第三章 07
そこには一人の青年が立っていた。
ブレンダの気配を感じたのか、青年はこちらを向いた。
輝くような金色の髪に、透明感のある緑色の瞳。
爽やかな印象の――その顔は、初めて見るけれど覚えのある顔だった。
(レアンドロ……!)
それは漫画の男主人公、そしてブレンダが婚約者となるはずだった、第二王子レアンドロだった。
(本物も漫画そっくり! って、そんなことはどうでもいいんだけど)
それよりも、この場を離れなくては。
ブレンダは軽く会釈をすると、身を翻した。
「君」
背後から声が聞こえた。
「……はい」
一瞬無視して去ろうかと思ったけれど、さすがに王子に対してそれは失礼すぎると思い直し振り返ると、レアンドロはブレンダをじっと見つめていた。
「……あの?」
無言のまま見つめるレアンドロに、ブレンダが口を開くとレアンドロはハッとしたように目を瞬かせた。
「あ、ごめん……珍しい髪色だったから」
そう言って、レアンドロは笑みを浮かべた。
「僕はレアンドロ・バックハウス・アードルングだ。君は?」
「――ブレンダ・バルシュミーデと申します、殿下」
ブレンダはスカートの裾をつまむと礼をとった。
「バルシュミーデ侯爵のご令嬢か」
「はい」
「どうして一人で?」
「……人の多さに疲れたので、少し休憩しようと思いました」
「ああ、確かに人が多いね」
レアンドロは視線をブレンダの後ろへと送った。
「僕もこれからあの中に行かないとならないと思うと気が重いよ」
(レアンドロは……漫画のイメージそのままなのね)
穏やかな口調と繊細な心を持つ好青年だ。
「本当は、今日ここへ来るのは嫌だったんだけど。でも来て良かった」
そう言うと、レアンドロは視線をブレンダに戻した。
「花みたいに綺麗な君と出会えて」
「……あ、ありがとうございます」
(さすが……発言も王子様だわ)
聞く方が恥ずかしくなるような言葉をさらっと口にしてしまうなんて。
むずがゆさを感じながらもブレンダはお礼を言った。
「ところで、バルシュミーデ嬢は何歳なの?」
「え? 十五歳ですが……」
「来年入学?」
「はい」
ブレンダが頷くと、レアンドロは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「それじゃあ……」
「ブレンダ!」
聞き覚えのある声にブレンダは振り返った。
「クリストフ……」
「こんな所にいたのか」
クリストフはゆっくりとブレンダに歩み寄った。
「探したぞ」
そう言うと、クリストフは手を差し出した。
(え? ああ……エスコート?)
ブレンダが差し出された手に自分の手を乗せると、クリストフはブレンダの耳元に口を寄せた。
「見せたいものがある」
「見せたいもの?」
「こっちだ」
ブレンダの手を引くと、クリストフは目を見開いているレアンドロを見た。
「レアンドロ。王妃が到着された。今日は陛下の代わりにお前が王妃のパートナーを務めるのだろう」
「あ……はい」
「行こう、ブレンダ」
立ち去るクリストフとブレンダの後ろ姿を、レアンドロは感情の見えない瞳で見つめていた。
「レアンドロと何を話していた」
立ち入り禁止と書かれたドアを通り、廊下を歩きながらクリストフが尋ねた。
「何って……名前と年齢を聞かれたわ」
「他は」
「来年入学? って」
「――そうか」
息を吐くと、クリストフはブレンダを見た。
「学園に入っても、レアンドロと親しくするな」
「……どうして?」
「君は私の友人だろう」
(やっぱり、仲が悪いのかしら)
友人が、仲が悪い弟と親しくなるのは嫌なのだろうか。
(まあ、親しくなるつもりはないけれど……)
漫画のように彼と婚約していないからといって、下手に関われば近い展開になる可能性もある。
だったら最初から近づかない方がいい。
「失礼にならない程度に距離を置くわ」
「無礼でも構わない」
「そういう訳にはいかないでしょう」
「私の名前を出せば問題ない」
「そうやって権力を笠に着るのは、よくないと思うわ」
ブレンダはクリストフを見上げた。
漫画のブレンダはそれをやって破滅したのだ。
「クリストフは王太子だからいいかもしれないけれど。でもそれはクリストフだけの権力であって、私のものではないもの」
「――そうか、そうだな」
くっとクリストフは喉を鳴らした。
「ああでも、いくら王太子殿下でも女性を泣かせるのはよくないと思うわ」
「は?」
「夜会でダンスを拒絶して御令嬢を泣かせたという噂を聞いたけれど」
「――ああ」
クリストフはため息をついた。
「あれこそまさに『権力を笠に着る』行為だ。父親の爵位が高いというだけで私と踊る権利があると勘違いしている。だから厳しく接しただけだ」
「そうだったの。でもクリストフたちの婚約者を探しているのでしょう? だったらもう少し、女性への態度を優しくしてあげないと」
ぴたりとクリストフの足が止まった。
「――君は……」
怒っているような、呆れたような眼差しがブレンダを見た。
「クリストフの方が圧倒的に立場は上なんだから」
「……そうだな。そこの部屋だ」
大袈裟にため息をつくと、クリストフは少し歩いた先にあるドアを開いた。
「そこに鉢植えが五個あるだろう」
クリストフの言った通り、その部屋には葉のない枝が生えた五個の鉢植えが置かれていた。
「ええ」
「これはカイドウだ」
「……カイドウって、もしかしてあの絵の?」
「ああ」
以前、オークションの時にクリストフが画家に依頼した絵に描かれた薄紅色の花は、グランディ王国固有の花と聞いていたけれど。
「苗木を欲しいと伝えたら、増やさないことを条件に送ってもらえた」
クリストフが言った。
「年が明けたら王宮の庭に植える予定だ」
「まあ。送ってもらえるものなのね」
「交渉力の見せ所だな」
「クリストフが交渉したの?」
「ああ」
「すごいわ。さすがね」
ブレンダが目を輝かせると、クリストフは笑みを浮かべた。
「再来年の春には花を咲かせるそうだ」
「再来年……楽しみね」
クリストフを見てブレンダは笑顔を向けた。
「では戻るか」
そう言うとクリストフはまた手を差し出した。
「ブレンダ。今日は一緒にいてくれないか」
「え?」
「外に出ると女たちが集まってきて鬱陶しい。パートナーがいればマシだろう」
「それって……」
(防波堤になれってこと?)
「でも、出会いの場は必要なんじゃないの?」
「必要ない」
強い口調でそう言うと、クリストフはブレンダの手を握りしめた。
「一緒にいてくれ」
(そういえば……女性が寄ってくるの嫌いなんだっけ。――仕方ないなあ)
「分かったわ」
ブレンダが頷くと、クリストフは嬉しそうに笑みを浮かべた。




