第一章 02
「お嬢様!」
院長室にいたのは侯爵家の執事だった。
「良かった……よくご無事で」
「……どうしてここにいるって分かったの?」
「お嬢様の行方を探しておりましたら、最近孤児院に花のような髪色の若いシスターが入ったという噂を耳にしまして。もしやと思ったのです」
「子供たちが外で言いふらしていたみたいなの」
院長が言った。
「お姫様みたいに綺麗で優しいって、自慢していたそうよ」
ブレンダの髪はバラの花を思わせる紫がかった薄紅色で、外国出身の祖母譲りの珍しい色だ。
それにブレンダは、漫画では第二王子の婚約者となるくらいだから、正直自分でも可愛いと思うくらい見た目はいい。
(でもお姫様ではないと思うけど……)
前世を思い出す前よりも印象は柔らかくなったとはいえ、悪役らしくつり目がちで、強い印象を与える顔立ちだ。
(お姫様ならヒロインなのよね)
花やレースが似合う、ふわふわした綿菓子みたいな雰囲気で。
漫画を読みながらその見た目に憧れたものだ。
「お嬢様。旦那様も心配しております、帰りましょう」
「心配? 娘を殴るような人が何を心配するの?」
「……あれはやり過ぎだったと反省しておられます」
「信じられないわ」
ブレンダは冷めた眼差しを向けた。
「それに私決めたの、シスターになって孤児院の子供たちのために働くって。だから帰らないわ」
最初は数日で家に帰るつもりだった。
けれど孤児院で子供たちの面倒を見ているうちにブレンダは思い出したのだ――前世での夢を。
ブレンダは前世、生まれてすぐに両親を亡くし、中学校を卒業するまでは施設で暮らしていた。
親のいない寂しさを抱えながらの施設生活は、辛いことや悲しいことも多かった。
けれど施設の職員はみな優しかったし、同じ境遇の仲間たちと時には喧嘩をしながらも助け合い、それなりに楽しく暮らしていた。
中学を卒業すると、もう手がかからないからと祖父母の家に引き取られた。
二人とも持病があったりして子育ては無理だったのだ。
祖父母の手助けをしながら高校に通っていた三年の間に二人とも亡くなってしまい、家族として過ごせたのはほんのわずかな間だった。
将来は人の役に立つ仕事に就きたいと、保育士の資格を取るために奨学金制度を利用して短大に合格したけれど、一度も通うことはなかった。
道路に飛び出してきた子供を庇い、車に撥ねられたのだ。
入学式の前日だった。
この世界に転生して、孤児院で子供たちと過ごしていくうちに、ブレンダは、これは前世で抱いていた夢を叶える機会ではないかと思った。
この子たちのために働きたいと――それが自分の進む道だと、そう決意したのだ。
「お嬢様……シスターになるなど本気ですか」
焦ったように執事は言った。
「ええ。私、貴族には向いてないって分かったの」
侯爵令嬢として生きるよりも、孤児院で子供たちに囲まれながら暮らす方がよほど性に合っている。
この五日間でブレンダはそう確信した。
「そのようなこと……それにバルシュミーデ家の御令嬢がシスターになるなど、外聞が悪うございます」
「シスターは立派なお仕事よ。外聞が悪いなんて言わないで」
ブレンダは不快げに眉をひそめた。
「しかし……」
「ブレンダさんをお返しすることはできません」
院長が口を開いた。
「……なぜですか」
「ここに来た時、ブレンダさんは父親に殴られて頬が青くなっていました。ご覧の通りまだ消えていないでしょう」
痛ましげな顔で院長はブレンダを見た。
その頬には、薄くなっているとはいえまだしっかりと青あざが残っている。
「ブレンダさんのアザは教会の治療院で診てもらいました。その診断記録も作ってあります」
院長の言葉に執事の顔色が変わった。
それはつまり、侯爵が娘に暴力を振るったことが公に記録されているという意味だ。
「虐待を受けている家に帰すわけにはいきません」
無理矢理連れて帰れば虐待を重ねることになると疑われる可能性が高い。
その方が、侯爵家にとってよほど外聞が悪くなるだろう。
「――承知いたしました。お嬢様をよろしくお願いいたします」
深く頭を下げて執事長は帰っていった。
「ありがとうございます」
ブレンダは院長にお礼を言った。
「教会は弱者の味方よ。治療院の記録は王家でも消せないの」
「そうなんですね」
「ブレンダさんは、本当にシスターになりたいと思っているの?」
院長が尋ねた。
「はい」
「シスターになるにはまず修道院に入って勉強しないとならないわ。家との繋がりも切れるし、結婚もできないのは分かっている?」
「はい」
第二王子との婚約は避けられたとしても、どうせ誰かと政略結婚をしなければならないだろう。
あの父親のいいなりになるくらいなら、結婚しない道を選んだ方がマシだという思いもあった。
「シスターになりたいのは、孤児たちのためよね。貴族のままで寄付をして支援するという方法もあるけれど」
「――私は、自分で働いて彼らの役に立ちたいんです」
ブレンダはそう答えた。
確かに、孤児院などに寄付をする貴族も多いし、それが貴族の役目でもある。
「お金を出せばより多くの子供たちに支援できるのは知っています。でも必要なのはお金だけではないし、一人ひとりの心に寄り添うことも子供たちには必要だと思うんです」
十分な食事や衣服といった、お金で買えるものも大切だ。
けれど親のない子には、その寂しさから守ってくれる人も大切なのだ。それは前世で身に染みて感じている。
「私はそういう、子供たちに寄り添える存在になりたいんです」
「そう、素敵な考えね。ブレンダさんは本当に十四歳とは思えないわね」
院長の言葉に、ブレンダは内心ギクリとした。
前世では十八歳まで生きていたから、あまり子供らしくはないだろう。
「……そうですか?」
「貴族は平民より大人びてはいるけれど、それでもブレンダさんのように考えたり行動したりできる子供はそうはいないわ」
「貴族のことに詳しいのですか?」
「私も元貴族……いえ、一応王族だったから」
「ええ!?」
思いがけない言葉にブレンダは思わず大きな声をあげてしまった。
「一応よ、先々代の国王が侍女に産ませたの。母親の身分が低かったから、成人すると同時に修道院に入れられたの」
「そうだったのですか……」
(ということは……今の国王の叔母にあたるということ?)
確かに、気品があるとは思っていたけれど……まさか、元王族だったとは。
「王族といえば、今来ていた方がブレンダさんは第二王子と婚約の話が出ていると言っていたけれど」
「あ……はい」
院長の言葉にブレンダは頷いた。
「お妃よりもシスターを選ぶのね」
「はい」
「ブレンダさんなら立派なお妃になれると思うけれど。でもそうね、あなたが私の後継になってくれたら嬉しいわ」
そう言って院長は微笑んだ。




