私は……クリストフが好きなのに)
「……レアンドロ殿下」
ブレンダは口を開いた。
「私を……帰してください」
「それはできないよ」
レアンドロはブレンダの肩を抱いた。
「もう王宮には戻れないし、君も帰れない」
「……私はクリストフのことが……」
「その名前は聞きたくない」
初めて聞くレアンドロの冷たい声に、ブレンダはびくりと肩を震わせた。
「ああ、ごめんね。怖がらせるつもりはなかったんだ。――でも、その名前だけは出さないで」
ブレンダの頬にレアンドロの唇が触れた。
「嫉妬で何をするか分からないから」
(クリストフ……!)
じわりと涙が滲んだブレンダの目尻を、長い指がそっと拭った。
馬車が止まった。
乗っていたのは十分にも満たなかっただろうか。けれどブレンダにはとても長く感じた。
馬車は止まったけれど、そのドアが開く気配がなかった。
「――おかしいな」
レアンドロが呟くと同乗している侍女を見た。
侍女はカーテンをわずかに開けると外を覗き見た。
「駅には到着したようです」
「護衛は?」
「……ここからでは見えません」
再び馬車が動き出した。
「移動するようですね。――裏手へと向かっているようです」
「何かあったか」
「分かりませんが……予定の場所は都合が悪かったのかもしれません」
駅への入口は複数ある。
使用する予定だった入口とは別のところへ向かっているのだろうか。
しばらくして馬車は再び止まった。
コンコンコン、と三回馬車のドアをノックする音が聞こえた。
侍女がコン、と一回ノックすると外から二回ノックする。
何度かやりとりを繰り返すと侍女はドアの内鍵を開けた。
ドアが開き、侍女が先に降りた。
足音と――何かぶつかるような音が聞こえた。
(え?)
様子がおかしい、そうブレンダが思った瞬間。
レアンドロがブレンダを抱き寄せた。
「ブレンダ!」
ドアの向こうから現れた顔にブレンダは目を見開いた。
「……ダミアン……」
「なぜお前がいる」
ブレンダを抱きしめながらレアンドロが尋ねた。
「レアンドロ! お前何やってんだ!」
「――そういうお前はなぜここにいる」
目を吊り上げたダミアンにレアンドロは低い声で問い返した。
「ブレンダが消えたって聞いて。お前が攫った可能性があるっていうから、二人の顔を知ってる俺も捜索に参加したんだ」
ダミアンは答えた。
「お前、近いうちに母親の領地へ行くみたいなこと言ってただろう。それを王太子に伝えたら、もしかしたら朝イチの列車に乗るかもしれないからって張ってたんだ」
「……お前に言わなければ良かったな」
レアンドロはふっと息を吐いた。
「レアンドロ。ブレンダを離せ」
「それはできない」
「お前、自分が何やってるか分かってるのか」
「ブレンダは僕と婚約するはずだった」
ダミアンを見据えてレアンドロは言った。
「王太子の地位だけでなく婚約者まで兄上が奪っていく。王位なんていらないけど、ブレンダだけは渡さない」
「だからって誘拐する奴がいるかよ」
はあ、とダミアンはため息を吐いた。
「お前がやってるのは犯罪だぞ」
「僕のものを取り返しただけだ」
「子供か」
ダミアンは視線をブレンダへと移した。
「大体、お前のものだって言ってるけどブレンダは怯えているじゃないか」
「……ブレンダ」
レアンドロは腕の中のブレンダを見た。
「――僕のことが嫌い?」
「……嫌いではありません」
ブレンダは小さく首を振った。
「でも……私は、クリストフ殿下が好きなんです」
「ブレンダ……」
「ごめんなさい」
レアンドロを見つめ返したブレンダの瞳から、大粒の涙がこぼれた。
しばらく沈黙が続いた。
「レアンドロ」
ダミアンの声に、レアンドロはブレンダから手を離した。
「ブレンダ!」
馬車へ乗り込んだダミアンがブレンダの腕を取ると、馬車から降ろす。
入れ替わるように二人の騎士が馬車へ乗り込んでいくと、ドアが閉ざされた。
「――レアンドロは離宮へ連れていく」
静かに走り出した馬車を見送りながらダミアンが言った。
「離宮?」
「王都の端にある。病気になったり、犯罪を犯したりした王族が行く場所だそうだ」
「犯罪……?」
「ブレンダを誘拐したんだから犯罪だろ」
ダミアンは目を見開いたブレンダを見た。
「まあ、実際のところは保護のためだな」
「保護?」
「王太子と伯父上が激怒してる。もしも王宮へ連れて帰ったら殺されるかもな」
「……お父様が?」
「大事な娘を誘拐されたんだ。あんな怒った顔、初めて見た」
ぽん、とダミアンはブレンダの頭に手を乗せた。




