第四十一話 始まり
「瑠璃はやっぱ、そっちのなげぇ髪の方が似合ってるぜ」
「短めの髪も動き易くて良かったんですけどね」
「ないよりはある方がいいだろ。そんだけ綺麗なものをわざわざ捨てるのは勿体ねぇ」
「ありがとうございます。これからも長い付き合いになりそうですね、この髪とは」
四ノ島の街中を、海燕と瑠璃、文次郎、そして八雲の四人はあてもなくうろつく。海燕はしげしげと瑠璃の肩まで伸ばした長い髪を眺めて言葉を発した。儀式魔法のために切り落としたはずの瑠璃の宝物である長い髪は、まるで何事もなかったのように瑠璃の肩でたなびき、道行く平民たちの視線を集めていた。
黒髪の平民たちが行き交う中で、退魔師の多種多様な髪の色は目立つ。四ノ島の大通りでは今、様々な髪の色の退魔師たちが行き来し、島の店という店を探索していた。
絵師によって描かれ、刷り師によって刷られた高名な退魔師たちの絵を眺めながら、文次郎はぽつりと呟いた。
「…でも、今でも信じらんねぇよな」
文次郎はどこか夢見心地で、試験が終わったときのことを思い返していた。海燕も、文次郎と同じように、試験を終えた時のことを思い出した。
(確かに、信じられねぇ経験だったな)
「……諸君。本当によく頑張ったものだ。四ノ島に宿を取り、一週間後にまた試験会場へと来るがいい。願わくば、そこで成長した諸君と会えることを期待する」
黒髪の試験官、黒羽真鴨がそう海燕たちに告げた瞬間、海燕は目の前がぐにゃりと歪むのを感じた。
「!??」
(んだよこれ!?動けねぇっ!?吸収も……できねぇ!?)
ぐるぐると全身をかき回されるような、全身がばらばらになるような感覚が海燕を襲っていた。隣に居た文次郎や瑠璃のことを気にする間もない。
気が付いた時には、海燕は木で作られた机の上に突っ伏していた。
「……!?みんな!?無事か!?」
「あら、気がついたようね。そんなに叫ぶ必要はないわ。あなたたち、良く頑張ったのだから」
咄嗟に大声を上げる海燕をたしなめるかのような、女性らしい甘ったるい声が海燕の耳朶を襲う。黒髪の試験官と同じ、黒で彩られた着物とは言えない奇妙な服を着た女性が、優し気な目で海燕たちを見ていた。
海燕は困惑したまま周囲を見渡す。よく見ると、学科試験を受けていたときと同じ部屋にいることを理解した。海燕の隣の席にいたはずの受験生の姿はないのに、海燕の前に居た生徒や、斜め前の席に座っていた生徒はまだ机に突っ伏している。
「……海燕!?」
「その声は文次か!?」
海燕は後ろから声がかけられたことに気付き、急いで後ろを振り返る。後ろの入り口近くの席には文次郎らしき黒髪の受験生がいて、その斜め前の席には瑠璃らしき青髪の女子が困惑の表情を浮かべていた。神木との戦いで失われたはずの髪がちらりと見える。
更に周囲を見渡せば、水色の髪の女子や灰色の髪の八雲と思しき男子、背の高い白髪の男子の姿もあった。
「うふふふ。本当にいい寝顔だったわ受験生諸君。あなたたちは合格だけれども、まだ試験中の生徒もいるのよ。合格者用の控え室に行ってもらいましょうか」
「……!?……まさか、さっきまでの試験は夢だったんですか!?」
動揺した瑠璃は挙手することも忘れて試験官の女性に返答を求めた。
「それは、これから白銀先生が教えてくれるわ。起きた子は後ろの先生についていきなさい」
「こちらですぞ。いやあ、よく頑張りましたなぁ。私たちの時代より、君たちは優秀だ。将来が楽しみですぞ」
一から十まで困惑の極みにありながらも、海燕たちは試験官の女性に従い、大柄な金髪の試験官の跡に続いた。にこにことした試験官の顔は心から受験生たちを労っているようで、海燕は毒気を抜かれていく気がした。
座布団が敷かれた畳の部屋で、海燕たちは正座して説明を待った。金髪の試験官、白銀先生は人の好さそうな笑みを浮かべると、咳ばらいをして話をはじめる。
「まずは改めて、諸君の健闘を称えさせていただきますぞ。まっことによく頑張ったと聞いております。おや、何か納得がいかないような表情ですな」
「……先生、発言をしてもよろしいでしょうか?」
「ふむ、どうしましたかな金剛くん」
「ありがとうございます。……あれは、あの森は、あまりにも精巧でした。今でも、もののけから受けた傷の痛みは思い出すことができます。木々のざわめきから、空の雲に至るまで本物と変わりなく、僕は正直疑いもしなかった。あれは夢だったのですか?」
全員の意見を代弁したのは健清だった。
「気付かないのは当然ですぞ。諸君が試験を行った島で生息するもののけも、境内に設置された式神も、すべて四ノ島に設置されている本物そのものですからな。……ああ、いや、地爆基だけは別ですぞ。あれはこちらでは使えませんからな」
「どういう……ことですか?白銀先生。
あれはすべて夢だったのではないのですか?」
瑠璃は更に詳しい説明を求めた。
「魔導空間、というものがこの島にはあるのですぞ。この島の生き物から石ころに至るまでの全てを再現し、この島の一部を改変して作った、もう一つの世界というべきものですな。学科試験で既定の点数を取った受験生諸君は、魔力と意識をそこに飛ばされ、今まで戦っていたのです」
「じゃあ、起きてから妙に体が重たいかったのは?」
そう尋ねたのは猿之助だった。彼はどうやら体調が悪かったらしく、顔は真っ白に染まっている。
「魔力を使い切ったからですな。諸君も今日はゆっくりと宿で休み、疲れを取るのですぞ」
そう言って白銀試験官は微笑み、更に言葉を重ねる。
「諸君があの空間、現実世界の諸君と変わらぬ働きが出来たはずですぞ。あそこはただ一つを除けば、こちらと変わりない世界ですからな」
にわかには信じがたい話だったので、海燕は試験官の話を信じるべきかどうか迷っていた。
(まるで別の世界があるみてぇな言い方じゃねぇか……
いや、作り上げたって言ってたか?作り上げる?それだけでもすげえ魔力が必要だろうに。
その上、俺ら全員にその魔法をかけるって。どんだけの魔力量がありゃ、複数人にそんな魔法をかけることができんだよ……)
そうやって海燕が物思いに沈んでいるとき、文次郎が声を荒げた。
「ちょっと待ってください!魔力と意識を切り離しって、じゃああそこで死んだ皆はどうなるんだ!?」
文次郎は身を乗り出して騒いだ。
「そうだ。意識があっちにあったってんなら、あそこで死んじまったら……」
海燕も文次郎の言葉にぞっと身を震わせた。
「ご心配めされるな。あそこで命を失っても死ぬことはない。ただ、あそこでの記憶を失うだけですぞ。あそこで亡くなった受験生諸君は、すぐに目覚めて別室で休んでいます」
「記憶を……?」
八雲は記憶を失う、という異常な魔法を訝しんだが、意識を飛ばすという説明から魔法を考察し、それはあり得ることかもしれないと思った。
(意識を飛ばされているから、あそこでの死ぬとそのことを認識できなくなるってことか?
……話だけ聞くと恐ろしい副作用でもありそうだが……
いや、それでも、本当に死ぬってわけじゃないか。そうか、だからこんな回りくどい試験を)
(……そういえばおとぎ話のなかに夢魔法、というものがあったな。おとぎ話では夢の中で受けた傷が現実にも反映されていたが……学校が後遺症の残る魔法を受験生にかけるわけがない、と信じるしかないか……)
健清の知識のなかには、それらしき魔法もあった。とはいえ、本当にそんな魔法が実在するというのか。退魔師として育った健清にとっても、信じられないことであった。
「証拠はあるんですか?死んでった奴らが生きてるって証拠は?」
海燕は挙手し、白銀試験官に指されてから尋ねた。
「仕方ありませんな」
そう言うと試験官は大きな紅玉を取り出し、そこに魔力を込めた。するとその紅玉に、受験生らしき若い退魔師たちの姿が映る。彼らは一様にうなだれ、涙を流しているものも多くいた。
「……あ、沙織!?一太郎!!」
紅玉を見ていた文次郎が声をあげた。文次郎は試験中、海燕たちと合流する前に、仲間と組んで行動していたのだ。
結果的に、文次郎と組んでいた受験生は全滅してしまい、海燕たちと合流することになったのだが。
「あ、この子知ってる知ってる!森の中で死んでた子だ!」
「間違いねぇな。じゃあ、本当に死んでないんだな」
鶫や千里も見覚えがある受験生を見つけたようだった。
「彼らは、残念ながら魔導空間で力尽きてしまった退魔師諸君ですぞ。
……今、帰り支度を整えているところです。これで納得できましたかな、波止場受験生」
「……はい」
試験官の重々しい言葉に、海燕は頷くしかなかった。
「察しの良い諸君ならばもう気付いているでしょう。この試験は、諸君らの命を守りつつ力量を推し量るための処置だったのです」
そう言って、白銀試験官は頭を下げた。彼は深いため息とともに言葉を紡ぐ。
「……私が君たちと同じ年齢のとき。私もこの試験を受けた。
そして、この試験によって、多くの退魔師たちのかけがえのない命が失われたのです。彼ら彼女らは、故郷に帰れば多くのもののけを滅ぼし、人々を守れただろう猛者ばかりだった。優しい人も強い人も弱い人も狡い人も真っすぐな人も、大勢の退魔師が居たのです」
「まだ若い諸君に、同じ目に遭って欲しくはなかった。嘘をついて君たちを騙したこと、どうか許してほしい」
そう言って、試験官は再び頭を下げるのだった。
試験の結末を思い返していた海燕は、試験官への怒りがなくなっていたことに気付いた。
はじめから夢だと分かっていれば、死が死ではないと聞いていれば、海燕は試験を侮っていたかもしれない。将来がかかった試験という緊張感も、生死がかかった戦闘における緊張感に勝ることはないからだ。
死ぬことと、死んでも次があるということは違う。だから受験生たちが本気を出し、全力で試験に専念するために、試験官は嘘をついたのだと今ならわかる。
何より重要なことは、あの試験で死んだ受験生が今も生きているということだ。それで海燕は、試験官に対する不信感をすっかり霧散させてしまった。
「あれが夢の世界での出来事だったなんてよ。俺、試しに”木洩火”を使ってみたけど、ちゃーんと使えるんだぜ?」
「そりゃあ文次が例外なだけだ。夢で見たからって魔法がほいほいと使えてたまるかよ」
「でも俺、天才じゃないらしいぜ?」
「あのおっさんの言葉を信用すんなよ」
すかさず海燕が文次郎にツッコミを入れる。
「本当に桁外れの魔法もあったものだな。文次、そのうちお前もそれを使ってみろよ」
「いやいや無理無理。どんな魔法なのか見当もつかねーよ」
「お前は天才なんだ、それくらいできる。……おじさん、この絵に描かれてる退魔師って、北の民ですか?珍しいですね。こんなの描く人がいるなんて」
「あー、この絵かい?大昔にここの学校を出て一級にまでなった退魔師らしくてね。哲匠先生はこの島の人だから、ここの学校を出た退魔師は何でも描いちまうんだよ。もっと有名どころを書けば、都の絵師にだって負けないだろうにねぇ」
「随分と変な人がいるんですね。一枚ください」
「あいよ。三文でいいよ」
八雲は苦笑してその絵を購入していた。手触りがよく、雪のように白く品質のよい紙に、八雲とよく似た灰色の髪に青色の目をした青年の退魔師が描かれている。
「いいな~。俺も絵になるくらいの退魔師になってみたいぜ。おっちゃん、平民出身の退魔師の絵でいい奴ある?」
「あぁ、そんなら祇園先生の作品があるよ。あの人も平民だからか、いい絵を描くんだよねぇ。ここだけの話、近々都に行くって噂があるんだ。今のうちに買っておいた方がいいよ?」
「お、本当!?じゃあ三枚くらい買っちゃおうかなぁ」
「……文次のやつ、思いっきり商売文句にのせられてやがる。どこに置くってんだ」
海燕は文次郎を見ながら、瑠璃と二人で雑談するのだった。
「海燕くんは買わないんですか?」
「俺には絵の良さを理解する教養がねぇからな。瑠璃はどうなんだよ?買いてぇなら奢ってもいいぜ?」
「私も遠慮しておきます。今は絵よりも団子の気分ですね」
そう言って瑠璃は向かいの茶屋を指さした。茶屋には行列が出来ている。
「団子かよ!あーあ並んでるじゃねぇか。しゃーねぇな。おい八雲、俺は団子屋にならんどくぞ。一刻くらいしたら団子屋に来いよ!」
「団子?甘党だったのか海燕」
「ええそうなんですよ~。本当に仕方ないですね海燕くんは。さ、並びますよ」
しれっと海燕の好みを改ざんした瑠璃は、海燕とともに行列の最後尾に並んだ。
「瑠璃おめぇ……結構いい性格してんな。まぁ面白ぇからいいけどよ」
試験中には見せなかった思わぬ一面に、海燕は面白いものを見たという目で瑠璃を見た。
「ふふふ。みんながふざけてた時も私は試験中だからずーっと我慢してたんですよ。だからこれでおあいこです」
「結構言うな?」
「私が良い性格なら、海燕くんは意外と面倒くさい性格してますよね」
緊張の糸が切れた瑠璃も、海燕に対してどこか遠慮がなくなっていた。
「んぁ?そうか?どこがだ?」
(自覚なかったんだ……)
瑠璃は珍しいものを見たという目で海燕を見る。赤い髪の下に見える翡翠色の瞳は、あどけない少年のような素朴な目で瑠璃を見ていた。
「そうですね…たとえば八雲くんがもういいって言ったのに千里さんの件を掘り返したりですね」
「おい、そりゃあ人として当然だろ」
「だって。海燕くんがそう言った理由がですね。”俺より強いくせに”って。そんなこと言う人はじめて見たわ私」
そう言って瑠璃は口に手を当ててくすくすと笑う。海燕はからかわれているのだと気付き、耳を赤くしてそっぽを向いた。
「ちぇ。うるせー。悪かったな嫉妬深くてよ」
「……でも」
ひとしきり笑い終えたあと、瑠璃はふと真顔になって言う。
「たぶん、海燕くんは八雲くんといい友達になれると思う。文次郎くんとも」
「……あたりめーだ。そんなもん、できて当たり前だ。誰だってできることだろ」
海燕は自嘲の意味も込めて笑う。
「それは違うと思います」
「海燕くんがいたから誰も死ななかった。海燕くんが守ったから、他のみんなも誰かを守れた。あの森で四人の誰も死なずに生き残ることができたから、私たちは今もここで笑っていられる」
「……」
「そしてそれは、当然なんかじゃない。私と海燕くんと、八雲くんと文次郎くんが。皆が頑張ったからここで笑えてる。みんなだったから来れた。他の誰でも、きっとダメだったって思うよ」
海燕は何も言わずに、素直に瑠璃の言葉を受け止めた。
昔友達のために何もできなかったことも、自分がその代償行為をしていることも、海燕は全てわかっている。
それでも。
「だから、ありがとう。これからも、みんなのことを見ていてね?」
その一言は、その言葉を言った人の笑顔は海燕の心に棘のように刺さり、そして同時に、心に刺さっていた何かを引っこ抜いた気がした。
もう、裏切らない。
もう二度と、海燕は友達を見捨てない。
「ありがとうなんて言葉は、瑠璃が一番言われるべきだぜ。瑠璃が文次郎を引っ張ってきたから最後の最後でなんとかなったんだからよ」
海燕は顔を真っ赤にしながら瑠璃を誉めた。
「あー、じゃあ私ってば結構人を見る目あったんですね!海燕くんと八雲くんと文次郎くんで三勝二敗ですし!」
「……見る目があったかどうかはまだわかんねぇぞ」
「はい?」
「俺がもしも逃げたら、そんときは見る目がなかったってことになる」
瑠璃はその時の海燕の顔を見た。
頬から冷や汗を流し、真剣に悩んでいる海燕の顔を見て、瑠璃はこのとき、海燕を信じると決めた。
(裏切りたくないって、心の底から思ってくれてる)
それは期待を受けた人間が持つ当たり前の感情で、期待に応えたいという欲求なのだと、瑠璃はよく理解していた。
「……そうですね。そうなっちゃいますね。
じゃあ、そのときは私が海燕くんを捕まえて逃がしませんから。遠慮なく逃げてください」
そして、二人は拳を交わしあった。人々でごった返す大通りに、そんな二人を気にする人間はいなかった。
これにて第一章完結です。




