第二章 08
「今日は遅かったな」
ブレンダが孤児院へ行くと、クリストフが既に来ていて子供たちの勉強を見ていた。
クリストフが孤児院へ通うようになって三ヶ月ほどが経った。
彼はブレンダが来る二、三回に一回くらいの頻度で来ていて、すっかり子供たちの面倒を見ることにも慣れていた。
学園もあるはずだし、公務で忙しいだろう王太子がそう何度も孤児たちと交流していていいのかと心配になるけれど、「息抜きになっているみたいよ」と院長が言っていたので、ブレンダは特に何も言わないことにした。
孤児院でのクリストフは、気さくな優しいお兄さんという感じで、外で聞く評判とは全く異なっていた。
ブレンダに対しても「敬語はいらない、友人のように接して欲しい」と言ったので、孤児院の中だけでという制限付きで応じている。
「買い物をしてきたの」
クリストフの側に座りながらブレンダは答えた。
「買い物?」
「領地へ帰る時のお土産よ」
「帰る?」
「ブレンダどっか行っちゃうの⁉︎」
「やだー!」
子供たちが口々に騒ぎだした。
「ニヶ月くらいね。別の家があって、そこに行くの。十一月になったら戻ってくるわ」
「二ヶ月⁉︎」
「そんなに?」
「お姉ちゃんのおうち、遠いの?」
ラナが尋ねた。
「地図で見てみるか。ここに国の地図はあるか?」
「今用意します」
クリストフの言葉にリタがすかさず部屋から出ていった。
やがて戻ってきたリタは、大きな地図をテーブルいっぱいに広げた。
「ここが、今いる首都だ」
クリストフは地図の中央からやや左下の一番大きな印の場所を示した。
「そしてブレンダの家、バルシュミーデ侯爵領はここだ」
クリストフは指を右へと滑らせるとブレンダを見た。
「汽車で行けば三日くらいか」
「ええ」
ブレンダは頷いた。
「どうしてブレンダは家が二つあるの?」
「貴族は領地を治めるのが仕事だ。元々は領地で暮らしているが、社交シーズンは王都に長期滞在するから王都にも屋敷を持っているんだ」
マリが尋ねるとクリストフはそう答えた。
「社交シーズンって?」
「四月から八月頃まで、国中の貴族が王都に集まり交流をするんだ。それが終わると領地へ帰るが、そのまま王都に留まり続ける者もいる。そろそろ社交シーズンが終わるからブレンダも一度領地の家に帰るんだろう」
「ふうん……」
「クリストフの領地もあるの?」
地図を眺めながらエダムが尋ねた。
子供たちはクリストフが王太子であることは知らないが、その顔立ちや口調などからブレンダと同じ貴族だということは分かっている。
「――私はここだ」
クリストフは地図の一番北を示した。
そこはクリストフの母親、側妃の実家であるランツィンガー辺境伯領だった。
「遠いねえ」
「汽車で何日かかるの?」
「馬と汽車、それに船を乗り継いで、順調に行けば八日だな」
「船?」
「天候さえ良ければ船が一番早い。この川を使うんだ」
クリストフは北から王都へ向かう、蛇行する青い線をなぞった。
「天候が良くないと早くないの?」
「雨が降り増水すると川は危険だから使えないんだ」
それからしばらく、地図を見ながらクリストフは天候の話や国内の移動手段などの説明をした。
(さすがだなあ)
クリストフの説明を聞きながらブレンダは内心感心した。
王太子なのだから、国内の事情に精通しているのは当然なのだろうが、子供にも分かりやすく説明できるのはすごい。
クリストフによる地理の授業が終わると、幼い子たちは昼寝の時間となり、それ以外の子たちは各自の自習となった。
「ブレンダはいつ領地へ帰るんだ」
自習を見守っているとクリストフが尋ねた。
「再来週よ」
「それでもう土産を買ったのか」
「有名なお菓子屋さんで、沢山用意してもらうには予約しないとならないの」
それでブレンダが店に行って、色々と選んで予約してきたのだ。
本来ならば侍女の仕事だが、ブレンダもお店に行ってみたかったので、自分で選んできたのだ。
「ブレンダは菓子が好きなのか?」
「ええ」
「そうか。二ヶ月か……」
呟いて、クリストフはブレンダを見た。
「そういえば、以前オークションの時に依頼した絵が届いたのだが」
「ああ……家にも届いているわ」
ブレンダが気に入った城の風景画が届いたのは一月ほど前だ。
落札した絵と対になるよう雰囲気を合わせたのだというので、二枚並べてブレンダの部屋に飾っている。
「部屋の雰囲気とも合っていて、もう一枚依頼したの」
二枚より三枚並べる方が、バランスが良いと思ったのだ。
領地から帰る頃にはでき上がっているだろう。
「私も気に入っている。領地へ帰る前に見に来るか」
ブレンダを見つめてクリストフは言った。
*****
(これは……)
目の前に並べられた大量の菓子類にブレンダは絶句した。
「お好みが分からなかったので色々ご用意させていただきました」
「どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
優雅な所作でお茶を注いでいった侍女たちが、音もなくその場を離れていった。
「好きなだけ食べれば良い」
お茶を飲みながらクリストフが言った。
「菓子が好きなのだろう」
「……でもこれは……多すぎます」
「料理人が勝手に張り切って作りすぎたんだ」
「張り切る?」
「私が客を招くのは滅多にないことだからな」
ブレンダがいるのは、王太子の間に隣接する客室だ。
この数日は大騒ぎだった。
クリストフに誘われた翌日、早速お茶会の招待状が家に届いた。
王太子から届いたそれを見た侍従や侍女たちが大騒ぎし、侯爵には王太子との関係を問いただされた。
孤児院で会って以来友人として接していると答えると、侯爵は「友人?」と訝しげな顔になった。
――王太子と令嬢が友人になるのはおかしいのか、ブレンダにはよく分からないが。事実なのだから仕方がない。
今朝は朝早くから準備が始まり、念入りに化粧や髪を整えられ、出発するときは使用人全員に見送られた。
(確かに王宮にお呼ばれするのは凄いことだけど……やり過ぎなんじゃないかしら)
そう思いながら王宮へ到着したのだが、出迎えこそ侍従と侍女一人ずつだったが、通された客間では過剰なほどに飾り付けられた花と山盛りの菓子、そして多くの使用人たちに出迎えられたのだ。
「……とても綺麗ですね」
お茶を飲み、果物の載った小さなタルトを一つ食べて、ブレンダは客間の壁に掛けられた絵を見た。
画面の半分以上を覆うように、びっしりと花をつけた木が大きく描かれていた。これが「カイドウ」なのだろう。
(桜みたい……)
国中を花色に染めて春の訪れを告げるというのも、前世の桜に似ている。
「ああ、綺麗な花だ。実物もきっと美しいのだろう」
絵に視線を送っていたクリストフは、ブレンダへ向いた。
「実物を見てみたいか?」
「そうですね……」
亡命者の子孫だから、ブレンダが向こうの国へ行くことは無理だろうけれど。
けれど懐かしさを感じさせる、あの花を見てみたいとは思う。
「取り寄せられるかグランディ王国に問い合わせてみよう」
「……そんなことできるのですか」
「交渉次第だ。上手くいけば両国の友好が築ける」
「すごい、さすが王太子殿下ですね」
ブレンダがそう言うと、クリストフは不快そうに眉をひそめた。
「さっきからその他人行儀な言葉遣いはなんだ」
「え?」
「友人なのだから敬語はなしだと言っただろう」
「……それは孤児院の中だけだと言いましたよね?」
さすがに王宮の中で、王太子と対等に口を聞くなどできるはずもない。
「――つまりあの場限りで本当の友人ではなかったということだな」
クリストフはさらに深く眉をひそめた。
「ええ……そう言われましても。さすがにここは王宮ですし」
「ここは公式の場ではないし、人前でもないだろう」
「……人なら沢山いますよね?」
護衛の騎士や侍従、侍女といった、十名以上の者たちが部屋の片隅に控えているのだ。
「あれらは壁と思えばいい」
「壁……」
「彼らには守秘義務がある」
周囲を見渡しながらクリストフは言った。
「ここで見聞きしたものは決して外に漏れない」
「……分かったわ、クリストフ」
ブレンダはため息をついた。
「それでだ。友人の君に贈り物がある」
「贈り物?」
「領地へ行くのだろう」
クリストフが手を上げると、侍従の一人が小さな箱を持ってきた。
「旅の守りだ」
箱の中にはブレスレットが入っていた。
銀白色の細工に透明感のある青い石が連なっている、手の込んだものだ。
「綺麗……」
「サファイアを身につけていると危険から守ってくれると言われている」
「ありがとう」
「私がつけよう」
クリストフは立ち上がるとブレンダの隣へ座った。
それからブレンダの左手を取ると、箱から出したブレスレットをその腕へ巻いた。
(……大きな手)
長くて細い、けれど節が出たクリストフの手に、彼が男性だということを不意に意識してしまい、ブレンダは顔が熱くなるのを感じた。
「小さな手だな」
クリストフが呟いた。
二人の手が重なるとその大きさがかなり違うのがよく分かる。
その小さな手を軽く握ると、クリストフは自分へと引き寄せた。
白い甲にクリストフの唇が軽く触れる。
「旅の無事を祈る」
ブレンダはさらに顔に熱が帯びたのを感じた。
第二章おわり




