第六章 05
「ねえ、その花をどうするの?」
大きな花束を抱えて王宮の廊下を歩く二人の王太子付きの侍女に、仲間たちが声をかけた。
「バルシュミーデ侯爵令嬢がいらっしゃるので王太子殿下の部屋に飾るのよ」
「温室の花を頂いてきたの」
「バルシュミーデ侯爵令嬢?」
「……王太子殿下とご婚約間近というのは本当なのかしら」
声をひそめて仲間の侍女が尋ねた。
「ええ。殿下のご卒業と同時に婚約する予定よ」
「今日は婚約式で着るドレスやアクセサリーを仕立てる予定なの」
「まあ、そうだったの」
「とてもお綺麗でお優しい方と聞いたわ」
「ええ。あの殿下が笑顔で接するのよ」
「王太子殿下が⁉︎」
王太子付き侍女の言葉に、仲間たちは悲鳴のような声を上げた。
「バルシュミーデ侯爵令嬢とお会いするようになってから、随分と穏やかになられたわよね」
「ええ」
王太子付きの侍女は顔を見合わせて頷き合った。
「とてもお似合いのお二人よ」
「そう。良かったわね、素敵な方がいらっしゃって」
「本当に」
胸を撫で下ろしながら言い合う仲間たちを見て、王太子付きの侍女たちは内心苦笑した。
王太子は優秀だが冷酷で、周囲は怯えながら仕えていると言われている。
だがそれは表向きの姿で、実際の王太子クリストフは穏やかで身近な者には優しいというのを、彼付きの侍女や侍従たちは知っている。
けれどそれを他の者に知られてはならないとされていた。
王太子のイメージを変えないためだ。
彼の身近に仕える者は本来の姿を知って欲しいと願っており、ブレンダとの婚約がその契機となることを期待していた。
「それじゃあ私たちは行くわね」
「ええ」
侍女たちは王太子の部屋へと向かっていった。
二人を見送った仲間の侍女たちは、自分たちも持ち場へ行こうと振り返り――レアンドロがこちらへ歩いてくるのに気づき、慌ててその頭を深く下げた。
「――今去っていったのは、兄上の侍女だよね」
その足を止めるとレアンドロは口を開いた。
「はい、さようでございます」
「花束を抱えていたけど」
「バルシュミーデ侯爵令嬢がいらっしゃるのでその準備だそうです」
「本日は婚約式の準備があるとか」
「……そう」
一瞬その瞳に暗い光を宿して、レアンドロは去っていった侍女たちの後ろ姿へ視線を送った。
*****
「こちらのサファイアは透明度が素晴らしく、カッティングも見事です」
箱に入った大粒のルースを示しながら宝石商が説明した。
「濃さは薄めですが、王太子殿下の瞳の色にとても近いかと」
「そうだな。これがいい」
クリストフはサファイアを手に取った。
「これでネックレスを仕立ててもらおう」
「ありがとうございます。デザインですが……」
宝石商は手元の紙束をテーブルに広げた。
そこには幾つものアクセサリーの絵が描かれてある。
「お好みのものはございますでしょうか」
「ブレンダ、どれがいい」
クリストフは隣に座るブレンダに尋ねた。
「そうね……どれも素敵だわ」
ブレンダはデザイン画を見渡した。
どのデザインも豪華で凝っていて美しい。
「ドレスに合うものがいいと思うのだけれど……」
「ドレスはどのようなもので?」
クリストフが手を挙げると、侍従がすかさず別の紙を持ってきた。
婚約式の後の夜会で着用予定のドレス画で、白を基調とした小花柄で、胸元が大きく開いている。
スカート部分はひだを重ねてボリュームを出したドレスだ。
「なるほど。これならばネックレスは豪華なものがよろしいでしょう」
宝石商は二枚のデザイン画を示した。
「……そうね、これかしら」
ブレンダは左側を指した。
チェーン部分は小さな石が連なり、まるでレース編みのように見える。
「ああ、それがいいな」
クリストフが頷いた。
「ではこのデザインをベースに、サファイアに合わせたものをお作りします」
「ああ、任せた」
「畏まりました」
宝石商は深く頭を下げた。
「ひとまずブレンダが確認すべき手配は終わったな」
宝石商が下がり、お茶を飲みながらクリストフが言った。
「は。あとは作成途中でご確認いただくことになりますが」
侍従が答えた。
「それは妃教育の合間でできるだろう」
クリストフはブレンダを見た。
来週から始まるお妃教育は、歴史や経済、政治などについて学園で習う以上のことを学び、またマナー教育などもある。
ブレンダの場合、まずは婚約式に出るための立ち振る舞いを身につけることと、貴族の名前や関係性を覚えるところから始めるという。
「そうね」
「忙しくなって大変だろうが。ブレンダなら大丈夫だ」
「……ありがとう」
正直、ブレンダにはお妃になる自信はないけれど。
(でもどんな仕事でも大変だし頑張らないとならないものね)
ブレンダはクリストフに笑顔を向けた。
今日の予定を終えたブレンダは、二人の護衛騎士を連れて馬車止めへと向かっていた。
「ブレンダ嬢」
名前を呼ばれて振り返ると、レアンドロが立っていた。
「殿下」
「兄上のところに来ていたの?」
「はい……帰るところです」
「そうか」
頷くと、レアンドロは護衛騎士を見た。
「彼女は僕が送っていこう。お前たちは戻っていい」
「ですが……」
「下がれ」
レアンドロの命令調の声に、騎士たちは頭を下げると去っていった。
「じゃあ行こうか、ブレンダ嬢」
レアンドロは手を差し出した。
「……はい」
断るわけにもいかず、ブレンダが差し出された手に手を乗せるとレアンドロは歩きだした。
(殿下と会うのは……告白されてから初めてだわ)
学園で見かけたことはあるけれど、こうやって言葉を交わすのはあの時以来だ。
「花は好き?」
気まずさを感じているとレアンドロが尋ねた。
「はい……」
「温室へ行こう。珍しい花が咲いているんだ」
レアンドロは馬車止めとは別の方へ歩きだした。
「え、あの」
向かう先は裏道のような細い通路で、この先に温室があるようには思えない。
ブレンダが足を止めようとすると、レアンドロは逆に手に力を込めて早く歩きだした。
「あの、殿下。今日はもう遅いので……」
「僕は兄上とブレンダ嬢の婚約を認めていない」
ブレンダの声を遮るようにレアンドロは言った。
「……それは……」
「ブレンダ嬢は兄上には渡さない」
ようやくレアンドロが立ち止まった。
(え、ここは……)
どこかの建物の裏のような、人気のない場所だった。
「あの、殿下……」
「ブレンダ嬢」
振り返るなりレアンドロはブレンダを抱きしめた。
「殿……」
「ブレンダ嬢……いやブレンダ。本当は僕の婚約者になるはずだったんだよね」
レアンドロの言葉にブレンダは身体をこわばらせた。
「母上の侍女から聞いた。婚約を進めようとしていたら君が拒否したと。……僕のことが嫌い?」
「……そんなことは……」
「違うよね。だって僕たちが初めて会ったのはその後だもの」
レアンドロは腕に力を込めた。
「君が拒否しなければ、僕たちは婚約していたのに」
「――レアンドロ殿下」
ブレンダは顔を上げた。
「確かに、前に私は突然の話に……反発して、殿下との婚約を拒否しました。そして婚約の話はなくなったんです。……私が婚約するのは王太子殿下で……」
「君が婚約すべき相手は兄上じゃない、僕だ」
ブレンダを見つめてレアンドロは言った。
「だから……少しだけ我慢して」
「え?」
「ごめんね」
ふいに視界が暗くなり――ブレンダは目眩を覚えると意識を失った。




